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普段は公開されていない建築が一斉に公開されるという東京建築祭が5月24・25日を中心に開催されたので、いくつか観てきました。前回の三田演説館につづくその2です。24日撮影。「古典主義建築の最高傑作と名高いのが「明治生命館」で、1934年・昭和9年竣工、設計は岡田信一郎。1997年には昭和期の建築として初めて、国の重要文化財に指定されました。皇居に面した外観はコリント式の列柱が品格を備えています。今回東京建築祭に合わせて、普段は非公開の7F講堂を特別に公開します。7F・8F吹抜けの大講堂
びわ湖大津館です。前回のブログで2024年春に訪ねたびわ湖大津館に隣接するイングリッシュガーデンの薔薇のことを書きましたが、これはそこからさらに1年半さかのぼった、2022年10月の写真です。早いもので、2年半も前のことになります。びわ湖大津館びわ湖大津館のご案内きらめく琵琶湖とイングリッシュガーデンに囲まれた、歴史ある旧琵琶湖ホテル本館のびわ湖大津館です。www.biwako-otsukan.jp建物の設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等を設計したことで有名な岡田建築事
今週末を中心に都内で大々的に行われる建築祭2025。先着申し込みとか現地先着順とか、昨年にも増して倍率が高そうで、体力勝負になることは必至。(JR東日本の60%引きが朝5時から申し込み開始、、、大勢が一斉にアクセスして予定変更で、、とかいうのとイメージが重なる。)そこで楽して建築の知識が少しでもつけば、といつでも見られる建物で開催中の特別展示に特化中。昨日書いた有楽町マリオンに行く前に、明治生命館にも行ってきました。普段非公開の上層階を見るには朝早くから先着順の予約が必要だった
🎀8月週末に参加した学士会館見学ツアーの備忘録🎀今回見学ツアーのおかげで、学士会館建築前後に紆余曲折が様々あったことを知りました。例えば、建物完成の翌月に大火で焼失するとか、再建開始日に関東大震災が勃発するとか。設計においても侃々諤々。波乱のいきさつを以下箇条書きにしてみます;*1913年1月**東京大学発祥の地に帝大系7大学親善の場となる会館を創建**1913年2月**神田三崎町で大火。わずか1か月で消失**1916年**山口孝吉設計案が異論のため廃案*
丸の内の皇居前にある明治記念館の内部公開に行ってきました静嘉堂文庫の入っている建物ですが昭和になってからできた建物で、最初に重要文化財に指定された名建築です●重要文化財《明治生命館》1934(昭和9)年竣工▼外観皇居側から◾️パンフレット表紙◾️明治生命館とは明治生命館は、1934年(昭和9年)、3年7ヵ月の歳月をかけて竣工設計は東京美術学校(現、東京芸術大学)
滋賀県大津市にある戦前のモダニズム建築の大津館(旧琵琶湖ホテル)は滋賀の薔薇園を検索して初めて知りました!薔薇鑑賞が目的でしたが大好きなモダニズム建築まで見られるとは嬉しい限りの幸せです😆🙏大津館について調べてみました。こちらの大津館は1934年(昭和9年)竣工、外国人誘致を目的として建てられた、県内初の国際観光ホテル、“琵琶湖ホテル”でした。歴史上の著名人、昭和天皇、皇族、ヘレン・ケラー、川端康成も宿泊されたとか。外観は城郭建築や社寺建築の様式を取
関口台地と小日向台地に挟まれた文京区音羽音羽の丘に建つ『鳩山会館』を訪ねた音羽通りから、大きく曲がった長い坂道を上るふた曲がりすると鳩山会館が見えた鳩山会館は、第52〜54代内閣総理大臣をつとめた鳩山一郎(1883〜1959)が、友人の建築家、岡田信一郎(1883〜1932)に依頼し建築された。岡田信一郎は、大阪中央公会堂、明治記念館などの名建築で有名。鳩山和夫・春子像と鳩山一郎像庭園から見る鳩山会館バラはまだ咲いていない春バラは5月中旬らしい(ネット画像借用)鳩山和夫・
