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禅に興味が湧いて何冊か本を読んだけれど、別の意味で驚いた本が臨済録の言葉小川隆講談社学術文庫これは理屈の上ではつっこみようが無いくらい詳しく書かれている。何故ここでこう言ったかとか、禅で面食らう禅問答についての何故が。でも、これでは禅の値打ちは全くと言っていいほど意味がない。価値がない。理屈がわかっても体験が唯一、価値を持つのが禅なので。だからといって実際にお寺に行って参禅体験をしているのか、と言われたらそういうわけでもないのだけれど、この本の頭でしか捉えていない禅には危機感を感
「水の如くに」前へ前へさらさらと流れたい。流れる水はくさらない。般若心経Amazon(アマゾン)1日1篇「人生を成功に導く」365人の言葉Amazon(アマゾン)
2024年12月中旬、有馬温泉にやって参りました♨︎有馬温泉をこよなく愛した豊臣秀吉の正室ねね様(北政所)有馬川親水広場こちらの親水広場では毎年「有馬さくら祭」が開催され、キッチンカーの出店、ゲームコーナー・パフォーマンスなんかもあるようです🌸温泉街の中心に位置する中の坊瑞苑神戸電鉄有馬温泉駅から送迎バスで2分(徒歩5分)、JRバスの停留所からは徒歩2分、お宿の隣は阪急バスの停留所で温泉街へも歩いてスグという、抜群の立地です地下1階地上8階建ての風格ある外観客室数は50室正
自己を見つめる-ほんとうの自分とは何か-/山田無文Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}Amazon(アマゾン)で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}楽天市場で詳細を見る★★★★★横田南嶺師が勧められていた山田無文師の本。仏教や禅を優しく説く。致知の藤尾秀昭社長が故松原泰道師に「仏教が目指すものを一言で表すと何か」と聞いたところ答えたのが上求菩提下化衆生という言葉。私も座右の銘にしている。
10数年来懇意にしている清水克衛さんが2010年に出版された「5%の人」という本が装いも新たに新書版となって発売されたと知って購入した。初版の発売の際は清水さんが私に贈って下さり、本の中で私のことが紹介されていたのがとても光栄であったのと同時にこそばゆかったのを思い出す。改めて読んで清水さんの考えの奥深さに触れたのと、以下の詩にとても感銘を覚えた。10余年前は記憶に残っていないのだが、年齢を重ねると感受性が変わるのだろうか。昭和の名僧だという、山田無文大師という方の書いたものだ。「
2023年の中秋の名月は9月29日金曜日、満月になるのは17時ころだそうです紅雲庵も月を愛でるしつらえにしましょう掛物清風明月を払う清風払明月明月払清風「清風明月を払い、明月清風を払う」という対句の前句。清らかな風が明月を払い清め、清らかな風もまた明月の白き光に払い清められる。澄みきった秋の夜空に明月が掛かり、清らかな風が颯颯と吹きすぎる情景を詠じた、秋の季節にふさわしい名句。『禅語字彙』に「本體が作用となり、作用が本體となりて、一方に固定せざるをいふ」とある。
以前私は車を運転していて、危うく正面衝突しそうになったことがあります。その瞬間は「助かった」というより、本当に「助けられた」と思いました。それ以来、自分は生かされているんだと思うようにしています。京都にある臨済宗妙心寺の管長でいらっしゃった故山田無文老師は若い頃厳しい修行で体を壊し、不治の病である結核になってしまいました。故郷に戻り闘病生活をされますが、食事も入らず痩せていくばかり。医者や家族からも見放され、毎日が進行する病気と孤独との戦い、、、、死ぬことだけを
和顔(わがん)Amazon(アマゾン)335〜5,742円相対、二元性はエゴ(自我、思考)によってつくりだされる。それは全て迷妄の世界。スピリチュアルや探求初心者は、相対的な善だけ求めて奮闘してしまうことがありますが、非二元、非相対、不二が本質であることを知り、二元性の罠に注意する必要があるでしょう。
こんにちは。佐々木です。相変わらず暑いです。富士山いらっしゃらず・・・朝、この言葉で悟ったと思ったら、またザワツク自分(残念~苦笑)大いなるものにいだかれあることをけさふく風の涼しさに知るもう一度落ち着きます(笑)さあ、今日も授業を楽しみましょう!!!
