ブログ記事41件
少年チャンピオン・コミックス『ドカベン』(明訓編、山田高1春~高3春)の刊行時期と内容の対応を月単位で年月の順番に並べてみた。Amazonと一部単行本の巻末から推測するとこうなる。第1巻1972年11月5日第2巻1973年3月15日第3巻1973年7月10日第4巻1973年9月25日第5巻1973年12月25日刊行サチ子、小学校入学第6巻1974年4月10日刊行第7巻1974年6月10日刊行山田中3。殿馬登場(『プロ編』で91年度)└→小林手術。景浦
/ドカベンシリーズの世界における年表-Wikipedia/1967年~1969年【中学編】岩鬼正美、青田小学校で4年から6年まで番長になる(1973年5巻基準、1973年度で中3の場合、岩鬼は4月1日生まれなので1959年生まれ)。1968年【高校野球編】春、山田太郎ら4人が家族旅行中に交通事故に巻き込まれる。当時10歳の山田太郎が妹・サチ子を守り生還、両親が死亡する(1巻~14巻基準、1974年度で16歳の場合、10歳だったのは1968年)1970年代1971年
ドカベンでしょう。中学生からプロまでの山田の人生。ひいては水島新司漫画の集大成。ドカベン大甲子園プロ野球編スーパースターズ編ドリームトーナメント編全巻読みました。漫画では山田世代ってあり一学年上から土井垣(日)犬飼小(ダ)山田(西)岩城(ダ)殿馬(オ)里中(ロ)微笑(巨)不知火(日)土門(横)犬飼武(阪)犬神(広)中(ヤ)坂田(近)影丸(中)これだけ凄い選手がドラフトで並ぶのまあ漫画ならではですが。山田に似た香川が
水島新司の漫画「#ドカベン」の主人公・山田太郎は5月5日生まれ。鷹丘中学編・明訓高校編初期では1974年で16歳なので原辰徳と同じ1958年生まれになり、令和4年の時点で64歳。プロ野球編の山田太郎は平成6年の時点で18歳なので、城島健司と同じ1976年生まれになり、令和4年の時点で45歳になる。/午前11:36·2022年5月5日/敢えて昭和を西暦で表し、平成・令和を和暦で表してみた。今の日本では慶応以前と平成・令和を西暦で表し、明治・大正・昭和を和暦で表す傾向がある。「昭
無印『ドカベン』1974年春、高校入学当時の山田(1958年5月5日生まれ)もし山田太郎が1974年4月高校入学で、普通の高校生と同様、3年後の1977年3月に高校を卒業していたら、1976年秋のドラフトの対象になっていたはずだ。プロデビューは9歳年上の花形満の復帰と同時期である。この場合、山田は原辰徳と同い年で1958年生まれである。1975年、高1夏、甲子園直後の山田(1959年5月5日生まれ)1976年、高1秋、神奈川大会~関東大会の山田(1960年5月5日生まれ)1
『巨人の星』、関連年表1937年昭和12年ラジオの野球中継を聞きながら、星一徹(旧制中学生)が川上を応援。1942年昭和17年一徹が巨人に入団。1943年昭和17年花形満誕生?(1958年当時15歳の場合)1944年昭和19年春江妊娠。一徹に赤紙、その後、出征。沢村栄治戦死。1945年昭和20年東京大空襲。春江が赤ん坊(明子か)とともに避難。1946年昭和21年一徹復員。1948年昭和23年一徹が巨人に復帰、魔送球を川上から批判され、引退。1948
1970年代〔1970年代の『ドカベン』単行本初刊の時期(月単位)〕2009-11-0104:34:27〔1970年代における『ドカベン』中学~高校編と『ドカベン・プロ野球編』設定比較年表〕2010-02-2704:18:40〔『ドカベン』の時代設定(1970年代)…現実の野球界と対照〕2018-07-0901:48:04無印『ドカベン』の中学~高校編では山田太郎は1974年(昭和49年)に明訓高校に入学。高2春センバツが1977~1978年。高2夏の予選と甲子園が1
