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世の中は善悪入り乱れ、種々の様相を現わしている。即ち悲劇も喜劇も、不幸も幸福も、戦争も平和も、その動機は善か悪かである。いったいどうして善人もあれば悪人もあるのであろうか。この善悪の由って来たるところの何か根本原因がなくてはならないと誰しも思うであろう。今私がここに説かんとするところのものは、善と悪との原因で、これは是非知っておかねばならないものである。勿論普通の人間であれば善人たる事を希い、悪人たる事を嫌うのは当たり前であり、政府も、社会も、家庭も、一部の人を除いては善を愛好する事は当然
抑々、真の信仰とは言語行動が常識に外れない事を主眼としなければならない。世間よくある神懸り式や、奇怪な言説、奇矯なる行動等を標榜する信仰はまず警戒を要すべきである。ところが多くの人はそういう信仰を却って有難く思う傾向があるが、これらは霊的知識のないためで無理もないが、心すべきである。また自己の団体以外の人々と親しめないというような独善的信仰も不可である。真の信仰とは世界人類を救うのが宗教の使命と信じ、自己の集団のみにこだわらず、排他的行動をとらないようにするのが本当である。ちょうど一国の利益の
中国の碩学朱子の言に「疑は信の初めなり」という事があるが、これは全く至言である。私は「信仰はできるだけ疑え」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、たいていはいんちき性の多分にあるものか、そうでないまでも、下の位の神仏や、狐、狸、天狗、龍神等を的にしたものが多く、正しい神を的とする信仰はまことに少ないのである。従って厳密に検討を加える時、たいていの宗教は何らかの欠点を包含しているものであるから、入信の場合何よりもまず大いに疑ってみる事である。決して先入観念に捉われてはならない。どれほど疑っ
抑々、宗教の真の目的は何であるかと言えば、言うまでもなく真理の具現である。然らば真理とは何ぞやという事であるが、真理とは勿論白然そのままの姿を言うのであって、これは何人も否定し得ないところである。東から太陽が出て西に沈むという事も、人間は生まれれば必ず死ぬという事、これは仏説の所謂生者必滅、会者定離という事であり、人間は空気を呼吸し食物を食う事によって生を営んでいるという事も、勿論真理である。こんな分り切った事を言わなければならないほど人類社会の現状は出鱈目になっているからである。右の理に
およそ世にありとしあらゆるものは、それぞれ人間社会に有用な役目をもっているのである。所謂天の使命である。勿論芸術と雖もその埒外ではない。とすれば、芸術家と雖も社会構成の一員である以上、その使命を自覚し、完全に遂行する事こそ真の芸術であり、芸術家の本分でもある。ところが、今日一般芸術家をみる時、そのあまりに出鱈目な行動に呆れ返らざるを得ないのである。勿論中には立派な芸術家もないではないが、大部分は自己の本分を忘れているというよりか、全然弁えていないといった方が当たっていよう。然も彼らは自
熱海2日目。雨は上がって、やや風がありますが日が射すと蒸し暑いです。「さて、今日はどうしましょう?」と、夜明けの温泉につかりながら思案。今回は温泉に4回入りましたよー朝イチで初島かなぁ、まだ行ってない来宮神社か、昨日諦めたカフェか、熱海銀座で食べ歩きか、、、そうだ!まだ行ってない美術館にしよう!と、ひらめき即決。食べ歩きが無くなったので、朝ごはんのバイキングをしっかり食べて、いざMOA美術館へ。ホテルのバイキングって、ついつい食べ過ぎちゃうよね💦
きちんとした根拠が分からないうちは、やはりどんな情報も疑ってかかるべきだと思うからです。確かに「化学調味料」は体に悪いし、「糖分」も摂り過ぎれば糖尿病になりますし、「薬」も飲み過ぎれば副作用を起こします。そんなことは、現代人なら誰でも分かっていることです。しかし、それと同時に、多少ならそれらを口に入れても大丈夫だということは、私たち自身が生活の中で実際に体験していることです。そもそも、日本人の平均寿命は、江戸時代に比べて、倍近くにもなっています。江戸時代
