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ローマ皇帝であったマルクス・アウレリウスのこの言葉が心にひびく。「激情から解放された心は、一つの砦だ。ここに退避すれば、以後絶対に侵略されることはなく、人間にこれ以上安全堅固な場所はない。だから、これを発見しない者は無知であり、発見しておきながらそこへ非難しない者は不幸だ。」↓の本で学びました。ストイックという思想Amazon(アマゾン)私は、激情から解放された。怒りを自分でコントロール出来るようになった。私は、自分のモラハラとフキハラが原因で、離
メルカリはとても良く出来たシステムだと思います。私がもっとも優れた仕組みと感心するのが、売り手と買い手の相互評価システムです。売り手も買い手も、相手からの評価は半永久的にデジタル記録に刻まれるので、自然、丁寧な対応になります。普段の生活でも、このように相手に接すれば、みんなハッピーになると思います。しかし、普段の生活は、記録が残らず、その場限りと考えるので、ときには粗暴な対応を人にしてしまうことがあります。私は、誰も見ていないと思っても、宇宙には、行動記
『唯識』という仏教に関する本を読んでいるのですが、非常に興味深いです。ユングに関する漫画を読んだときの感覚と、ちょっとだけ似ています。唯識の内容の中に、私に当てはまっていることが書かれているのです。仏教の実践項目、六波羅蜜自分の心に問題があることに気が付いて、なんとかそうでない状態になりたいと思って勉強や、修行を始める。そのときに具体的にこういうことを六種類やるのが、凡夫から、菩薩、仏へと変化向上していくための必須条件。とありました。1まず
こんな言葉があった。セラピスト(仏教心理学)の岡野さんの言葉なのだが、どう理解すればいいのか。木が「いる」と信じれる文化は、前回の続きになるが我ー汝の関係につながる世界のように思う。木は「ある」と信じれる文化は、現代の主流の考え方とも言えよう。昨日の話で言えば、自分の手にした盲導犬が「友」なのか「犬」なのか、なのかもしれない。現代の主流にさせているのは、科学やキリスト教的な捉え方から派生しているように思う。自然は人間(私)の為にあるものなのだ。神はそのように世界を造られたし、自分を外に
先日、昔NHKで放送していた「坂の上の雲」を見返しました。今とは違う「お国のために生きる」、「誰かのために生きる」、そんな中で「自分がどう生きていくのか」そんな雰囲気が垣間見えました。現代はどうでしょうか。岡野守也さんという心理学者の方がこのようなことを言っています。「自分の人生は自分のもので、自分のためにある」、「自分の人生は一回きりで、死んだらおしまい、もう意味がない」、「人生の意味は自分の楽しいこと・得になることをやるしかない」そういった感覚が現代人だと。私も凡人なので
フェイスブックでメンタルコーチの川本義巳さんが#本を読もうという企画をされていまして。なかなか外出できない今なら、いい企画だなと、私もそんな動画を撮ってみました。良かったら御覧ください↓本の内容はこちらです↓本を読もう!『仏教とアドラー心理学』岡野守也著https://www.kosei-shuppan.co.jp/book/b274524.html読んでみると、結構共通点を感じる仏教とアドラー心理学。でも、それを比較して本にしているというのは類書があまりないと思いま
トランスパーソナル心理学岡野守也p231“「みんな人間は結局一人であり、死んだらそれまでであり、最後は自分のことしか考えていない。人間というものはそういうもので、それでけっこうやっていけるし、それはしかたのないことだ。しかし、それを全面的にむき出しにすると、世の中うまくいかないから、ある程度は抑えて、(身内だけは)まあまあ、なあなあとなかよくしながら、科学技術を進歩させ、経済をいっそう成長させて、みんなお互いに儲けて、一回しかない人生を楽しんでいこう。その場合、身内は儲けさせるけども、身内
