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山田洋次監督、渥美清主演の寅さんシリーズ第17作。1976公開、マドンナは太地喜和子。ロケ地は兵庫県龍野。上野の飲み屋で、みすぼらしい老人と出会った寅さんは、気の毒に思いとらやに連れてきてしまう。その老人は、日本画の大家・池ノ内青観だった。世話になったお礼として青観が描いた絵をめぐり、とらやでは大騒動が巻き起こり、寅さんは旅に出ることに。ところが兵庫県龍野で寅さんは青観と再会、市長の接待を受け、芸者ぼたんと意気投合。しばらくして、ぼたんが、客だった鬼頭に貸した2
1月3日の出来事1521年ローマ教皇レオ10世が回勅『デチェト・ロマヌム・ポンティフィチェム』でマルティン・ルターの破門を通告。1777年アメリカ独立戦争:プリンストンの戦い行われる。ニュージャージーのプリンストン近くで、大陸軍とグレートブリテン王国(イギリス)との間に行われた戦闘。大陸軍の勝利。1818年金星が木星面を通過する。惑星同士の通過・掩蔽(えんぺい)は、これを最後に2065年11月22日までの247年間の長い空白期間に突入
こちら、眼鏡・コンタクトレンズの業界さんが…制定マンボぉ!もちろん…1(ひと)3(み)の…うっほっほ!ご・ろ・あ・わ・せ!ちなみにきょうは…いやーん!駆け落ちの日でもあんでちゅー!1938年のきょう、女優・岡田嘉子さんと演出家・杉本良吉さんが…樺太の国境越えてソ連へ、あらまぁ!亡命しちゃってるしぃ!目が疲れたときどうしてる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
【ジョン万次郎帰国の日】1851年のこの日、ジョン万次郎こと中濱万次郎がアメリカ船に送られ、琉球国の摩文仁(まぶに)間切小渡浜に上陸、日本へ帰国した。万次郎は1841年の14歳の時に出漁して嵐に遭い、太平洋の無人島・鳥島に漂着。その後、アメリカの捕鯨船に救われ、本人の意思でアメリカへ渡った。坂本龍馬の世界観にも影響を与えた。【かけおちの日】1938年(昭和13年)に女優の岡田嘉子と演出家の杉本良吉が、樺太国境を越えてソ連へ亡命した。しかし不法入国した2人に、ソ連はスパイ容疑を着せ、岡田嘉子
さくらFMの生ワイド番組「SakuっとLa・ら・Ra西宮」(午前10時~午後1時)。月曜日の11時台は「ラグジュアリー・タイムゾーン」。特集コーナーです。12月11日(月)のゲストは沢田亜矢子さんです。1時間、生電話インタビューします。沢田さんは1973年に「アザミの花」でデビュー。1979年から「ルックルックこんにちは」の司会を5年半務められ、親しまれました。その後は女優として舞台、ドラマ、映画などでご活躍です。そして来年、芸能生活50周年記念の新曲「夕顔/小さな花」をリリースさ
岡田嘉子(おかだ・よしこ)ОкадаЁсико画像右の女性明治三十五年(1902年)四月二十一日広島県生まれ。平成四年(1992年)二月十日ロシアモスクワ市において死去。八十九歳。少女時代から知的な美貌で嘉子氏は評判の女性だったそうです。新聞記者の父上の関わりで劇作家中村吉蔵氏の内弟子を経て数多くの舞台に出演されます。その後映画にも出演され、トップスターの地位を確立されます。1931年(昭和6年)日中戦争が始まり、日本国内においても軍国主義が広がり
10月18日水曜日〜その63時に休む。5時25分、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。6時から8時35分まで二度寝。金平茂紀著『ロシアより愛をこめてあれから30年の絶望と希望』を読む。P73〜81、旧ソ連に亡命した岡田嘉子さんが死去した直後に、金平さんがアパートを訪ねた時の事が記されている。目にしたのは、壁にクリップで留められた竹久夢二の絵。(写真)ちなみに、地下資料室に並ぶ『生誕百二十年記念岡山、伊香保、二つのふるさとから竹久夢二展』は、H1
『男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け』映画トーキー109分カラー昭和五十一年(1976年)七月二十四日公開製作国日本言語日本語製作松竹出演渥美清(車寅次郎車船長)倍賞千恵子(諏訪さくら)太地喜和子(芸者ぼたん)下條正巳(車竜造)三崎千恵子(車つね)前田吟(諏訪博)太宰久雄(桂梅太郎)佐藤蛾次郎(源公)中村はやと(諏訪満男)桜井センリ(サトウ観光課長)久米明(龍野市市長)東郷春子(池ノ内青光の妻)西川ひかる笠井一