3/30は箱根美術館からスタート!入り口はこんな感じですが…中に入るととっても素敵な庭園かひろがっています(^o^)庭園のあちこちに苔がありますが、こちらの苔は70年間大切に育ててきたものだそう。「萩の家」萩の家の内部。「竹庭」「箱根美術館本館」館内にはいろんな地域の美しい陶器や、土器や甕など見応えありました。1番大きな甕。珍しいウサギの埴輪。本館2階の大きな窓の前は休憩できるようになっていて、窓から「大」の字が見えました〜(o^^o)夏の大文字焼の名残です。
今日は久しぶりの雨。京都はずっと空気が乾燥していて火事も多かったけど、この雨で少し潤ってくれるかな?とはいえこの雨は来週も続きそうで月曜火曜と出かける予定にしてるのに雨は嫌なんだけどなぁ。そんな週末は大阪までこんなイベントを見にお出かけ。ついでにお隣の博物館で大阪の歴史のお勉強をしてきました。その様子はまたそのうちに~ということで今日の私のブログは11月の箱根旅行のつづきです。翌朝はお天気がイマイチ。とりあえず朝ご飯を食べたら
富士山、きれいですね、いつ見ても飽きません今日は、世界救世教岡田茂吉の論文から学んでいきます。昭和10年に書かれたみ教えです。人間に曇りを無くすることが健康法の根本であります。これは光に浴することが一番で光にふれることである。朝夕観音様を拝むことは、光にふれる事で光に照らされることである。魂に光を受けるから清まるのである。この光の本部が大であり、自家が小なのである。それゆえ、曇りが取れて病気が起こらなくなるのである。又、徳を積むことである。徳を積めばその徳により光が増すのである。人
御殿場~熱海1泊旅行⑥18日、熱海の「起雲閣」を見学したら、今度MOA美術館へ向かいました。MOA美術館は、私は3度目、友達は初めてです。2017年に↓ヘンリー・ムーアスクエアなど新しくリノベーションして生まれ変わりました。あの現代美術作家の杉本博司氏が運営する新素材研究所が手掛けたようです。友達も私もよく知らなかったのですが、「尾形光琳展」を開催中で、月曜というのに、ビックリするような人出でした。(2021年4月のブログ)徳島の大塚国際美術館を思わせるような長いエスカレーターを4~5
今日まで宗教と芸術とはあまり縁がないように、多くの人に思われてきたが、私はこれは大いに間違っていると思う、人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海山の風景を眺める時、文芸美術の素養ある人にしてその目を通す時、言い知れぬ楽しさの湧くものである。我らが理想とする地上天国は「芸術の世界」と言っても過言ではないほどのもので、よく言う真善美の世界とはそれであって、芸術こそ美の現われである。然るに今日まで案外閑却されていたのは、如何な
政治と宗教とは大いに関係があるに拘らず、今日まで余り関心を払われなかったのは不思議である。寧ろ宗教が政治に関与するを好まないばかりか、却って政治から圧迫されてきたというのが、終戦以前までの実情であった。これは古往今来各方面に見らるる現象で、宗教によっては迫害の強い結果、一時は法燈の将に消えなんとした例も乏しくはなかった。しかしながら、宗教の目的である理想的世界を造り、人類の幸福を増進せんとしても、政治が良くなくてはその目的は達し得られない道理である。この意味において、良き政治には良き政治家が必
抑々現代人として、今は如何なる時代であるかという事を認識しなければならない――という前提をもって何を私は言おうとするのであろうか。外でもない、ラジオやテレビの発明によって、全世界に起こりつつあるあらゆる出来事を一瞬にして知り得るという事ほど、それほど物質文化は夢の間に進歩したのである。一体全体これは何を意味するのであるかというこの点が頗る重要事であって、何よりもこれに気付かないとすれば現代文化を語る資格はないというべきである。かのアメリカにおいて、数年前より唱え始められてきた世界国家、世界
岡田茂吉の論文です運命と自由主義宿命と運命についてよくたずねられるから説明をする。まず、宿命とはその人に与えられた決定的のものであるから、いささかも換える事はできない。しかるに運命は、限定されたある枠内の中は自由自在で、その人の努力次第で、枠内の最上位にまでは到達なし得ると共に、その反対であれば下位に転落するのである。今日人々の関心事となった自由主義なるものも右の運命とよく似ている。何となれば、真の自由主義とは、ある一定の枠内に制約されているものであって、無限の自由は決してあり得な