トランスパーソナル心理学岡野守也p224“個人であるかぎりの人間は、生まれ、老い、死なねばならない。そのことを自覚したとき、不安におののき、空しさにさいなまれる。もろい身体やせまくるしい自我の枠を超えた永遠不死の世界に激しく憧れる。しかし理性的になり、それだけならいいが〈物質科学主義〉に毒され、グロフの言葉を使えば〈ハイロトロピックな意識〉だけの飽食・肥満状態にある現代人は、神、仏、地獄、極楽、といった神話をそのまま信じることは難しい。そこに現代人の深い不幸がある”絶対的に、誰にも訪れる
トランスパーソナル心理学岡野守也p222“臨床の現場で、悪性の攻撃性=サディズムの源は〈出生外傷〉=悪い出生体験にあると思われるケースが数多く現れた”出生体験の良し悪しが、“悪性の攻撃性”が出る出ないの境目となるようです。出生体験の良し悪しが、人格に影響を及ぼすなんてことは考えたことがなかったので、付箋を貼りました。
トランスパーソナル心理学岡野守也p221“個人や種が生きていくためには、防衛のための攻撃性はある程度は必要であり、それは本能としてプログラムされているだろう。それはけっして必要以上になかまを攻撃したり、エサになる他種の生物でさえ必要以上には殺したりしないもので、〈良性の攻撃性〉と呼ばれる。ところが人間の歴史には、ほんとうに生物学的・政治的・政治経済的理由があるとは思えない、無意味で残忍な〈悪性の攻撃性〉の実例がほとんど数え切れないほどある”“攻撃性”といわれる性質は、問答無用で悪しきも
トランスパーソナル心理学岡野守也p214“精神病と見られてきた現象の多くが、ハイロトロピックな意識しか知らなかった人の心に、突然、ホロトロピックな意識が浮上してきて、衝突が起こり、わけがわからず混乱し、ふつうの生活に支障をきたしている状態とみなすことができる。ホロトロピックな意識はたしかに人間の魂の奥に存在するものであり、したがって、それを抑圧することは、問題の解決にならない。むしろ積極的に浮上させることによって、十分に体験し、ハイロトロピックな意識と統合することが可能になり、そのとき、根
トランスパーソナル心理学岡野守也p209“精神医学・臨床心理学はこれまで、脳の障害、反社会的な行動習慣、悪い幼児体験などが精神的な病気の原因になると考えてきた。しかしグロフは、それだけでなく、もっと深い分娩前後の領域・トランスパーソナル領域にひそむ未解決の問題に原因がある場合があり、それが十分に体験されると、おどろくべき治療につながり、しかも、従来よりも遥かに短時間で、徹底的な効果があることを発見した”私にとって新たな見解であり、非常に有力な情報となりうるのと思ったので付箋を貼りました。
トランスパーソナル心理学岡野守也p200“ホロトロピック・セラピー”グロフが開発したグループセラピーの技法です。ホロトロピック・セラピーは、心の全領域・全体性を実感し、心全体と自分のパーソナリティの統合を実現していくことを目標としています。セラピーは、平均30人前後のグループで行われます。横になり、目を閉じて、「できるだけ速くて深い呼吸を長時間続ける」のが主な内容です。プロセスの初期には、抑圧されていた激しい感情が吐き出され、大声をあげる人、暴れまわる人も出るらしいです。なんかち
トランスパーソナル心理学岡野守也p155“「トランスパーソナル」なレベルでは、言葉の示すとおり、パーソナリティ=個人性は超えられ、有機体と環境の分離も超えられ、有機体と分かれて別にあるものとしての時間や空間も超えられ、いわゆる超常現象や神秘体験が起こる”ウィルバーの「意識のスペクトル」の中で言われている「超個の帯域」に到達した際に体験することのできる「トランスパーソナルな体験」について。テレビなんかでよく言われているアンビリーバボーな超常現象なんかは、もしかしたらこの“トランスパーソナ
トランスパーソナル心理学岡野守也p153“自分はひたすら優しい人間だと思っている人が、思いがけないときに、ひどいことを言ったり、やったりする。そしてやった後になって、自分でも信じられないと思ったりすることがある。この場合は、優しさがペルソナで残酷さが影になっている”ウィルバーの「意識のスペクトル」について。ウィルバーは、意識の全体像を独自の階層モデルで捉えています。それは、永遠・無限・宇宙・心のレベル、超個の帯域、実存のレベル、生物社会的帯域、自我のレベル、影のレベル、の六つのレベルか
