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こんにちは、元気ですか(・・?古代中国では、新春の訪れは、春節とされる。古代中国では、元旦と称されていた。元とは、始まるの意味であり、旦とは、日の出を示す象形であることから、元旦は最初に日が昇る一日、すなわち正月を示す言葉となり、年、月、日の始まりであることから三元、最初の朝であることから三朝とも称されていた。農民にとって待ちに待った春が大地に戻ってくる。一月は、節句が多い。正月を象徴する新年、元旦から、一月7日の人日、1月15日の上元、一月晦日の晦日というように、次から次へと行事が
【問題】山崎の戦いで、羽柴・明智両軍は次のうち何と呼ばれる川を挟んで激突したか?【選択肢】福田川石津川武庫川円明寺川【正解】円明寺川【解説】羽柴秀吉と明智光秀の対戦となった山崎の戦いは、天王山と淀川に挟まれた西国街道の隘路のすぐ北を扼する円明寺川(現在の小泉川)を挟む形で行われた。
6月13日の歴史戦国山崎の戦い天下分け目の天王山山崎の戦い天正10年(1582)6月13日羽柴軍が山崎で明智軍と激突し羽柴軍が明智軍を撃破する6月2日明智光秀による謀反本能寺の変がおこる中国攻め、備中高松城の戦い毛利と交戦の最中である秀吉は翌日6月3日に本能寺の変の報を入手急遽毛利軍との和議を結ぶこの後有名な「中国大返し」をおこなう山崎の戦い12日には両軍着陣している羽柴軍は4万ともいわれていて明智軍は1万
京都の記事に戻ります。初夏の六角堂を参拝しました。『初夏の六角堂(頂法寺)[京都市中京区]』前田珈琲室町本店でモーニングを食べお腹いっぱいに『前田珈琲室町本店でモーニング[烏丸]』またまた京都へ行ってきました。6月18日までお得なチケットが発売されて…ameblo.jp北急・モノレール京都おでかけきっぷを活用するお出掛けスタートですまずは阪急京都線の烏丸駅から西山天王山駅に向かいました。駅は長岡京市に位置するんですね。ここで主婦パート仲間さんから電話が翌日の朝のシフトについ
戦百景山崎の戦い(講談社文庫)Amazon(アマゾン)549〜2,316円中国大返し・山崎の戦いを、官兵衛・藤孝・市松・左馬助・右近・利三・秀吉・光秀の胸の内の想いや苦悩を描き、一つの作品に仕上げています。相談がなかったことから衝動的な行動ではと頭を丸めて与しない姿勢を示す藤孝。織田随一の臣と思っていた光秀が信長を殺したと感情を抑えられない秀吉。その秀吉に敵は光秀だと改めて理解させる市松。信長を除かなくてはと行動したものの、その後の展開についていけない光秀。秀吉は
3月25日、文化の家「森のホール」で長久手市郷土史研究会主催の「書簡に見る小牧・長久手の戦い発刊記念講演会」が開かれました。ガバメントクラウドファンディング(市内で活動する団体が行う事業に対して市が補助金を交付することを目的として寄付を集める制度)を活用して、開催費用が賄われています。舞台上には、小牧・長久手の戦い同盟都市の市長、町長が出席していました。第1部は中京大学文学部の播磨良紀教授の講演でした。天正10年「本能寺の変」で織田信長、信忠(信長の長男)が死去→山崎の戦い→清須会議→賤ヶ岳の
京都山崎の天王山の名は元々牛頭天王を祀っていたことに由来するそうだ。天王山は本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と中国大返しをしてきた羽柴秀吉との天下分け目の戦い「山崎の戦い」の舞台となった場所だ。そして天王山に陣取った羽柴秀吉が戦闘を優位に進めて明智光秀を破ったことから、勝敗を大きく左右するような勝負を昔から「天王山」と比喩する。そうか、今まで天王山の名前の由来まで意識したことがなかった。当初は天王山にある橘氏の祖神を祀る自玉手祭来酒解(たまでよりまつりきたるさかどけ)神社のみに関心が