@kyojitsurekishi「ドカベンプロ野球編」の山田太郎は1976年(昭和51年)5月5日生まれなので、18代目のび太と同学年。山田太郎の体格はジャイアンに似ており、ジャイアンも野球をやっているが、ジャイアンは6月15日生まれで、源静香が5月生まれ。〔23:12-2013年2月20日〕@kyojitsurekishi1974年に出た「ドラえもん」第2巻「ぼくの生まれた日」では野比のび太は昭和39年(1964年)8月7日生まれ。2009年に出た「ドカベンスーパースターズ
[時星リウス@TokiBosi20]去年の今頃は新元号が「令和」に決まって変に盛り上がってたなぁ。そして平成もいよいよ残り1ヶ月かぁ~なんてしみじみ思ってたね。さて今日4月1日は、男・岩鬼の誕生日。1977年生まれの43歳って嘘やないで!みんなでお祝いやー!!(*>∇<)ノ[午後7:37·2020年4月1日]〔#ドカベン〕岩鬼正美は4月1日生まれ。高校野球編初期では1974年(昭和49年)4月に神奈川明訓高校に入ったので、この時点では1959年(昭和34年)4月1日生まれ
〔星明子年齢変遷〕虚実歴史のブログ2008-07-3113:48:41NHK大河ドラマ主要人物、生没年(総合)『年表(2011年)』『ドラえもん』の時代設定(古代~中世~近世)『ドラえもん』の時代設定(近代~現代~未来)〔徳川光圀と吉宗の歴史【年表】〕〔光圀、家綱、綱吉〕〔水戸光圀と松尾芭蕉年齢変遷〕2009-08-2910:46:02T-CupBlog>〔時代劇の水戸黄門は何歳か(徳川光圀の年齢)…1〕T-CupBlog>〔時代劇の水戸黄
________江川卓________│__原辰徳________│__│1958_昭和33年_03歳_00歳_香川伸行1959_昭和34年_04歳_01歳_│__清原和博1960_昭和35年_05歳_02歳_│__│__桑田真澄、野茂英雄1961_昭和36年_06歳_03歳_00歳_│__│_鈴木一朗1962_昭和37年_07歳_04歳_01歳_│__│__│__小林幹英、松井秀喜1963_昭和38年_08歳_05歳_02歳_│__│__│__│__城島健司1964_昭和
原ゆうや@11.5~10中洲トレイン@harayuya_yaxさんのツイート『ドカベン』の凄い所は40年近く前に既に真夏の炎天下の試合でメンバーほぼ全員が熱中症で倒れ棄権するチーム(高校)を描いてる所だ。しかもそのチームの監督は「水はひかえろ」と誤った指示を出していて、勝者の南海権佐(※野球初心者)が日傘を差しながら悠然と「正解」を語るという皮肉も効いている19:21-2018年7月22日原ゆうや@11.5~10中洲トレイン@harayuya_yaxさんのツイート返信先:
『ドカベン』の山田太郎が高校1年で初めて甲子園大会に出場したのは1974年、第56回大会だった。原辰徳と同学年であった。普通、この場合、高2春センバツ~夏の大会は1975年、高3春~夏は1976年になり、卒業は1977年春だったはず。しかし、実際の『ドカベン』では山田太郎にとっての高2春センバツの終了は1978年、高3の夏は1985年前後、高校卒業、西武ライオンズ入団は1995年だった。『ドカベンプロ野球編』の設定では、山田太郎の高校入学は1992年春に変更されている。もし山田太
『ドカベン』の時代設定(1980年代)…『大甲子園』と『ドカベンプロ野球編』における山田太郎の学年、現実の野球界と対照Y!Blog>虚実ヒストリー~ものがたりの歴史II(Yahoo!Blog版)~『ドカベン』の時代設定(1980年代)…『大甲子園』と「プロ野球編』における山田太郎の学年、現実の野球界2018/7/15(日)午前4:17『ドカベンプロ野球編』の山田世代が小学生だった1980年代半ば、『大甲子園』の山田世代は高校3年で、高校生活最後の夏の予選と甲子園大会に
連載・放送時期または劇中の描写による年表1972年山田太郎中2(推定1958年5/5生まれ→現実社会では1977年3月に高校卒業)1973年山田太郎中31973~74年山田が柔道部から野球部へ1974年山田太郎明訓高校入学、徳川監督1974年高1夏の予選(vs白新、東海など)1974~75年夏の甲子園(vs通天閣、土佐丸、いわき東など)1976年高1秋、神奈川県大会(vs白新、東海、横浜学院)1976~77年高1秋、関東大会(vs甲府、クリーン、赤城山)、土井垣監
