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2025-09-20新島旧邸から歩いてます横井小楠殉節地なんかこの人の名前…出てきたゾ〜京都御所のすぐ近くだねまだ、名前しか思え出せないけど、、、ごめんなさいもちっと勉強しますトコトコ〜下御霊神社ご挨拶はせずに、先を急ぎますトコトコ〜京都市役所前駅の交差点山本覚馬・八重邸宅跡この八重さんって、さっきお邪魔した新島旧邸行ったでしょ?その新島襄さんの奥さんなんだってで、山本覚馬さんは八重さんのお兄さんみたいよトコトコ〜まろんのブログでは何回か登場していますこちら坂
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.267は京都の近代化に貢献した人物の問題でした。問題が問題だけに、いつもより解答数は若干少なめでしたが、解答を寄せられた皆さん正解です🎉。それでは正解ですこちらは上京区寺町通丸太町上ル松蔭町の新島襄旧邸。邸内のキッチンは妻の八重(史料により八重子)さんの身長に合わせて作られたと案内の方にお聞きしました😊。問題では妹さんとありましたね。新島八重さんのお兄さんといえば山本覚馬。正解は山本覚馬になります🤗。山本覚馬文政
今日は同志社創立150周年✨同志社東京初夏の集い🍀来賓受付をお手伝い裏干家千玄室大宗匠は102歳!今年もお元気な様子に勇気をいただきました💕同志社教育のオリジンは「教育によって人と社会を変える(再生する)ことができる」という強い信念。小原学長が新島襄先生、山本覚馬先生の思いを語ってくださいました。祇園・一カ亭女将杉浦京子さんのご講演と祇園甲部の舞妓さんの演舞と盛りだくさんの楽しい会🍀700名の同窓が集まる大盛会✨1年半前からご準備されていた実行委員会の皆様のご尽力に感謝でいっぱいで
山本覚馬と聞いて誰だかわかる人います?綾瀬はるかさんが演じた大河ドラマ新島八重、新島襄、同志社といえばご存知の方も多いと思いますが幕末に生きた山本覚馬という会津藩士をご存じですか?私は知らなかった〜。たまたま見た英雄たちの選択で取り上げられていたのが山本覚馬で何故、京都に大きな企業が多いのか?と言う疑問の答えがこの山本覚馬だったのです。いや〜なんとは無しで見ていた番組だったけど見終わって「心眼の人山本覚馬」を買っちゃいました。ちなみに古本720円だったけど資料本
朝ごはんは納豆と卵焼き、ウインナー…食後洗い物して歯磨きして薬飲んで…今日は曇天です昨夜は久しぶりに寝付きが悪く…寝たり起きたりを繰り返し朝になりました最近ぽかぽか陽気で庭での昼寝が日課になっていたのでそのせいかも…今日から昼寝禁止です減薬がスタートしたので今まで以上に規則正しい生活を送ろうと思います八重の桜第49話好きな台詞山本覚馬「いかなる力にも知恵であらがい、道を切り開いてください」
夕食はサバの塩焼きと山芋、きんぴらごぼう…今日の調理担当は母です!上手にできました今日は午前中に期限が切れてしまった処方箋の相談…病院に電話しました結論は、再発行はできるが保険適用外になるので10割負担になります!とのこと無職には痛い出費です1万5000円…しかーし、受付の女性が先生に相談してくれて毎晩飲んでるアリピプラゾールを2日に1回にして、来月の受診を10日早めてくれましたデパスとトリンテリックスは前の病院の余りがあるので問題なし…貧乏性なので古いものから飲んでました突然の減
夕食は鯖の塩焼きと山芋の千切りにする予定です!今日はお彼岸なので母を連れて墓参りに行きました父が亡くなり46回目の春です!ぼくは2才だったので記憶にはないですある時母が「パパは34才のままで自分だけ歳をとっていく」て泣いてたことがあったぼくは生きなければならない!!うつ病どん底期、希死念慮が出ていたときもその気持ちだけは切れたことがなかった母より先には死ねない!小さい頃は親戚や父の友達から「お父さんの代わりにお母さんはお前が守れ」て言われるのがイヤだった…プレッシャーだった…ただ母