みなを笑わせて最後に笑うものが一番幸せだ。マルクス(山田無文著「自己を見つめる」より)このマルクスとは(本書から推測すると)「資本論」で有名なカール・マルクスのことである。事をなそうとする者に必須なのは、相手を想う気持ちなのだ。そのことがよくわかる一節である。そして、みなを笑わせている瞬間とは、無償の愛ではなく、自利利他が一つになっている瞬間でもある。「生くる」にある『無償の愛が地獄を創る』を思い出す。苦しい思いもしたけれど、これで良いんだと最後に笑える人生でありたい。
「和顔(わがん)」山田無文、禅文化研究所、平成22年発行山田無文老師の説話集。理論でなく、具体的お話だからこそ響くものがあります。以下は文中引用とミニ感想です。なくてはならない歯車。→そう思えるか、たかが歯車と思うかで随分違います。青春期にはそういうことで悩み、ただの歯車になりたくない、いなくても問題ないような人間になりたくないと思ったのを思い出します。しかし、人間皆それぞれ違うもの。どんな人もそれぞれ有り難い存在だとようやっと思えるようになりました。分別を捨てたところが彼岸。我を捨て、
「般若心経」山田無文、禅文化研究所、昭和61年発行永興寺の法話会で住職さんがご紹介されていた本のひとつ。気になったので図書館にリクエストしましたら、相互貸し出しを利用してくれて周南からやってきました。法話もその他の多くの物は自分のペースでなく話す人のペースで考えないといけませんが、本は自分のペースでじっくり考えながら深めながら腑に落ちるように読み込むことができます。「体験的に考える方が理屈抜きにしてよくわかる」と書かれていましたが、まことにその通りで具体的な体験とリンクすると理解が深まり腑に
自分が助かり、相手も救っていくというのが宗教というもので、観音の信仰である‘‘或いは怨賊(おんぞく)の繞(めぐ)るに値(あ)い、各(おのおの)刀を執(と)って害を加えんに、彼の観音の力を念ずれば、咸(ことごとく)即ち慈心を起こさん’’強盗に取り巻かれて、刀をとって、「金を出さねば首を斬るぞ」と言われるような恐ろしい目に遭うても、慌てず手を合わせて「南無観世音菩薩」と称えると、相手が慈悲心を起こしてくれる.........これは観音経にある言葉です。「このごろの強盗は
大徳の人の「日々是れ好日」(にちにちこれこうにち)を学ぶ◎昔、中国の雲門大師が、ある時、お弟子に向かって「十五日已前(いぜん)は汝に問わず、十五日已後、一句を道(い)い将(も)ち来たれ......これまでのことは尋ねまい。明日からどういう生活をする覚悟か言うてみい」と言って、ずうっと皆の顔を見わたされました。学校を卒業するまでのことは何も聞かぬ。学校を出て、今日から会社に入るとしたら、どういう決心で働くつもりか。結婚するまでのことは尋ねまい。今日式を挙げて夫婦になった
のんべえの和尚と戒律に厳しい和尚が午餐(ごさん)を共にされたお話から......◎酒に飲まれぬ担山(たんざん)和尚昔、東京大学の仏教学の講座を初めて開いた原担山(はらたんざん)和尚(1819~1892)が、一日、目白僧園の釈雲照(しゃくうんしょう)律師(1829~1909)と某家に招かれて、午餐(ごさん)を共にされたことがありました。雲照律師は有名な戒律家でありますから、酒など一滴も口にされませんし、担山和尚は斗酒なお辞せぬ酒豪でありますから、まことに妙な組み合わせであ
今日の国民の脚下は乱れ放題です。今こそ、しっかり脚を大地に踏みしめ、そして静かに、日本民族のあるべきようを考えなくてはなりません。相撲取りは土俵に上がったら、すり足で取り組むのが原則です。能の舞は舞台をすり足で歩くのだそうです。いつも大地を踏みしめて浮き足にならぬことが、日本民族の本来の姿です。頭は柔らかく!◎脚下を見よ天龍寺の峨山(がさん)和尚が、師匠の滴水(てきすい)和尚の紹介状を持って、初めて東京に出て、鉄舟居士(てっしゅうこじ)を訪ねた時、生憎(あいにく
