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30年ほど前、自宅から2~3時間を適当にジョギングしていた時期に、箱根板橋の山の方で丸い貯水池を見た。なんだろうな〜と思ったけど、その頃はスマホで検索とか無かったから、「不思議な池」という記憶は残ったけど、どこだったのか何だったのか、うやむやなまま。スマホで何でも見つけられるようになったので、丸い貯水池は「山縣有朋」が自分の茶室に引水する為に作った池だったと知った。何十年ぶりに行ってみた。緑の点線のルート水路ところどころに、市が設置した案内板がありそれを頼りに歩いてたのに‥なんと、山
私の庭好きがこうじたのは、京都岡崎にある“無鄰菴”です。折しもコロナ流行の2021年、訪れてる人間は、私ひとり。元々、借景の庭が好きでした。正面の山は、東山です。無鄰菴を訪れると、庭について説明して頂けます。その日は、無鄰菴の庭のメンテナンスを担当されてる、植彌加藤造園の加藤社長が説明して下さいました。明治の政治家、山縣有朋の別荘で、七代目小川治兵衛が作庭しました。特徴は、①東山を主山とし、庭と一体化する。②苔ではなく、芝生を植え、山縣の故郷の山口の草花も植える。③琵琶湖疏水の水を引
日本のシベリア出兵に端を発して、日本国内では米の価格が暴騰して、各地で米騒動が起きました。1918年のことです。この米騒動を元老、山縣有朋の最後の切り札、寺内正毅内閣、通称ビリケン内閣は収拾させることができず、世間から退陣要求を出され、あっさり退陣してしまいます。こういう騒動が起きた時の真骨頂が原敬。各方面に恩義を売っているので、満を持して、原敬内閣を組閣します。その後、1920年に総選挙が行われますが、圧勝します。当時、爵位をもたない人が総理大臣になったことから、平民宰相と呼ばれます。この原
小田原散歩、国道から箱根板橋の旧道方面に向かいます。旧道入り口の光円寺の大イチョウ。秋になったらきれいでしょうね。このお寺も彫刻や屋根瓦が立派でした。民家の庭先にあった小さなお社には《下町》《子供中》の文字どなたさんが祀られているのかしら・・・持っていた板橋まち歩きの地図に詳細な説明が記載されてなかったので寄らずに帰宅してしまったのですがこの奥にある伝肇寺にはかつて本堂横に北原白秋が《木菟(みみづく)の家》と名付け
桂太郎内閣を失脚させ、桂太郎を憤死させてできたのが山本権兵衛内閣です。山本権兵衛は海軍の重鎮で、関東大震災も見事な手さばきで復興させるという能力の高い人です。ですが、政友会の原敬の傀儡です。実質は原敬内閣というのが現状でした。山本権兵衛は原敬の操り人形として内閣を運営することになります。原敬は自分の都合の良い様に改革を打ち出していきます。そのひとつが、軍部大臣現役武官制の廃止です。軍部大臣は現役の武官しかなれなかったことをこの現役を取ってしまいます。そうすると、退役しても元武官だったら、軍部大
桂園時代の最初の6年ぐらいは良かったのですが、何しろ、政友会の裏のドン、原敬が利権獲得のために選挙地域にバラマキを全国各地で積極的にやるものですから、お金が無くなる…で、朝鮮半島も日本に併合していたので、朝鮮半島を守るのをどうするのか?という大問題に発展します。国内ではバラマキばかりしているので、軍事予算を朝鮮半島、つまり、守る陸軍に予算を回さないという状況になっていきます。国防よりも利権獲得が原敬の信条なので、何をやっているの?という感じです。日本の国の為にというよりも、自分の選挙利権のため
つい最近、京都にある「無鄰庵」がテレビで紹介されていたようですが、私はその存在を知リませんでした。そこで少し調べてみると、岡崎の疎水を挟んで京都市動物園の南側にあり、山縣有朋の別荘であることが判りました。1941年に京都市に寄贈され、現在は京都市が管理・公開しているとのことで、早速予約をして訪れてみました。まず、ガイドさんの15分程のレクチャーを抜粋します。・無鄰庵の鄰は隣という字の旧字で、隣が近くに無い草庵という名付け。・無鄰庵の全貌は三角形(約1000坪:下図)