ブルーシャトル(劇団ひまわり)さんの史観による織田信長の舞台が始まった...漸く【織田信長の天下布武】迄先生のお話を傾聴し終えました。想定以上の時間を要しましたね(^o^;)・・・。この【織田信長の舞台】観劇は太平洋序曲の観劇準備中(日本史を学ぶ)に気になり、決めました。2021.8.8...チノポス・日本史講座を始めよう!と決意してから随分長い間、放置しました。宇田天皇で留まっていました(^o^;)世界史・地理の選択者でしたので全く日本史を学ばず、成人
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)6月13日、羽柴秀吉(はしばひでよし)は山崎の戦いで明智光秀(あけちみつひで)を倒した。光秀さんは織田信長(おだのぶなが)さんを6月2日に本能寺で討ったばかりなのにわずか11日後に討たれるなんて…秀吉「やった!やった!謀反人、光秀を討ったぞ!!」そこへ黒田官兵衛(くろだかんべえ)がやってきた。官兵衛「殿(秀吉のこと)、毛利輝元(もうりてるもと)殿の使者と
さてさて……………我々は、【宝積寺】から『天王山山頂』を目指します…………一気に登山ハイキング感が増してくる【天王山】は、桂川・宇治川・木津川が合流して、淀川となる川の流れに沿って、東海道や西国街道、京街道と、かつて水上交通路であった川筋を含めて、近畿最大の大動脈である京阪間のほぼすべての交通路が含まれる場所に位置する。また、この地には豊富な地下水に恵まれており、南麓の大阪府側に【サントリー山崎蒸溜所】が所在することでも知られる。そのような地峡を擁する地であることから、南北朝や応
お正月に旅した京都奈良ですが、特に意識して伺ったという事ではないのですが、(奈良の長谷寺は意識して伺ったお寺です。)気づけば、伺ったお寺のご本尊、ほぼほぼ、十一面観世音菩薩様でしたあ、今回は、十一面観世音菩薩様に呼ばれたのねと、旅から帰った後に気づくという。さて、その中の一つ、今回、天王山にある宝積寺(宝寺)のご紹介です。ご存知の方も多いとは思いますか、よく、ここ大一番の勝負の時に、「今日は、天王山の戦いだ」とか言われる、あの天王山ですね。天王山/てんのうざん-語源由来辞典天王山
【問題】山崎の戦いの戦場ともなった天王山に残る羽柴秀吉ゆかりのものとは、次のうちどれか?【選択肢】エンエン井戸旗立松鼻緒地蔵藤吉郎抜け道【正解】旗立松【解説】天王山頂への登り道の8合目付近には、山崎の戦いの際に、秀吉が老松の上に千成瓢箪の馬印を掲げたという伝承を持つ「旗立松」が残る(現在の松は7代目)。
私の家にも遂に新型コロナウイルスの魔の手が伸びてきました。まずは妻が感染して隔離、私と娘の2人での自宅待機生活が始まりましたが、自宅待機4日目に娘が発症、無症状なのは私だけになりました(汗)いつ私も発症するか分かりませんが、注意を払って生活していきたいと思います。自宅待機生活も長くなってきて、ブログ書く時間がたくさんあるのがいいですね(前向き)。さて今回は、現在の京都府長岡京市にあった城、勝竜寺城です。勝竜寺城跡は現在、勝竜寺城公園となっていて、長岡京駅東口から徒歩10分くらいで行くこ
【問題】山崎の戦いに敗れた明智光秀の家臣・斎藤利三は、後に次のうちどこで捕縛されたか?【選択肢】近江国堅田美濃国北方飛騨国白川越前国府中【正解】近江国堅田【解説】明智光秀に従って山崎の戦いに参戦した斎藤利三は、明智軍が総崩れとなると近江国志賀郡の堅田へ逃れた。しかし、同地で羽柴秀吉勢により捕縛された。
また、来てしまった…今年3回目の京都!!ハマってます😁今回は「山崎蒸溜所」「明智光秀天王山最後の戦い」「東寺が有れば西寺も」「お玉ちゃん!土岐市から来たよ!」って感じの旅ですスケジュールは完璧に!!色んなパターンを用意してみましたあっ!今回も歩きます😁一度来てみたかった「山崎の合戦跡」明智光秀シリーズも終盤です光秀がどんな感じで負けたのか…妄想大好きですその前に「天王山」270m登って来ました日頃の行いが良いので晴れです😁「観音寺(山崎聖天)」からおっと!瓦は「
