元治元年(1864年)4月、夢破れて鹿児島に帰った久光は脚気(かっけ)の症状を呈して歩行もままならない状態に陥り、3年後の慶応3年(1867年)3月まで鹿児島を離れられない身となってゆく。おそらく久光不在の京都を主要な舞台としたこの3年間が、西郷の生涯で最も自由かつ存分にその能力を発揮することができた幸福な時期だったであろう。久光は小松と大久保に西郷の行動を監視するよう命じていたとはいえ、朝廷、一会桑、幕府の思惑が複雑に絡み合い、激動ただならぬ京都の政局に対し、はるか彼方の鹿児島からこの二人を介