小田原散策ランチから途切れておりました続きを書いておこうと思います巡っている界隈は「板橋」といいますこのように見どころが沢山ここではひな道中にあわせて個展がひらかれていて呈茶もありました山縣有朋の別邸になったそうです門の中からここには炉は切られていませんでも松永耳庵さんの家にも甘柑荘にもあったものがここにもありましたそれはこのような木でできた床柱当時流行ったのか?耳庵さんをみんな真似したのか?作家さんの生まれ故
2024/3/5(火)がんこ高瀬川二条苑で楽しい昼食元は、戦国時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商であった角倉了以の別邸跡で、その後、山縣有朋(明治の元勲)の別邸などを経て、現在は大岩邸ととして伝わり「がんこ高瀬川二条苑」となっている。だから庭が素晴らしい。今日は小雨模様であったが帰り際には一時止んでいたので老木の梅などのショットが撮れた。なお、角倉了以は、私財を投じて山城の国(今の京都)の大堰
前回までのお話で、やっと桂園時代という議会を無理くり安定させた時代が来ます。でも、それも13年しか続きません。終止符を打ったのは大正政変という事件ですし、その後、第一次世界大戦に行きますが、そんな感じでフワッと過ぎるのはどうかと思います。というのも、立憲政友会というものが、現代の政治の悪いところ全部のせの政党であり、その発端の話をしていけば、現代社会の政治のことへの理解が深まると考えます。というのも、何事にも初めがあって、この初めがおかしなところから始まってしまい、それが現代まで通じてしまうの
日本は明治40年、1907年までは外交では大勝利を上げる成功をおさめました。日清、日露戦争は大勝利ですし、江戸時代に結ばれた不平等条約も撤廃しましたし、日英同盟も結びました。アメリカとも友好関係を作り、きちんとした協定も結んでいます。外交的には大成功なのですが、内政はボロボロです。特に、自由民権運動の輩どもや東大出の学歴秀才が無茶苦茶をしており、そういう輩どもを支持する国民が多数でしたので、こいつらが選挙に当選しますから、国会は特に衆議院が無茶苦茶しているという状況です。今回はそういった内閣が
1905年に日露戦争が終わり、ポーツマス条約を結び、日本は平穏な時期になります。とはいえっても、ロシアの復讐戦に備えなければいけないのですが、2年後にはその必要が無くなってきます。というのも、ヨーロッパ情勢が変わってくるからです。日露戦争前に大英帝国はフランスと英仏協商を結びます。そういう中で、ドイツとフランスはモロッコで対立します。ヨーロッパをひっかきまわしているのはドイツのヴェルヘルム2世。この御仁の陰謀がバレ始めていきます。フランスはドイツと対立し、イギリスはペルシャ、インド、清を抑えま
#日本の歴史02#大政奉還#明治維新#明治天皇#山縣有朋#安田均#五武冬史#GHQ#TV局#加栗章夫#山下彰範僕は、TV局の、トップの脚本家、五武冬史だ。実際の、明治維新は、僕がやっているのだ。徳川家康とも会ったし。幕末の官僚たちともあった。実際の、山縣有朋は、安田均ちゃんで。ホームズ先生がやっていたこともあったが。ナイトたちが、ギャグで、武士ものをやろうと。写真の、おじいさんの、山縣有朋を、置いとくよと、名義貸しをして今に至るのだ。僕が明治天皇じゃな
2月1日その11268年(文永5年1月17日)モンゴル帝国の使者が通交を求めて来日。誕生日1394年(応永元年1月1日)-一休宗純。禅僧後小松天皇の落胤(らくいん)とされる。私生児であり正当な血統の一族とはみなされないので系図記載されないことが多い1546年(天文15年1月1日)-最上義光(もがみよしあき)戦国大名。忌日1922年-山縣有朋政治家、第3・9代内閣総理大臣テレビ放送記念日。1953年NHKが東京地区で初めてテレビ放送を開始した日。
少しだけ余裕ができた今年の新年初詣の後に出かけたくなったのです。どこに行こうかと思案して思いついたのが目白の椿山荘ホテルとなっているけれど元々は山縣有朋の屋敷だった。近所には細川邸鳩山邸旧田中角栄邸などがある目白のお屋敷がごっそり並んだ山の手だ。株主総会に出たりして何度も出入りしているので敷居が低い。何かの折には庭を歩いて観光気分に浸っている。その椿山荘でひそかに知られた椿山荘7福神があるので紹介したい。久しぶりに歩いて制覇してきたのです。最後のお