トランスパーソナル心理学岡野守也p125“ふつうの人間は、自分の感情、衝動、過去への後悔、未来への不安、性格の弱いところ・悪いところなどにドップリ浸かって流されがである。アサジョーリはその状態を「同一化」と呼び、それらとそれらを観察する自己とがちがうことの意識化を「脱同一化」と呼んでいる”“脱同一化”をすることで、憂うつやいらだちに流され、心を支配されてしまうことがなくなるようです。その原理は、「われわれは自己が同一化しているものにはすべて支配される。われわれは自分自身と脱同一化してい
トランスパーソナル心理学岡野守也p121“ありきたりな生活では、われわれは限定されており、無数の形で拘束されている。妄想と幻想の餌食、未認識のコンプレックスの奴隷、外的影響によって振り回され、幻惑的な外見に目を奪われ、催眠状態にされている”アサジョーリのサイコシンセシスについて。アサジョーリは、神経症や精神病の患者だけでなく、平均的には正常な人間、つまり〈ふつうの人〉も、心の各領域・諸要素が統合されておらず、分裂・葛藤に苦しんでいるという意味で、根本的には病気だと見ています。つまり、
トランスパーソナル心理学岡野守也p98“絶望や自殺は、価値を見いだす視野が硬直し、狭まった結果なのである。医師は、「あなたは、自分なんかもう生きていてもしかたないとおっしゃいますが、どうしてそう思われるのですか」といった問いや、「でも、他の人のためにもあなたは生きなければならないんじゃないですか。あなたを必要とする人がいるんじゃないですか。それでも、生きていく意味がないんでしょうか」といった指摘によって、新たな意味の発見を促すのである”フランクルのロゴセラピーが、どのような内容のものなの
トランスパーソナル心理学岡野守也p94“フランクルは、創造価値、体験価値、態度価値という三つの主要な価値を上げる。これらは、人間が人生に意味を見いだすことのできる主な三つの場合に対応している”第一は〈創造価値〉で、人間が何かを作り出すことによって、世界に何かを与えることに関わっている。第二は〈体験価値〉で、人間が出会いと体験をとおして、世界から何かを受けとることに関わっている。第三は〈態度価値〉で、どうすることもできないぎりぎりの運命に直面したとき、それに対してとる態度に関わっている
トランスパーソナル心理学岡野守也p82“シナジー社会”主観的には利己的な行動をしても利他的な結果につながるという優れた社会構造の性質を〈シナジー(協働性)〉と呼ぶらしいです。いわゆるユートピアというやつですね。何となく、食物連鎖がこれにあたるのかな?という印象です。獰猛な肉食動物が空腹を満たすために草食動物に襲いかかる場面なんかは目を覆いたくなりますが、結果的にはそれが生命全体の調和を保つ結果となっています。そんなユートピアを破壊する行動が、自らの身を滅ぼす結果となる。というのは想
トランスパーソナル心理学岡野守也p80“基本的諸欲求が適当な時期に満たされないと、子どもは脅威にさらされ、心理的外傷を受け、後々までそれに病的に執着・固着するようになる。自然で限度のある〈基本的欲求〉が、歪んだ際限のない〈神経症的欲求〉に変えられてしまう。ほんとうには何が欲しいのか、何を得れば満足できるのかがわからなくなったまま、自分はこれが欲しいのだと思い込んでいるものを追求すると、いくら求めても、いくら得ても満足できない。ある時期に、ある限度を超えて基本的欲求が剥奪されると、人間は〈神
トランスパーソナル心理学岡野守也p79“欲求の充足は人間性の成長を促進する”マズローによると、より低次の欲求がある程度満たされると、別のより高次の欲求が出てくる、ということです。「生理的欲求」が満たされれば、「安全への欲求」が現れ、安全への欲求が満たされれば、「所属と愛の欲求」が現れ、所属と愛の欲求が満たされれば、「承認欲求」が現れ、承認欲求が満たされれば、「自己実現の欲求」が現れる。といった具合です。つまり“欲求の充足は人間性の成長を促進する”ということになります。「欲」は悪いも