#黒田記念館#黒田清輝#岡田信一郎#上野公園東京都台東区上野公園13-9黒田記念館に行ってきました。ホームページから抜粋/日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝は、大正13(1924)年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3(1928)年に竣工したのが黒田記念館です。黒田清輝の代表作である「読書」(1891年)、「舞妓」(1893年)、「智・感・情」(1899年)、「湖畔」(1897年)をゆっくりご鑑賞いただける特別室を設け
名建築シリーズ39鎌倉国宝館℡)0467‐22‐0753往訪日:2023年11月18日所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2‐1‐1開館時間:9時~16時30分(月曜定休)拝観料:一般700円小中学生300円アクセス:JR鎌倉駅から徒歩10分■設計:岡田信一郎■竣工:1928年■施工:松井組(現:松井建設)■国登録有形文化財(2000年)※内部撮影NGです《正倉院を模したような外観》ひつぞうです。鎌倉文華館に続いて、同じ敷地内にある鎌倉国宝館を訪ねました。実はこ
先月、福井晶一さん、上川一哉さん、蔡暁強さんのパフォーマンスを観る目的で行った大阪.美術展も見てきましたが、大阪の近代建築を観るのも楽しみでした。『大阪市中央公会堂』↑。岡田信一郎、1918年竣工。重要文化財。見学ツアーに参加しない限りは、なかなか中に入ることが出来なくて。この日は地下の展示室からちょっとだけ階段を上がってみました。『ダイビル本館』、これは建て替え時に古いビルの外観を残してくれた部分。とっても素敵。中之島にあります。『北浜レトロ』。1912年竣工
先週水曜は、東京ステーションギャラリーで「春陽会」展と、エノテカでランチを楽しんだ後は、皇居のお濠端に面して建つレトロ建築「明治生命館」を見学して来ました。今年7月から、無料のスマホ音声ガイドのサービスを開始したとかで、ラッキーでした。明治生命館は、古典主義様式のオフィスビルの最高峰として、1934年3月、3年7か月の歳月をかけて完成しました。戦時下の金属供出、東京大空襲、1945年から56年までのGHQによる接収(アメリカ極東空軍司令部として使用するため)など、まさに昭和の激動期を乗り越
名建築シリーズ27博報堂旧本館(テラススクエア)往訪日:2023年8月4日所在地:東京都千代田区神田錦町3‐22開館時間:店舗の営業に準じるアクセス:都営地下鉄・神保町駅から徒歩2分駐車場:なし■設計(旧館):岡田信一郎※外観のみテラススクエアの一部として再現《戦争から生き延びても》ひつぞうです。学士会館投宿の折に近くのテラススクエアを見学しました。かつて同じ場所に岡田信一郎が設定を手掛けたロマネスク風の博報堂本館ビルがありましたが、近隣地権者とともに再開発を決定
昨日、旧安田楠雄邸の後に寄った黒田記念館。久々の訪問でした。記念館の説明を改めて見てみれば、こんな記述が:・黒田記念館は岡田信一郎の設計。・本建築は、現・東京芸術大学陳列館、東京府美術館(現存せず。現・東京都美術館)とともに岡田信一郎の美術館三部作と言われる。例の明治生命館の設計者でもある岡田信一郎。美術館の建物にも重厚感が漂います。こちらが3部作の一つ、黒田記念館。もうひとつ、東京芸術大学陳列館。そして3つ目。今は亡き東京府美術館↓前川國男の新しい建
名建築シリーズ21大阪市中央公会堂℡)06-6208-2002往訪日:2023年7月6日所在地:大阪市北区中之島1-1-17開館時間:9:30~21:30見学時間:10:00~10:30、11:00~11:30(2回/日)見学料:ベーシックコース500円(事前予約制)見学者数:約30名/回アクセス:御堂筋線・淀屋橋駅(1番出口)から徒歩約3分■設計:岡田信一郎■国重要文化財(2002年)《中之島に咲くネオルネサンスの華》ひつぞうです。今月の初めに大阪市中央公
🏛レトロ建築巡り美術館が並ぶ大阪中之島エリアは、明治から昭和初期にかけての西洋建築が残るエリアでもあります。大阪市中央公会堂の館内ガイドツアーに友達と参加して中を見学してきました✨ネオ・ルネッサンス様式の美しい外観大阪市中央公会堂は、1911年に株式仲買人の岩本栄之助が大阪市に100万円(現在の数十億円)を寄付し、1913年に着工、1918年に竣工しました。懸賞付き設計競技によって選ばれた岡田信一郎の案が原案となり、辰野金吾・片岡安が実質設計しています。#競わせるという感覚が