朝ごはんは納豆と卵焼き、ブロッコリー…青臭いのでブロッコリーは嫌いです食後洗い物して歯磨きして薬飲んで日光浴!いつも通りの朝です今週はケアマネさんの訪問があったり、病院の受診があったりで少しバタバタしてますただ、信頼している人たちに現状を話せたせいか体調はいい気がしますそろそろ暖かくなってきたので日光浴しながらの散歩もやろうかな…また体調崩すと4月の一人旅、宇都宮餃子食べ歩きツアーに行けなくなる早く餃子が食べたい!!八重の桜第33話好きな台詞山本覚馬「権力は政治を動かす道具にすぎぬ
夕食は豚しゃぶ…今日は寒かったので急遽献立変更です午前中はのんびり過ごして、午後から心療内科行ってきました週1程度で激しいめまいが来る旨伝えた…薬増やしましょうかて言われたけど、これ以上増やしたくないので断りました現在毎食後のデパス0,25㎎と寝る前のトリンテリックス10㎎、アリピプラゾール3㎎病院を変えた当初、強めの薬を使ってたようだが薬疹が出たり、食欲が爆発したりして何度か薬の変更があって半年前に今の薬に落ち着いた…ここ2、3カ月安定しているので薬は変えたくないその後は、母の介護
今朝も納豆ごはんと卵焼き…洗い物して歯磨きして薬飲んで…日光浴はできません雪が降ってる…今シーズン2回目の雪が降ってる…年明けすぐに降って以来ぼくはノーマルタイヤなので念のため引きこもり!今日明日は気温も低いのでドラマ鑑賞してのんびり過ごす…いつも通りかな??八重の桜第二話好きな台詞山本覚馬「極めるまで引くことは許さねぇ」ちなみに、何も極めてない47才です
マークウィス・ラフェイエット・ゴードン(MarquisLafayetteGordon、1843年7月18日-1900年11月4日)カンバーランド長老教会牧師。アメリカン・ボード派遣の宣教師。略歴ペンシルベニア州ウェインズバーグ出身。WaynesburgUniversity、AndoverTheologicalSeminaryを経てNYで医学を学ぶ。1872年にカンバーランド長老教会ペンシルベニア中会にて按手を受け、同年11月にアメリカン・ボード宣教師と
本日、帰宅すると『歴史研究』が届いておりました。小栗さくら女史の連載が始まるそうです。読んでいると、新刊紹介で『愚直に生きた下』の紹介がされておりました。該当箇所をアップします。
山本覚馬は、会津藩士で、砲術家。妹は大河ドラマでもやっていた新島八重鶴ヶ城近くの武家屋敷に生まれた。1862年京都守護職松平容保に従い京に上り、黒谷本陣で西洋式軍隊の訓練と、洋学の講義をおこなう。1864年長州藩が御所を攻める禁門の変で功績をあげる。しかしこの禁門の変で眼病を患い失明する。1868年鳥羽伏見の戦いでは、京に残り薩摩藩にとらわれ幽閉される。会津藩は多くの犠牲者がでる。朝敵とみなされて会津藩は攻撃される。幽閉中に管見という建白書を口述筆記して薩摩
私は今日の午後2時から喜多方市の熊倉公民館で「会津藩士山本覚馬」について話をしますが、とくに強調したいのは覚馬が会津藩における開明派の代表的な人物であったことです。覚馬が江戸木挽町の佐久間象山の塾で学んだことは、彼にとってかけがえのない経験となりました。そこでは、勝海舟や吉田松陰、坂本龍馬も学んでいたからです。いうまでもなく象山は、吉田松陰の密航をそそのかし、それに手を貸したとして、松代に蟄居を命じられ、その謹慎が解けた8年後に京都に出かけ、一橋慶喜や会津藩のブレーンとなり、開国の必要
【43】山本覚馬(カクマ)が挙げられる。覚馬は会津藩士として幕末の京都に駐在していた。鳥羽伏見の戦いで負傷し、薩摩軍の捕虜となって身柄を拘束された。牢中で執筆した『管見(カンケン)』が薩摩藩重役の小松帯刀(タテワキ)に認められ、京都府の勧業御用掛として出仕した。槇村知事と協力して明石博高(ヒロアキラ)などを起用し、京都府の産業近代化政策の立案にあたった。覚馬の妹・八重は同志社の創立者・新島襄の夫人となった。
