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…大きな玉ねぎ、千鳥ヶ淵、さくら九段下この週末で葉桜になっちゃうんだローなTOKIOのさくらを満喫した今年来年は古都のさくらをみたいな#桜好きな人と繋がりたい#日本武道館#千鳥ヶ淵#大きな玉ねぎ#昭和館#菊竹清訓#山田守
だいたい1年に一度は訪れる場所。1962年竣工京都タワーや武道館の設計者山田守さん設計の建物。このぐるっと一面ガラス張りのスロープこの場所が好き晴れの日でも雨の日でもいつもぐるっと歩いてしばらく眺めていたい場所。今回は晴れて柔らかい日差しの午後でした
2023年10月11日(水)/羽島市新庁舎2Fには、羽島市出身の著名な建築家、坂倉準三氏・山田守氏の功績を紹介する「資料展示室」があります。両氏は、モダニズム建築を実践したことで有名。市役所へ行くついでがありましたので、寄ってみることにしました。部屋までいくと照明が消えていましたので、総合受付の係りの方に確認して入りました。見終わったら照明消しておいてと言われました。節電だそうです。坂倉氏が設計した旧庁舎の設計図、写真が展示されています。坂倉準三氏デザインのコ
■東海大学・静岡キャンパス(静岡市清水区折戸)静岡とはいっても旧清水市エリア。いわゆる三保の松原のある半島部のマリーンエリアに位置する。かつては清水キャンパスという名前だったが、静岡に変更した。東海大学の発祥の地にして、現在は海洋学部と人文学部の一部。そして、付属高が面積に占める割合もかなり大きい。校舎はほぼほぼ、山田守リスペクト。どこかで見たようなデザインの校舎がずらり勢ぞろいだ。ひょっとすると山田守が直接手掛けたのかもしれないが、作りの新し
京都の建築の中でも評判が悪いのが、京都タワー。設計したのは山田守(1894-1966)。1920年に東京帝大建築を卒業後、逓信省営繕課で電信局・電話局等の逓信建築の設計に従事。1945年に逓信省を退官、1949年に山田守建築事務所を設立。京都タワーは山田の晩年の作品で、1964年竣工。蝋燭立てと揶揄されることもある京都タワーですが、山鉾のようにも見えます。その点では、伊東忠太の祇園閣にも通じるものがありそう。京都タワーが京都駅前に現れて、58年。当
前編からの続きです。東本願寺の御影堂門の写真を撮ってから、元の道に戻ろうとしたところで、京都タワーがいい感じの存在感を放っていました。京都タワー竣工:1964年(昭和39年)設計:山田守施工:大林組構造形式:モノコック構造ん?、設計の山田守氏については、以前ブログに書いたことがあるぞ。旧制大垣中学(現岐阜県立大垣北高校=私の母校)のご出身で、このブログに書いたところでは、旧千住郵便局電話事務室、旧横浜中央電話局長者町分局を設計された方。他には、日本武道館や聖橋
西宮で打合せしてそのまま釣りでも行こうと国道43号線を西に車を走らせていると灘あたりでロードサイドに奇妙な丸い屋根を発見!山田守の設計?ファサードにある窓がまた魅力的である!これは見ないといけないとUターンしてその建物見学する。甲南漬資料館らしい、アールデコ調でカッコいい!屋根だけ見ると先程登場した分離派(と言っても分離派ってあまり理解してないけど)、逓信省営繕課出身(歴代とんでもない建築家達を生んだ逓信省の部署)の山田守の東京中央電信局(1925)に見えた。先程登場した
気がついたら、5月も半ばを過ぎている・・・・記事になるネタはあるんだけどねぇ~・・・前々から気になっていて、通る度に、おぉ~山田守だって思ってたんですがこの車寄せが特徴的なんだよね。この柱のカーブはいわゆるパラボラアーチなのかな?どっからどう撮っていいかわからない。本当は正面を遠くから撮りたいのだが・・・・左右のカーテンウオールな窓ガラスもいいし。真正面屋上階にある「横浜中央病院」って文字がなんとも昭和で素敵なんだけどね。なにげない建物なんだけど、モダンなんだよな~。実物を見
『【旅ラン】大手町ー丸の内ー有楽町ー銀座ー新橋ー芝(前編)』こんな本が出ています。昭和・平成を生き抜いた鉄道遺産【関東編】以前に紹介した「産業遺産」に似ていますが違う本ですよ。どちらも地図で有名な昭文社からの発刊で…ameblo.jpこのとき、旧大井町変電所に行こうと思っていたのですが、途中で断念する事になりました。今回は後日、再チャレンジしたときの旅ランです。ルートはこんな感じ。この日の練習メニューは90分間心拍ゾーン2で走るというものでした。旧大井町変電所の最寄り
ロック(系)のライブは、レコードの時代から「武道館ライブ」が頂点のひとつだった。音楽なのに、何故「武道」なのか?名前を知った中学生当時の地方に住む僕には強烈な違和感と謎を感じていた。謎は謎のままに、武道館はライブの聖地だと思ったまま、大人になった。アニメ「けいおん」でも「めざせ武道館!!」なんて言っていたし。それは今でも変わっていない。どこかでこんなバンド川柳があったのを覚えている。「武道館日にち間違え剣道大会」ライブ会場だと思っていた僕は、この川柳がツボにはまった。爆笑してしま