トランスパーソナル心理学岡野守也p77“適当な時期に適当な承認を得られなかった人間は、成長して後、異常に地位、権力、名声に執着するようになりがちであるという”地位や権力、名声に執着してしまう人に対して、ただ「嫌だ」と感じるだけではなく、違った角度からの視点で捉えることができると思ったので付箋を貼りました。そのことで、嫌な感情が少しでも緩和できます。
トランスパーソナル心理学岡野守也p74“基本的な諸欲求を適度に満たされれば、人間は、停滞することなくますます成長し、心理的にいっそう健康になっていくという”マズローの考え方です。ある段階で成長が止まってしまい、心理的に不健康な私は、基本的な諸欲求を適度に満たされることなく、年齢だけ重ねていって、今がある。ということになりそうです。その可能性を考えてしまうと、落ち込みや誰かに対する恨み、責任の放棄が生じ、私はますます前に進めなくなってしまいました。だから、「それ」によって生きていくこと
トランスパーソナル心理学岡野守也p33“客観的真理をとって主観的真理をあきらめるか、主観的真理をとって客観的真理を放棄するかという選択”実存的欲求不満に対して今の人々がどのように対処しようとしているのか、大まかに説明してあります。人生の根源的問いに突然襲われるようなことが、誰でもあります。その場合、宗教をとって理性・科学といったものをどこかで無視・抑圧するか、あえて理性・科学をとり、問いは無視ないし抑圧するか。この二択のどちらかを選択することで、我々は実存的欲求不満に対抗しようとして
サングラハ教育・心理研究所http://www.smgrh.gr.jp/主幹岡野守也先生による高松水曜講座2018年12月12日【よくわかる道元入門】第3回レビューVol.2です「諸悪莫作(しょあくまくさ)」という巻は、「一顆明珠」の2年後、道元40歳の時にかかれたもので、ここでは、道元の倫理観が語られています。一般的に「善悪」は、「人間はこうしなければならない」という倫理として教わるものですが、本心には、多かれ少なかれ「そうは言ってもしたいことはしたい、欲
サングラハ教育・心理研究所http://www.smgrh.gr.jp/主幹岡野守也先生による高松水曜講座2018年12月12日【よくわかる道元入門】第3回レビューVol.1です今回は、道元の主著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中の「一顆明珠(いっかみょうじゅ)」と「諸悪莫作(しょあくまくさ)の巻について。「一顆明珠(いっかみょうじゅ)」という巻は、道元38歳の時にかかれたもので、道元の世界観が端的に表現されているといえます。>>盡十方
サングラハ教育・心理研究所主幹岡野守也先生高松水曜講座(2018/11/7,28)【よくわかる道元入門】第1,2回レビューVol.4です。道元は、世の無常・不条理の答えを求めて12歳で出家し比叡山に入りますが、そこで修行する中で「本来本法性」=「人間は本来覚りという性質を持っている」「天然自性身」=「生まれたままで覚っている。ありのままが覚り」という教えに対して、「なぜ人がもともと覚っている存在ならば、なぜわざわざ覚りたいと思う心を起こし覚りを求
サングラハ教育・心理研究所http://www.smgrh.gr.jp/主幹岡野守也先生高松水曜講座(2018/11/28)【よくわかる道元入門】第1,2回レビューVol.3です。「身心脱落(しんしんだつらく)」とはどういうことか?「身(体)」と「心」が「脱落」しているって?これの説明って、「どこまでわかってんだ?」という私がするのもおこがましいところで、岡野先生の講座の内容をそのままコピペ引用した方が、とも思うのですが、私自身が内容を咀嚼しアウ
サングラハ教育・心理研究所http://www.smgrh.gr.jp/主幹岡野守也先生高松水曜講座【よくわかる道元入門】第1,2回レビューVol.2です。※本文は岡野先生の講座のテキストの内容を引用、および私なりに要約したものです。私の私見や感想も交えての内容になっています。予めご了承下さい。-----「身心脱落(しんしんだつらく)」道元が、宋で「天童如浄(てんどうにょじょう)」という高僧と出逢い、ずっと抱き続けていた問いの答えを得た体験を表した言葉