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先月、念願の鹿児島遠征に行って来ました😊二泊三日の行程でしたが、薩摩・大隈のお城を色々と巡って来ました🔥🔥🔥同行者は会社の後輩、彼が昨年に鹿児島の100名山に登っていて(登山趣味)、飛行機✈️やレンタカー、宿の手配にも慣れているので、今回の旅のプロデュースをお願いしました🙇(私は行き先だけ決めた…さーせん😆)おかげさまで無事に鹿児島まで行けました👏👏👏(一人だったら、恐らくこんなにスムーズに行けなかった…と思う💦)ありがとうー😊感謝です✋ではさっそく、今回より鹿児島シリーズとして📮して行
トップページ都道府県別索引へ埼玉県の索引へ北東に手の込んだ虎口が…城の東側に到達すると、北の隅はすぐ近く。ここのつくりが変わっていて、堀は正面の土橋状に突っ込んで終わり、かわりに外から並行するように新たな空堀が入ってくる。一時的に二重堀っぽくなっている😮そして、奥の方で堀を渡ってきた道が左へグイと曲がって、虎口から城内へ入っている。動線は虎口の前で少し広くなっていて、馬出のようになっている。外との出入口側に回って振り返ると、ここから奥で右へカーブして虎口へ入ってゆくよう
トップページ都道府県別索引へ埼玉県の索引へ山田城は武蔵丘陵森林公園の園地内にある城として知られる。公園南口から徒歩3分ばかりの丘の上に城塁を遺している。歴史に関しては史料なく不明、発掘調査なども未実施という。立地などから忍城の成田氏が被官の小高大和守らに守らせていた城と考えられているらしい。森林公園内にあるもう一つの山崎城とともに、電車でやってきて訪問した。森の中に現れる城塁→現在位置(Googleマップで)公園南口から入ると、すぐ右手に自転車進入禁止の園路が出ている。山田
日中は30℃超えになりました。午前中は武蔵丘陵森林公園~南口エリアへ。昨日は中央口エリア(笑)南口エリアにも早咲きヤマユリが賑わってます。武蔵丘陵森林公園~南口山田城跡まわりの自生ヤマユリたち。蓮池にはスイレンが見頃❗赤トンボもいたよ(笑)ヤマユリは早咲きの最盛期です。蚊除け対策を忘れずにね(笑)↓ポチッとにほんブログ村
俗に言われる源平合戦。この最後の戦いとして知られる壇ノ浦の戦い。この戦いの現在の史実は、安徳帝が海に入水したというものである。これは源氏の史実であり、平家の史実は違った。天下平定を成し遂げた平家は、先祖由来の龍及國へ戻ったのだった。龍及國は、瑠璃色の海にかこまれた南海にある島である。平盛春は、安徳帝の子孫を龍及國統一の国王にするための戦いを開始したのだった。龍及國の中央にある山田城が盛春の本城であった。龍及國は大きく分けて3つの国に分かれてしまっていた。山北国・中山国・山南国である。
同じ摂津国の難読地名やさしい編「吹田市」に、遺構は残らず、場所も定かではない山田城跡てありますが、同じ摂津でも毎度お馴染みの大阪府のいちばん上、いわゆる北摂(ほくせつ)の城跡です。ちなみに吹田市も北摂になります。そしてわしは自称・北摂守である大阪府豊能郡能勢山田摂津・山田城(やまだじょう)別名能勢山田城、亀ノ屋城山田城は、治安2年(1022)多田満政の五男である山田忠国(清和源氏経基流、源忠国)と、兄忠重が在城してたと記録があり、その時期に築城されたと推測される。山田氏代々の
2025年2月9日埼玉県滑川町のマンホールカードを滑川町役場でいただいたすぐ近くに滑川町エコミュージアムセンターがあり中を見学して山田城址の武蔵国城館カードをもらいました。
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2024/02/02)【城を観る+】《山田城(美濃国)》2024〜岐阜県恵那市に存在した城!山田城跡を観る〜【城を観る+】《山田城(美濃国)》2024〜岐阜県恵那市に存在した城!山田城跡を観る〜《山田城(美濃国)》[読み方]やまだじょう(みののくに)[撮影地]岐阜県恵那市[撮影日]2024/02/02[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhttps://youtu
「まーるい城」というと、お城に詳しい方ならまず思い浮かべるのが、静岡県の田中城。武田氏の縄張とされ、江戸時代にも田中藩の藩庁として用いられた田中城はほんとにまんまるの、しかも三重丸のお城です。このお城に丸馬出の諏訪原城、小山城と、名前まで丸い丸子城とを加えた「静岡まーるい城ツアー」は、筆者が常備しているオフ会メニューの中でも一、二を争う人気を誇ります。そういうわけで筆者の頭の中も「まーるい城」といえば田中城なのですが、実は滋賀県にもうひとつ、まーるいお城がありました。滋賀県草津市にある山田
