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○2019年11月6日、陕西省宝鸡市扶风县から咸阳市乾县へと移動した。ここまで、宝鸡市岐山县から扶风县、咸阳市乾县へと移動を続けて来た。西安を訪れることはあっても、なかなか西安の郊外まで足を伸ばすことが無い。それで、今回は、西安の西をブラブラしている。○宝鸡市岐山县では、五丈原諸葛亮廟と陕西岐山周公庙へ参詣し、扶风县では法門寺へ参拝した。乾县では乾陵を訪れることが目的である。○中国の検索エンジン、百度百科が案内する乾县は、次の通り。乾县(陕西省咸阳市管辖县)乾县,隶属陕西省咸
○2019年11月5日は、朝、西安から宝鸡市岐山县まで行き、五丈原諸葛亮廟から陕西岐山周公庙とお参りした。それから岐山县の町で昼食を済ませた後、扶风县へと向かった。○陝西省宝鸡市扶风县は佛都と呼び称される。それもこれも法門寺と言うお寺がここに存在するからである。法門寺は日本のウイキペディアフリー百科事典にも載せるほどの古刹であるらしい。法門寺法門寺(ほうもんじ)は、中国の陝西省宝鶏市の扶風県法門鎮にある古刹である。北周以前には阿育王寺と呼ばれ、その塔は阿育王塔と呼ばれていた。
○2019年11月5日、五丈原諸葛亮廟から陕西岐山周公庙、法門寺と参詣して、扶风县のホテル、関中風情園へ着いたのは、午後3時過ぎだった。この日、西安からD2683次電車に乗って、岐山站に着いたのは、朝の8時35分だった。その後、タクシーで周回してきたわけである。○ホテル前で、タクシーの運転手さんとお別れした。朝9時前から午後3時過ぎまで、この運転手さんとずっと一緒だった。昼食もご馳走になった。何とも親切で、優しい運転手さんだった。タクシーのメーターは290元ほどだった。運転手さんはメーター料金
○2019年11月5日は、西安から宝鸡市岐山县まで行き、最初、五丈原諸葛亮廟へ参詣した。その後、陕西岐山周公庙へお参りした。ちょうど昼になったので、岐山县の街中で、タクシーの運転手さんと昼食をいただいた。それが名物料理の岐山一口香で、何とも豪華な昼食だった。○その後、タクシーで岐山县から扶风县へ向かった。この辺りは交通の便が極めて悪い。それでタクシーを利用することにしたわけである。この日は一日、この運転手さんと一緒だった。おっとりとした誠実な人柄で、安心して一日過ごすことができた。昼食も運転手
○2019年11月5日、宝鸡市岐山县の周公廟を参詣し終わったのは、12時30分ころだった。これからタクシーで隣の県である扶风县の法門寺へ向かう。タクシーは朝からずっと同じタクシーを利用している。ちょうど、昼時だったので、運転手さんに「何処かで一緒に美味しいものを食べよう。私がご馳走するから。」と言うと、同意してくれたので、昼食するところへ向かった。○もともと、どこの町でも、美味しいところをよく知っているのは、タクシーの運転手である。今回の旅行でも、永済で、驢馬の肉をご馳走になった。まず、なかな
○2019年11月5日に、宝鸡市岐山县にある五丈原諸葛亮廟へ参詣した。五丈原諸葛亮廟参詣の後、タクシーで、同じ岐山县の周公廟へ向かった。五丈原諸葛亮廟から周公廟までは35㎞くらいある。○日本で、35㎞をタクシーで行くことはなかなか無い。中国ではタクシー料金は極めて安い。と言うか、電車やバスも驚くほど、安い。市内バスに乗ると、基本料金は2元(30円)で、10㎞とか20㎞も行くことができる。日本では考えられない安さである。○だから、この日も、交通の便が極めて悪かったので、タクシーを利用した。基本
