ブログ記事141件
322年前の12月14日が赤穂浪士の討入りの日と云われているが、元禄15年12月14日は閏年の為1年が13ヶ月だったので此れを考慮すると、元禄15年12月14日は現代暦だと1703年1月30日になると云うのが歴史家の説、つまり討ち入りは12月でなく1月なのだ。従い、今月が正に四十七士が吉良邸討ち入りした月なのだが、ご存知の通り江戸時代から赤穂義士は忠義の鑑と敬われている。処が三島由紀夫の『葉隠入門』(1967年)に拠ると赤穂浪士と同時代を生きた葉隠武士の山
『葉隠』に就いては当ブログでは過去幾度も書いている、“恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ”【葉隠武士を賞賛した三島由紀夫と、佐賀藩士の山本常朝(1658-1719)】此の一文が遍く知られているが江戸時代の鍋島藩士、山本常朝の「葉隠聞書」を、三島由紀夫は26歳の時に自分の座右の書であると明言した。他に2冊ある、ラディゲの「ドルチェ伯の舞踏会」と「
山本常朝.人間の一生は誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。山本常朝、葉隠の著者なんですね。武士道の方です。後悔なく人生を生きたい。にほんブログ村にほんブログ村
浅田次郎さんの「一刀斎夢録」を読んでいたら、やたらと武士道という言葉が出てきました。物語の主人公は新撰組三番隊隊長「斎藤一」、後ろから読んで「一刀斎」アナグラムみたいなお洒落な名前です。その一刀斎の一人夜咄しが長く続きます。武士道という礎のもとに建つ武家社会がガタガタ揺らぎ、その断末魔に徒花を咲かせた新撰組。冷徹に多くの人を斬った一刀斎のよりどころは、はたして刀か武士道か。一刀斎の夜咄しでは、「武士道なるものは・・無私の精神に他ならぬ」と言ってのけます。さらに、「滅私奉公を言う
「気力」とは、使えば使うほど無くなるものではなく、増えてゆくものです。不思議な感じですが、やろうと思えばどんどんと「気力」は出てくるのです。これは、自分のやることに没頭しているからですね。でも、どんなに出したくても「気力」が全然出てこない時もあるでしょう。そんな時は、もう一度自分の内面にアプローチして、自分自身の内なる力を再確認しましょう。山本常朝の書の「葉隠(はがくれ)」という、江戸時代に武士としての心得を記した物があります。その中に、造語として「
令和七年2025乙巳如月赤口、丁卯ウルトラパワー大幸運!おはようございます。今日も素晴らしい一日になりますように!人間の一生は誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。-山本常朝-(江戸時代の佐賀鍋島藩士、『葉隠』の口述者/1659~1719)#ウルトラパワー大幸運#今日も素晴らしい一日になりますように#朝#わそうび#礼法#礼儀作法#年中行事#歳時記#晴海の母
武士道名言「武士道」に関する有名な言葉は?「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」という一節が特に有名である。山本常朝(やまもとじょうちょう/つねとも)は、江戸時代の武士で、肥前佐賀藩士。『葉隠』の口述者として知られる。武士道に関する名言には、次のようなものがあります。「武士道は知識を重んじるものではない、重んずるものは行動である」「日本の武士道というものは、それを象徴する桜と同じく、我が国に固有の花である」「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」これらの名言は、新渡
<山本常朝、唯円、馬場あき子>1609「葉隠」山本常朝奈良本辰也訳編角川文庫目次『葉隠』を読む人のために奈良本辰也『葉隠』の魅力/山本常朝の生涯/『葉隠』と常朝/『葉隠』の思想Ⅰ武士道序説夜陰の閑談Ⅱ武士道の真髄死の美学/狂気/平常心(一)一瞬に生きる(二)一念に徹する決断と行動意地を立てる大高慢と武勇勝つということ仇討技芸の否定Ⅲ忠誠御奉公(一)主君を思う(二)お役にたつ(三)主君にゆだねる
昨日8日、日本近代文学館での「三島由紀夫生誕100年祭」が閉幕した。この展覧会は『暴流の人三島由紀夫』で読売文学賞を受賞した井上隆史・白百合女子大教授ら有志で結成された実行委員会が主催したもので三島由紀夫を私淑する端くれとして当方も過日展覧会に行って来た。【展覧会場は日本近代文学館(目黒区駒場)】三島文学を、ミシマニア(三島愛)、ビブリオマニア(書物愛)、ヤポマニア(日本愛)の三つのキーワードから回顧した形の展覧会だ。