┌山田世代年表(基準別)↓________江川卓________│__原辰徳________│__│1958_昭和33年_03歳_00歳_香川伸行1959_昭和34年_04歳_01歳_│__清原和博1960_昭和35年_05歳_02歳_│__│__桑田真澄、野茂英雄1961_昭和36年_06歳_03歳_00歳_│__│_鈴木一朗1962_昭和37年_07歳_04歳_01歳_│__│__│__小林幹英、松井秀喜1963_昭和38年_08歳_05歳_02歳_│__│__│__│_
幼稚園のは3歳で入り、年長組は5歳児と言われるようだが、それは年度の中での誕生日の前であろう。1958年5月5日生まれの場合、1962年春に3歳で幼稚園に入ったとすると、5月5日で4歳になり、1963年3月に燃焼組を終え、年中組に入ったはずだ。___┌1974年夏当時高1の山田太郎1958_001959_011960_021961_03___┌1979年夏当時高2の山田太郎1962_04年少_001963_05年中_011964_06年長_021965_07小一_03
┌山田&のび太世代(1976年度生まれ)↓『プロ野球編』の山田、岩鬼が生まれた1976年から77年までの時期、『ドカベン』明訓編では山田たちにとって高1秋の県大会から関東大会、さらに土井垣が指名されたドラフトを迎えた時期であった。『プロ編』の岩鬼が生まれた1977年に王貞治が756号の本塁打を記録している。山田太郎は10歳でバス事故に遭い、それはサチ子にとって2歳のときであった。『俵と白球』で太郎は小学4年に上がる寸前の春休みにこの事故に遭ったが、太郎の誕生日は5月5日なので、事故当時
山田世代&のび太世代1961年度生1962年度生1963年度生___┌山田太郎(1962年5/5生)、土井垣将(7月生、山田より2歳上)___│源静香(5月生)、剛田武(6/15生)、野比のび太(8/7生)___│___│_┌岩鬼正美(1963年4/1生)___│_│骨川スネ夫(2月生)___│_│1962_00_│8/7、のび太誕生(「ぼくの生まれた日」雑誌掲載当時)___│_│7/19、木藤亜也氏誕生1963_01_001964_02_011965_03_02
2008年7月~12月2009年2010年2011年1月2009年10月上旬~中旬10月下旬11月12月2010年1月2009年10月[1]2009年11月[12]『ドカベン』単行本初刊の時期について追加(第27~31巻、第42巻)←2009年11/11970年代の『ドカベン』単行本初刊の時期(第5巻以降、月単位)1980年代の『ドカベン』『大甲子園』単行本初刊の時期(月単位)1970年代の『ドカベン』年別内容変遷(第5巻以降)1980年代の『ドカベン』『
2008年7月~12月2009年2010年2011年1月2009年8月前半8月後半9月10月上旬~中旬10月下旬11月2009年10月[8]日本で五輪があったときに生まれた人の年齢変遷2009/10/20日本で五輪があったときに生まれた人の年齢変遷・解説原作『巨人の星』講談社コミックス(KC)刊行時期←2009/10/222009年10月[7]『あぶさん』II、III【作品】【人物】【スポーツ】←2009年10/242009年10月[6]星飛
┌山田サチ子と山田太郎の年齢差II↓『俵と白球』では山田太郎は1976年5月5日生まれで、小学4年に進級する寸前の春休み(9歳10箇月か11箇月)にバスの事故に遭あった。そして、サチ子は2歳で両親と死別したことになっている。すると、太郎が小学4年になったのが1986年春とすると、その年の誕生日でサチ子が2歳なら1984年生まれ、また、3歳の誕生日の前だったので2歳だったのなら1983年生まれ。ただ、サチ子が1983年生まれだと、1991年の太郎15歳のときにサチ子が8歳になってしま
