ブログ記事15件
2021.5〜12北の大地から帰り、有用な2種免許取得のあと、5月からは、徳島・美波町、ついで9月からは、三好市に。いま思うと、高知の歩き遍路進めるのに、すごくいい所で職を得ていたと驚く。この笠も、もうありません。これ、列車の展望デッキ、無料。土佐くろしお鉄道奈半利線。こんなんも走ってました。夜須という所。南国土佐ですねえ。野市町だけど香美市だったりするか?次の回は、ここから、高知市中へ。柿葺き。こけらぶき本堂いいですねえ。高知
10月15日14時20分三十三番札所高福山高福院雪蹊寺到着山門は無く、石柱が建っています種間寺と同じく、コンパクトな造りです弘法大師が815年に開いたとされています創建当初は真言宗で「高福寺」だったそうその後、鎌倉時代の仏師運慶親子が薬師如来を制作した縁で『慶運寺』と改名これを長宗我部元親の四男・盛親が父・元親の法名にちなんで現在の『雪蹊寺』と改めた元親は一時廃寺になっていた慶雲寺を再興するため、臨済宗の月峰和尚を住職として招き、長宗我
=昨年の今日と同一内容の日記です=追悼昭和20年(1945年)8月14日に日本はポツダム宣言を受諾する旨を連合国に伝え、翌15日に玉音放送をもって太平洋戦争(大東亜戦争)の終結を国民に知らせました。78年前のことです。この戦争で亡くなられた300万人を超える日本人全ての方々に心から追悼の意を表します。玉音放送『朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み…茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告く朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり…
す23.07/29sat.07:30-07/30sun.17:30西梅田発、明石海峡大橋を渡って淡路SA08:30-08:50大鳴門橋、鳴門市から西に吉野川SA10:30-10:45愛媛県に入って、川之江東JCT11:05南に、高知県南国市前回の竹林寺31番、五台山付近から南へ海辺の峰山、集落の細道からバスは上る駐車場から石段を上って禅師峰寺仁王門山頂に本堂、大師堂本尊十一面観世音菩薩を祀る左に並んで、大師堂奇岩の間に、芭蕉句碑南に海岸を望み、向こ
///////YouTube配信中////////お待たせしました!!【サレンダー降参のススメ】以下のようなことを話しています。〇仏教の帰依、南無とは究極の全面降伏である。〇無力と認めれば、新しい強烈な力が流れ込んでくる。〇自分の限界を超えるには、降参するしかない〇迷いや悟りとは道元禅師☆☆☆チャンネル登録も宜しくお願いします☆☆☆YouTube配信中お待たせしました!!影響を受けた人物キツネ目の男宮崎学思い出話や秘話など
YouTube配信中お待たせしました!!影響を受けた人物キツネ目の男宮崎学思い出話や秘話などを話しています。影響を受けた人物シリーズキツネ目の男宮崎学以下のことを話しています。宮崎学さんとの出会い盗聴法反対運動選挙応援(参議院選挙)工藤会と宮崎学突破者(初の出版)冤罪事件など以上影響を受けた人物シリーズ右翼のカリスマ野村秋介以下のことを話しています。〇野村秋介日本の新
YouTube配信中おはようございます。YouTube更新しました。今回の内容はとくにオススメですから、ご視聴ください!サレンダーとは、英語で言うと”降伏、降参”です。この場合で言うと、「もう自分一人で頑張って自分の人生をコントロールするのは諦めた。大いなるものに自分の人生を委ねよう」という考えです。私たちは常に自分自身が頑張って生きていると思っています。まぁこれが普通ですよね…でも人生の節目の時期、とくに霊的な成長をするときには自分のすべてを明け渡してしまうくら
