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前日は夜勤明けで横浜入りし、初の横浜ロック座を楽しみまして、その後は関内のホテルマイステイズ関内で一泊しました。では旅二日目、1月9日です。7時過ぎに起きて、ホテルの朝食会場に行きましたが、会場スタッフはお喋りに夢中で客に気付かないというサービスの悪さ。食事自体も大したことなく、これなら近隣の飲食店でも良かったと後悔しました。9時40分にチェックアウト。今日は一応行きたいところは決めてますが、自由な一日なのです。しかしホテルから出て歩いていると、足がピリッピリッと痛
JR桜木町駅(旧横浜駅)の新南口の先に佇む、鉄道創業の地記念碑。1872年、新橋〜横浜間に日本初の鉄道が開業した時の横浜駅が、ここ。碑の両脇のレールは本物?駅舎の構造は新橋と同じだったようだ。開業時の時刻表・運賃表。規則は現代と余り変わらない気がする。でもあれ?当時の品川〜横浜の所要時間って50分くらいじゃなかったっけ?この時刻表だと35分?朝メシに構内の蕎麦屋に入ったら、何と、ここに初代横浜駅がある時代の、1900年創業と言う老舗だった。元は洋食屋だったとのこと。超ハイカラだったろう
氷川丸を「下船」しましたら山下公園を散歩いたします山下公園からホテルニューグランドを眺めるのはやはり良いですね!自分には敷居の高いホテルですが、横浜高島屋8階にレストランが出店していて墓参の帰りに寄って老舗ホテルの味を楽しんだ思い出があります!(現在も営業中)山下公園は、1930年(昭和5年)3月に開園した公園です。関東大震災のがれきを埋め立てて作られました。海への眺望、記念碑や歌碑など見どころの多い公園です。横浜ベイブリッジや港を行き交う船の眺めがロマンチック。童謡で
出かけられないから、更新する内容にも窮する有様…。今年4月に横浜に出かけて、横浜開港資料館の展示を見たときのことでも。この時はロモグラフィーのメトロポリスも使ってみたんですよね。その横浜開港資料館の中には立派な玉楠(たまくす)があるのですが、これがかなり歴史的な存在でした。フィルム担当のライチョウさんのうしろの立派な木です。あ、指がかかってしまった(笑)。もう一度撮り直し。GRⅢできれいに撮れてますが、やはり全体を入れるのは無理かな。さて、この木は、歴史の資料
いよいよ山下臨港線の最終回です。あれに見えるは港二号橋梁。複線分のしっかりとしたトラス橋です。平成の高層ビル群に、明治のトラス橋。なんともアンバランスですが、港町横浜に溶け込んだ風景です。前回の港三号橋梁は廃線後に移設されたものでしたが、この港二号橋梁はホントにここに明治42(1909)年に架橋されたものです。明治38(1970)年のアメリカ製なんですね。港二号橋梁の説明板。あと少しで最後の港一号橋梁です。港一号
新港橋梁から先に進みます。このあたりはかつての航空写真や地図を見ると、廃線跡は左にカーブしていたようで、この歩道は廃線跡ではなさそうです。右に見える赤レンガ倉庫の付近にもレールが残っているらしいですが、今回はスルー。そして廃線跡が分かるのは、この横浜国際船員センター(ナビオス横浜)の下を通り抜ける場所。レールもしっかり整備されています。このような造りのビルは、なんだか凱旋門みたいですね。運河パーク内の歩道にもレールが敷かれています。高層ビル群に、廃線跡、整備
まだまだ歩きます。横浜税関。港町ヨコハマらしい、シンボルマーク的な建物です。高架の横に「1963-10」の刻印。この年にここの高架工事が終わり、2年後に開通。高架線は徐々に高度を下げて、地上線になっていきます。正面は山下臨港線、そしてその右側の先ほど歩いた歩道は、ここから分岐していた税関線跡。地上線となった山下臨港線跡は、このクラシカルな橋梁を渡ります。橋梁は遊歩道化されてますが、レールが敷かれています。
山下臨港線跡の「山下臨港線プロムナード」を歩いております。高架橋からは下に行ける階段が設置され、歩きながらも下からも眺めることが出来ます。これは第2山下架道橋かな?こうして見ると、まだ現役路線のように見えますね。徐々に高度が下がって来てます。ここにも架道橋。銘板がありました。第1山下架道橋です。ホントいいお天気でして、気持ちの良い廃線探索です。カーブしながら、高架線は地上へと下りて行きます。第1山下
山下臨港線は昭和30年代に横浜港駅から山下ふ頭まで、貨物線の延伸に伴い建設された路線で、山下公園付近は景観を損なうということで、高架線で建設されました。昭和40年に完成。しかし貨物輸送がトラックへ移行して、鉄道需要が減少したため、昭和61年に廃止されましが、廃止後も横浜博覧会の旅客輸送で復活したことがあります。現在は「山下臨港線プロムナード」として廃線跡が整備され、高架線などが遊歩道になっています。初心者でも簡単に辿れる廃線跡として有名でもあります。私も存在は知っていましたが、たまたま関内に