┌『ドカベン』における「1967年度」↓『ドカベン』における2つの「1973年度」とその前後_____「明訓入学基準」__「新潟明訓基準」(時代設定の差は15年)________├───┐___├──┐________山田_岩鬼___山田_岩鬼__原辰徳_イチロー_小林幹英1973年3月___14歳_13歳中2________14歳___________72年度末。1973年4/1___14歳_14歳休_________14歳___________学齢上、72年度末。19
___┌1974年で高1春~夏1958_00_┌1975年で高1夏直後1959_01_00_┌1976年で高1秋県大会1960_02_01_00_┌1977年で高1秋関東大会~78年で高2春選抜1961_03_02_01_00_┌1979年で高2夏予選~夏の甲子園1962_04_03_02_01_00_┌1980年で高2秋~81年で高3春選抜1963_05_04_03_02_01_00_┌1982年で高3夏1964_06_05_04_03_02_01_00_┌1983年で高3夏1
2009年10月7日夜のテレ朝の番組で、アニメキャラの年齢を列挙していた。版権の問題か、『サザエさん』や『エースをねらえ!』などに関しては画像なし。『サザエさん』のイクラが2歳、タラオは3歳。サザエは24歳で、ドロンジョ様と同い年らしい。2009年においてこれらの年齢であれば、イクラちゃんは2007年生まれ、タラちゃんは2006年生まれ、サザエさんとドロンジョは1985年生まれ。ちなみに実写版ドロンジョ・深田恭子は1982年生まれである。波平が54歳。意外と若いが、サザエのみなら
パソコンでの文字のサイズは「中(M)」で作った。___┌山田太郎(土井垣プロ入り基準、1979年で山田17歳)___│___│_┌土井垣将(『大甲子園』82年基準、1982年で土井垣20歳)___│_│___│_│_┌土井垣将(『大甲子園』83年基準、1983年で土井垣20歳)___│_│_│___│_│_│_┌山田太郎(『大甲子園』82年基準、1982年で山田18歳)___│_│_│_│1962_00_00_│_│_┌山田太郎(『大甲子園』83年基準、1983年で山田18
作中───→『プロ野球編』_____________『ドカベン』推定1958─→1976____5月5日山田太郎誕生推定1959─→1977____4月1日(岩鬼正美誕生)└_____└_____5月5日山田太郎1歳推定1965─→1983_小一_4月小学校入学。相撲開始└_____└_____5月5日7歳推定1966─→1984_小二_4月小学2年に進級└_____└_____5月5日8歳推定1967─→1985_小三_4月小学3年に進級└_____└__
1974年7月11日、『ドカベンプロ野球編』の土井垣将誕生。このとき、初期『ドカベン』では土井垣は高3の夏で、キャプテン。新入生の山田、岩鬼、殿馬、里中が加わり、夏の神奈川予選を戦っていた。1976年5月5日、『ドカベン・プロ野球編』の山田太郎誕生。このとき、初期『ドカベン』では山田が高1秋と高2の間だったことになるが、1974年春入学の設定が続いていたとすると、76年は高3春の選抜のあと。里中の休部は7月7日からあとであろうか(ただしこれは高3夏が1991年で、新潟明訓と戦った場合
2008年7月~12月2009年2010年2011年1月2009年4月5月前半5月後半6月前半6月後半7月2009年6月[8]2009年6月[7]川上哲治II【人物】【スポーツ】←2009年6/17星飛雄馬は「第2のON」になれたかどうか←2009年6/18星飛雄馬世代球歴比較星飛雄馬または花形満と同時代の選手、球歴比較星飛雄馬年齢変遷(プロ野球編)←2009年6/19星飛雄馬年齢変遷(高校野球編)星飛雄馬年齢変遷(少年野球編)『巨人の星』(2
パソコンでの字のサイズは「中」で作った。「大」にすると不要なところで改行され、表が見づらくなる。1958生┐1959│└──→生┐1960│││1961││└──→生┐1962││││1963││││1964││││1965││││1966││││1967││