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オペラについて書かれた本の中で私が一番好きなのは、岡田暁生さんの「オペラの運命」(中公新書)です。岡田さんは他にも、「西洋音楽史」や「音楽の聴き方」、「音楽の危機」、「オペラの終焉」や「恋愛哲学者モーツァルト」など、沢山の本を出しておられます。また、キルケゴールの「ドン・ジョヴァンニ音楽的エロスについて」(浅井真男訳・白水Uブックス)の解説など、著書以外にも、鋭い上に読みやすい、素晴らしい文章を沢山書いておられます。NHKの「スコラ坂本龍一音楽の学校」にゲスト出演もされていましたね。
今日から明和高校は定期考査。前期末の試験になる。来週末まで5日間の長丁場を持って前期終了、翌日から後期となる。僕も「鑑賞研究」という(内容は今のところほぼ音楽史)担当する3年生の授業の試験がプログラミングされているので、作問をし今日実施された。どんな専門分野でもその歴史を学ばない専門分野はあり得ない。専門学科に在籍する以上、その歴史には真っ直ぐに向き合ってもらいたい。とはいえこの授業は「鑑賞研究」である。明和高校音楽科が「楽典」の教科書として長年採用している菊池有恒氏の「楽典〜音楽
「ばらの騎士」や「最後の四つの歌」の作曲者、リヒャルト・シュトラウスについて少し勉強しようと思って岡田暁生著「R・シュトラウス(作曲家、人と作品シリーズ)」を読んでみた著者は西洋音楽史の研究者である、あとがきを読むと、卒論・修士博士論文、初めての国際学会での発表論文など、どれもR・シュトラウスがテーマだった、そして、本書の執筆を通じて、シュトラウスが一般にそう思われているよりはるかにスケールの大きい、けた違いの「大作曲家」であることを改めて認識したとしている以下に、読後の感想と彼
岡田さんは、沼尻さんがびわ湖で指揮をされる時、いつもいらしてました。お父さんは京大理学部の先生でしたね。坂本龍一さんの「スコラ」で存在を知りましたその時、阪大に音楽学があったことも初めて認識。高校時代に知っていたらなあと思います。びわ湖時代は対談の様子がHPに出たりしました。今更ながら、沼尻さんの時代はよかった。沼尻竜典×岡田暁生対談マーラーの交響曲第7番を体験せよ神奈川フィル東京公演に寄せて【後編】沼尻竜典×岡田暁生対談マーラーの交響曲第7番を体験せよ
長い間疑問に思っていたことが、意外なところから答えが見つかるということがあります。マリー・ダグーの自伝『雪下のマグマ』を訳していて、ひとつ疑問なのはワルツでした。1820年の冬をマリーは母と兄とともにフランクフルトで過ごします。前年愛する父を急病で失い、喪が明けたばかりでした。大晦日には15歳になるマリーは華やかな社交会にデビューします。ところがマリーは母親から舞踏会でワルツを踊ることを禁じられてしまいます。特に理由は教えてもらえず、ただ、当時のフランスのしきたりに従ってのことで
岡田暁生著「西洋音楽史」(中公新書)を読みました。2005年初版で、ずっと前に一度読んだのですが、再読しました。表紙(帯裏に記載された本書の内容)(著者略歴)1960年京都市生まれ。大阪大学文学部助手、神戸大学発達科学部助教授を経て,京都大学人文科学研究所教授。専門は、19世紀から20世紀初頭の西洋音楽史。主な著書に、『音楽の聴き方』(吉田秀和賞受賞)、『オペラの運命』(サントリー学芸賞受賞)、『西洋音楽史』(以上3冊は中公新書)、『リヒャルト・シュトラウス
ごまかさないクラシック音楽(新潮選書)Amazon(アマゾン)1,881円あまり邦語の本は買わないのだが、この本は買ってしまった。著者(というか本作品は対談)の二人の作品は、いつも読んでしまうのだ。さらには、急激なスピードで高齢化が進む現在のクラシック業界の現状を、この二人がどうとらえているのかも関心があった。対談というformatのせいだろうか、中身は相当脱線気味だ。英国やロシアなどは生み出される音楽や音楽家も含めてかなりけちょんけちょんに揶揄されている。