こういう映画があり、今の俳優が声を担当しているとは、衛星劇場で鑑賞。風吹ジュン・佐野史郎挿入曲がシャンソンなどで軽快なのに、悲惨な話。裕福だった家の娘も戦後米兵の性のはけ口になったり、妾などして、家族を養うことがあった。『田中絹代の映画「東京の女」小津安二郎の円熟サイレント作品!全編視聴可能!』「東京の女」「東京の女」全編1933年2月9日公開。小津安二郎の円熟サイレント作品。脚本:野田高梧、池田忠雄監督:小津安二郎出演者:岡田嘉子…ameblo.jp
多磨霊園(25)岡田嘉子(女優)岡田嘉子(おかだよしこ)1902年4月21日-1992年2月10日日本及びソビエト連邦で20世紀(1918年-1986年。日本では大正時代から昭和時代)に活動していた女優、アナウンサー。イヤー、大変な波瀾万丈の人生と謎に満ちた人彼女の人生には、芸術座、新芸術座、恋愛、情死、駆落ち、自殺、政治思想(社会主義・共産主義)、プロレタリア、ソ連亡命、処刑、スパイ、虚構などなどキーワードが並ぶ。*私としては、「男はつらいよ寅次郎夕焼け小
(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆...1月3日(火)#大安(辛酉)旧暦12/12月齢10.7年始から3日目に当たり、年末まであと362日(閏年では363日)です。..朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない朝はありませんし、朝が来ない夜はない💦睡眠は明日を迎える為の☀️未来へのスタートです🏃♂💦でお馴染みのRascalでございます😅..実は喪中らしいのですが、昨日は初詣に明治神
こちら、眼鏡・コンタクトレンズの業界さんが…制定マンボぉ!もちろん…1(ひと)3(み)の…うっほっほ!ご・ろ・あ・わ・せ!ちなみにきょうは…いやーん!駆け落ちの日でもあんでちゅー!1938年のきょう、女優・岡田嘉子さんと演出家・杉本良吉さんが…樺太の国境越えてソ連へ、あらまぁ!亡命しちゃったんでちゅー!目力がある有名人は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
【ジョン万次郎帰国の日】1851年1月3日、ジョン万次郎こと中濱万次郎がアメリカ船に送られ、琉球国の摩文仁(まぶに)間切小渡浜に上陸、日本へ帰国。万次郎は1841年の14歳の時に出漁して嵐に遭い、太平洋の無人島・鳥島に漂着。その後、アメリカの捕鯨船に救われ、本人の意思でアメリカへ渡った。坂本龍馬の世界観にも影響を与えた。【かけおちの日】1938年(昭和13年)に女優の岡田嘉子と演出家の杉本良吉が、樺太国境を越えてソ連へ亡命。しかし不法入国した2人に、ソ連はスパイ容疑を着せ、岡田嘉子は内務監
1992年に89歳で死去した、女優でアナウンサーの岡田嘉子さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。岡田さんには、成功するが、不和に注意。人生の中頃からは注意。友人、知人に恵まれる。浮き沈みに注意。現状維持を心掛ければ、無難。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。
8月24日水曜日〜その11時45分、オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、WILKINSONGINGERAIR辛口。7枚組DVD-BOX『太陽にほえろ!1978②』〜第321話「朝顔」ゲスト岡田嘉子(H19年12月バップ)を鑑賞。(写真)DISC−010を見終わりました。
小関竜也さん西武ライオンズコーチ。1976年7月24日生まれ。小関舞様はお嬢様です。竜也コーチの生年月日1976年7月24日に映画『男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け』が公開されました。岡田嘉子さんの日本銀幕復帰作品です。画家池ノ内青観が昔の恋人志乃に詫びるシーンに心を打たれました。岡田嘉子1902年4月21日生まれ。1992年2月10日死去。89歳。大日本帝国のアジア侵略が進む時代、ファシズムの流れに苦しんだ岡田さんは1937年12月27日恋人の杉本良吉氏と出国し
「隣の八重ちゃん」「隣の八重ちゃん」全編1934年6月28日公開。日本のトーキー初期作品。キネマ旬報ベストテン第2位。原作・脚本・監督:島津保次郎キャスト:父・服部昌作…岩田祐吉母・浜子…飯田蝶子娘・八重子…逢初夢子姉・京子…岡田嘉子父・新海幾造…水島亮太郎母・杉子…葛城文子長男・恵太郎…大日方伝次男・精二…磯野秋雄真鍋悦子…高杉早苗ガラス屋…阿部正三郎あらすじ:東京の郊外。隣り合う二軒の家に、八重子(逢初夢子)と恵太郎(大日方伝)が暮ら
