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高松市のマンホールはこのデザインでした源平合戦屋島の戦い防火水そう
天気に恵まれお通り始まりました。
例年では一番早い山車完成です。明日、最終チェックがありますが、補修がないことを祈って今夜は寝ます!
初めて2日前に太鼓ものせました。明日、最後の細かい仕上げをして完成です!
見返しはライト調整すれば終わりです。見返しは過去1番の出来栄えです!
本日快晴の中、安全祈願をして頂きました。
見返しのパタンコです初チャレンジで横にも人形
見返しは完成しました。残り1週間、ラストスパートです!
徳島の帰りに唯一の寄り道。と言っても15分だけ。屋島はいつ見てもいいね!
平安時代末期、源平合戦が日本を揺るがす中、とある一人の弓の名手が突如として歴史の表舞台に現れた。その名も――那須与一(那須資隆)。栃木の武士でありながら、その活躍の舞台は「海の上」。歴史ファンの間では「超人的スナイパー」として語り継がれる伝説の武者である。扇の的を射抜いた奇跡の瞬間【屋島の戦い】1185年、源氏と平家が激突した「屋島の戦い」。劣勢となった平家が船で退却する中、なんと一隻の船から**「どうだ、源氏の中にこれを射る者はおるか?」**と挑発のように掲げられたのが――一本の扇。それが
完全不定期の気まぐれブログとなっております…(^^;;三連休初日の昨日は私の職場のイベントのため出勤!なので実質「単なる連休」?!となってしまい、さてどうする?となったのですが、せっかくお天気も良いし?!というか、この茹だるような暑さの中、日中家でゴロゴロするというのも、エアコンのない我が家ではもはや「灼熱地獄」というか、「なんの苦行ですか?!」というレベルの試練なので、思い切って?またまた瀬戸大橋を渡って四国へお遍路の旅に…↑岡山県南部の「鷲羽山ハイランド」の大観覧車が見え
こんばんは☆彡KinKiKids/雨のMelodyつづきです5月27日(月)折角海沿いの町に来たので折角だから離島へ行きましょう♬切符売り場女木島(鬼ヶ島)は数年前訪問済なので今度は男木島へ行こう位置は左上が男木島右下が屋島屋島は四国本土から細い水路を隔てて橋で直結男木島(おぎじま)迄の切符を購入めおん
3月22日の出来事650年(大化6年2月15日)日本の元号が大化から白雉(はくち)に改元。650年から654年まで。天皇は孝徳天皇。1185年(元暦2年/寿永4年2月19日)治承・寿永の乱:屋島の戦いがおこなわれ源氏方が勝利。atubambooさんが2011/08/05に公開平家物語:屋島の闘いTheTaleoftheHeike:BattleofYashimahttp://youtu.be/tVXUk1zoUJw1804年(享和4年2月
こんにちは、tenです。アメブロ投稿、2135日目です。それでは、今日は、何の日?2月19日は、何の日で、どんな出来事があった日なのか?記念日の由来や、関連するお花、雑学、オタおた話に、郷土の玩具などを、あわせて、紹介していきますね。ほんなら、今日のお花!2月19日の、今日のお花。[花言葉「小さな幸せ、誠実、愛」《菫(すみれ)》]スミレ科スミレ属の、多年草です。春に、濃紫色の花1つをつけます。どこか愛らしい、乙女のイメージの花です
今からちょうど840年前の今日・1185(元暦2)年2月19日・・・源平合戦の中でも有名な屋島の戦いが、現在の高松市で行われました。1183(寿永2)年、それまで栄華を誇っていた平氏が源義仲に敗れ、安徳天皇と三種の神器を奉じて都落ちし西方へ。九州大宰府を追われ、翌年一ノ谷の戦いにも敗れた彼らが船で行きついたのが屋島でした。平氏を追う源氏はそれまで水軍を保有していなかったため四国に迫ることが出来なかったのですが、その均衡を打ち破ったのは源氏のヒーロー・義経で
源平合戦一ノ谷の戦い平安時代の末期寿永3年/治承8年2月7日義経率いる源氏軍による奇襲伝説として伝わる鵯越の逆落し考えもしない方向から平家の陣への奇襲源氏の圧勝により平家敗走この奇襲も軍略を感じ俺が義経が好きになった1つの出来事です✌️この戦で若くして命を落とした平敦盛熊谷直実が我が子と歳の変わらない敦盛を、、、、この事も多く物語で語りつがれてます敦盛といえば織田信長が好きな歌敦盛平氏は屋島へ!!【楽天ブックス限定先着特典】平家物語Blu-ray
2024年9月5日、木曜日。香川県高松市屋島。「新屋島水族館」を堪能した後は水族館に入る前に気になっていた隣の敷設へ内部はとてもお洒落なデザイン微妙なカーブと、微妙な坂道。この建物、通路だけと思ったら、よくよく調べてみたら所々に部屋が有りましたわ中庭。まだ出来たばかりみたいだよね小学生の頃の遥か昔の遠い記憶を思い出してみたら、ここって旅館やホテルが有ったんではなかったかネットで調べてみてもイマイチ分からずまあ歴史好きの方なら屋島って聞くと、「源平合戦」