どーも!【ニッポン城めぐり】【今孔明】だぁやま敗軍部将業平です。…遅くなりました。敗戦後、山中に潜伏していた為、ブログが書けませんでした。と言う体(てい)で、敗戦がショックで中々書けませんでした。2022年の最後の合戦【山崎の戦い】明智対羽柴織田は、史実通り羽柴織田軍の勝利です。悔しいです!私の言葉を信じて明智軍に加入して、一緒に戦ってくれた方々には、ホント申し訳ないです。お詫び申し上げます。運営様のブログにて、合戦の経緯が書いてありました。先ず明智軍の人数が凄い行くと思ってたら
本日、無事、山崎の戦いイベント終了☝️だいぶ大差で負けていたが、結果はいかに…👀無事、山崎の戦い、秀吉軍勝利🏅今回、羽柴・織田軍の皆様、おめでとうございます🎉参加者数が1,000人以上違っていたので、かなり劣勢でしたが、同盟の絆の強さで勝ちましたね✌️羽柴・織田軍の皆様、羽柴秀吉隊の皆様、ありがとうございました🤗
本日13時、合戦イベント「山崎の戦い」がついに決着しました。約10日間の熱い戦いは、羽柴・織田軍の僅差での勝利で幕を下ろしました!まずは参戦されたみなさま、大変お疲れ様でございました!!今回の合戦、ある程度明智軍が人数多くなると想定していました。そして、それを見越して(実際史実がそうだったからというのもありますが)羽柴・織田軍の方が大手柄武将が充実していました。ただ、人数の差が思っていたほど付かず(最終的に約1,200人)、これでは羽柴・織田軍の圧勝になってしまうのでは?
どーも!【ニッポン城めぐり】【今孔明】だぁやま右中将業平です。遅くなりました。合戦も終盤になりました11月16日の13時終戦です。追加の指令クイズを調べました。(ご協力に感謝します順不同)最も頼り⇒細川筒井隣の部隊⇒敵に横槍秀吉本隊⇒金の瓢箪敵の鉄砲隊⇒雨が降るようこれほど早く戦場に⇒備中高松城14日の22時過ぎの今現在の状況ですが…。明智軍15,760人、軍功36,538,472羽柴織田軍14,474、軍功33,541,274明智軍が軍功約300万リ
いよいよ合戦イベント「山崎の戦い」も終盤です。今日を入れてあと3日。いまさら感もありますが、今回もお問い合わせが増えていることもありまして、以下によくある質問をまとめました。お問い合わせの前に、ぜひ一度ご一読頂けると助かります。Q.合戦でリニューアルした武将の顔が古いままなんだけど?A.合戦イベントでは、両軍の部隊長が発表される際、その中の一部の武将について顔グラフィックがリニューアルされることがあります。ただ、端末にキャッシュが残っている場合、一時的に古いグラフィックが
どーも!【ニッポン城めぐり】【今孔明】だぁやま右中将業平です。遂に!今年最後の合戦が始まってしまいました11月7日の16時開戦だったのですが、私が戦場に辿り着いたのは24時を過ぎていました。開戦と同時に参戦した方が、より多くの軍功を貯める事ができ、自軍の勝利と自分の報酬に繋がってくるので、早目の参戦に越した事はないです。が、【洞ヶ峠(ほらがとうげ)】の筒井順慶の様に少しでも日和見(ひよりみ)をしようと思ってる人もいるかもしれません。合戦は10日間です。まだ両軍共に続々と集結してると
山崎の戦いイベントが始まりました🤗今回は羽柴秀吉軍に参戦し、配属先は羽柴秀吉隊になりました🤗同軍になりました方、よろしくお願いします🙇🏻♂️
本日16時、いよいよ合戦イベント「山崎の戦い」の火蓋が切って落とされましたーー\(゜□゜)/緒戦から激戦が展開されていることだけは確かですが、いつにも増して、戦場は人馬で舞い上がる砂塵と火縄銃の硝煙に包まれています。戦況が掴めるようになるまでどれだけの時間がかかるのでしょう。ちなみに、史実では、本能寺の変が起こったのが、天正10年(1582)6月2日。山崎の戦いが起こったのが同6月13日。その間11日、残された織田家中の人々にとっては激動の日々だったことは容易に想像できます。
