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(『人間革命』第3巻より再編集)72〈結実〉1秋雨の降る夜道を、戸田城聖は、傘を差して歩いていた。闇のなかに、潮の香りが漂っている。ここは、千葉県・浦安の海岸に近い裏町であった。彼は、この日、夕刻早く、官庁に勤める山平忠平を伴って、浦安に向かったのだが、江戸川の対岸の渡船場に着いた時には、あいにく満潮時にぶつかってしまった。この辺は、地盤沈下で橋桁が低くなり、満潮時には、渡し船が、橋の下をくぐる
(『新・人間革命』第10巻より編集)192〈桂冠〉43皆、うわついていた自分たちの姿勢を恥じた。そして、伸一の行動から、瞬時たりとも気を抜くことの許されない、広宣流布の指導者の責任の重さを、しみじみと感じるのであった。・・・伸一も、十六日の午後の便でハワイを発ち、日本時間の十七日午後八時半、羽田に到着したのである。帰国した山本伸一は、大阪、香川・・・などを回るとともに、学会本部での首都圏各地の記念撮影
(『新・人間革命』第10巻より編集)191〈桂冠〉42一方、チャーター機の中では、メンバーが名残惜しそうに、窓の下に広がる美しい海岸線を眺めていた。「暖かい気候といい、ハワイは、本当に楽園だね」「このまま、ずっと、ハワイにいたかったな」隣の席のメンバーと、くつろぎながら談笑する人もいれば、・・・。飛行機がようやく水平飛行に移り始めたころ、乗務員が速足で、団長の泉田弘のところにやって来て、緊張し
(『人間革命』第3巻より再編集)69〈漣〉14ああ、甚深無量なる、法華経の玄理(深遠な真理)に、遇いし身の福運を知る。戸田先生こそ、人類の師であらん。祖国を憂え、人類に、必ずや最高の幸福を与えんと、邁進なされゆく大信念。そして、正義の、何ものをも焼くが如き情熱。唯々、全民衆を成仏させんと、苦難と戦い、大悪世に、大曙光(夜明けの光)を、点じられた日蓮大聖人の大慈悲に感涙す。若人は、進まな
(『人間革命』第3巻より再編集)68〈漣〉13(つづき)こうして、物心両面にわたる人類最高の文明を築いていくんです。それが可能であることは、大聖人の御書に保証されているわけだ。したがって、これには絶対の必然性があるともいえるだろう。そうなり得るのも、大聖人の生命哲学が、最高の指導理念としてあるからです。大聖人の仏法は、理ではなく、事なのだ。理と事の相違(たとえば、設計図と実際の建物)は、水火、天地の
(『新・人間革命』第10巻より編集)186〈桂冠〉37引き続き、ハワイ総支部の新人事を、理事長の十条潔が発表した。・・・。支部旗の返還授与があり、再び、伸一は指導に立った。ここで彼は、ハワイにも寺院を建立することなど、次々と未来構想を発表していった。常に、希望あふれる、新しき目標を示しゆくこともまた、大事な指導者の責任といえよう。このあと、会館の庭で、参加者全員が山本伸一と一緒に、記念の
(『新・人間革命』第10巻より編集)183〈桂冠〉34質問は、活動上の問題や教学など多岐にわたった。通訳を介してのやりとりとなることもあって、深夜になっても終わらなかった。会館の整備、清掃には、メンバー全員があたった。既存の家を購入したことから、内装を替え、外壁のペンキも塗り直さなければならなかったが、皆、喜々として作業に取り組んでいった。特に、前年の十一月、山本会長が、年明けの一月半ばに、ハワイを訪問するこ
(『人間革命』第3巻より再編集)60〈漣〉5たとえば、一か月後の総本山大石寺での夏期講習会には、東京近県の青年たち、千葉の浦安や、埼玉、群馬からも、五人、十人と参加してきた。皆、初参加の期待に胸をふくらませて、初々しい気持ちでやって来た。彼らは、初めて会った戸田城聖に、この人こそ自分たちが師とするのにふさわしい人物であると感じた。山本伸一も、初めて講習会に参加した。だが、彼は、参加して来た青年たちが、
(『人間革命』第3巻より再編集)59〈漣〉4彼は、青年部の組織が、民主的に運営されたことには、異論はなかった。しかし、そのためには、まず一人ひとりが、どこまでも広宣流布の使命に生き抜く、透徹した信仰に立つことが大前提となる。もし、民主主義の多数決原理のみが優先され、広布の戦いのうえで、保身と臆病にに満ちた意見が多数を占め、それで進むべき方向が決定されていくならば、学会の組織は、いつか破綻してしまうこ
(『新・人間革命』第10巻より編集)180〈桂冠〉31途中で出会った職員にも、一緒に屋上に上がろうと、声をかけた。師走の風が肌を刺した。「ほら、見てごらん」伸一の指さす彼方には、威風堂々と、胸を張り、万人を包み込むかのように、大きく腕を広げ、紅に燃える富士の姿があった。「みんな、あの富士のように、何があっても微動だにしない、”信念の人“に、会員の”希望”の存在になっていくんだよ」頷く