『礼にて腰は折れず、敬語で筆は磨り減らぬ』山本常朝の言葉(佐賀藩士。武士道の書物『葉隠』の口述者)(1)礼にて腰は折れず、敬語で筆は磨り減らぬ(2)分別も久しくすればねまる(腐る)、ダメになる(3)土は食はねども高楊子、内は犬の皮、外は虎の皮(4)盛衰を以て、人の善悪は沙汰されぬ事なり(5)武士は、仮にも弱気のことを云ふまじ、すまじと、兼々心がくべき事なり(6)大事の思案は軽く、小事の思案は重く(7)只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり(8)
三島由紀夫が26歳の時から座右の書としている「葉隠聞書」に就いては、当ブログでも様々な角度から書いているが、江戸時代後期に生きた佐賀県鍋島藩士の山本常朝(1659-1719)口述の『葉隠聞書』に就いて三島由紀夫は、「小説家の休暇」(1955)に『葉隠が私の中ではっきり固まり、以後は葉隠を生き、葉隠を実践する事に情熱を注ぎだした』と、自分が葉隠精神の実践者たらんとする事を書いている。【三島由紀夫著「葉隠入門」1967年光文社刊】そして自決3年前の昭和42年9月、『葉隠
これまた良き…♪とても読みやすいですし、武士道を学ぶ入り口としてもおススメできる著書。山本常朝の『葉隠』も同時に読み返し、改めて自分の根底にある流れに思いに耽る。今日はいつもと違った図書館で過ごした…素敵な図書館でした💕本に囲まれる生活、充実しております♡
FMラジオから西郷輝彦の懐かしい「星のフラメンコ」が流れてくる。♪好きなんーだけど~離れてるのさー、遠くで星をー見るよーうに~♪恋愛の究極は「忍ぶ恋」と喝破した佐賀鍋島藩士山本常朝の『葉隠』の精神に通ずる。ドロドロの心中なんかではない。キキミミレコード「星のフラメンコ」の検索結果-Yahoo!検索
三島由紀夫が自刃する3年前の1967年に出稿した“葉隠入門”に、『戦争中に読みだして以来、座右の書とした山本常朝の”葉隠”こそ私の文学の母胎である』と書いている、そして更に、『初めて”葉隠”が私の中ではっきり固まり、以後は”葉隠”を生き、”葉隠”を実践する事に情熱を注ぎだした』と葉隠精神を賞賛している。【右は1967年9月、光文社から刊行の「葉隠入門」と全集版】”葉隠”は1700年代初頭、佐賀県鍋島藩藩士、山本常朝が語るところを、若い藩士の田代陣
武士道と云えば・・・みなさんは”武士道”と聞くと新渡戸稲造を最初に思い出すでしょうか?僕は違います癒し王ふじです。新渡戸稲造の『武士道』は、明治時代に武士身分が廃止された後キリスト教に改宗した彼が西洋海外向けに書かれた英語の論文です。一方で、『葉隠』は江戸時代に実際に生きたサムライの言行録肥前国は鍋島藩士・山本常朝によって書かれたもの。同じ”武士道”を説いたものでも上記2つは毛色が明らかに異なり背景や目的も違うのです。まず、この
久々のブログ更新である。今回は、能登半島地震など災害に関する、ある事柄を取り上げるつもりでいたのだけれど、急遽予定を変更して、成田悠輔(なりた・ゆうすけ)なる人物について書いてみたい。それというのも、3月15日の参院予算委員会で、れいわ新選組代表の山本太郎さんが、この成田悠輔の、過去のある発言について、岸田文雄に強い調子で認識をただしていたからである。【成田悠輔の公式肖像】(フリー画像:経済産業省関東経済産業局,CCBY4.0,viaWikimediaCommons)
「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な武士の心得書「葉隠」の口述者、山本常朝が隠棲した朝陽軒(のち宗寿庵)跡地の葉隠発祥の地を訪れました。現在、「常朝先生垂訓碑」が建っています。佐賀藩士山本常朝は、2代藩主鍋島光茂に仕え、光茂が没した元禄13(1700)年に隠棲しました。その常朝に田代陣基(つらもと)が教えを請い武士の心構えや生き方などを7年かけて筆録したものが「葉隠」11巻です。(現地解説板より)葉隠発祥の地昭和42年2月11日指定現在、この地には、葉隠の
赤穂浪士の討入りは、今から略320年前の元禄15年12月14日と言われている、処が元禄15年は閏年だった為、1年が13ヶ月あったので、これを考慮すると、元禄15年12月14日は現代の暦だと、1703年1月30日と由だ。従い、今月が正に、四十七士の吉良邸討ち入りした月なのだが、ご存知の通り江戸時代から赤穂義士として忠義の鑑と敬われている。処が、三島由紀夫の『葉隠入門』(S42)に拠ると大石内蔵助と同年の葉隠聞書の山本常朝(1659-1719)は、こう語っているのだ。【三島由紀
寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる山本常朝(1659年-1719年)山本常朝(やまもとつねとも、万治2年6月11日(1659年7月30日)-享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。武士道の書物『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。ウキペディア今日の単語象る[かたどる]動ある物の形をまねて,その