久しぶりの小さな旅。栃木の建物を見てきました。那須塩原市図書館「みるる」黒磯駅の真ん前にあって、でもそれほど混んでいなくて落ち着ける図書館。「みるる」が見たくて那須に来ました。木をふんだんに使った内装。本棚が本でみっちり埋まっていないところがおしゃれ。JR日光駅。何度も来ているけれど、改めて堂々とした現役のターミナル駅。駅舎と繋がっている「駅長室」も手入れされ大切に使われている。2階はホワイトルームと呼ばれる旧一等客室用待合室。朝日があたる「山縣有朋記念館」この建物は昭和
明治の豪傑政治家、山縣有朋の三番目の別荘になるらしく、最初は出身地長州・下関の地から始まっているそうです。この七代目小川治兵衛による広い庭を持つ日本家屋の片隅にこじんまりとした場違いな洋館があって、そこで政治家による明治の密談が行われて様子。見学できるようになっている洋館の一室は蔵のような重そうなとびらがあって、扉が開いてるにもかかわらず、遮音性もあり、格子に飾られた見事な装飾の天井で暗く重苦しいくらいの密閉性がある部屋でした。こんなところで陰謀?もとい政治的な話し合いは極秘裏に行われたのかな
石清水八幡宮のお話の続きの前に...12.18のお話を少々...過日...よろしければ…まっ、見た時が、その時、必要としているメッセージですよね。・・・。『早稲田大学演劇博物館と水神社の銀杏さん...』11月29日のブログを分割し改定致しました。いいね!をしてくださった方ありがとうございました💚もし、可能でしたら再度、お付き合いくださいませ。---先…ameblo.jpこちらのブログにも記載しましたが...やっと、水神社の銀杏さんに再
帝国憲法も制定され、第1回の、つまり初めての選挙が行われます。そして、議会にが開かれるのですが…明治政府にとっては苦難の道を歩むことになります。まず、衆議院ですが、帝国憲法により、予算案を衆議院に提出しなければいけない。いうモノがあります。実はこれが、帝国憲法が出来て、ヨーロッパ諸国に見せたところ、これはやばいぞ!こんな権限持たせたら、にっちもさっちもいかないぞ!と危惧され、ここは止めた方が良いと言われた根拠だったのです。予算を通すためには衆議院を通過しなければならないということですが、逆を言
南禅寺を出て向かったのは「無鄰菴」南禅寺からは徒歩10分程塀に囲まれたひっそりとある名所ですいつか行ってみたいと思っていた場所の一つ無鄰菴は明治大正の政治家「山縣有朋」の別荘でした山縣有朋という方は全国に別荘を10個くらい持っていたらしい「無鄰菴」と小田原の「古稀庵」は有名小田原の古稀庵は休日しか開いていないので訪れたことはないのですが・・・一度行ってみなくちゃ!そして東京の「椿山荘」は有朋邸宅空襲で焼けてしまった後に今のホテル「椿山荘
南禅寺から東福寺へ移動する予定が、雨宿りに時間を取られ急遽変更。無鄰菴帰る時に撮った人数制限の案内。石標京都市駒札列が門まで延びていまして、かなり待たされました。観光客へのマナーの説明が長くてね。列がどんどん延びるから、そこまでしなくてもと思ったよ。母屋の一部をカフェにしているから、こちらからいつもの画像は撮れず廊下から。いたたまれず(座れないから)、回遊する。けっこう紅葉してました。歩いているとお寺の庭園鑑賞と違い、優雅な気持ちになります。母屋この画像なら顔は確認できませ
『☆2023.10.27~【たかはら星の森キャンプ場】・・・⑤☆』『☆2023.10.27~【たかはら星の森キャンプ場】・・・④☆』『☆2023.10.27~【たかはら星の森キャンプ場】・・・③☆』『☆2023.…ameblo.jp↑の続きです。朝食にお茶づけを食べてから・・・テントの中に風を通します♪テントの前面を開けて・・・後ろ側も開放♪コットで寝ました。ちなみに最低気温は・・・テント外が午前2:18に10.1℃テント内が午前2:
21世紀に入って以降、注意されて逆ギレした中学生が教師に暴力を振るってケガを負わせ逮捕されるという事案が、全国で起きています。私の中学生時代には、教師に生徒が暴力を振るうとか、教師が生徒を〝常人逮捕〟するなんて有り得なかったし、考えられない話。また以前、運動会の練習で教師が「起立!」と5回も言わなければ立たない小学生を目撃して呆れ果てた私は、学校教育はもとより親の躾はどうなっているのか?またこの子供らがどんな大人になるのか?・・・と、大きな不安を覚えます。2017年4月、安倍