いよいよ週が明けたら合戦イベント「山崎の戦い」が開戦します。今日は最後の告知タイミングということで、総攻撃と告知済みのクエストイベントの補足をさせてもらいます。まず、総攻撃について、「山崎の戦い」では両軍ともに2回ずつを予定しています。総攻撃前には総大将からそれを知らせる布告がありますので、見逃さないようにしましょう。次に、今回の合戦では久々にクエストイベントを実施することを既に告知しています。クエストイベントは本来、家臣団コレクション内のクエスト達成に必要な武将
近頃はめっきり気温が下がってきまして、恵那で半袖でウロウロしてたのが嘘のようです。パソコンのファンの熱風吹き出し口で冷えた手先を温めつつ筆をとっています(*¯꒳¯)一方、だんだん熱を帯びてきたのが、合戦イベント「山崎の戦い」。早くも多くの人が柴田勝定を登用していて、臨戦態勢は整いつつあるようです。本日は、論功行賞などの発表をさせて頂きますので、最後までお付き合い下さい!!★全参戦者参戦者全員に、協賛楽座特典「龍勢・袖印・竹筒水」を贈呈!■勝利軍勝利軍全員に、限定異名「
先週、合戦イベント「山崎の戦い」の大手柄武将を発表しました。普段と順番が違うので何かの匂わせかという風聞もありますが、早めに決定しただけで、特に他意はありません・m・)さて、引き続いて、本日は両軍の部隊長の発表をさせてもらいます!以下のような顔ぶれとなっております↓両軍6名ずつ、計12名の部隊長です!羽柴・織田軍は、秀吉が実質の総大将として率います。信長の実子として本来なら強力なリーダーシップを発揮すべきところの信孝は、本能寺の変の際に丹羽長秀と大坂にいたものの、軍が瓦解
どーも…。【ニッポン城めぐり】【今孔明】だぁやま右中将業平です。また御無沙汰してしまいました。私、国家試験に破れ、悶々としておりました。と、言い訳をしてみます。【地域限定城めぐり】の続きの予定だったのですが、【合戦イベント】の告知があったので、合戦について書きます。11月に起こるであろう大戦(おおいくさ)は【山崎の戦い】です!本能寺の変から11日後に摂津(せっつ)と山城(やましろ)の境の山崎(現在の京都府)にて、明智光秀軍と、織田信孝を総大将に据えた羽柴秀吉軍が激突します。恒例の
前回のブログでスケジュールも発表し、徐々に戦機が熟しつつある合戦イベント「山崎の戦い」。通例であれば、そろそろ部隊長などが決まってきて発表する流れなんですが、なんと今回は、いきなり大手柄武将を発表しちゃいます((((°0°)!!!当時、本能寺の変後の大混乱の中で合戦が行われたわけなので、現代の運営チームが物事の順序がよく分からなくなるくらい混乱していてもおかしくありません(←そうか?)。それでは、さっそく両軍の大手柄武将を見てみましょう!※ルビは武将検索用です。┃羽柴・
山崎古戦場跡遠景(京都府大山崎町)10月19日に陣触れとなった次なる合戦イベント「山崎の戦い」について、本日はスケジュールやシステムについてお知らせします(*´∀`)!※この週末に開催された「全国山城サミット恵那大会」のレポートについては、またタイミングを見計らってアップします。まずは、合戦イベントのスケジュールから。現在のところ、以下のように予定されています!!【開戦日時】2022年11月07日(月)16:00【参戦期限】2022年11月12日(土)23:00【終戦
天正10年6月2日早暁、明智光秀は京都本能寺において織田信長を討った。電撃的な軍事行動で目的を達した光秀は、その後わずか数日のうちに近江をほぼ掌握するなど、ここに到って己の軍才を余すことなく発揮していた。しかし、その光秀ですら想定しない電光石火の大返しを敢行した男がいた。備中高松城で毛利と対峙していた羽柴秀吉である。6月13日、早くも畿内の織田信孝や摂津衆らと合流した羽柴軍は、天王山麓の大山崎へと到達した。これに対応すべく、明智軍も勝龍寺城を背に迎撃の布陣を終えた。秀吉が主・信長の仇