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誓願406~408ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月24日自身の信ずる宗教に確信と誇りをもち、その教えを人びとに語ることは、宗教者として当然である。しかし、そこには、異なる考え、意見に耳を傾け、学び、より良き生き方をめざしていこうとする謙虚さと向上心がなければなるまい。また、宗教のために、人間同士が憎悪をつのらせ、争うようなことがあってはならない。現代における宗教者の最大の使命と責任は、「悲惨な戦争のない世界」を築く誓いを固め、人類の平和と幸福の実現という共通
(『新・人間革命』第7巻より編集)96〈早春〉27しかし、レバノンにあっては、それぞれの宗教は、共同体を形成し、政治的な結束力をもち、生活習慣にも深く根を下ろしている。いわば、精神的にも、社会的にも、各人の存在を支える基盤となっているのである。しかも、時には、支配権力と対峙してきた歴史をもっている。レバノン社会の、この強い宗教性は、政治にも顕著であり、”宗教主義”といわれる政治制度がつくられている。各宗派の
誓願402~403ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月21日香港が中国に返還される五カ月前(一九九七年二月)の語らいで、山本伸一は金庸に、「返還後も香港は栄え続けるでしょう」と述べ、これからは、経済だけでなく、「心の充足」も焦点になるとの考えを述べた。すると、金庸は、大きく頷きながら言った。「香港SGIをはじめ、SGIの方々には、ぜひ『精神の価値』『正しい価値観』を多くの人たちに示していただきたいのです」香港の民衆の幸福と繁栄──二人の心は、この一点にあ
(『人間革命』第11巻より編集)32〈波瀾〉6四月三十日は、四月度の本部幹部会の日であった。しかし、戸田城聖は、この日、欠席しなければならなかった。彼が、本部幹部会を欠席したのは、この時が、彼の生涯で初めてのことである。もともと病身で、結核の既往症があり、糖尿病から肝臓も侵されるといった病歴をもっていたが、彼の日常の生命力は、人びとに、それを少しも気づかせないほど旺盛な健康人としての振る舞いであった。
誓願400~402ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月20日山本伸一は一九八三年(昭和五十八年)の香港訪問で、メンバーに力強く呼びかけた。「皆さんのなかには『九七年問題』で、“香港はどうなるのかな”と、心配されている方もおられるかもしれない。しかし、私は、全く心配はないと訴えておきたい。堂々と、この愛する香港の地で、自由と平和と文化の、国際的発展に薫るこの香港の大地で、妙法に照らされ、守られながら、尊い一生を送っていただきたい」「返還の『九七年』以後も、これ
(『人間革命』第11巻より編集)31〈波瀾〉5「何を言うか。伸一、戦いというものは、勝ったり、負けたりする。それが戦じゃないか。また戦うんだ。どこまでも戦うんだ」伸一は、瞬間、戸田の険しい気迫を感じた。そして、強く決意を固め、戸田の目を見ながら言った。「先生、申し訳ありません。いつの日か、どの政党にも負けず、世間を”あっ”と言わせるような戦いを、必ずいたします。先生、どうか今晩は、ゆっくりお休みになってください」
【長野】#ひもとく⑳第5巻「歓喜」の章2024年5月18日電子版企画「#ひもとく」では、支部長・支部女性部長の代表に小説『新・人間革命』を学ぶ中で感じたこと、実践、決意を語ってもらいます。茅野圏・富士見支部五味浩美さん(60)強き祈りで勝利の実証示す「歓喜」の章には、1961年10月に、スペインやスイス、オーストリアなどを訪れた山本伸一が信心を根本に自分の生命を磨くことの大切さを力説しています。特に「先駆者というのは辛いものだよ。すべて自分で考え、次々と手を打っていかなくては
(『新・人間革命』第7巻より編集)90〈早春〉21ジュネーブに一泊した一行は、翌日はイタリアのローマに向かった。一行は、ローマの空港に出迎えてくれた数人のメンバーとともに・・・。その後、イタリアの連絡責任者の山岸政雄の家を訪問した。山本伸一は、山岸の家族をはじめ、数人のメンバーとともに勤行・唱題したあと、イタリアにローマ地区を結成することを発表した。地区部長には山岸が、・・・。また、伸一は、絵の