2023年10月28日(土)。天気晴れ。東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」まで来ました。「江戸川橋」の上から眺めた神田川。川岸には、「江戸川公園」が続きます。「目白通り」の目白坂を登って、「椿山荘」にやって来ました。以前、「椿山荘」の前まで来たものの、コロナ禍の中で庭園の見学もしなかったのですが、今日は堂々と入ることにします。というのは、今日は、「椿山荘」の庭園の中の鰻屋さん「うな菊」で昼食をとることにしているのです!庭園の奥、たいへん静かな中に佇んでいます。前菜は、「うざく」(きゅ
京都へ行って来ました⛩️次に訪れたのは「無鄰菴☆むりんあん」です❗️🎫入場料¥600無鄰菴は、明治大正時代の政治家「山縣有朋」の別荘です。『無鄰菴庭園カフェ』さんでスイーツを頂きました🥮カフェに使われているお部屋は、約120年前に山縣有朋が庭を眺めたときと同じ、そのままです🥺ここに座って、同じ目線で180度広がるパノラマを眺めながら寛ぐ事が出来ます🍵🍵喫茶¥1200(お好きなお飲み物とスイーツのセット)私は、お抹茶と無鄰菴オリジナルどら焼きを頂きました🥮どら焼きの焼印は
おはようございますm(__)mペコリ本日は脇参道周辺の石造物の事を書いていきますねヽ(゚∀゚)ノパッ☆まずは鳥居からです(≧∇≦)b額束には何も彫られていません(ヾノ・∀・`)ナイナイ鉄板で補強されています(。ŏ﹏ŏ)奉納時期はわかりませんでした(´Д`)ハァ…💦こちらには紀年碑?(´ε`;)ウーン…石燈籠の脇にある石柱は?(´-`).。oO石燈籠を奉納した時の記念碑でしょうか🤔そういえば、楼門をくぐろうとした時に気がついたこちらこの台座は何があったのかなぁ(⊙_
不慮の事故に遭遇し、弔辞で取り上げもしなければ重版になんかなろうはずがない学術書彼が読書家だとは聞いていない。眠り薬がわりに小説は読むようだが、売文右翼系の海坊主の著作がお好きらしい。故郷の「偉大な」政治家(軍人)の評伝なんだから読んでいるのが当然と言えば当然毀誉褒貶の激しい御仁だから、幾多の評伝があり評価もさまざま。しかし、賛美しようが罵倒しようが、この老人の足跡は余りにも大きく、、、「戦前日本の象徴」である事は否定し難い。岡義武著山縣有朋(岩波文庫版)勲功卓絶な赤門の政治学者
天気悪くて、ちょっと辺鄙な所だったけど、かなり行ってみたかった所。存在は以前『旧青木家那須別邸』暑いですな~~(笑)那須の道の駅に併設されてます。以前、この道の駅に行った時には公開されてませんでした。多分、オープンされて間もなかったのかイベントをしてま…ameblo.jpでわかってはいたけど、ちょっと遠いかなと思っていた。いい青なんだよな~天気が悪くて外からあまり撮ってないけど、館内は撮影禁止。素晴らしいもの多かったんだけどね。見学の料金がそんな安くないんだけど、見終わった後に
(秩父事件とは・・・・)1884年、明治17年11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起。秩父困民党軍は西南戦争で西郷軍が押したてた「新政厚徳」の旗をかかげて行進したという。もともと秩父郡一帯は、養蚕製糸が盛んでゆたかな生活を楽しんでいたが、明治15年ごろから深刻な不況に直面し、多くの農家が高利の借金の返済不納におちいり、破産に瀕した。17年2月、秩父に自由党が結成されると前年から運動していた上吉田村(当時)の高岸善吉・坂本宗作
京都地下鉄「蹴上駅」から「東山駅」まで歩いてみました。蹴上浄水場からの全長582m、高低差36mの「蹴上インクライン」。桜の時期には、撮影スポットになります。東山を借景とした「山縣有朋」の京都の住まい、「無鄰菴」。約30分、観光客の少ない時間にうまく入れました。母屋から眺める庭園は、近代における最高峰の作庭家、「七代目小川治兵衛」の傑作の一つ。次に向かったのは、ゴリラさん家族が暮らす「京都動物園」。お父さん、お母さん、下の男の子はお家でお休み中。上の