前回の記事からの続きです。櫛田神社の境内には飾り山笠が奉納されています。飾り山笠とは、祇園山笠のお祭りで奉納するために飾る山笠のことで、福岡市内に全13基が飾られるそうです。櫛田神社のみ通年の展示で、他はお祭りの期間だけになります。祇園山笠と京都の祇園祭の関係について、よく知らないのでこれからじっくり学ぶつもりです。祇園山笠も京都の祇園祭と同じく、お祭りの期間中はキュウリを食べてはいけません。そういった共通点もあって興味深いです。上記4枚の写真は山笠の裏側にあたる「見送り」で、
栃木県那須郡の那須湯本、「那須温泉神社」にやって来ました!(なすゆぜんじんじゃ)です。粉雪が空を舞う…那須湯本全体が茹で卵の匂いに包まれています。那須与一宗隆は屋島の戦いで扇の的を射るに当たり那須温泉神社に祈願し、見事に射抜きその名を轟かせました。この鳥居は、那須与一宗隆が那須氏の家督を相続して、那須温泉神社に寄進したそうです。那須温泉神社の社殿に着きました。雪、積もってます!九尾の狐を祀る「九尾稲荷神社」もありますよ。狐がとうとう神様になった…硫黄の匂いがさ
9月24日(火)11:25快晴、一年中こんなだったらいいのに!?「岩瀬若者一同」の曳山で外題『源平合戦屋島の戦い』広目屋作人物「源義経」「平宗盛」「源平合戦」の一つである屋島を舞台とした戦い。栄華を極めた平家を率いるのは総大将の平宗盛。対する源氏軍を率いるのは戦の天才、源義経。一ノ谷の戦いから、平家追討を念頭に義経は平家の背後から奇襲を仕掛ける。これに驚いた平家は応戦をしながらも次々に海へと逃げていく。約三〇〇〇騎の平家に対し、義経は退くこと無く、ただひた
先日は「お月見」でしたね・・(・∀・)江戸時代、天皇はお月見の際茄子に開けた穴から月を見たといわれます。(後陽成天皇)この「茄子の穴から月を見る」ということが何を表すのか?また「茄子」そのものにどんな意味があるのか?「一富士二鷹三茄子」とも言いますし・・(^。^)・・以前からそんなことを考えていたのですが、「なす」と言えばこの人・・
2024年5月6日の平家物語ぶらり散歩、屋島寺に続いて安徳天皇社に行ってきました安徳天皇社の辺りが、安徳天皇の行宮と伝わるそうです。私はテンション上がったのですが、田んぼにいたおじさんからは怪訝な眼で見られました。
2024年5月6日の平家物語ぶらり散歩、屋島寺からスタートです日本遺産「『四国遍路』~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~」(外部リンク)の構成文化財です。鑑真和上が北嶺に創建、弘法大師が南嶺に遷移、四国八十八ヶ所霊場の第84番札所。が、今の私は、平家物語。しかも、平家寄り。なのに…屋島寺は源氏寄りでした那須与一の子孫が寄進した源氏の白旗、源氏の勝ち臼の他、源平合戦に関する展示物が多数、宝物館にあります。源氏ファンはぜひ。あと、こちら、屋島城の跡でもあったのですが、勝手に屋島の合戦関連の
源義経像「六日の菖蒲」とは、時機に遅れて役に立たないことのたとえ。菖蒲は5月5日の端午の節句に用いるもので、5月6日では間に合わない・・・。『平家物語』には、屋島の戦いに遅れて到着した梶原景時が源義経に「六日の菖蒲」と嘲笑されたことが語られています。『吾妻鏡』によると、1185年(元暦2年)2月18日、暴風の中を五艘の船(150騎)で摂津国を出航した義経は、通常では3日かかるところを翌朝には阿波国に上陸。19日には屋島に拠る平家軍を攻めて敗走させ、21日には志度寺に籠る残党を服従させま
【今日は何の日】4月25日■孔子祭■壇ノ浦の戦いの日■【今日の写真】春の京都仁和寺一年365日、毎日が何かの日です。季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました
命懸けでやれば何も怖いものはない、という。いまの世でいえば、命懸けといっても、戦争は別として多くの場合は、生死が五分五分のところで、そういう言葉を吐いてはいまい。しかし、いにしえ、命懸けとはほんとうに生死を賭けていた。なぜそんなに自分の命を軽く扱うのか、というほどに命をかけている。大河ドラマ『光る君へ』第10回「月夜の陰謀」では、花山天皇が藤原兼家の罠によって出家されられ、皇位をおわれる〈寛和の変〉が描かれていた。兼家の陰謀では、次男の道兼が、花山天皇を連れ出して寺にゆき出家させる〝実
『那須与一』一、源平勝負の晴れの場所武運はこの矢に定まると那須の与一は一心不乱ねらい定めてひょうと射る二、扇は夕日にきらめきてひらひら落ちゆく波の上那須の与一の誉(ほまれ)は今も屋島の浦に鳴りひびく【作詞・作曲者不詳】◇先日申し上げましたが私源義経さん☆のように崖を馬で駆け下りるのは怖くて無理💦って思いましたけど😵那須与一さん☆のようにゆらゆら揺れる船の上に掲げられた扇の的に矢を射って命中させるのも無理だなぁって思い
源氏と平家の最後の戦いとなった壇ノ浦の古戦場跡と赤間神社。源平合戦が始まり、平清盛が病没すると徐々に形勢が逆転し、西国へと都落ちす平家一門。一ノ谷の戦い、屋島の戦いで敗退し、最後は、壇ノ浦の戦いに敗れ、幼くして入水した安徳天皇をお祀りする神社です。平家物語の冒頭、祇園精舎の鐘の声・・を思いだします。