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都足立区北千住の『NTT千住ビル』です。最寄駅はJR常磐線、東武スカイツリーライン東京メトロ日比谷線/千代田線つくばエクスプレス『北千住』。駅から徒歩5分『日光街道(国道4号線)』の千住中居町交差点に立つとちょっとレトロなビルが遠くに見えます。192
千住宿からスタート千住大橋を渡ると、「奥の細道矢立初めの地」碑が見えてきます。この場所は、元禄2年3月27日(1689年5月16日)、松尾芭蕉が深川から船で隅田川を上り、ここから陸路「奥の細道」へと旅立ったところです。松尾芭蕉は、この場所で「行春(ゆくはる)や鳥啼(なき)魚の目は泪(なみだ)」を詠んでいます。橋の袂から千住大橋の下に降ります。堤防の壁面を利用して千住大橋にまつわる歴史資料の解説があります。初代の千住大橋は、徳川家康が文禄3(1594)年に架橋しています。橋は
パナソニック汐留美術館で開催中の「分離派建築会100年展」へ1920(大正9)年東京帝国大学の卒業生6人(石本喜久治、滝澤真弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守)が「分離派建築会」を旗揚げします1920年ちょうど100年前のこと日本独自の建築を模索した日本で最初の建築運動ですさらに3人(大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象)が加わり1928年まで作品展と出版活動を展開しましたつい先日工部大学校の阯碑を取り上げまし
「建築は芸術か」。そんな副題が付いています。“分離派って何”。ちょうど100年前に当時の東京帝大の卒業生6人で旗揚げし、過去からに分離を謳ったなかまたちでした。時は大正9年、大震災が起こる前、明治以来の様式建築がほぼ完成を見たと感じられた頃でしょうか。「過去の建築圏と分離」、当時の芸術家ロダンなどからの影響も受けていました。立ち上げた時のメンバーは、石本喜久治、滝沢眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守。その後大内秀一郎、倉田周忠、山口文象が加わりました。分離派と
京都検定1級からみる穴場をご紹介しています。第10日目は第14回の問題から。京都タワーは日本武道館も手掛けた建築家()の設計で、海のない京都の街を照らす灯台がイメージされている。答えは、山田守。先に書いておきますが、”海のない京都の街”というのは語弊がありますよね。京都府北部は海あるんですからなので”海のない京都市”ということでご理解くださいさて、山田守さんは明治27年岐阜県生まれの建築家。東京の永代橋(重要文化財)や日本武道館の設計を手掛けた人です。
■東海大学・湘南キャンパス(私立・神奈川県平塚市)東海大学湘南キャンパス。またの名を山田守美術館という。ウルトラ警備隊の施設を設計させたら右に出るものがいない、独自の作風のモダン建築家・山田守の建物があふれている。京都タワーや日本武道館を作った人です。まあ噂には聞いていたが、行ってみて驚いた。質量ともにデデデンデン、と圧倒的。でかくてすごい建物が連打連打で並んでいて、山田守の波におぼれてしまいそう。まさに、力こそパワー。さて、場所は湘南キ
正しくは、旧熊本逓信診療所らしいですがね。。熊本逓信診療所→熊本逓信病院→NTT九州病院→NTT西日本九州病院→くまもと森都総合病院となって、2017年に解体されたそうです。。ああ、、山田守先生も悲しんでおられるでしょうかねえ。。移転先はJTの熊本工場跡地に新築移転。。ああそうですか、そうですか。懐かしいですなあ。時代は変わっていくんですなあ。。今は。。仮想空間に残るのみ。、。。なんかやっぱり寂しいです。。↓https://goo.gl/maps/y4FPvnQp3qP
皆さまBonjour🍾🗼🌞毎日の日本列島🇯🇵酷暑皆さま如何お過ごしでしょうか、、、Parisから帰国して、あまりの猛暑ヽ((◎д◎))ゝParisの事をアップしようと思っておりましたら、京都タワー🗼の番組ま皆さま、京都タワーの事ご存知無くても、武道館なら、ご存知の筈山田守氏の設計でございますお江戸で一番好きな、永代橋私の本にも出てまいります思い出の永代橋皆さま是非ご覧下さいませ
TakemitsuToruRainComing京都駅ビルから眺める烏丸通りです♪遠くに見えるビルが立ち並んでいるところが京都のビジネス街四条烏丸あたり!小雨に濡れる京都タワー♬デパートの中を少し歩いて!「PRADA」♫JRに乗り帰ります!駅ビルの壁面に映るミルキ―ホワイトの京都タワー♫京都タワーはモノコック構造?といわれる鉄骨が使われていないタワー建築だそうです!京都タワー設計山田守1964年