○2019年11月5日、宝鸡市岐山县の周公廟へ参詣して来た。これまで、ブログ『西周』から、『周公旦』、『陕西岐山周公庙』、『岐山县勤廉教育基地:周公篇』、『岐山县勤廉教育基地:召公篇』、『岐山县勤廉教育基地:太公篇』と案内して来た。今回は、その最後で、『陕西岐山周公庙:周公庙景区』として、残りの建物などを案内したい。○まずは、陕西岐山周公庙の周公殿・召公殿・太公殿の先にあった、碑亭から。百度百科が案内する周公庙(陕西宝鸡岐山周公庙)では、碑亭について、次のように案内している。碑
○ある意味、周の太公は有名人である。それは太公望としての名である。コトバンクには、次のように載せる。太公望中国,周王朝の建国伝説の名将。姜姓。師尚父,あるいは呂尚と呼ばれる。周の文王が渭(い)水のほとりで出会い,これが先君太公の待ち望んだ賢人であるといったところから太公望といわれた。文王に召されて周に仕え,武王のとき,殷周革命に際しての武功により斉侯に封じられた。その出身,事跡には各種の所伝がある。おそらく姜姓族の族長であったといわれる。太公望とは-コトバンク(k
○2019年11月5日、宝鸡市岐山县の周公廟へ参詣して来た。その周公廟には周三公とされる、周公殿・召公殿・太公殿が存在した。前回、岐山县勤廉教育基地:周公篇を案内した。今回は、召公篇を案内したい。○日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する召公は、次の通り。召公セキ召公奭(しょうこうせき)は、西周の政治家。姓は姫または姞、諱は奭。太公望や周公旦と並ぶ、周建国の功臣の一人である。周初で最も長く活躍し、文王・武王・成王・康王の四代に仕えた。召の地(現在の陝西省宝鶏市岐山県の南西
○2019年11月5日、宝鸡市岐山县の周公廟へ参詣して来た。八卦亭の後ろに、周公殿・召公殿・太公殿が存在し、それぞれの功績・足跡が記されていた。それが岐山县勤廉教育基地として、それぞれ詳しい説明があった。もともと学生向けのものなのだろうが、外国人の私には格好の教材であった。○一通り、岐山县勤廉教育基地を周公殿・召公殿・太公殿と見て回った。お陰で大いに学習させていただいた。なかなかこれだけの教材は揃わない。思いがけない学習で、大変時間を要した。しかし、せっかく、訪れたのである。これくらいの時間は
○中国では、海内三大周公庙と言って、洛阳周公庙と陕西岐山、山东曲阜周公庙を指すらしい。今回の旅行では、2019年11月4日すでに洛阳周公庙へは参詣済みである。・テーマ「中原:洛陽」:ブログ『洛陽周公廟』洛陽周公廟|古代文化研究所:第2室(ameblo.jp)○2019年11月5日、宝鸡市岐山县の周公廟へ参詣して来た。もともと周王朝の起源はここにある。そういう意味で、一回はここを訪れてみたかった。当古代文化研究所では、今回の旅行で禹王城遺址にも訪れている。・テーマ「中原:
○2019年11月5日、岐山县の周公廟を訪れた。前々回、周王朝及び西周について触れた。今回は、まず、周公旦について、考えてみたい。最初に、日本のウイキペディアフリー百科事典が案内する周公旦から、案内したい。周公旦周公旦(しゅうこうたん)は、中国周王朝の政治家で且つ、周邑の君主。姓は姫、諱は旦。魯の初代の公である伯禽の父。呂尚(太公望)や召公奭と並ぶ、周建国の功臣の一人である。建国間もない時期に武王は病に倒れ、余命いくばくもないという状態に陥った。これを嘆いた旦は自らを生贄とす
○2019年11月5日、宝鸡市岐山县の五丈原諸葛亮廟へ参詣した後、同じ岐山县の周公廟へ向かった。実は、今回の旅行で、周公廟を訪問するのは、二カ所目になる。すでに、洛陽で、河南洛阳周公庙にお参りしている。○ただ、その日が月曜日で、あいにく河南洛阳周公庙は閉まっていた。門前までの参詣だった。その時の様子は、次のブログに書いている。・テーマ「中原:洛陽」:ブログ『洛陽周公廟』洛陽周公廟|古代文化研究所:第2室(ameblo.jp)○周王朝は西周の時代と東周の時代に分かれる。紀元前
