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Rivepine『防災運転ミーティング』『運転手の目線で防災を考える』今回、山国川樋田陸閘門について防災運転コーチングで勉強してみる陸閘門で水害から防いでいる状況が良く見える映像です。海南市にも止水板の様な陸閘門があります。住宅街への浸水防いだ「樋田陸閘」樋田地区は2012年の九州北部豪雨の際、山国川の水が流れ込み多くの住宅で浸水被害が出たそうです。2017年に陸閘と呼ばれる門が完成さぁ!!防災運転コーチングで見てみましょ
あやしうこそものぐるほしけれ3今日も寒い朝でした。himemomo-nさん曰く、「昨日より部屋があったまるのが速いわ。寒が少し緩んだみたい。」その言葉を信じて?、食後散歩に出発しました。身を切るような寒さは感じません。(防寒のため着ている服の枚数が違います。)山国川には渡り鳥が飛んできています。このくらい寒いのですから、水の中の寒さは想像を絶します。その水の上を悠々と泳いでいたりエサを取るため潜るのですが、いくら羽が防寒の役割をしているとは言うものの、只々驚くばかりです。
〜さるとびおうけつぐん〜鷹ノ巣山からの帰り道、たくさんの案山子が目に入り、寄ってみました。案山子はもちろんのことでしたが、素晴らしい峡谷との出会いにワクワクしました。長い年月をかけ、自然の激しい渓流が造りあげた大小無数の甌穴(おうけつ)が約2kmに渡って峡底に広がっています。紅葉だけではなく、新緑の季節に是非とも訪れたいと思います♪山国川の清流と河床一帯に広がる変朽安山岩、小さな石ころの三位一体で生まれた自然の造形物です。「猿飛」という名前は、その昔、山猿が現れて岩から岩を飛び回って
「街道を行く」34巻の中津・宇佐の道山国川の章の中で今はその名前は消えてしまった「吉富製薬」がでてくる。大分県のの字来たにある川山国大橋の西のは福岡県吉富長でそこは江戸時代は豊前だったが明治の新政府は福岡県に組み入れたそうだ。司馬遼太郎の人脈の広いことにいつも驚かされる。司馬さんは学徒動員の時召集され満州の戦車部隊に配属された。その時の上官(大尉)だった方が今回の中津の道で、案内をされている。そのかっての上官の方は終戦後故郷金沢に戻り、22才で、薬学を勉強し、卒業後就職した会社が吉富製薬
出身は関東なので紅葉と言えば「箱根」。耶馬渓って変わった名前だなぁ・・と思っていました。「耶馬渓(やばけい)」は、日本三大希勝として知られ、日本新三景に指定されている名勝。見たことないすごい奇石の数々。大分県中津市にある山国川の上中流域を中心とした渓谷です。
徒然なるままに34今日は結構寒い朝でした。山国川にも多くの水鳥が飛んできていました。KRYラジオから山口の周南市八代盆地に今シーズン第1弾となる4羽のナベヅルが渡来したというニュースが流れていました。「山国川が賑やかになって来たわね。」私はスーツを着るというのが苦手で、ほとんど持っていない状況です。(持っていないというより、体が入るスーツを持っていないというのが正解だと思います。)冠婚葬祭に必要なフォーマルスーツは少し大きめを買っていたので今でも何
撮影日2022/05/05大分/福岡県道108号線山国橋手前は大分県中津市外馬場向こう岸は福岡県築上郡吉富町広津山国川に架かるレンガ風にしてんのかと思たけど、ほんまもんのレンガ橋台もレンガ積み1903(明治36年)に架けられた木橋のレンガ橋台/橋脚にレンガを継ぎ足してこの姿になったらしい現在の橋は1934(昭和9年)竣工左右のレンガが異なっていることがわかる橋脚すみっこの飾り石がいくつか脱落している自然石を球形に加工した?それとも