前日は赤坂と横浜で宝塚のW観劇で、鉄分薄めの旅でした。旅二日目はタイトルの「延伸開業」の旅となります。アパホテル横浜関内で7時30分に起床し、まずは朝ごはん。そして8時すぎにチェックアウト。みなとみらい線の通勤特急で、馬車道から元町・中華街へ。関東はまずまずのお天気。横浜マリンタワーを見ながら、山下臨港線の踏切跡をちょいと探索(記事は後日UP)。探索後は中華街を横目に、根岸線の石川町まで歩きましたが、これがなかなかの距離で汗だく・・・。
前日は東京国際フォーラムで宝塚歌劇を観劇し、その後は横浜の関内のアパホテルで一泊。夜に30年ぶりの山下公園散策で、山下臨港線の廃線跡を発見しました。さて翌日の旅二日目、1月9日であります。予定では10時頃にチェックアウトして、とある場所に向かう予定でしたが、少し早めに出発して山下臨港線跡を探索します。7時半に起きて、まずはホテルのレストランで腹ごしらえ。そして8時30分にチェックアウト。ホテル前の尾上町というバス停から、横浜市営バスの2系統乗ります。バスは7分遅れの
宝塚観劇を終え、関内のアパホテルにチェックイン。大浴場でサッパリして、部屋に帰って来たものの、まだ時刻は19時過ぎ。翌日はかなりゆっくりの行程だし、さすがに寝るのは早いし・・・。近くに山下公園があるようなので、約30年ぶりに行ってみることにしました。横浜税関。港町横浜をらしい雰囲気ですね。ライトアップされた、横浜開港記念館。なんだか外国にいるかのような気分になります。税関の横から海辺に歩くと・・・ん?なんだこの高架線は??これはもしや、山下
1980-06-15、いよいよ人が増えてきた山下公園を離れ、線路際のとあるビルへ。ここは1週間前の下見時に立入許可をとっておいたところ。(実はこれよりさらに条件の良いビルの許可も取ったのだが当日は断られてしまった。怒)まずテンダーフォワードで横浜港駅に戻る姿を。機回しして下り列車出発・・・そして接近。再びバックで。氷川丸&マリンタワーとのコラボ。おまけ。最後に前日撮ったポイントと思われる地
6月15日(日)と思われるショットに移ります。山下公園に入り、群衆に交じり高架線を走る列車を捉える。その第1列車目。※左奥の鉄塔は、横浜マリンタワー。第2列車目、と思われます。ギャラリーが増えて来ました。※噴煙が被ってしまったが、背後の丸屋根は横浜税関建屋。地元では「クイーン」と呼ばれ親しまれている。※人頭を避けつつ、ポジションを変えながらの連写です。※このロケーションからは、これがベストショット。衰退期の山下臨港線にとっても「最後の栄光
高2の勉学に励む?ERWにホットなニュースが入って来ました。何でも「横浜開港120周年・横浜商工会議所創立100周年」を記念して山下臨港線をSL列車が走る!とか。SLについては前年に「やまぐち号」の運転が開始され、初っ端のC571についでC581が就役・・・そのC581がやって来るとのこと。また山下臨港線については名こそ知らずとも横浜市民なら誰でも訪れる山下公園を高架でぶった切ることで有名だった非電化単線貨物線。列車が通るだけで鉄ファンゾクゾクの線区をSLが走るとなれば・・・これは如何に群衆
横浜市の山下臨港線跡。くっきりと線路跡が残る。こちらは小樽市の手宮線跡。絶対に残すべき街中の痕跡。
横浜市の国鉄山下臨港線跡に残る「港3号橋梁」。この橋梁は最初は夕張川に架けられていた。都会で同郷の人に出会ったようなうれしい出会いだった。
ちわっ、お疲れ様です。いつかのヨコハマ、赤レンガパークからの続きです。近付いても逃げない、観光客慣れした可愛いカモメさんたち。ふっくらなお腹にピンっとした長い脚。癒されますの。ココは象の鼻パーク。赤レンガパークと山下公園の真ん中にあるです。その中央に掛かる、『山下臨海プロムナード』から海を眺めてみると、象の鼻に似てる防波堤を、見ることが出来るです。横浜の港の歴史はここから始まったそーな。この辺りにも、赤レンガ造りの2階建倉庫があったんだって。港だから沢
(Wikipediaの写真を使用)今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、横浜市街の臨港部を走っていた貨物線である通称:横浜臨港線、そして山下臨港線のうち、遺構が残存して廃線跡を歩ける横浜港駅跡~山下公園の区間【開港の道・山下臨港線プロムナード】について超簡単に紹介致します。尚、横浜臨港線・桜木町駅~横浜港駅跡の廃線跡【汽車道】につきましては前週にUPいたしました(記事はこちら)。今後、他の区間も正式に探訪した際には、廃線跡探訪の記事を改めてUP致します。現在の万国橋交差点付