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栃木県茂木町の茂木城のあと、事前に調べてもあまり資料が得られなかった城を訪れました今年4月に訪れたその城は、栃木県宇都宮市の岡本城です岡本城は南北朝時代に、芳賀氏を出自とする岡本富高によって築かれたとされていますその後、玉生氏の系統が入城して岡本氏を名乗ったり、玉生氏として城主となったりしましたが、慶長2年(1597年)主君である名門・宇都宮氏が改易されると、岡本城も廃城となりましたこれが岡本城の本丸本丸の位置はわかりやすいのですが・・・車は近くにある公民館に停められるという情報で現
蘇我~姉ヶ崎の開業110周年を記念して、臨時列車が運転されました。先月の試運転同様、金町から始める選択肢もあったのですが、本運転の今回は回避。だってさ、先月さ、あの歩道橋、すげぇ人出だったんですもん。通過直前には落ち着きのない若い衆に囲まれて身動きとれないくらい。撮り終わって移動しようとしても、落ち着きのない若い衆が歩道橋に溢れてて動きにくいくらい。先月はちょっと失敗してるんで行きたくもあったんですけども、アノ混雑に巻き込まれたくなくて(苦笑)。試運転よりも人出は増えそ
所在地熊本県球磨郡あさぎり町岡原南城主岡本頼春(相良氏家臣)時期訪城紀行県道43号線を多良木町から日吉方面に走っていると道沿いに岡本城跡の標識があり、諏訪神社を目指す。遊歩道を登るとゲートボール場があり、その奥の石段を登ると神社の神殿がある。ここが本丸跡で、ゲートボール場が二の丸跡ではないだろうか?県道43号線を多良木町から日吉市の方へ走っていると、道沿いに岡本城跡の看板がある。正面の小高い丘が城山城山への遊歩道があるが山頂には城跡の
ここから草津市です。圧倒的、草津市です。一つ目は岡本城です。『近江の顔・近江の城と古戦場』なる書籍に名前が載っている、ということしか分かっていません。-岡本城-二つ目は青地城です。「部田城」とも呼ばれています。金勝山地の鶏冠山から伸びる尾根の先端に建てられました。東海道の東に位置し、伯母川・草津川の上流で交通の要衝という場所にあります。鎌倉時代初期の武将である佐々木左衛門少尉定綱の孫が青地庄に入部し、嫡子の居ない青地氏を継ぎました。築城時期は不明で、文献上の初見
岡本城『別名』なし『所在地』栃木県宇都宮市中岡本町2452『城主』岡本氏、玉生氏『遺構』曲輪、土塁、堀跡『城郭形態』平山城『駐車場』あり『歴史』岡本城の築城年代は不詳ですが岡本富高によって築城されたと言われています。その後、玉生氏が入城しましたが慶長2(1597)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易された為、岡本城は廃城となりました。本曲輪と二ノ曲輪間の堀切本曲輪虎口と土橋本曲輪土塁本曲輪土塁上から見た本曲輪と二ノ曲輪間の堀切横矢がビシバシと掛かりま~す
岡本城はいいところに立地しています。台地の先端、いわゆる崖線がちょうど直角に張り出したところをうまく使って方形館を削り出し、そこから何重もの堀を刻んで城域を構築しています。主郭の堀は事前のイメージより大きくて、慶長期まで使用されていたという伝承とも合致している印象です。主郭以外の城域にはいろんなものが建っていて、堀跡などもむしろ空中写真で眺めた方がよくわかる程度の状況になってしまっているのですが、主郭だけは土塁も堀もほぼ完全に残存していて、台地側の切岸も恐らく当時のままでしょう。本当にいいところ
所在地千葉県南房総市富浦町豊岡特徴安房里見氏第7代の義頼が本拠とした山城で、主郭の北と東に連郭の遺構が残る。城址としても公園としても中途半端は整備状況で、特に技巧的ともいえない。感想東端には岩盤をくり抜いた池があるのだが、手前で引き返してしまった。
義頼は安房里見氏の第7代当主で、兄の義弘(第6代)から遺領を引き継ぎ、岡本城を本拠として北条・武田・佐竹氏などと合従連衡した。墓は岡本城の南東、南房総市富浦町青木の光厳寺にある。
こんばんは、今日は午前中に岡山後楽園と岡本城へいってきました沢山歩きましたバスで一番乗り馬から後楽園へ。はじめ東京とまちがえましたよ。朝食を恵方で頂いてから、向かいました。クラムチャウダーとオレンジジュースとパンプキンサンドを頂きました。後楽園は日本庭園でとても広くて沢山歩きました入り口付近はこんな感じです↑広くて掃除がいきわたっている庭園を維持することは大変だと思います。お茶屋さんで抹茶セットを注文。待ち札はエンジェルナンバーの44はじめて黍団子を頂きました(
H30.11.10神奈川県のSAで車中泊。H30.11.11船橋灯明台、鉄道第二連隊表門、米本城、佐倉高校記念館、古屋城、岩富城、木出城、北小弓城、菊間陣屋、上総国分尼寺、上総国分寺を訪問して市原市で車中泊。H30.11.12犬成城、鶴牧城、椎津城、景清陣屋、笹子城、真武根陣屋、貝渕陣屋、千本城、三本松城、秋元城、飯野陣屋
館山城(たてやまじょう)は、千葉・房総にある連郭式山城で根小屋城とも呼ばれます。館山城は、1590(天正18)年に上総を没収され安房一国となった里見氏が、1614(慶長19)年に伯耆(ほうき)の倉吉(現在の鳥取県倉吉市)に転封になるまで居城としていました。里見氏はもともと上野出身で、室町時代に台頭し、房総半島に勢力を拡大した一族です。戦国大名となって安房地方の礎を築き、江戸時代に入っても1614年まで170年にわたってこの地を治めました。戦国時代には北条氏と40年にわたる抗争を繰り広
館山城(たてやまじょう)は、千葉・房総にある連郭式山城で根小屋城とも呼ばれます。重臣・正木憲時が北条氏政に寝返るなどの謀反があり、本拠地・岡本城も危うくなってきたため、1578年に里見義頼が築城を命じたようです。里見義頼の居城・岡本城の支城として、1580年にはすでに城番を置いたとあります。1588年に里見義頼が大改修を開始して、館山城は1590年に工事が完了しましたこの里見義頼(さとみ-よしより)は、安房の戦国大名・里見義堯の子として1543年に生まれました。母が不詳と言うよりは諸
日本百名城(スタンプ済み)7番:多賀城(宮城県多賀城市)8番:仙台城(宮城県仙台市)10番:山形城(山形県山形市)11番:二本松城(福島県二本松市)12番:会津若松城(福島県会津若松市)13番:白河小峰城(福島県白河市)14番:水戸城(茨城県水戸市)15番:足利氏館跡(栃木県足利市)16番:箕輪城(群馬県高崎市)17番:金山城(群馬県太田市)18番:鉢形城(埼玉県寄居町)19番:川越城(埼玉県川越市)20番:佐倉城(千葉県佐倉市)21番:江戸
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所在地栃木県宇都宮市中岡本町特徴宇都宮領北方の抑えとして鬼怒川の段丘上に築かれた中世の城で、本丸とその周囲の土塁と堀が残る。二の丸は畑だが本丸の残存度合は良好で、城内の杉林もそこそこ手入れされている。感想平凡な畑の先にいきなり大きな堀と土塁が現れて驚く。土塁の上を歩いて反対側まで来ると、その先の断崖が見えてここが段丘上で