昨日は帰り道にドライブがてら『魔林峡』に立ち寄った前は紅葉シーズンですんごく綺麗でした『ワンダーランド山国町から絶景スポットへ』「りゅうしょうさん、感動する風景があるんで行きませんか?」とPちゃん。「おお~感動したかばい行こう行こう!」向かう途中、耶馬溪も綺麗かった。しばし車を走らせ…ameblo.jp玖珠町から中津市山国町へ天気もよくてすごく気持ちがいいドライビングロードが続きます魔林峡到着♪ここは高千穂峡のミニチュア版みたいな絶景が楽しめる場所・・・なん
散歩は朝と夕どうしても散歩する時間帯は日が暮れてからと早朝になります。昨夜、散歩に出て空の青と建物や木々の黒のコントラストの綺麗さに思わず写真を撮ってしまいました。前に見える建物らしきものは家の門で、周りの木々はその家の庭になります。昔から、私はここを“御隠殿(ごいんでん)”と呼んでいました。(今この呼び方をする人はほとんどいません。人は住んでいます。)この時間帯の山国川も大好きです。撮った写真と見た風景に余りの差があるため残念に思う
昨夜は「行橋駅」前のビジネスホテルで宿をとり、夜は駅周辺を徘徊しましたが、興味を引く店はなく早々にホテルに戻り、一人酒盛りでした。昨日の終了地点からも出発です。案内標識や説明板類がない為、自作の地図と、現地を確認しながら歩きますので、ロス時間が多くなりがちです。暫く歩くと、飛行機の爆音が聞こえ、ほどなく航空自衛隊「築城基地」となりました。街道筋は基地内に消滅していますので、基地沿いの迂回路で、通過して行きます。高い塀に囲まれて、基地の様子は見えなかったです。基地には、いろん
青の洞門の上は、競秀峰である11の峰や岩が競い合いように連なることから競秀峰と名付けられたようだ迫力あります手前の川は山国川左奥の橋は国道212号線の橋川の水面3mほど上の穴は道路の明り取り向かってもっとも左の岩の写真開いている2つの穴は、僧禅海が開けた青の洞門の明り取りの窓午前中に福澤諭吉記念館を訪れていたことが、よりこの景観への思いを強くした福澤諭吉は、競秀峰の土地が売りに出されていることを知り、親族らの名義を使って、少しずつ競
耶馬渓橋は、古くは日田往還と呼ばれた国道212号線の近くにある国道212号線が山国川を渡る橋の右岸の下流50mほどのところにあるのだこの国道の橋の山国川右岸上流は車両通行止めになっていた橋から200mほど上流に進むと、青の洞門がある自動車が通行可能なこのトンネルは近代のものであり、江戸時代に僧禅海が30年かけて手彫りしたのは、ロープが張ってある右の穴が入口明り取りの穴(窓)から山国川がすぐ下に見える7月10日の豪雨では、洞門も水が入ったようだ洞門の
福澤諭吉旧居・記念館を出て、耶馬渓(やばけい)に向かうまず観るべきは、1923年(大正12年)に造られた石橋しかも、最長の石橋であり、かつ唯一の8連アーチ石積みに長崎の技法を用いていることからオランダ橋とも呼ばれるその名は耶馬渓橋画像ではよくわからないが、石の欄干が落ちている7月10日の豪雨で一部が破壊され、通行禁止になっている7月10日は、大分県中津市耶馬渓の山国川が氾濫、と幾度も報じられた突き刺さった流木がまだ撤去されていない土台が
今日も良い天気です。妻のお供で中津へドライブついでに山国川オトリ屋さんの話しでは掛かり出したとのこと少し期待。しかし途中に釣り人は1名不安⁉️解禁日に来た場所冠石野地区苔がすごく、良く滑り良く転けました。ハミ跡は少ないです。今回も開始30分で1匹この後目印がぶっ飛ぶアタリで23cmが掛かり今日は爆釣かと思ったけど、その後が続かず…10時~15時で8匹でした。今日は1ヵ所で粘ったけど場所移動で拾って行った方が良い感じ。また次回がんばろー‼️サイクリング道路は豪雨
別府から宇佐へ。地図の出発地点の赤点から、現在地が青点なので、だいぶ北九州に近くなってきました。さらに福岡県と大分県の県境の山国川をこえて、豊前に入ります。