令和5年12月20日現在、『愚直に生きた下巻』(歴史春秋社)ですが、カテゴリー・新刊案内で1位、注目の書籍では3位となっています。Amazonでは在庫がなくなったり、補充されたりとかのようです。https://www.amazon.co.jp/%E6%84%9A%E7%9B%B4%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%9F-%E4%B8%8B%E5%B7%BB-%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%93%B2%E4%B9%9F/dp/486762
本書は、『会津人群像№38~41』まで連載を行ったうち「愚直に生きた⑯⑱」二編に次の原稿を書き加えたものです。『会津人群像№40』の「土方歳三の新史料が語るもの」、『会津人群像№43』の「波乱に満ちた維新後の生涯飯沼貞吉伝」に戊辰戦争以前の生涯を加筆校正したもの、新選組副長助勤であった永倉新八の生涯を新たに加えた三編です。「愚直に生きた⑰大庭恭平」は機会があれば、後にまとめたいと思います。今回も新たに見つけることができた史料を組み込み、書き続けたものをまとめました。多くの史料を駆使して、
同志社絡みという点で、個人的にも間接の間接くらいでゆかりがある。大河「八重の桜」は見てないし、当時は「何でこんな誰も知らん奴を扱うんだ?」と強い反感を抱いたものだ。(案の定、この銅像も大河に合わせて建てられたようだ)ゆかりは最近のことなので、すると親近感や興味も強まるから現金なものだ。兄の山本覚馬の方は、前から知っていたが、その偉さについては未だに詳しくない。夫新島襄については伝記も読んでない。
さてさて………………【革堂行願寺】を出発し、京都のまちを南下する…………さすが京都その途中にも、ココロの足を止める史跡が点在するのだ今回は、そんな場所をいくつかご紹介ひとつ目は………………【囲碁「本因坊」発祥の地】京都府京都市中京区寺町通夷川上ルこの寺町通の名は、天正17年(1589年)頃、豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。【寂光寺】もそのひとつで、別名を『久遠寺』ともいい、通りをはさんだ西側の町名「久遠院前町」にその名残が見られる。【寂光寺】の塔
町を歩けば歴史が見えるどこの地域にも言えますが、京都の魅力もそのひとつかなり前の画像ですが、馴染みの景色ですね~目の前は御所大学院の門は徳大寺家の門公家屋敷の中でも格式の高かった門だそうです。
みんなの回答を見る『愚直に生きた上巻』が出版されてから1年経過しました。数か月後には、『愚直に生きた下巻』が書店に並びます。来週にはゲラが来るようです。
150年前の英語ガイドブック今から150年前の明治6年、日本初英語で書かれた京都のガイドブックが発行されました。その名も『京都とその近郊の名所案内』。これは第2回京都博覧会に訪れる外国人のために書かれたものです。それを書いたのは、大河ドラマ『八重の桜』の主人公・八重の兄、山本覚馬でした。同志社大学を設立した新島襄の義兄でもあります。実は、私が研究員をしていた時に、この本の存在は知っていたのですが、昨年の秋から冬にかけて龍谷ミュージア
前回からの続き(11月12日のこと)です京都市役所を後にして、御池通りを渡るとそこに石碑があります(画像だと左下です)京都は石碑にいくつもの時代のことが書かれてるので3面書かれてるとかはザラです🤣北隣地明治時代山本覚馬・八重邸宅跡(左)此附近池田屋事件吉田稔磨殉節之地(右)住所・京都市中京区河原町通御池南西角回り込むと洛中惣構土塁(御土居)跡解説山本覚馬解説この地は、明治時代、京都府顧問だった山本覚馬の邸宅跡です。当時は上京三十一区下丸屋三九一番地といいました