大ファンの京都大学教授、岡田暁生先生のオンライン講座を受講することができた。岡田さんの本は、おそらく10冊近くは読んでいると思うが、とにかく内容が興味深くて面白く勉強になる。一昨年発売された「音楽の危機」は、この世の情勢に一石を投じる名著で、僕は音楽史でこの本をベースに1時間の授業を組み立てた。いつか岡田先生の授業が受けたくて、京都大学の科目履修生になれないか本気で考えたこともあるが(今もまだ諦めていない)、このような形で短い時間だが先生の感性に触れられたことは僕にとっては大きく、得難い経
西洋音楽の歴史7:ウィーン古典派このあたりから有名な音楽家が続々と登場する。従って、ごく簡単に記述するにとどめる。岡田暁生著『西洋音楽史』第4章「ウィーン古典派と啓蒙のユートピア」を参考にまとめた。古典派の時代がいつ始まりいつ終わったのかをはっきり言うのは、難しい。一応1750年(バッハの死)から1815年(ウィーン会議)あたりと考えておく。古典派の時代は、18世紀中ごろからの・市民階級の勃興、及び・啓蒙主義(モンテスキュー、ヴォルテ
こんにちは、企画担当です。12/1に開催いたしましたランチタイム・コンサートでは、三原剛さん、北野加織さん、辻川謙次さんの出演で、モーツァルトのオペラの素晴らしいアリアをご堪能いただきました。沢山のお客さまにご来場いただき、オペラのお話も弾み、とてもあたたかくて楽しい公演となりました。そして・・・この回は岡田暁生ナビゲーターの最終回でもありました2018年の2月から13公演をご担当いただき、岡田先生イチオシの出演者、イチオシのテーマのコンサートをお届けしてまいりました。関西弁の
前回、岡田暁生を参考に、バッハの神格化について書いた。**************************そして、現在、バッハの神格化からの解放(脱構築)が進行している、らしい。磯山雅著『J.S.バッハ』非常に面白かった。特に、バッハとジャズの親和性に触れたところは驚きだった。バッハというと重々しく、ゆったりとした、敬虔な音楽、というイメージがあったからである。音楽の三要素が、リズム、メロディー、ハーモ二ーだとすると、バッハはリズム、モーツァルト
バロック音楽といえば、カトリック文化圏(フランス、イタリア、オーストリア、スペイン)の宮廷音楽のことである。絶対君主が主宰する、とてつもない規模の祝祭のための音楽。王侯貴族は、常に祝祭を催したので、BGMとして大量に作曲され、消費された。ただ一つ、大きな例外がある。それが、プロテスタント・ドイツの音楽、つまり、バッハの問題である。最初に、岡田暁生『西洋音楽史」を参考にして、バッハの問題をまとめてみる。1.ドイツの音楽状況ドイツは政治後進国であ
さっきFMをつけたら流れてきた交響曲らしき音楽。ベートーベンっぽいけどそんなはずはない。シューベルトの「悲劇的」でした。やっぱり似ている。はっきり連続している。びわ湖ホールの「巨人」の前に、岡田暁生先生が沼尻さんとの対談で、「マーラーはドボルザークに似てますよね」とおっしゃって、沼尻さんも「歌謡風の旋律とかですよね」と。これはこないだプラハフィルの「新世界」を聞いて実感しました。たしかに似ている。ボヘミアの血ということもありますけれど、要するに連続しているのですね。
東京は晴れ。午後5時34度。コロナ新規感染者8月25日水曜日4228人、前の水曜日から1158人減重症者277人。26日木曜日4704人、前の木曜日から830人減重症者人276人。さて、今日は「音楽と免疫[付録:コンサート]」について書き留めます。昨日は、コルセットのせいかな〜、お腹の右側の1箇所が、プラスチックの太い大きな画鋲が入ってるように、痛かった。「もしや〜〜」とがんサバイバーの私。その上、高齢者ホームにいる母のガラケーが壊れて、(古い機
9月18日、びわ湖ホールの「巨人」と10番アダージェットに向けての対談をYouTubeで見ました。岡田さんは、京大の生物学の教授でらしたご父君によく似てこられました。テレビなどとは違う、ネイティブな京都の言葉も懐かしい。中学時代にお父さんと一緒にフェスで大フィルの「巨人」を聞かれたとのこと。沼尻さんは小学生の時に東響のどなたかの伴奏のために練習場に行かれて、巨人のチケットを貰われたそうです。初めて指揮されたのは、小澤さんのバンダ。私も田舎街で小さい頃から頼まれて弾くことがあり