こんにちは🌸あきです昨日はグループホームにいる認知症の父の面会に行きました!6/5に受診で一緒に外出した後からコロナで面会ができずだったので一ヶ月ぶりに見る父の顔。全然変わらずで、穏やかで、良くしていただいてるんだなあと思います。感謝しかない😭✨帰り際は毎回一緒に帰りたがって、それがめちゃめちゃ切ない😭のですが、昨日は今までで一番すんなりひきさがってくれました。それはそれでさみしい💦😅後何回この切なさを味わうんだろう、味わえるんだろう。そんなことを思いました🌸☆みおしえの
こんにちは🌸あきです今日の松江市もめちゃめちゃ暑いっ☀私夏生まれの超寒がりで、暑さに強く、ずっと夏が好き!!✨でしたが、さすがにそんな甘いことは言ってられないくらい陽射しがキツい😵ですね💦☆岡田茂吉氏の教えをどっぷり刷り込まれて育った私ですが、若い頃、特に子供の頃は、家が新興宗教をしてることが、ほんと嫌でした私は「みんなと同じ」が好きな子だったので、なんか友達の家と違うのがやだったし、月に1回「家庭祭」とかって、座ってお参りさせられるのもやだったし、「浄霊」といって、手を
こんにちは🌸あきです公式ラインに松江にお住まいの方からご連絡をいただきました🥹✨めちゃめちゃ嬉しかったです!✨こんな見ず知らずのおばちゃんにコンタクト取るって勇気がいるじゃないですか💦そこをおしてご連絡をくださったことに、本当に感謝申し上げます今度対面で相互ヒーリングするんですよー♡もうほんとに嬉しすぎてありがたすぎます♡楽しみ!☆さあ、自己紹介ですが、わかる人が見たら私だとわかるブログに、書いていくのはドキドキですね😅でも、どんな人かわからない人と相互ヒーリングってなかな
22日、かねてより予約した熱海に行く。江戸時代の1806年創業という古屋旅館(写真)に宿を取っていたが、あいにく天気に恵まれず、アウトドアは諦めた。世界救世教教祖にして芸術家の岡田茂吉の開いた美術館昔、高度成長期は熱海は東京からの社員旅行のメッカで、今も温泉浴場以外、ほとんど楽しめるものがない。箱根なら金時山を登れるし、湯河原なら幕山や南郷山がある。その代わりになるエンタテインメントが、MOA美術館だ。熱海駅に着くと、すぐタクシーに乗り、駅からも遠望できるMOA美術館
前回に続いて、私が勉強させて頂いたり御世話になっている色んなユーチューブのサイト分類その2。3.無農薬・無肥料・無耕起栽培(1)自然農法・自然栽培:以前紹介した内容と重複する処があるが、改めて列記してみる。先ずはレジェンド的な方達から。現役ユーチューバーではないので情報は限られるが、先人としての言葉は傾聴に値する。①故福岡正信氏:自然農法「人間の知恵は自然から見ると全て悪い方に使われている。近代農法は自然を犠牲にして生産性を上げて来た徒(あだ)花」と言い切り、粘土団子以
こんにちは!白木佑充子(ゆみこ)です。いつもありがとうございます。またしても、今日、鳥肌モノのビックリが有りまして!!!今ごろ、世の中のスピードが早く無いですか???!!!建設と破壊!猛スピードで進んでいます。毎日がワクワクです。ありがとうございます。イミフなブログで、すんません。どんな時でも、うれし~♪たのし~♪めるし~♪グレースサロンのインスタグレースサロン|岩国のエステサ
そもそも、病気を最もわかり易くいえば、病気は体内にある不純物、すなわち有毒物を種々の形によって排泄させるその過程をいうのである。したがってこの世の中に病気ほど結構なものはないので、もし人間から病気をなくすとすれば、人間は健康を保ち得ず、とうてい長生などおぼつかないのである。これが千古不滅の真理であって、これを基本として成った医学こそ真の医学である。故に、もしこの心理に外れたいかなる医術といえども、それは真の医術とはいえない疑似医術であるから、とうてい病気は治し得ないのである。
これからの人間は世界人にならなければ駄目だ。これについて面白い話がある。終戦直後ある軍人上がりの人が私の所へ来て、憤懣に堪えない面持で「今度の降伏はどう考えても分からない。実に怪しからん」と言って、憤慨しながら話しかけるのだが、私の方はさっぱり気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く「先生は日本人ですか」と聞くから、即座に私は「日本人じゃない」と答えると、彼はぎょっとして、震えながら「では何処の国の人間ですか」と聞き返すので、私は言ってやった。「つまり世界人なんですよ」-その言葉に、彼はぽかんと