誓願394~396ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月16日記念講演で山本伸一は提起した。──これまで安全保障といえば、機構、制度の問題として論じられがちであった。しかし、社会及び国家の外的条件を整えることのみに走り、人間自身の変革という根本の一点を避けてしまえば、平和への努力のはずが、かえって逆効果になってしまう場合さえあるというのが、二十世紀の教訓ではないか、と。そして、人間革命から社会の変革を志向すべきであるとし、そのためにも、「知識から智慧へ」「一様
人から言われて動くものではない!自らが常に出発点なのだ!<地涌の菩薩>「諸法実相抄」講義で山本伸一は、大宇宙、社会の一切の現象は、妙法の姿であること、そして、御本尊は、大宇宙の縮図であり、根源であることを述べていった。また、仏は、架空の抽象的存在ではなく、釈尊も、多宝仏も、妙法の力用の具体的表現であることを論じた。次いで、「凡夫こそ本仏」「一切の衆生が妙法の当体」とする日蓮大聖人の法理は、過去の仏法観を根底から打破するものであり、ここに、人間主義の偉大なる原理があることを
誓願393~394ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月15日阪神・淡路大震災の被災地では、各会館が一時的な緊急避難所となり、また、生活物資供給のための救援センターとなった。高速道路は倒壊し、建物の崩壊などから一般道の寸断も多く、どこも、どの道も、大渋滞していた。直ちにバイク隊が編成され、瓦礫の残る道を走り、救援物資が被災各地に届けられていった。山本伸一は、愛する家族や、住み慣れた家、職場を失った人たちのことを思うと、身を切られるように辛かった。自ら、すぐに被
(『人間革命』第11巻より編集)27〈波瀾〉1昭和三十二年は、戸田城聖の三首の年頭の和歌で明けた。それは、元旦の勤行会で発表になったものである。荒海の鯱(しゃち)にも似たる若人の広布の集い頼もしくぞある御仏(みほとけ)の御命(みめい)のままに折伏の旅路もうれし幸の広野は驀進(ばくしん)の広布の旅に五年(いつとせ)の春を迎えて獅子吼勇まし第一首は、青年部に与えたもので
(『新・人間革命』第7巻より編集)88〈早春〉19一月十八日(昭和三十八年)は、会長・山本伸一の一行が、パリを発つ日であった。午前十時十五分に、パリのオルリー空港を出発した一行の搭乗機は、一時間ほどでスイスのジュネーブに到着した。空港には、スイスの連絡責任者の本杉光子が迎えに来ていた。ジュネーブは一面の銀世界であった。レマン湖のほとりにあるホテルに着き、昼食をとると、山本伸一は、皆で市内を見学しよう
誓願391~392ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月14日「栄光・躍進の年」と定めた一九九五年(平成七年)の元日、山本伸一は、創価学会本部での新年勤行会でスタートを切った。一月十五日「成人の日」、伸一は婦人部と新宿区の代表との協議会を開き、二十一世紀を担うリーダー像について語った。「これから求められるリーダーの要件とは何か。それは、一言すれば、『誠実』に尽きます。決して威張らず、友に尽くしていくことです。正直さ、優しさ、責任感、信念、庶民性──そうした『人
(『人間革命』第11巻より編集)26〈転機〉26完本部幹部会の後、ひとつの行事がまだ残っていた。それは歳末の二十三日の男子青年部二万人が結集した総会であった。当時、東洋一の体育館とされていた東京・千駄ヶ谷の東京体育館は、全国から上京した青年部員で、早朝から混雑していた。この日、あいさつに立った山本伸一は、近代日本の思想の流れに触れながら、未来にわたって、すべての思想を指導する哲学こそ、日蓮大聖人の仏法であることを語っ