山国川山国川沿いを散歩してきました。だいぶ様子が変わっていました。これは7月2日(日)の写真です。いつもブログに載せる山国川の風景写真です。「この写真、いつも見る山国川の写真ね。」「何これ!横に生えた草がすごいことになっているわね。」今日撮った写真がこれです。横に生えていた草がなぎ倒されたり流されたりしています。分かりづらいとは思いますが、上から数mの所に線が入っています。ここまで水が来たようです
今日は、暑い日でした☀️昨日と打って変わって晴天☀️昨日は、福岡・佐賀・大分にまたがって線状降水帯が発生し、豪雨になりました。自宅前の花月川、あと1mで堤防超えに😱前回の九州北部豪雨に比べて流れが激しい感じでした💦山国川が氾濫し、花月川上流でも氾濫した☝️とニュースがあり、びっくりしました。そのニュースが流れてから、心配して知り合いから電話やメールが、たくさん😅ご心配をおかけ致しました🙇♀️昼から雨が上がったので、堤防超えも無く、避難もせずに済みました🙇♀️本当に
7年前に大分中津の耶馬溪へ🚌🚶中津駅から青の洞門までバスで移動🚌あとは徒歩で青の洞門や山国川に掛かる石造アーチ橋の耶馬溪橋羅漢寺橋など圧巻だった~👍今回の集中豪雨で山国川が氾濫して耶馬溪橋の欄干が壊れてしまった~😢以前通っていた大衆割烹の呑み仲間のお祖父様が耶馬溪橋や羅漢寺橋の建造に関わっていたとか~✨羅漢寺橋の写真確認したら名前があった🧐改めて被害のお見舞いを申し上げます🙇
こんばんは。福岡・大分に大雨特別警報が出て、九州北部は大変な被害が出ましたね…今日はハラハラしながら故郷のニュースを見守っていました。一方、各地で猛暑日となり都内も36.5℃‼️暑かったです🌞九州は大雨、全国各地で猛暑日。雷雨や雹も降り、本当にお天氣が極端ですよね💦さてさて、今日は60日に一度の弁財天様にご縁の深い「己巳(つちのとみ)」。そして観音様の功徳日である「四万六千日」でもありました✨弁財天様は水を司るので、九州の大雨や川の氾濫が少しでも早く鎮まるよう、不忍池弁財天様にお参りに行
朝から多くのメール。大分は中津の一級河川、山国川。氾濫しなきゃいいな・・って思ってたけど、朝9時15分、旧下毛郡のエリアに山国川氾濫による緊急安全確保の発令。氾濫したんだろうな・・。と思いつつ、1日を終え、地元大分のニュースを見ると・・。国指定重要文化財の耶馬渓橋(通称:オランダ橋)がご覧の通り。欄干を壊して、水が超えてる・・。11年前にも氾濫して、治水工事が行われて、大丈夫・・って思ってたけど、やっぱり自然にはかなわない。パン屋さんも被
よく降りました。今日の10時くらいまではエリアメールが鳴りっぱなしでした。中津市は当然のことですが宇佐市、上毛町、吉富町、豊前市のエリアメールまで流れました。「そういえば、朝からお父さんとお母さんのスマホが何回も鳴っていたね。」6時40分のエリアメールで山国川の氾濫の第1報が入りました。(多志田地区)7時23分に第2報が入りました。(柿坂地区)1報も2報も耶馬渓でした。山国川下流域は私が生まれる前に堤防が決壊し、中津の町が大変になったそうです。そのためか
おはようございます。こんにちは。こんばんは。毎日ブログ連続投稿中です。で災害情報で大分県中津市が出ています。非常に危険な状態です。私が住む所は大丈夫ですがもしかしたら?水害になるかも?今朝の山国川下流の方です。海から1キロ程度上流向こう側は福岡県吉富町無事に過ごせますように・・・ありがとうございます。
福岡なんか学校全部が休校、、だそうな5河川で氾濫って普通じゃない。自分だけは大丈夫だろうとは思わないで。#レベル5#緊急安全確保#緊急速報#ニュース速報#山国川氾濫#筑後川氾濫#線状降水帯TBSNEWSDIGPoweredbyJNNhttps://t.co/HRstOyGKDZpic.twitter.com/yNO91G5LBd—しゅら(@mack_max3636)2023年7月10日居住地域のガチャってぇ昨今の流行している言い方、、