YouTube配信中影響を受けた人物シリーズ右翼のカリスマ野村秋介以下のことを話しています。〇野村秋介日本の新右翼、民族派活動家。戦後の民族派の代表的な論客として知られた。〇二十一世紀書院野村秋介の本やDVDなどを販売している〇右翼や左翼だけではなくて、任侠系(ヤクザ)などにも影響を与えた〇20代の頃から若い衆などが20名はいた〇沖縄で初めての市民オンブズマン守礼の会を設立した〇当時は地元のマスコミもオンブズマン設立を大々的に取り
追悼昭和20年(1945年)8月14日に日本はポツダム宣言を受諾する旨を連合国に伝え、翌15日に玉音放送をもって太平洋戦争(大東亜戦争)の終結を国民に知らせました。77年前のことです。この戦争で亡くなられた300万人を超える日本人全ての方々に心から追悼の意を表します玉音放送『朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み…茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告く朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり…』玉音放送の冒頭部分です。前日の14
もっと美術館に行こうと思いつつ、行けなかったなぁ、、令和三年は2展だけショック・オブ・ダリサルバドール・ダリと日本の前衛(前期展示)そして、、つきのひかり/書家金澤翔子展これも御縁かな、、年末には最後にもう一度上京をと計画するもその週は雪で断念、その後仕事はほぼ納め終わったこともあり、それではと、お地蔵様の御縁日に合わせ、思い切って、、翔子さんの作品展はこれまでにも、鎌倉は建長寺さんに円覚寺さんと観てきているが、とくに最初に観た
〔お釈迦様をはじめとする偉大な仏教の先師たちが遺したさまざまな言葉には、私たちに希望の光をもたらし、真理に目覚めさせ、生き方をよい方向に導いていく『名句・名言』が満ちあふれています。本特集では、辛いときや悲しいとき、心の中で唱えて自己のよりどころとしたくなるよいな数多くの言葉を[生死][人間][他者と生きる][心][世間][仏教的生き方][信心・信仰][仏道][さとりの世界]の9つのカテゴリーに分け、紹介します。〕大法輪第74巻(平成十九年)特集〔心で唱えたい『仏教の名句・名言』〕より引用さ
コロナ禍に覆われた2020年も残すところあと一週間…クリスマスも特に何もせず過ごした〝火打石〟。今朝は“昭和を代表するヒット曲の作詞家で、直木賞作家のなかにし礼さん”の逝去のニュース(こちら参照)を聞いて、家事をしながら「石狩挽歌」を歌いまくる…美術展を観に行けなかった悔しさを、もっぱら歌を歌うことで紛らわしている模様。毎晩のように「天城越え」や「ブッダのように私は死んだ」を歌って、夫はきっと辟易してる。それでも歌を止めない〝火打石〟。今夜は「石狩挽歌」も熱唱だ
【第33番高福山高福院雪蹊寺】延暦年間(782~806)少林山高福寺と号し真言宗の寺院として弘法大師が開創されてます鎌倉時代には仏師の運慶・湛慶父子が滞在し運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を湛慶は毘沙門天・吉祥天・善膩師童子像を制作したそうですがそれ以降管理されてなく荒廃していたので永禄11年(1588)月峰和尚を中興の祖に招き長曽我部元親が薬師堂を建立し臨済宗に改宗し慶長4年(1599)元親が没すると後継の四男盛親が長曽
自分の珠玉(しゅぎょく)に気づきましょう。怠ったままの100年※どんなにすばらしい玉を持っていてもそれを磨かずにほうっておいたら何にもなりません。どんな利口者でもぐずぐずしていたらいつまでたっても役に立たない。怠(おこた)ったままの100年は恨(うら)むべき100年となります。(山本玄峰)(やまもとげんぽう)山本玄峰は「白隠禅師の再来」と呼ばれ、昭和36年に96歳で遷化(せんげ)されるまで、臨済宗の荒れ果てた数々の寺院の復興を成し遂げた禅僧で、その豪放磊