政治家に向かって一言の定説を言い得る禅坊主が一人もいないのだ。戦争が聖戦だと言えば、一緒になって聖戦だと言うし、憲法が平和だと言えば、そういうことがお経の中にあると言うて同じように平和だと言う。再軍備だと言えば、さあ今度は何と言おうかと思ってモジモジしておる。そんなことでは真僧ではない。真僧(指導者)とは。仏法は決定(けつじょう)の説でないといかん。「維教経」(ゆいきょうぎょう)の中にも、「月は熱いからしむ可(べ)くとも、日は冷ややかならしむ可くとも、仏の説きたもう四諦
形にはまらない臨機応変のはたらきというものはどこから出てくるかというと、何も思わんところから自然に出てくるのです。その、何も思わないという純粋な気持ちをいつも失わないということが、一番大事なことでであり、それが「信心」ということです。臨機応変のはたらきとは昔の笑い話に、都へ上がって学問をしておる子供が帰ってくるというので、お母さんが喜んで宿場まで息子を迎えに行った。一緒に肩を並べて帰ろうと思って、家へ向かおうとしたら、息子が、「お母さん、どうぞ先へ行って下さい。私は{
物それ自体は不可知だとも申します。大きいと言うたら、それは小さなものと比べて、小さいと言えば大きいものと比べて言うのである。では天地の間、これ一つだったら?常識や経験、知識を捨てて、純粋な生まれたままの赤ん坊のような心で、これ一つ見たら、何と言うたらいいでしょう。何とも言いようがないはずです。竹箆(しつぺい)に対する問答が!?◎天地の間にこれ一つ昔、中国に首山(しゅざん)という和尚がおりまして、雲水をたたく竹箆(しつぺい)をこう、みんなの前へ出して、「これを竹箆だと言
こちらの心に囚われや分別がなければ、すべてのものが平等に見られます。そういう心が仏の心です。そういう平等の智慧がお互いの本心だとわからなければならないのですが、その平等であるべきものに差別を生じることは、こちらの心が歪んでおるからであり、こちらの心に何か異質なものがあるからです。◎こちらの心が歪んでいるから心の中に何も囚われるものがなければ、赤子の心のように無心でさえあれば、すべてのものが同じことです。赤子は無心です。赤子には、憎い人もなければ可愛い人もないし、
洞山和尚は言われました。「暑いときには「暑い!」とおまえを蒸し殺してしまえ、寒いときには「寒い!」とおまえを冷やし殺してしまえ」と。暑いときには自分を忘れて暑さに順応し、寒いときには自分を忘れて順応せよ。そこが暑さも寒さもないところだ、ということでしょう。9月中旬~9月下旬頃にかけて開花する彼岸花◎暑いときは蒸し殺せ彼岸という宗教的習慣が日本でいつから始まったのか、歴史的にはハッキリしません。が、聖徳太子が、春分、秋分の日の夕方、太陽が西に沈むとき、四天王寺の楼
心が動揺して困るという、その心はどこから出てきたのか、人間の内側に同様せんものがあるから、動揺する心がわかるのです。その動揺せんものがわかれば、それでいいではないか。動揺しない心は、神仏に通じる心である。そいつが仏だ。それが本当の自分ではないか。その本当の自分を発見することが禅ということである。本当の自分を発見する!◎動かぬ心を自覚せよ「金剛経」の中に、「衆生の心は常に同様して、落ち着くところがございません。すき間から埃(ほこり)が入るように、風に落ち葉が翻(ひるが
般若心経/山田無文Amazon(アマゾン)786〜4,523円★★★★★般若心経、と言えば松原泰道師の般若心経入門―276文字が語る人生の知恵/松原泰道Amazon(アマゾン)50〜3,150円を愛読してきたが、他の方は「般若心経」をどう受け止めているのか?も知りたくなり、山田無文師の本書を読んでみた。般若心経は単に、空を説く教えではありません。その空から、お互いの現実の世界に出発をして、空ではなく、そこに生き生きとした真実をつかみ、確かにあ