〈お雛さま岩﨑小彌太邸へようこそ〉に行ってきました何度か見せていただいているかわいい雛人形です庶民のわたくしが思うのも失礼かもしれませんが、立ち雛は小さい方がかわいいと思う大きな立ち雛はちょっと怖いですさて、今回はこちらの展示を見たあとに時間があるので、いえ時間を作っていたので明治生命館の中を見学しました最初から見学する気できましたもともと新しくなって丸の内に移転した静嘉堂は明治生命館の建物の中にありますこちらも係の方がとても親切に色々教えて下さいました以前一度来たのですが、か
東京商工会議所で打合せしました。丸の内の中心街にある丸の内二重橋ビルです。旧東商ビルがあった場所で、三菱地所、東京會舘、東京商工会議所の三社で再開発を行い、超近代的なビルとなりました。地下鉄と直結しています。隣は明治生命館。昭和9年築の代表的な近代洋風建築です。建築家岡田信一郎先生の設計で、昭和建築初の重要文化財です。日本の中心であるこのエリア。歴史ある場所でもあり、凄い所であると実感します。渋沢栄一先生の銅像もありました。さすが、東京商工会議所です。仕事で来ましたが、目
#黒田記念館#東京国立博物館#上野公園#黒田清輝#岡田信一郎東京都台東区上野公園13-9黒田記念館に行って来ました。ホームページ説明文抜粋/日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝は、大正13(1924)年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。これをうけて昭和3(1928)年に竣工したのが黒田記念館です。館内には、遺族の方々から寄贈された遺作を展示して画家を顕彰するために黒田記念室が設けられました。昭和5(1930)年には、同館に美術に関する学術的
先日の記事、「重文・明治生命館見学がパワーアップ/静嘉堂美術館と住み分けスッキリ」に続き、再び丸の内にある重要文化財・明治生命館のお話を。新たに整備された建築見学コースには、シックな資料ルームがあり、そこには説明パネルだけでなく、明治生命館の建築工事現場の16ミリフィルム上映もありました。この16ミリフィルムこそが、以前ブログに記したあのフィルムでした。つまりー病に倒れた明治生命館の設計者岡田信一郎氏が、病床からこの映像を見て、建築現場の指揮を執ったの
静嘉堂美術館が世田谷区岡本から丸の内にある明治生命館内に移転して以来、疑問がありました。明治生命館は、昭和初期に建てられた神殿風の重要文化財建造物。以前は曜日限定で見学が可能でした。立派な応接室・食堂や当時のままの美しい家具に目を見張ったものです。戦争被害を受けなかったと知り、貴重さを実感します。でも静嘉堂美術館の移転で、それらのスペースは残されていないの?という疑問がふつふつ。疑問払拭のために先日立ち寄ってみたところ、静嘉堂が入ったのは1Fスペースなので、メインの見学コー
No.2日比谷通りの明治生命館:制作2003年12月、銅板18㎝×24㎝東京駅の丸の内側から皇居方面を目指して歩くと、外苑のお濠端に沿う日比谷通りに至る。同通りには、DNタワー21(旧第一生命館・農林中央金庫)、帝国劇場、明治生命館等があり、どのビルも軒高を揃えている。今回取り上げる明治生命館は、洋風建築を得意とした岡田信一郎(1883~1932)の設計になり、昭和9(1934)年に完成した。その優れた様式美により、国の重要文化財の指定を受けている。同館は軒高約31m(100尺
先日来書いている明治生命館の設計者・岡田信一郎氏が手掛けた有名な建築物の中には鳩山会館(鳩山一郎邸)もあります。鳩山一郎氏と岡田氏は旧制中学が同じ、いわゆる竹馬の友で、信頼関係が生んだ受発注だったようです。鳩山会館というと小川三知のステンドグラスや庭園のバラが有名だけど、実は建造物自体、落ち着いた色合いながら華やいで、メルヘンすら感じさせます。特に外から見た時、この白使いの凝った窓枠が私のお気に入り。全てアーチにせず、1Fはアーチ型(これはルネッタと呼んでいいのか