2022年9月3日土曜日曇りのち晴れ、豪雨今朝の比叡山です。朝食を済ませ、ゆっくり。午前中はいつものようにスーパーへ食料の調達です。秋鮭を買いました。秋刀魚はイマイチでした。まだ暑いのでコーラも買いました。帰宅して、お昼を済ませ、ちょっと昼寝です。午後の比叡山です。午後は、今日はオーディオいじりも、庭いじりもせず、ダラダラ過ごす。完全にオフな日も必要です。YouTubeやらネットで過ごしました。ちょっとこのへんで洛中散歩の続きでも。高瀬川沿いに下がってきましたが今日から北
こんにちはつい先日悔しさが込み上げながらも悲しさを感じた今日この頃を過ごしていたなな之助でございます。悔しさはバネ悲しみもバネhttps://youtu.be/eoR-0HL6uKcシシド・カフカ/バネのうたyoutu.be私を突き動かすエネルギー源が今、必要だなと、感じた今日は久しぶりに大河ドラマ八重の桜を見返していました管見(かんけん)・・・覚馬)新しい国の見取り図だ俺の仲間たちが見ていた未来だ。国が敗れ、滅び、灰になっても、その中から、
川崎尚之助は幕末に出石藩士の家に生まれ、江戸でともに蘭学を学んだ縁で会津藩士の山本覚馬と出会い、会津藩の藩校(日新館)で蘭学を教授することとなり、覚馬の妹八重と結婚した。豊岡市出石町東條の願成寺が川崎家の菩提寺で、門前に供養碑が建立されている。
さて、ここの所【鍋】ばかりを紹介して来た幕末グルメ・シリーズだが...ボチボチ鍋からは卒業しよう(笑)...。今日ご紹介するのは、幕末の京都で爆発的に大ヒットしたB級グルメ...【長州おはぎ】だ。幕末の京都に突如現れたこの奇妙なネーミングのおはぎ...一体どう言う食べ物だったのか、がっつりご紹介しておきたい。.........このカラーリング...もうお分かりであろう。ロシアの侵攻に苦しむ、ウクライナの人々を応援する為...ウクライナ国旗を模して作られ
他力を借りる自力だけでやらないこの言葉は師匠katsuさんの自分シンプル講座の中でも何度も言われる重要ワードですが以前の私は自分でやった方が早いし自分の力で出来ることが評価に値する私は出来る(←これは勘違い)と言う固定概念が強く他力を借りることが苦手でした今となっては他力ばかりの毎日でそちらの方が色々と上手く行くし幸せ感も増すのを体感している日々ですが今日はこの【他力を借りる】について先日、京都の出来事の中で分かりやすい体験
・・・として山本覚馬(カクマ)が挙げられる。覚馬は会津藩士として幕末の京都に駐在していた。鳥羽伏見の戦いで負傷し、薩摩軍の捕虜となって身柄を拘束された。牢中で執筆した『管見(カンケン)』が薩摩藩重役の小松帯刀(タテワキ)に認められ、京都府の勧業御用掛として出仕した。槇村知事と協力して明石博高(ヒロアキラ)などを起用し、京都府の産業近代化政策の立案にあたった。覚馬の妹・八重は同志社の創立者・新島襄の夫人となった。
※2021年3月1日訪問※福島県会津若松市の【山本覚馬・新島八重生誕地】を訪れました会津若松城の南西には、平成25年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で一躍有名になった【新島(山本)八重・山本覚馬の生誕地】が有ります鶴ヶ城の西出丸に面する国道121号線沿いに【山本覚馬・新島八重生誕地←】と書かれた標柱が建てられており、細い露地を進んでいくと、住宅の前に案内板が建てられていました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼会津藩士・山本覚馬(1828〜1892)は、砲術師範で日新館