誓願389~391ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月13日チリのエイルウィン大統領は任期を終えて四カ月後の一九九四年(平成六年)七月、夫妻で日本を訪問した。その折には、創価大学で記念講演を行った。山本伸一とは、通算、三回にわたって会談し、これらの語らいなどをもとに、九七年(同九年)十月、対談集『太平洋の旭日』が発刊されたのである。この年は、「日本・チリ修好通商航海条約」が締結されてから、百周年の佳節にあたっていた。二月二十五日夜、伸一は、チリから、ブラジルのサ
月々日々に――池田先生の折々の言葉創そう価かの若わかき世せ界かい市し民みんが、熱ねつと力ちからを結けっ集しゅうして、連れん帯たいを広ひろげる限かぎり、未み来らいは明あかるい。青せい年ねんが一いっ切さいの状じょう況きょうを打だ開かいしゆく希き望ぼうの太たい陽ようです。※『広布共戦の師弟旅』を基にしています。名字の言ピンチこそ新たな可能性を開く好こう機き会社で人事を担たん当とうする知ち人じんが、面接の際さいに心がけていることを教えてくれた。それは「ピンチの時にどうしたか」を聞くこ
〈社説〉2024・5・11池田先生のオセアニア訪問60周年2024年5月11日「一人」を自分以上の人材に世界六大州の一つ、オセアニア(大洋州)。陸地面積の8割以上をオーストラリア大陸が占め、大小1万を超える島々が、広大な太平洋上に浮かぶ。池田先生が、この地を訪問したのは1964年5月である。オーストラリア各都市を訪れ、オセアニア初の「メルボルン支部」を結成。その際、後に初代理事長となるツトム・テイテイさんを同支部の支部長に任命した。小説『新・人間革命』第9巻「新時代」の
誓願387~389ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月11日チリの「創価家族の集い」では、「シ・バス・パラ・チレ」(もしもチリへ行くのなら)の大合唱が始まった。山本伸一も一緒に大きく手拍子を打った。〽この地の人びとは皆旅人よあなたを迎えてくれますチリではほかの地から来た人がどれほど好きかあなたはおわかりになるでしょうメンバーは、喜びを満面にたたえ、「世界広布模範」の前進を誓い、熱唱した。この日、チリの新しき原点が創られたので
誓願386~387ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月10日第一回チリSGI総会のスピーチで山本伸一は、チリの各地で活動に励む同志の労苦を思いながら、「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆様には、アンデスの山並みのごとく、限りなく功徳が積まれていくことは絶対に間違いない」と賞讃した。さらに、このチリで、海外訪問は五十カ国・地域となったことを伝えた。三十三年前、富士の高嶺を仰ぎつつ、世界平和への旅を開始して以来、五大州を駆け巡ってきた。そして、日本とは地球のほ
(『人間革命』第11巻より編集)22〈転機〉22(つづき)彼らは、「人類を、いかにして幸せにするか」という論点で争うことがあったとしても、それは「人類から悲惨を絶滅する」という希求においては一致するはずである。これらの大先達の願いを、現代のわれわれは、利己心と嫉妬といかりのために、素直に受け入れないがゆえに、大衆を悲惨のなかに陥れ、迷わせているのではないだろうか・・・”戸田は、なおも思索を重ねていった。
〈挿絵でひもとく小説「新・人間革命」〉女性への励まし2024年5月9日今月、全国各地で「女性部総会」が開催されています。創価の女性たちを誰よりもたたえ、エールを送ってきたのが池田先生ご夫妻です。ここでは、内田健一郎氏の挿絵とともに、小説『新・人間革命』につづられた励ましを紹介します。※小説の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。組織名と役職名は、全て当時のものです。2000年(平成12年)第30巻〈下〉「誓願」の章「常勝の門」開きゆく使命〈関西女性総会の意義を込めて開催
誓願384~385ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月9日チリの首都サンティアゴでは、一九七三年(昭和四十八年)、軍事クーデターが勃発した。上空には戦闘機が飛び交い、街には戦車や武装兵があふれた。メンバーの中心者夫妻の家も、戦いに巻き込まれ、機銃掃射を浴びた。二階は銃弾で蜂の巣のようになったが、夫妻は一階の仏間にいて、無事だった。二人は、戒厳令下の街へ飛び出し、同志の安否を気遣い、一軒一軒、訪ねて歩く日々が続いた。集会は禁じられていた。訪問した家々で、“家族座談