昭和初期におけるオフィスの最高峰といわれる明治生命館(東京・二重橋)。もともとジョサイア・コンドル氏が建てた三菱二号館を壊して建て替えを行ったもので、昭和4年に入札コンペを勝ち取った建築家・岡田信一郎氏が指揮を執りました。ただ先日も触れた通り、氏は建築のさなか病に倒れます。それでも意欲は衰えず、病床から指示を与え続けたそう。具体的な手法はといえば、16ミリフィルムで現場を撮影させて、それを見ながら指揮するというスタイルで、まさに今でいうところのリモートワークです!しかし無念
三菱財閥系の美術館・静嘉堂文庫美術館が、2022年、大手町(最寄り駅は二重橋)にある明治生命館の1Fに移転することは周知の事実。2020年、三菱創業150周年にあたり、その記念事業の一環なのだとか。もともと明治生命保険会社自体、三菱財閥系列ですからね。しかも今の明治生命館が建てられる前に建っていた旧・明治生命館は、当初、三菱二号館という名前でしたし。いわゆるテナントとして三菱二号館ビルに入っていた明治生命保険会社は、やがて大正時代にこのビルを買収し自社ビルとして使用。その後昭
文京区音羽。閑静な住宅街の一角にそびえるこちら、戦後政治史の舞台の一つといわれる通称「音羽御殿」鳩山一郎邸です。1924(大正13)年に完成、現在は『鳩山会館』として一般公開されています。タヌキの置物がやや怖いですが・・・設計は鳩山一郎の幼友達でもある東京藝大教授の岡田信一郎。大正~昭和初期の日本を代表する建築家で、大阪市中央公会堂や明治生命館を手掛けました。明治生命館に関する過去のブログはこちら『一丁紐育(ニューヨーク)明治生命館①』東京駅から丸ビル・新丸ビルの間を抜け、
2019年1月下旬、仕事で、千代田区役所方面に出かけたんですが、その際、区役所の敷地の一角に、案内板を発見。その案内板に近づくと、「大隈重信侯雉子橋邸跡」とあります。早稲田大学の創立した大隈重信は、明治新政府に出仕し大蔵卿等を歴任し、日本国の「円」の創設に力を尽く、内閣総理大臣を二度務め、近代国家の基礎作りに貢献しました。明治9年(1876)10月から明治17年(1884)3月まで、この雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)に住み、明治15年(188
本日は午後より舞浜へ。ディズニーランドではなく、パーティー。私はチラッと。さて、前々から行きたいと思っていたけど、時間の都合がつかず、なかなか行けなかったのが、たまたま行くチャンスが出来たので。東京復活大聖堂(ニコライ堂)です〜【ニコライ堂は東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂。「ニコライ堂」は通称であり、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライに由来する。正式名称は「東京復活大聖堂」であり、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記
【福島県】会津若松前回に続いて、会津若松の旧市街、「七日町」周辺を歩きます。戊辰戦争で荒れ果てた城下町を復興させた原動力となったのが、古くからの有力商家たちでした。喜多方と同様に短冊状に敷地を持ち、奥にも蔵を構える一方で、蔵造りの商家だけでなくモダンな近代建築や看板建築が七日町通りを中心に並ぶようになります。ところで、戦前の会津若松は、日露戦争の際に第13師団歩兵65連隊が置かれ、日中戦争時には仙台から第2師団歩兵29連隊も異動してきたことで、会津きっての軍都でもありました。前回取
<黒田記念館・「智・感・情」>街も住宅街もそれぞれの賑やかさ。私は静かな場所に行ってきました。黒田記念館。ひさしぶりにこの絵が見たかったので。このほかにも黒田清輝の代表作が展示されています。なんといっても、彼の絵を展示するために設計された美術館なので、美しく調和しているのです。混雑していない上入場は無料です。ただし、展示期間は短いのでご注意ください。最新のメニューは、☆こちら☆をご参照ください。