大東亜戦争を十二月八日(奇しくもお釈迦様が悟りを開かれたその日)に開戦した日本は、、「名誉も地位もいらん、国になりきった人が必要だ。あなたは二・二六で、一度あの世に行っている方だ。だから生死は乗り越えていらっしゃる。お引き受けなさい。ただし戦争を止めさせるためですよ。」そう後を押され、鈴木貫太郎は首相を引き受ける決断をするその時、山本玄峰老師は鈴木貫太郎に、次のようなことを伝えられたともいう...「力で立つ者は力で滅びる、金で立つ者は金で滅びる
最近、また、座禅がブームなのでしようか?時々、禅の本を書店で見かけます。子供の頃から、自宅に禅宗の僧侶が遊びに来ていたので、好奇心の強い私は質問攻めをして、座禅のやり方や、仏教、禅宗について教えてもらいました。『澤木興道』老師について座禅をされた方でしたから、正統な血脈のお坊さんでした。小学生の私は遠慮も忖度もありませんから、中途半端な答えでは満足出来ません。また、専門用語でわかった気にもなりません。座禅も何のためにやっているのか?何で座っているのか?禅って何?座っている仏像は
三十一番竹林寺にはこれまで東側から(こちらが正規ルート的です)ばかりお詣りしてきました。一昨日は展望台という表示に引かれ、そこの近くに止めました。参拝をしてきた後、そこへ行くとこれまできちんとは見れてなかった高知市の市街を広く見下ろすことができました。南向き水路せまいですね。西寄り川の合流ありますね。北向き北東方向竹林寺五重塔よりすこし高いです。竹林寺は土佐の霊場の中では風雅ですね。細くて大変な県道を進み、三十一番禅師峰寺(
最近はわりと幕末明治期の登場人物については頭に入ってきたけど、、大正~大東亜戦争あたりはまだまだ勉強不足だなぁ、、、と感じていた頃だった、その時の歴史ヒストリア(第209回)は、鈴木貫太郎天皇のそばにいた男鈴木貫太郎の最初の夫人は会津藩士の出で、ご自身も旧幕臣だから、当時はまだまだ待遇はよくはなかったと想像するが、、そのような人が(そのような人だからなのか?)、大東亜戦争を終戦へと導くのだから、、歴史とは面白いものだ...堪え難きを堪え、忍び難きを忍び玉
いやあ。久しぶりに心が洗われました。最近、つまらない人間ばかりに出会ってしまいましたから。笑人生にはそういう波が来る時があります。偶然、NHKのEテレで放送していた『やまと尼寺精進日記』を拝観しました。まるで日本昔話の世界!そして、私が尊敬する禅僧山本玄峰老師を思い出させるような御住職の笑顔。奈良県にある『音羽山観音寺』と村の人達の暮らしが日本昔話みたいでした。住職、副住職、お手伝いさんの3人の笑顔と笑い声の明るいこと!邪気のないこと!NHK朝ドラ『ひょっこ』の名台詞
【33番雪蹊寺】大師堂前の河津桜が咲き始めていました例年より遅いように思うのですが、直前の寒波襲来の影響でしょうか本堂裏の紅白の梅は綺麗に咲いていました*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆【月峰和尚】雪蹊寺中興の祖です。長宗我部元親の招きで再建に尽力しています<幽霊伝説>「…水も浮世と言うところかな」幽霊はこう言ってはさめざめと泣いていました「黒染めを洗えば波も衣着て…」と月峰和尚が上の句を読んでやると泣き止んだそうです「元
三島市沢地にある、臨済宗妙心寺派の龍澤寺に行って来ました。毎年11月23日の観楓祭には、所蔵の掛け軸等の虫干しを兼ねて内部の一般公開が行われます。普段は、修行寺なので境内のみ入れます。但し毎月下旬は接心のため境内も立ち入り禁止になります。朝9時に行くと既に駐車場は、県内外の車で満車。皆さん良く知っていますね。かろうじて駐車して境内へ行きます。白隠老師、一休、良寛、円山応挙、俵屋宗達、伊藤若冲、山岡鉄舟の書や絵が本堂に並んでました。本堂の屋根にある龍の彫り物は、鏝細工名工の伊豆の入江