断捨離を始めて、前のテレビが壊れて処分して以来、部屋にテレビを置かなくなってから、ずいぶん経ちましたが。あんなにテレビっ子だったのに、そんなに必死で観たい番組も最近はそんなにないので、その時間を読書に充てる生活をしております。『新しいテレビ買おうと思ってたけど。あ、テレビなくても生きていけるんだ』と、気付いたわけで。そんな中、ここ数ヶ月の間に読んだ本を列記してみます。●三島由紀夫「小説読本」「文章読本」「作家論」(以上、中公文庫)「潮騒」「近代能楽集」(以上、新潮文
『音楽の聴き方聴く型と趣味を語る言葉』岡田暁生中公新書2018年14版2009年に初版が出されました。帯には”ルールのない世界がもっと面白くなる「良かった!」だけではもったいない”とあります。「はじめに」で著者は”聴くことと語り合うことが一体になってこそ音楽の喜びは生まれる”と云い、そのために”自分自身の聴き方の偏差に自覚的にな”ろうと呼びかけています。『小説のストラテジー』(佐藤亜紀)は、小説を書き/読むための指南書とうたって、戦略と技法について説いていました。この
「スポーツと芸術まっとうなためらい今こそ」と題した吉田純子編集委員の「多事奏論」(朝日新聞)を読んだのは6月12日。その中で、ダニエル・バレンボイムの演奏会の批評を依頼した音楽学者の岡田暁生さんからの返事を取り上げていました。「・・・・人々の日常を彩る地方のささやかな祭りや手作りライブが、相次いで中止になっている時期に、大規模な興行のことを素朴に「感動した」と書くのは、彼らに対してあまりに罪深くないか・・・・・」(私の要約)と迷い結局「書けない」と断られています。吉田編集委員は「ウ
昨日は、7/31・8/1に上演されるオペラ「カルメン」のプレトーク・マチネを聞きに、びわ湖ホールに行ってきました。元々は、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でしたが、緊急事態宣言により中止となったため、こちらに変更した次第。前半は、3月に毎年上演される、びわ湖ホールプロデュースオペラのプレトーク・マチネ(★、★)でお馴染みの顔ぶれによるトーク。司会が神戸大学の名誉教授の藤野先生、パネラーが沼尻芸術監督と京都大学教授の岡田先生です。また、後半には、びわ湖ホール声楽アンサンブルのソロ登
今年度の音楽史の授業が開講した。僕が担当する唯一の3年生のクラス授業だ。実技系授業と異なり、座学になるので当然準備は必要だが、この準備も授業そのものも僕は結構好きなのだ。2ヶ月ぶりの音楽史。岡田暁生さんの「音楽の危機」を教材に、みんなでこれからの音楽のあり方、音楽家のスタンスを考える、楽しい時間だった。
岡田暁生『オペラの終焉』(2013年)を読む。この本は、リヒャルト・シュトラウスに関する博士論文が基になっている。4章から6章あたりは「バラの騎士」に関する専門的な記述なので私の理解を超えている。ここでは、プロローグ、1,2、3章あたりを中心に、私の関心に従って、自分の言葉でまとめておきたい。「芸術」と「娯楽」の乖離がオペラに与えた影響は、他の芸術以上に甚大なものがあった。オペラはコンサート等と違い、けた違いに金がかかる。聴衆の好みに反したオペラは、原理的に成立し
先日、朝日カルチャーオンライン講座で拝聴した、岡田暁生先生の「モーツァルト~よみがえる天才~」の講座のことを書きました『モーツァルト~よみがえる天才~(朝日カルチャーオンライン講座)』先日、朝日カルチャーオンライン講座の配信について書きました。『朝日カルチャーセンター新宿教室クラシック音楽関連講座目白押し(^^♪』先日ブロ友さん情報…ameblo.jp(なぜか何度やってもカバー画面が私のピグ顔になっちゃうよ~)今回は同じ講座の「後編」を拝聴しました。まず、前回の
岡田暁生著『オペラの運命』の番外編レパートリーオペラ19世紀初頭まで、オペラは「消耗品」であって、「文化財」ではなかった。これは、オペラだけではなく音楽一般に言える。作曲家は注文があるから曲を書くのであって、純粋な芸術表現を目的として曲を書くという発想はなかった。過去の作品を演奏するという習慣もほとんどなかった。演奏されるのは特定のTPOのために注文された同時代の作品だけであり、それも時間がたてばお蔵入りになるのが普通だった。(岡田『モーツアルト』より)人