【関西】〈われらの福運錦州城を「新・人間革命」とともに〉〈20〉第26巻【地方発】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,910件·329人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com
(『人間革命』第3巻より再編集)57〈漣〉2初夏に入った六月二十六日には、月例の青年部の座談会であった。それは、いつもの座談会と違って、新しい構想を語り合う会合・・・三時間近い話し合いのなかで、・・・議論は急速に展開した。そして、とうとう、これまでの青年部を解散するという決議にまで突進してしまった。・・・彼らは、解散と同時に、新発足の準部委員会を設立し、委員を選出した。山本伸一は、この日も身体
(『新・人間革命』第10巻より編集)177〈桂冠〉28だが、伸一は、誰よりも、自分自身に対して、最も厳格であった。だから、いかに厳しくとも、皆が彼を信頼し、付き従ってきたのである。人間の育成とは、口先だけでできるものではない。ともに行動し、自らが範を示してこそ、初めてなされるものだ。彼は、毎朝、本部に到着すると、職員一人ひとりの顔色を注意深く見た。疲労がたまったり、生活のリズムを崩して、体調を壊し
(『人間革命』第3巻より再編集)55〈群像〉19完だからこそ、心のなかで精いっぱいの抵抗をしていたのである。”逃げ出すなら、今のうちだ。後では取り返しがつかないぞ”彼は、時に悶々として逡巡した。しかし、読書や思索において直面するさまざまな難問が、戸田城聖に教えられた大聖人の仏法哲学の片鱗によって、ものの見事に割り切れていることを知り、仏法の真髄の偉大さを、日一日と実感せざるを得なくなっていた。
3巻は、1961年冒頭のことが描かれる。山本伸一の広布の舞台は、アジアへと大きく展開していく。「新・人間革命」は、創価学会の歴史を記した物語である。それは、山本伸一の激励の旅であり、励ましの言葉に彩られている。僕には、仕事や生活の上で、いろいろと悩むことや苦しいこともたくさんあったが、この小説の励ましが胸に響いた。そして、日々、ギリギリのところで、なんとか負けずに歯を食いしばれた。僕は、このブログで創価学会の喧伝をするつもりは毛頭ない。むしろ、現代の感覚から見ると、小説内で言ってい
(『人間革命』第3巻より再編集)54〈群像〉18神奈川方面には、横浜の鶴見に森川幸二がいた。その長男の森川一正は、市役所に勤めながら、新たな青年部の推進力として、活動を開始していた。・・・。なお東京では、やがて学会再建の中核になっていった人びとが、多数入会し、牧口時代からの人も、新たな決意で活動を開始した。蒲田の春木洋次夫妻や・・・、戸田のもとで正法に目覚め、偉大な信心の力を証明しようと、活躍し始めていたのである。
(『新・人間革命』第10巻より編集)173〈桂冠〉24その職員は、伸一の姿を目にすると、顔色を変えて、「先生、誠に申し訳ございません」と言って、深々と頭を下げた。「謝るのは、私にではなく、長い間、お待たせしてしまった、この方に対してだよ」「はい、大変遅くなりまして、すいません」職員が言うと、婦人は笑顔で答えた。「いいえ、とんでもございません。お忙しいのに、無理なお願いをいたしまして、私の方こそ、
皆さんおはようございます😃日々寒くなりましたね部屋は暖かくして健康に注意!加湿心掛け風邪予防!🤧今年の汚れは、今年のうちに!今年の目標は、今年のうちに!2025年(巳年🐍)執念(深さ)の巳年は、残り34日ですよ!更に更に更に、丁寧に生きる❣️2025年11月28日(金)7:00【健康重視し長寿を目指して】《ストレス溜めずに発散すること》(温度21.5°湿度49%)【起床時】朝一杯の水💦!常温で水💦私はキンキン冷たいので🧊又は炭酸水❣️にて【就寝時】寝る
(『新・人間革命』第10巻より編集)172〈桂冠〉23だが、何よりも伸一が心がけてきたのは、彼自身の行動を通して、すべての本部職員に、広宣流布に生き抜き、会員を守り、奉仕する精神を、伝えることであった。それこそが、官僚主義、組織主義の対極にあるものだからだ。十一月下旬のある日のことであった。山本伸一は、本部一階の事務局の机に向かい、山と積まれた書籍の色紙に、友への励ましのための揮毫をしていた。筆に墨を
(『新・人間革命』第10巻より編集)171〈桂冠〉22山本伸一は、職員一人ひとりを磨き抜くために、あらゆる努力を重ねてきた。さまざまな機会に、皆と対話し、それぞれの職員の性格から家庭の状況まで、よく知るように努め、少しでも時間があれば、質問や意見を聞くようにした。質問が出ない時には、伸一の方から質問した。その内容は、教学に始まり、文学や哲学、国際情勢の分析や核問題など、多岐にわたっていた。だから、