山田城『別名』白石家戸長屋敷、白石城『所在地』栃木県栃木市大平町西山田900-1(栃木市おおひら歴史民俗資料館)『城主』白石氏『遺構』土塁か?堀跡か?『城郭形態』平城『駐車場』あり(栃木市おおひら歴史民俗資料館)『歴史』山田城は白石家戸長屋敷、白石城とも呼ばれていて応仁年間(1467〜1469)に白石宗義によって築城されたと言われています。尚、現地の石碑によると築城以前に天禄元(970)に白石氏の居館があったとも言われています。長屋門石碑母屋お月見飾り栃
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2023/09/01)【城を観る+】《山田城(笹尾城)》2023〜伊勢平氏の末流!青木紀伊守安定が築城!山田城跡を観る〜【城を観る+】《山田城(笹尾城)》2023〜伊勢平氏の末流!青木紀伊守安定が築城!山田城跡を観る〜《山田城(笹尾城)》[読み方]やまだじょう(ささおじょう)[撮影地]三重県[撮影日]2023/09/01[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhtt
今日は月末恒例のウォーキングラリーへ。生命保険会社が健康増進を推奨するオンラインのラリーです。健康増進して病人を減らし、保険金の支払いを抑制するのが目的…だと思ってます。さて、今月は愛犬の大好きな武蔵丘陵森林公園内をウォーキングする事に。9時半開場ですので、出かけるまでには時間があります。待ちきれずにこんな表情😅「早く行こうよー」と言わんばかり。早く行っても寒いなかで待つだけだから、時間まで家で待ってようね😊いざ、レッツゴーです森林公園の南口からスタートします入り口で記念撮影📸
どうにか簿記3級の勉強は継続出来ております。5月までに簿記とFPの試験を受けようと思っていたのですが、ここに来てずっとスランプに陥ってた本の執筆が進み出したり、自助グループ関係で行政とのやり取りや、組織の立て直しが未だにバタバタしていたりして、1日1時間から2時間程度しか勉強の時間を作れておりません。意外と時間って作れないものだし、あんなにボーッとYouTubeで過ぎていた時間は何処に行ったのか混乱する毎日であります。勉強をし出すと驚くのは“文字を書く”ことについての数々の発見であります
昨日(11/5)の続きですが、急遽思い立って出かけた「山城巡り」、3城目は1・2城目(森上城・今西城)の近くにある「山田城」(大阪府豊能郡能勢町)です。「山田城」の歴史と城主についてですが、築城年代はハッキリしてなくて、1022年の「多田社記」によれば、「多田満政」とその兄「忠重」がこの辺りに居住した記録が有ることから、その頃に築城されたのではないかとされています。しかし天正年間(1573~92年)の城主であった「山田景明」の時に、織田信長軍に攻められて落城したようです。「山田
山田城へ登城和田城と同じ日歩いてはしごしました場所をグーグルマップで↓↑赤丸→山田城和田城とは小里川と明知鉄道を挟んだ向かいとなります和田城登城口より歩いて10分弱くらいかな↑新しそうな看板が↓右側は土塁かな?これが途中からなかなかの分厚さと高さに↓東側の土塁下には横堀・・・(^^)/↓北側先端はそのまま崖↓東側堀底へ降りると↓堀底から土塁上まで4m以上ありそう↑ここまでは東側の土塁
《幸心城(山田城)》[読み方]こうしんじょう(やまだじょう)[別名称]山田城[所在地]愛知県[城分類]-[築城主]-[築城年]-[城を観る]-[YouTube](【城を観る+】《幸心城(山田城)》2022〜山田氏の居城!幸心城跡を観る〜)[登城日]2022/03/19にほんブログ村
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2022/03/19)【城を観る+】《幸心城(山田城)》2022〜山田氏の居城!幸心城跡を観る〜【城を観る+】《幸心城(山田城)》2022〜山田氏の居城!幸心城跡を観る〜《幸心城(山田城)》[読み方]こうしんじょう(やまだじょう)[撮影地]愛知県[撮影日]2022/03/19[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhttps://www.youtube.com/ch
頸城の友達との2021山城納め。二十端城から続きます。二十端城から登ってきて、跳ね返されそうになるしばし睨んで闘志を貯めようとしたが、抜けていく…。左に獣道を伝いトラバース北尾根に取付く。作戦成功北尾根から滝ノ入城へ登頂。石積が郭の縁辺壁面を造作している。滝ノ入城主郭頸城の友達、自分ちみたい。東尾根筋この尾根筋は、弘治3年(1557)の第三回川中島合戦において、その舞台となった桝形城(山田城)、大熊峠、間山古峠(沼ノ入城)へと至る。そ