今月、全国各地で「女性部総会」が開かい催さいされています。創価の女性たちを誰よりもたたえ、エールを送ってきたのが池田先生ご夫妻です。ここでは、内田健一郎氏の挿さし絵えとともに、小説『新・人間革命』につづられた励はげましを紹しょう介かいします。※小説の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。組織名と役職名は、全て当時のものです。2000年(平成12年)第30巻〈下〉「誓せい願がん」の章「常勝の門」開きゆく使命〈関西女性総会の意義を込こめて開かい催さいされた本部幹部会で、山本伸一は
(『新・人間革命』第7巻より編集)82〈早春〉13さらに、皆が社会で力をつけ、どんな一流ホテルであろうが、自由自在に使えるような、堂々たる境涯になってほしいとの願いも込められていた。大会には、三十五人が集った。開会を待つメンバーは、クリヨン・ホテルの荘重さに気おくれして、幾分、硬くなっていた。やがて、伸一が会場に姿を現した。彼は、部屋に入った瞬間に、皆が緊張していることを察知すると、少しおどけながら言った。
誓願382~384ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月8日山本伸一は、恩師・戸田城聖の逝去から二年余がたった一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、第三代会長に就任すると、その五カ月後の十月二日には、世界平和の旅へ出発した。第一歩を印したハワイでは、連絡の手違いから、迎えに来るべきメンバーも来ていなかった。旅先で著しく体調を崩し、高熱に苦しんだこともあった。学会への誤解から、政治警察の監視のなかで、同志の激励を続けた国もあった。北・中・南米へ、アジアへ、ヨーロッ
(『人間革命』第11巻より編集)20〈転機〉20山本伸一は、この夜、夜行列車で萩を発った。彼の、十一月の山口闘争は一週間で終わったが、十月に続く再度の指導で、各地とも、そろって動き出していた。山口県の世帯数も、九月末の四百五十九世帯から、十二月末には三千二百十四世帯と飛躍していた。一挙に七倍増である。山口指導は、十二月の年の瀬は中断し、翌昭和三十二年一月に再開された。一月に現地に派遣員が行
(『新・人間革命』第7巻より編集)81〈早春〉12一月十六日は、パリも朝方から雪がちらついていた。ドイツ支部のメンバーが到着したのは、雪もやんだ昼近くのことであった。「よく来たね。遠いところ、ご苦労様!」伸一は、皆を抱きかかえる思いで、一人ひとりと握手を交わした。ヨーロッパ総支部・パリ支部の結成大会は、午後一時から、伸一の宿泊していたクリヨン・ホテルの一室で行われた。西ドイツからは佐田たちのほかに、
誓願381~382ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月7日山本伸一は、大統領との会見に続いて、パラグアイの外務省を訪れた。同国の「国家功労大十字勲章」の授章式に出席するためである。授章式であいさつに立った外相は、伸一の平和行動に言及し、こう語った。「誠実な『対話』を通してのみ、差別をなくし、地球規模での恒久平和と相互理解が得られるとの信条による、会長の平和への戦いは、人類の規範です」さらに、この日には、パラグアイ国立アスンシオン大学から伸一に、哲学部名誉博士
誓願379~381ページ【小説「新・人間革命」】第30巻〈下〉2024年5月6日──一九七四年(昭和四十九年)、山本伸一は、ブラジルを訪問する予定であった。しかし、学会に対する誤解などがもとでビザが発給されず、結局、ブラジル行きはなくなった。この時、パラグアイ音楽隊は、伸一の前で演奏し、パラグアイの同志の心意気を示したいと、ブラジルをめざした。ところが、彼らも入国は許可されなかった。それでも、観光地であるブラジル国境のイグアスの滝までは、バスで入ることができた。「よし、ここで演奏