こんばんは(*´∀`*)かっぱです今日はマステシールの制作!Y子ちゃんと、いろいろやり取りをして~ああだ、こうだとLINEをしながら結構苦労してふたりで仕上げたのですが~自画自賛(?)というか、Y子ちゃんのイラストが素敵なのですごいかっこいいマステができましたよ♪はがきサイズのシートになってますまっすぐカットしたらマスキングテープとして、イラストをひとつずつ切り抜いたらシールとして使えますおすもうさんの缶に貼ってみたう~ん、いい感じの透け感だわ♡あと、ポストカ
こんばんは(*´∀`*)かっぱです♪先日のイベントから少しご無沙汰しております~モノアンテナの記事はもう少しお待ちくださいね♡今日はかっぱさん~缶バッジ屋さんです!お友達のY田Y子ちゃん~日本武道館など多くの有名な建物の設計をされた山田守氏のお孫さんです。只今、山田守氏の生涯についてのまんがを連載しています。3月17日Y子ちゃん、熊本で講演をさせるということで来てくれた人にプレゼントをしたいので~と、いうことでかっぱさんに缶バッジの依頼がきました。今日作ったのは缶
2018年2月21日水曜日山田守邸1959年・昭和34年竣工設計は山田守さん自邸港区南青山青山学院会館アイビーホール向かい個人の設計事務所兼住宅3階建て鉄筋コンクリート建築時から改装しており1階は喫茶店・蔦珈琲てん2階はギャラリースペース3階も増築して住居室になっています。設計の山田守さんは1894年岐阜県生まれ1966年没モダニズムの建築家逓信省営繕課に入省電信電話局を数多く手掛ける独立して数多くの公共建築を手掛ける。初め
みなさまこんにちは☆武道館や京都タワーの設計者である祖父山田守⇒漫画①の自宅が短い期間ですが一般公開中ですせっかくなのでお知らせさせていただきます(後日追記20174月に無事終了しました)まずは何か漫画を…と思いその家に長く住んでいた祖母の思い出を漫画にしてみました…只今公開されている家はこんな螺旋階段を上がるといきなり和の世界。☆この自邸は祖父が
さて。いつもの通り私はこの新潟の探訪記を2日ぶりに書きつつ「今全く別の土地におります。」しかも大興奮するような初体験もして・・・新潟で感じたことも早く書いておかないと忘れてしまう・・・5月11日長岡市で仕事を終えて、新幹線で新潟市に向かいます。長岡から新潟までは上越新幹線で20分ほど。上越新幹線の最後の終着駅はもちろん新潟。(始発でもある)この区間は自由席でガラガラなので安心です。そして!この5月は上越新幹線の長岡ー新潟の間の距離の車窓から見える
さてさて。久しぶりの喫茶店カフェ探訪記念すべき101回目となります。4月の忙しさもあと少し!そろそろブログ更新頻度ももとに戻せそうです♪色々書きたいことはたくさんあるのですが、自分のここ数日の行動から。昨日4月22日の土曜日はどうしても行きたかった期間限定公開があったので東京の週末の街に繰り出しました。来たのは数年ぶりの原宿駅この原宿駅見た目がレトロでとても可愛いでしょう?屋根の上のエントツも可愛いです。原宿駅の開業は1906年4月。これより
建築家・山田守さんの住宅に行ってきました。会場は2階。1階はピロティ部分に増築して、喫茶店「蔦珈琲店」。3階住居として現在も使用。印象深かったのは入ってすぐに、見える2階からの庭。盛土し、間近に木々が見られて、2階にいるのにまるで1階にいるような庭の見え方。表参道という大都会なのに、まるで旅館に来ているかのような素晴らしい庭。細かい工夫が部屋が広く見えて、さらに居心地が良かったです。大きな窓で木々や庭が見えるってやぱり良い
先日、私の“ふるさと"と思っている総合病院にお別れしてきましたこの病院は、旧逓信省の病院で、父親の勤務先であったので、ここで私が生まれました私は親の転勤で引っ越しが多かったので、「生まれ育った場所」「ふるさと」というのがありませんただ、子供の頃から引っ越しで戻って来るたびに、いくつかの科を受診しているので、なじみ深いんですもう、父親の職場から切り離され、名前も変わってしまいましたが、今でも通院しています設計されたのは、日本武道館をも設計された山田守さんという方だということは、最近調べて
2016年7月23日(土)相国寺を後にして、地下鉄で京都駅へ戻りました。歩き疲れたのと、暑いので休憩するところを探しました。京の甘処京阿月ポルタ店宇治しぐれ抹茶かき氷の上にアイスクリーム・つぶあん・白たまがあり、けっこう大きな器に入っています。じょうずに食べないとこぼしてしまいます。(^^;食べ終えた頃やっと汗がひきました。(^^♪地上に出て、京都タワーを見上げました。設計は、旧東京厚生年金病院や日本武道館を手がけた山田守氏。昭和を代表する建築家で、岐阜県出