では、さくさくと行きましょう。三つ目は草津城です。詳細は不明で、前述の『近江の顔・近江の城と古戦場』に収録されているのみです。常善寺の辺りと考えられています。-草津城-四つ目は追分城です。詳細は不明で、以下同文。Googlemapが言うにはな、JR沿線の工場か何かの所らしいんや(某M-1王者風に)。-追分城-五つ目は野路城です。詳細は不明で、以下省略。国道1号線沿いに土塁が残っています。-野路城-六つ目は矢倉城です。詳細は不明で、以下略。現在はお稲荷
皆様こんばんは。今週も宜しくお願い致します。今週は前回の予告通り、大和国の山城および環濠集落をご案内します。一つ目は柳生のすぐ南にある山田城です。東山内の田原・都祁(つげ)間にある、下山田と中山田との間の張り出し尾根上に構えられた山城です。城主は山田氏で、興福寺大乗院方の衆徒でした。筒井氏の同族らしいです。-参考:筒井氏の筒井城-山田の地の西隣は福住で、山田氏は福住氏と対立していました。福住氏も筒井氏と同族なんですけどね。ということで西には進出できず、山田氏は北の別所や水間
2/9~2/11沖縄自転車城巡り2日目続き山田谷川の石矼を見た後は石段を登り、向かいのカフェの横の道を南へ歩いていきます。山田城(山田グスク)沖縄県国頭郡恩納村山田琉球王朝の三山統一に貢献した護佐丸の父祖の居城と言われ、護佐丸も幼少期をここで過ごしたとも伝わる。護佐丸が座喜味城を築く際に山田城の石積の石を手渡しで運んだ伝説があるそうです。道中の道も城域?横の石積は遺構じゃないと思います。途中で道が開けますがここも「歴史の道」写真の左手一帯が山田城(山田グスク)です。
2/9~2/11沖縄自転車城巡り2日目続き安慶名城沖縄県うるま市安慶名(安慶名中央公園)14世紀後半に伊波按司の三男の安慶名大川按司に築かれたとされます。輪郭式の城郭で沖縄では珍しい縄張りになっています。現在は安慶名中央公園になっていて整備されていますが郭部分はあまり手入れされてないので石垣、石畳、郭など良好に残されています。公園の駐車場に自転車を停め右手に闘技場がありますが逆に左手に回ると登城口があります。安慶名城碑登城口手前に説明板がありますが薄くなって読みづらい・
最後です。体系化できない細々した城をご紹介します。北から、豊中市にある刀根山城です。阪大豊中キャンパスの近くにあります。元々は真宗本願寺派の刀根山御坊でしたが、後に織田軍が謀反を起こした荒木信濃守村重を討伐する為の付城として用いました。有岡城が陥落するとそのまま廃城となり、現在は同じく真宗本願寺派の正安寺となっています。-刀根山城--刀根山御坊碑-この西側、阪急蛍池駅の傍にあるのが麻田陣屋です。徳川幕府の外様大名である青木民部少輔一重なる人物が初代藩主です。
昨年の暮れに告知させて頂きましたが、来たる城めぐりアプリの来年度(2016年4月6日当日中)にいくつかの城郭が変更されます。本日はその詳細についての予告となります。変更は大きく分けて2つです↓1つ目は単純な名称のみの変更で、2つ目が城と位置の変更(城郭変更)となります。以下にお知らせさせて頂きます。【名称が変更になる城郭】松山城(宮城県大崎市)→千石城山根城(秋田県にかほ市)→山根館矢島城(秋田県由利本荘市)→八森城勝山城(岡山県真庭市)→高田城※他にも4
昨年夏に、能勢の杉原城を訪れ縄張図も書かせていただいたわけだが、じつはこのときもう一箇所行きたかった山城があった。それがこの能勢山田城である。杉原城が能勢の東端(というか城が生きていた時代には丹波だったが)ならばここは郡の西端である。北を通る道を西に行けばすぐ猪名郡(兵庫県)であり、それを北に行けば丹波国多紀郡である。城主としては多田源氏の末裔を称する山田氏が比定されているがどうであろう。いま残る遺構を見るに、西股総生先生が唱えておられる「城主伝承の真偽」を考える。垂水の集
その2では、郭1から北西尾根、北東尾根を辿ります。南東隅から主郭土塁が残る。虎口か?とも思った窪み天水溜であろうか。郭1から郭2を見下ろすしっかり掌握している。中ほどから北部中ほどに、なにやら石組がある。高梨は、石の庭というか石造構造が好みのようだ。北部はコの字状に土塁がいい感じに残る。西面に土塁の切口があり、後ほど、この切口から北西尾根に降ります。北面土塁うえ奥が北東隅北東隅下北西隅下北西隅から主郭切口から北西に
資料等に詳細な情報が乏しい標高約170m・比高約130mの山田城(鳥取市青谷町山田)だが、ある資料に位置が記載されているのを見つけた(42番)…山田城は、因幡誌などに名が見えるが、歴史的背景は不明…西麓の山田集落から直登激しい薮を突き抜け登って行くと、途中に曲輪と思われる削平地が二段現れるそして頂部の尾根の西側には、帯曲輪が三段ほど展開している…そして頂部の尾根上にはかなりの広さの曲輪がしかも何故か雑木が切り払われている…そこから北へ向かう…途中、激しい竹薮の中で、ガサガサ