佐賀県遺産巡りは続きます。なぜにこういうアプリを使ったポイントラリーってやっちゃうんでしょうねー(笑)こういう機会がないと逆に知らなかったことを知ることができますね。今回の推し(?)は「旧古賀銀行」。佐賀県佐賀市柳町2番9号明治18年に両替商をしていた古賀さんが設立したとのこと。九州の5大銀行の1つになるまで成長しましたが恐慌により大正15年に休業。大正5年当時の姿で復原されたそう。中に入ると洋風でオサレな空間が広がっておりました。この日は1階はイベン
『葉隠(はがくれ)』は、日本の武士道に関する古典的なテキストで、山本常朝によって記されたものです。このテキストは、17世紀初頭の日本における武士の生き方や思想を詳細に語っており、現代においても多くの人々に影響を与えています。以下は、『葉隠』の主要なテーマを現代の生活に適用したブログ記事の形式での解説です。『葉隠』とは何か?『葉隠』は、山本常朝が口述し、彼の門弟である戸田忠昭によって記録されたものです。この書は、武士がどのように生きるべきかについての教訓や示唆を含んでおり、武士道の精神
武士道とは、死ぬことと見つけたりこの言葉があまりにも有名になって、戦後は危険な書として扱われてきた『葉隠』佐賀藩士、山本常朝の『葉隠』は、ビジネスや子育て、処世術などで役に立つことが書かれている名著だ。動画で、その内容を確認してみてください。ちょっと、耳の痛いこともありますよ。
「全人的な人生」とは?これは、三島由紀夫が愛した「葉隠」という書物から、私が、この部分はマインドフルネスに通じると感じた部分からの言葉です。「葉隠」は、武士道の代表的な書物で、江戸時代の鍋島藩士・山本常朝(じょうちょう)が口伝したものを田代陣基が筆録したもので、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」という、有名な一句があり、一見、少し急進的と捉えられるような書物です。その中に、「物が二つになるが悪しきなり。」で続く文章があるのですが、そこで、三島由紀夫は、全人的な人生と単に機
行徳哲男師の心に響く言葉より…九州の佐賀に「葉隠」という教えがあります。「武士(もののふ)の道」という。その「葉隠」の教えは、鍋島藩にいた山本常朝(つねとも)という侍が記したものですが、その中で「侍は“四つの請願”を持て」と言っているんです。侍であるためには、まず第一番に「真剣であること」と言っています。真剣さがないと侍にはなれない。それも「その真剣さは深刻さと違うぞ」と言っているんです。やはり、明るくないとね。何かの悲劇の主人公のよう
おはようございます人間の一生は誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。~山本常朝(江戸時代の佐賀鍋島藩士)~2024年1月24日(水)14:00~「あなたのインスタグラムをもっと魅力的に」するためのセミナーをおこないます。お近くの方は、是非ご参加ください。お申し込みは、画像のQRコードまたはコメントでも大丈夫です。また個別にご連絡します。↑
武士道の真髄〜人間の覚悟と信念〜|葉隠▽チャンネル登録はこちらhttps://www.youtube.com/channel/UCiSGhuac5gXf3Sqd5dSguhw?sub_confirmation=1オススメの動画【武士道】▶︎https://www.youtube.com/watch?v=538efQ1POOM▽Amazon『葉隠』▶h...www.youtube.com「よく生きることは死ぬこと」日本人が受け継いでき
今日の一言いつか読みたい本葉隠葉隠はがくれ名前ぐらいしか知りませんが・・・(◎_◎;)戦後、GHQが焚書にした本は、7000冊以上ある。先ず、焚書って、ご存じですよね。回収して廃棄する。発行禁止にする。しかも、極秘にこっそりと行われました。もちろん、国際法違反の行為です。そして、新聞などのメディア、雑誌、本は、検閲されていました。自由に書きたいことが書けなかったのです。がしかし、漫画は、自由だった。ので、本当に書きたいことを書こうとした人は、漫
当ブログでも葉隠に就いては何度か触れているが、三島由紀夫は、エッセイ「小説家の休暇」(昭和30年)の中で”葉隠聞書”に就いて『私は戦争中から読みだして、今も時折読む類の無い不思議な道徳書』と。【葉隠の口述者、山本常朝】【葉隠入門(S42)+若きサムライのために(S44)+行動学入門(S45)】そ