(『新・人間革命』第10巻より編集)170〈桂冠〉21しかし、その一人ひとりを見失い、人間を「数」としか考えなかったり、「役職」や「立場」で人を見る時、社会の多くの組織がそうであるように、学会もまた、冷酷な官僚主義に陥ってしまうことになる。そして、「師子身中の虫の師子を食む」との御聖訓のごとく、内部から、しかも、中枢から、学会を滅ぼしていくことになろう。では、組織が官僚主義化していってしまう根本原因は、どこに
月々日々に――池田先生の折々の言葉2025年11月25日人間の生命を変えゆく平和革命の武器は、魂を触発する言葉だ。言葉は生命である。言葉は光である。言葉は希望である。※小説『新・人間革命』第10巻「言論城」の章を基にしています。名字の言山本伸一が花火を見ながら青年に語ったこと2025年11月25日正岡子規は詠んだ。「くらがりの天地にひゞく花火哉」。華やかな光ではなく、闇と音で花火を描いた一句である。子規の生涯は短かったが、実際をありのままに写す革新的な俳風を打ち立て、弟子たちが発
名字の言山本伸一が花火を見ながら青年に語ったこと【名字の言】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,913件·265人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com
正岡子規は詠んだ。「くらがりの天地にひゞく花火哉」。華やかな光ではなく、闇と音で花火を描いた一句である。子規の生涯は短かったが、実際をありのままに写す革新的な俳風を打ち立て、弟子たちが発展させた今月、茨城で行われた「土浦全国花火競技大会」。今年で100周年を迎え、「スターマイン(連発式花火)」などの3部門で、花火師たちが技術と発想力を競った「ヒュー」「ドーン」「バラバラバラ」――光もさることながら、音からも“来た人を喜ばせたい”との思いが伝わってきた。その響きは、観客はもちろん、次代の
(『新・人間革命』第10巻より編集)169〈桂冠〉20また、川瀬は、教学を研鑽するうえのライバルを、心秘かに決めていた。それは、当時、現役の大学生で、初めて教学部の教授になった、ある学生部の幹部であった。その存在を機関紙で知ると、彼は、”この人に負けないで、自分も早く教授になろう“と、いよいよ懸命に研鑽に励んだ。そして、教授補にまでなったのである。川瀬は、今、教学試験の会場に、突然、姿を現した山本伸一を前にし
テーマ別に音声で聴く「新・人間革命」生死不二①【テーマ別音声】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,914件·283人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com
皆様おはようございます😃2025年11月18日(火)7:30【今日の沙梨槃特(田舎の山猿🙉・遅稲🌾・遅咲狂咲🌸)つぶやきの妄想癖】早朝今日も妄想にお付き合いください。🙏🙇♂️また今日も一日寿命を伸ばしましたね!ド〜ン😱今日も大日天から出発🛫❣️で〜す。創価学会(創価教育学会)日蓮仏法(日蓮大聖人魂)人間の『内なる力』を信じ抜き生き方の変革を促す『創価教育』人間の可能性を信じ抜き生き様の模範を示す『日蓮仏法』【特別対談映画「続・人間革命」を巡って】俳優あお
(『新・人間革命』第10巻より編集)159〈桂冠〉10こう言って伸一は、壮年の肩を大きく揺さぶった。壮年は、目を潤ませながら言った。「はい。負けません。負けるものですか!」伸一は、それから、皆に語った。「広宣流布に生き抜く人を、大聖人がお守りくださらないはずがありません。大聖人は、南条時光が病にかかった時、お手紙に、こう記されています。『鬼神めらめ、この人をなやますは剣を逆さまに、飲む
紀元前330年代に大帝国を築いたアレクサンドロス大王に、こんな逸話がある。大王が護衛官と共に1人の女性を訪ねた。女性は、同じような服を着る2人のどちらが大王かが分からず、上背のある人に歩み寄って礼をしただが、その人は護衛官だった。失態を恥じる女性に大王は言った。「お間違いになったわけではない、この男もまたアレクサンドロスなのだから」(アッリアノス著『アレクサンドロス大王東征記』岩波書店)。“同じ責任感で戦う者は私と同じく大王である”という信頼感ゆえの言葉だろうか共に戦う――池田先生は1
特別対談映画「続・人間革命」を巡って俳優あおい輝彦さん×池田博正主任副会長【企画・連載】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」956件·376人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com