○2019年11月5日に、宝鸡市岐山县にある五丈原諸葛亮廟へ参詣した。五丈原諸葛亮廟参詣の後、タクシーで、同じ岐山县の周公廟へ向かった。○公交バスもあることにはあったが、岐山305路から岐蔡公交を経て、岐山101路と乗り換える必要があった。全体の行程は35公里くらいもあるから、およそ半日がかりとなる。○日本で35㎞もタクシーに乗ることは、滅多に無い。しかし、中国のタクシーはとにかく安い。これくらいの距離ならタクシーが絶対便利である。したがって、今日は一日タクシーで移動することとした。周公廟か
○前回、土井晩翠作詩「星落秋風五丈原」の冒頭部分を紹介したが、その全文は、次のようになっている。長いので、二段に分けて案内する。星落秋風五丈原土井晩翠祁山悲秋の風更けて陣雲暗し五丈原零露の文は繁くして草枯れ馬は肥ゆれども蜀軍の旗光無く鼓角の音も今しづか丞相病篤かりき高眠遂に永からず信義四海に溢れたる君が三たびの音づれを背きはてめや知己
○2019年11月5日に、宝鸡市岐山县にある五丈原諸葛亮廟へ参詣した。ここを訪れるに当たって、思い出す言葉が『星落秋風五丈原』であることは言うまでもない。ある意味、この言葉に導かれて、日本から遥々、五丈原諸葛亮廟を訪れたとも言えよう。○日本では、この言葉は土井晩翠作詩「星落秋風五丈原」として知られる。星落秋風五丈原土井晩翠祁山悲秋の風更けて陣雲暗し五丈原零露の文は繁くして草枯れ馬は肥ゆれども蜀軍の旗光無く鼓角の
○2019年11月5日に、宝鸡市岐山县にある五丈原諸葛亮廟へ参詣した。五丈原諸葛亮廟は霊廟なのだが、併せて諸葛亮博物館を付設している。当時、諸葛亮が行っていた北伐の布陣の様子や武器なども展示してある。○裏の方には諸葛亮衣冠塚も存在した。中国には衣冠塚は多く、結構、各地で見掛ける。ここの衣冠塚も、そういうものの一つである。○五丈原諸葛亮廟前には八卦亭が存在したが、別に落星亭が存在して、驚いた。諸葛孔明が亡くなった時、大きな星が落ちたと言う。その実物がこれだと言うのである。本物なら隕石だと言うこ
○前回、五丈原諸葛亮廟の門前を案内した。今回は廟内の様子である。2019年11月5日に、宝鸡市岐山县にある五丈原諸葛亮廟へ参詣した。五丈原諸葛亮廟については、前回詳しく述べているので、そちらを参照されたい。○五丈原諸葛亮廟へ着いたのは朝の8時50分ころで、まだ門は閉まっていた。近くを掃除していたおばちゃんに尋ねると、「もうっすぐ開くよ」とおっしゃるので、待っていたら、9時に開門した。私以外は誰も居ない。静かな参詣だった。○もちろん、初めての参拝だったので、見落としの無いように、丁寧に見て歩い
○D2683次電車に乗って、西安北站から岐山站まで行った。朝7時50分に西安北站を出て、8時35分にはもう岐山站に着いていた。130公里を45分で走るのだから、中国新幹線は何とも速い。○そのまま岐山站でタクシーを拾って、五丈原諸葛亮廟へと向かった。岐山站から五丈原諸葛亮廟までは2、3㎞くらいしかない。○タクシーの運転手さんは中年の人の好さそうな方だった。今日は五丈原諸葛亮廟の後、周公廟へと向かい、扶风县城新区东大街のホテルまで行く予定である。交通の便が極めて悪い。と言うか、何度も乗り換える必
○2019年11月5日は、D2683次電車に乗って、西安から岐山まで行った。岐山县は、洛陽に周王朝が移動する前に存在したところとして知られる。周公廟があると聞いて、出掛けることにした。○日本のウイキペディアフリー百科事典にも、岐山県項目が存在する。岐山県岐山県(きざん-けん)は、中華人民共和国陝西省宝鶏市に位置する県。県内の東北部にある「箭括嶺」という山には、峰が二つあって向かい合っており、山頂が二つに分岐していることから「岐山」の名がついた。岐山は、伝説上は炎帝が本拠とし