北海道大学博物館の1階で目についたのは、戦前、日本領だった南樺太で樺太アイヌの民族誌研究を行ったポーランドの民族学者ブロニスワフ・ピウスツキの蝋管復元のコーナーである。ピウスツキの蝋管ピウスツキについては、以前、樺太紀行の連載で取り上げた(20年1月25日付日記:「樺太紀行(番外):樺太に流刑され、アイヌの娘と結婚したポーランド人民族学者ブロニスワフ・ピウスツキと兄ユゼフ」を参照)。1世紀以上前の樺太アイヌの音声を記録した蝋管の一部の複製が、北大にあるのは初めて知った(写真
どうも。『渚のはいから人魚』を聴くと小泉今日子ではなく、笑福亭鶴瓶の踊る姿を思い浮かべる世代のおっさんです。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『東京の宿』です。失業中で子連れの男が同じ境遇にある女を助けようとする。1935年公開作品。監督は小津安二郎で、出演は坂本武、突貫小僧(青木富夫)、末松孝行、岡田嘉子、小島和子、飯田蝶子。小津安二郎が戦前に監督した白黒サイレント映画です。原作のウィンザアト・モネは、Withoutmoneyをもじった架空の人物名です。小津の遊
「キネマの天地」キネマの天地予告編1986年8月2日公開。松竹大船撮影所50周年記念作品。興行収入:13億円。脚本:山田洋次、井上ひさし、山田太一、朝間義隆監督:山田洋次出演者:渥美清、中井貴一、有森也実、すまけい、岸部一徳、堺正章、柄本明、山本晋也、なべおさみ、大和田伸也、松坂慶子、田中健、美保純、広岡瞬、レオナルド熊、山城新伍、笠智衆、桜井センリ、桃井かおり、木の実ナナ、下條正巳、三崎千恵子、平田満、財津一郎、石倉三郎、ハナ肇、佐藤蛾次郎、倍賞千恵子
どうも。困っている人を助けるのは良いとしても、「助けてやったのだから感謝しろ!」と感謝の意思表示を強要するのは野暮でカッコ悪くてクソダサい人間のやることです(「ウクライナ感謝動画」で検索)。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『東京の女』です。良一の姉ちか子は弟の学費を稼ぐため、内緒で酒場の水商売をしていたが、良一に知られてしまう。1933年公開作品。監督は小津安二郎で、出演は岡田嘉子、江川宇礼雄、田中絹代、奈良真養。小津安二郎が戦前に監督した白黒サイレント映画です
「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」予告編1976年7月24日公開。マドンナは、太地喜和子。男はつらいよシリーズ第17作。観客動員:168万5000人配給収入:9億7400万円脚本:山田洋次・朝間義隆監督:山田洋次キャスト:車寅次郎:渥美清さくら:倍賞千恵子芸者ぼたん:太地喜和子車竜造:下條正巳車つね:三崎千恵子諏訪博:前田吟社長:太宰久雄源公:佐藤蛾次郎満男:中村はやと観光課長:桜井セ
『忠臣蔵』「前篇赤穂京の巻」109分昭和七年(1932年)十二月一日公開「後篇江戸の巻」103分昭和七年(1932年)十二月八日公開映画トーキー白黒139分前後総集篇不完全版のみ現存製作国日本製作松竹下加茂企画白井松次郎大谷竹次郎企画補助白井信太郎城戸四郎森一原作・脚本衣笠貞之助撮影杉山公平撮影補助真々田潔加藤武士舞台衣装吉川観方殺陣林徳三郎録音土橋武雄夫作曲指揮塩尻清八演奏日本新交響楽員
昭和四十七年(1972年)十一月十三日。女優岡田嘉子氏が亡命していたロシアから帰国されました。嘉子さんは明治三十五年(1902年)四月二十一日生まれ。無声映画時代に女優として大人気を博します。日中戦争の戦意高揚のムードに悲しみを覚えられて、恋人杉本良吉氏と昭和十二年(1937年)十二月に日本を脱出して、十三年(1938年)一月三日ソビエト連邦に亡命します。決死の逃避行で大雪の中を突破されました。昭和四十七年(1972年)のNHKの番組で、嘉子さんは
「東京の女」「東京の女」全編1933年2月9日公開。小津安二郎の円熟サイレント作品。脚本:野田高梧、池田忠雄監督:小津安二郎出演者:岡田嘉子江川宇礼雄田中絹代奈良真養、笠智衆、大山健二あらすじ:学生の良一(江川宇礼雄)は、姉のちか子(岡田嘉子)と2人で暮らしていた。ちか子は会社勤務のタイピストだが、退社後は大学で翻訳の手伝いをしていると聞かされていた。ところがある日、良一の恋人・春江(田中絹代)が嫌な噂を聞かされる。なんと、ちか子が退社後に
神保町シアター没後40年嵐寛寿郎より製作:松竹おおもりプロ配給:松竹監督・脚本:大森一樹撮影:阪本善尚美術:宮坂勝巳出演:嵐寛寿郎岡田嘉子森本レオ小倉一郎中島ゆたか原田芳雄河原崎建三1978年4月29日公開ダンプ(中島ゆたか)の運転する小型トレーラーに、通信用の機械を乗せて、メカ(志麻哲也)、流(森本レオ)、ファイト(小倉一郎)はラジオの海賊放送を続けていました。ところが、警察無線を傍受する係の羽島(河原崎建三)がアメリカに移住することが決まり、メカも