その昔、熱海に御用邸があった関係で、その周囲に別荘を持つ人が続出したのは明治時代のことです。贅を尽くした建物は、残念ながら時代とともに次第に消えていきましたが、現在でも見学可能なところがいくつかあります。以前、旧友とともに起雲閣(根津嘉一郎氏元別邸)と日向別邸(日向利兵衛氏元別邸)を訪れ、建築の美しさ、丁寧さ、こだわりを堪能したことがありました。その時、熱海駅前の山の南斜面にある日向別邸の隣地に、似たような風情の建物がありました。今回、偶然にも見学予約が取れたので、行ってみることにしました。
名品展国宝「紅白梅図屏風」MuseumNationalTreasureCollection:RedandWhitePlumBlossoms2024年2月2日(金)〜27日(火)MOA美術館静岡県熱海市にあるMOA美術館。MOAはMokichiOkadaAssociationの略で、「エムオーエー」と読む。ニューヨーク近代美術館(MOMA)の影響か、ずっとMuseumOfArtの略で「モア」と読むとばかり思っていたけど、違ってたわ。笑JR熱海駅からバスに乗りエン
この表題と説くに当たっては、まず最初①の意味から書いてみるが、見らるる通り①とは、○の真中にヽがついている。ただこれだけなら別に大した意味はないが、実はこの①の形ほど神秘偉大な意味はないのである。それは何かというと、この○はこういう意味である。つまり、森羅万象一切の形は○である。第一地球も太陽も月もそうであり、人間も霊になると他へ移動する場合、○の形になっていく。これは人魂がよく現わしているし、神様でも移動なさる場合やはり○になられるが、同じ○でも神様の方は光の玉となる。だが人間の方は光がなく
よく安心立命という言葉があるが、これは精神的の面に限るように世人は思っているようだが、この考え方は大きな間違いであって、真の安心立命とは物質も伴わなくてはならないのは勿論である。考えてもみるがいい、病気、貧乏、争いの三つの災厄のうちの、例え一つでもあるとしたら、何処に安心があるであろうかという事である。俺は一生涯病気の心配はない、貧乏になりっこはない、争いを起こすような事もないという自信がもててこそ、真の安心立命は得らるるのである。ところがそのような三拍子揃うなど、今の世の中ではとうてい夢でし
どうも瑞雲です(๑'ᴗ'๑)いま、指先が割れて地味に痛い(+。+)しかも両の親指。じんじんじんじんこんな小さな傷なのに。何をするにも指先が当たって痛みが走る。普段、何もないことの有り難さを思い知る。神様にお願いして光を頂く。掌を指先に翳して光を傷に当てること数分。痛みが消える。おお~😲反対の指にも光を当てる。ほら、痛みが消えた。当たっても痛くない。本当に凄い。本当に不思議。***この光は神様から頂いたものです。ブログではずっと濁してきましたが、私はとある宗教
現代人は如何なる問題と難も、科学によって解決せられざるものはないように言い、科学は万能薬のように思われているに対し私は質問したいのである。それは道徳は、芸術は、恋愛は、科学によって解決できるだろうかという事である。今仮に科学によって道徳上の問題が解決でき得るとすれば、最も科学教育を受けたところの最高学府を出た人士は、道徳的に優れていなければならないに拘らず、漬職、破廉恥等の犯罪者も少なくない事実を見れば、科学は道徳的には微力である事を物語っている。次に芸術であるが、これはまた意外である。科
普通無神論を書く場合、宗教的に論理を進めてゆくのが当たり前のようになっているが、私は全然宗教には触れないで、自分自身無神論者の立場に置き、書いてみようと思うのである。それはまず人間オギャーと生まれるや、早速育つに必要な乳という結構な液体が、然も産んだ親の身体から滾滾と湧き出てくる。それによって子は順調に育ってゆき、歯が生える頃になると噛んで食う食物も親は運んでくれる。というようにしてだんだん育って、遂に一人前の人間となるのはいまさら言うまでもないが、中でも最も肝心な食物についていえば、食物には