豪雨災害と言えば、山国川の氾濫が心配ですが、ニュースでは山国町の方がお一人行方不明になっているそうで、とても心配です。今朝から中津市内を巡回して様々な箇所で水路氾濫で道路冠水が起きています。TOTOの南側交差点の市道道路と水路の境がわからないほどになっています。こちらは大悟法の県営不急は以前から市に水路の事で話してきた箇所ですがこんな状況に深さ30センチほど冠水していました。通行止めを看板をしていても看板をのけて通る車には驚きました。最後にトライアルのところです。こちらも通行止
朝から・・・スマホの緊急情報が鳴り響く大分県北部ですまさか!と思いますが・・・長い人生・・・上り坂、下り坂、突然やってくる「まさか!」堤防が決壊すると・・・中津市街地まで濁流が押し寄せる本当に「まさか!」でしたとりあえず・・・大切な書類は持ち出せるように・・「まさか!」の備えが必要だと思う今、山国川氾濫の緊急速報が出ました自分の命は自分で守りましょう
面白いもの見つけた!少し暑くなってきたので、散歩は朝早く出かけることにしました。ちょうど干潮の時間帯なのでしょう。川底が見えています。今まで河川工事のため通れなかったところが通れるようになっていました。久しぶりにその道を通っていきます。どこを工事したのかわかりません。多分川底の工事をしたのだと思います。「朝早くから、出かけたみたいね。」Uターンをして帰る途中にこんなものを見つけました。この角度か
山国川の役割今日は合唱の練習日です。朝早くから散歩をしてきました。面白い花が咲いていると、グーグルレンズで調べました。この花の名は”ねじ花”というみたいだという事が分かりました。「どこがねじ花なんですかね。」のんびり山国川沿いを歩きました。立札にはYamakunigawaと書いていました。今までYamagunigawaとばかり思っていた私はアホだなと思いながら歩いていました。山国川にはある重要な役悪があるという事をすっかり忘れていました。
少しだけ遅れた!昨日のことです。夕方散歩をしようと山国川に向かいました。家を出ると、山国川方面の夕焼けがすごく綺麗そうでした。家から、山国川まで7分チョットです。そのくらいだったら、まだきれいな夕焼けのままだろうと思っていました。これで何度失敗したことでしょう。日が沈むのは早いのです。一番きれいに見えるのは、ほんの一瞬でしかありません。今日も少しだけ遅れてしまいました。「出遅れたの?分かってたら、走ったらどう。」モモ「無理な話をしないで下さい。走るには
4045局目:山国【やまくに】郵便局(大分県中津市山国町守実114-7)72043昭和33年(1958)まで山国村、のち山国町になり、平成17年(2005)中津市に編入。町を流れる山国川は平安時代は御木川(みけかわ)と呼ばれていたけれど…明治8年(1875)に山国川と決められたのだそう。☆ご訪問ありがとうございます☆彡https://travel.blogmura.com/raretravel/ranking/in?p_cid=1052
(5月1日訪問)平田郵便局からも見える場所にある馬溪橋。昔、山国川には仮橋が架けられていたけれど、洪水の度に流されていたそうで、人々の苦労を目の当たりにした地元の石工・甲斐伊蔵は大雨にも流されない永久橋を架ける決意をし、潜水夫を雇い川底の岩盤まで掘り下げ頑丈な基礎を造りました。架橋は難工事の連続で、費用負担や樹木の伐採、石材の運搬など地元をあげての一大事業だったといいます。(案内板を参照)橋が完成したのは…耶馬渓が国の名勝に指定された大正12年(1922