(禅文化研究所、1993年8月)。禅の入門書として禅宗四部録と言われるものがある。『十牛図』『信心銘』『証道歌』『坐禅儀』である。十牛図の大雑把な誰でもわかるレベルの内容なら私も分かる。しかし山田無文大老師の『十牛図』提唱はほぼ全く分からなかった。本当に情けない。情けなくて情けなくて涙が出る。しっかり坐禅するしかないのだろう。私は第一の尋牛の初めの初めのところだ。いくつか引用する。・達磨大師は『楞伽経』を二祖恵可大師に渡されて、これによって修行をす
『和顔~仏様のような顔で生きよう』山田無文著禅文化研究所ものすごく久しぶりにこの書庫に記事をアップします。臨済宗妙心寺派の管長を務められた山田無文老師による説話集で、もちろん内容は仏教の中の禅宗の教えを軸としたお話の数々なのですが、やはり「禅」の教えは「哲学」だということを、あらためて強く感じましたね。古来の禅宗やその他の仏教各宗派の高僧・名僧たちの逸話をもとに、現代社会や人間の心の問題に至るまで、様々な話題に切り込んでいて
おとむらいの席お料理はもちろんのこと設えに込められたご主人のおもてなし時代と共に変わってお椅子席にしてからのお話も伺いました#法事#おもてなし粗供養のお品を両手いっぱいお持ちかえりこれも、京都の贈答文化のひとつカナ…シルバーグレーのひとつ紋付きに黒共の帯黒のひとつ紋付き羽織でおとむらいさせていただきました着物を着ることで現す和の文化大事に思っています・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やまとこころを育む読書
原田老師は119年布教活動を続けていると言われます1人でそんなことができるわけもなく理由を聞かれると無文老師(山田無文老師)が海外に布教する延長を自分が行っているからだそうです禅では師匠が弟子に法を伝えていき法が繋がって今日に至っています仏教は釈迦から28代経てインドから中国に渡り更に28代を経て日本に渡ったそうです。日本に渡ってから28代目が山田無文老師でした。山田無文老師も世界に仏教を布教するため努力をされました。引き継がれた原田老師もアメリカ、ドイツ、北欧、オースト
掛け軸の「梅花開五福」には本来の意味の他に師匠が高弟を育てる意味があるそうです掛け軸の右の肖像画の山田無文師が育てた高弟の5人の弟子の紹介を副住職がされました原田正道老師も五番目の高弟です山田無文師は偉大な人でした原田老師も世界に坐禅を広めた禅僧としてとても偉大な存在で日本国内で衰弱していく仏教を外国人に紹介し外国に広めている原田正道老師の業績はとても大きいようです
「その神の声を聞いているものは何ものであるのか?」昭和四十八(1973年)、山田無文老師の時に始まったとうかがった「東西霊性交流」は、欧州キリスト教徒と仏教徒の交流事業のひとつで、その年は、ドイツにあるキリスト教ベネディクト修道会より円覚寺さんのところへ来られた修道士のお二方と一緒に坐禅会に参加していたそのお二方に対しては、都会の中の小さなお寺で坐禅を体験するというのもよいでしょうとの管長さんのお考えがあったようだそんなあの日から、もう四年も経つんだなぁ...その日、坐禅会で提
「この世界、地上を全て牛の皮で覆ってしまえば世界中の何処へでも歩いていくことが出来る、だが実際には不可能だ。しかしめいめいが自分の足に靴さえ履けば何処へでも自由に歩いていくことが出来る、この世界中を牛の皮で覆ったことと同じことになる...九品山淨眞寺(九品佛淨眞寺)観音堂の中には入れるんだね、その日まで長らく知らなかったよお祀りされているのは、、不空羂索観世音菩薩何やら聞き慣れない観音様で、鎌倉/昭和新撰江戸の三十三観音でもお目にかかった