岡田暁生著『オペラの運命』から第5章:「あらゆる価値の反転、あるいはワーグナー以降」ワーグナーはオペラ史上における、コペルニクス的転換点である。彼は、フランスのグランドオペラの持つ享楽性を嫌い(その実、彼は、グランドオペラから多大な影響を受けている)、オペラを”芸術”の高みに引き上げようとした。彼はバイエルン国王ルートヴィッヒ2世から巻き上げた金で、自分のための劇場を建てさせ、自分のオペラを演奏し、各国の王侯貴族を呼び寄せ、自分の作品を崇めさせた。観客を全員平土間に座
岡田暁生著『オペラの運命』から第4章:「国民オペラ」という神話ポイントは二つ。・国民、国家という概念が誕生した・国家高揚としてのオペラの政治的な側面国民とか国家という概念が誕生したのは、フランス革命以降のことであった。それまで、人々の帰属意識は、宗教、郷土、階級、言語、といったものであった。また、貴族や聖職者はコスモポリタンであり(姻戚関係や共通言語を通して)、国家とは無関係であった。オペラの国際規格は、18世紀まではイタリア様式、その後フランス様式が加わった。しか
先日、朝日カルチャーオンライン講座の配信について書きました。『朝日カルチャーセンター新宿教室クラシック音楽関連講座目白押し(^^♪』先日ブロ友さん情報で、もぎぎこと茂木大輔氏(元N響オーボエ首席奏者、現在指揮者として活躍中)のオンライン講座を聴きましたが、大好評wで来月末に早くも第2回が…ameblo.jpそして3月3日に配信された岡田暁生先生の「モーツァルトよみがえる天才」という講座を拝聴しました。当日はライブ配信の時間には帰宅できなかったので、後日送られてきた
ヨーロッパやロシアのオペラハウスの観客を見ると、着飾った人が多い。パーティーと見紛うばかりのお洒落をしてくる老若男女もいる。これもオペラハウスが王侯貴族の社交場だった時の名残だろう。オペラが純粋に好きというよりも、オペラハウスに行くことが好き、オペラハウスがまとう貴族的雰囲気が好きという人も含まれている気がする。日本ではまったく事情が異なる。ソワレなら仕事帰りのOLやサラリーマンもいるし、ジーズンにシャツという軽装の人、リュックで来る人もたくさんいる。もちろん、肩を出したワンピ
大学入学共通テストが終わり始めての月曜日、学校では自己採点が行われた。そして僕のこのクラス唯一のクラス授業、音楽史も今日が最後となった。最後にどんなことをやるか迷ったが、平時ならば自分の好きな音楽や時代、作品について語ったり聴いたりしたかもしれないが、今は音楽にとっては危機的な直面に瀕している。当然平時ではないわけで、実は今年度、音楽史を語ったり過去の芸術作品を聴いたりしていることが、ふと一種の現実逃避に感じられることがあった。今そんなことが必要なのか、この人達がこのまま音楽家を志してい
昨日は、3/6・7に、びわ湖ホールで上演されるプロデュースオペラ『ローエングリン』のプレトーク・マチネを聞きに行ってきました。そして、今日も『ローエングリン』。オペラ講座の2/3回目に行って、先ほど帰宅しました。オペラ講座のことは、明日、書くことにして、先ずは、プレトーク・マチネについて、今日は記載します。これは、指揮者と評論家のトークで、公演の見どころ聴きどころを紹介するとの名目で、オペラ講座同様、プロデュースオペラの前に必ず開催されているイベントで、僕も過去に2回ほど参加(内1回はこち
昨日の雲井先生のCDの話の続き。僕はあまりCDだけで感極まることは少ない。マーラーの交響曲第5番は大好きだが、4楽章も聴いていてとてもキュンだが、ライブだと涙が出るがCDではそこまでいけない。メディアを通した音楽を、岡田氏の本では「録楽」として、空気を共有する「音楽」とわける。僕がこれまで録楽で泣いたのは、プロコフィエフのバレエ「ロミオとジュリエット」で、アレッサンドラ・フェリのジュリエットのバレエがあまりに美しく、音楽の甘美さと相まってバルコニーシーンで涙腺は決壊した。もう一つはビゼ