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前回の記事からの続きです。櫛田神社の境内には飾り山笠が奉納されています。飾り山笠とは、祇園山笠のお祭りで奉納するために飾る山笠のことで、福岡市内に全13基が飾られるそうです。櫛田神社のみ通年の展示で、他はお祭りの期間だけになります。祇園山笠と京都の祇園祭の関係について、よく知らないのでこれからじっくり学ぶつもりです。祇園山笠も京都の祇園祭と同じく、お祭りの期間中はキュウリを食べてはいけません。そういった共通点もあって興味深いです。上記4枚の写真は山笠の裏側にあたる「見送り」で、
栃木県那須郡の那須湯本、「那須温泉神社」にやって来ました!(なすゆぜんじんじゃ)です。粉雪が空を舞う…那須湯本全体が茹で卵の匂いに包まれています。那須与一宗隆は屋島の戦いで扇の的を射るに当たり那須温泉神社に祈願し、見事に射抜きその名を轟かせました。この鳥居は、那須与一宗隆が那須氏の家督を相続して、那須温泉神社に寄進したそうです。那須温泉神社の社殿に着きました。雪、積もってます!九尾の狐を祀る「九尾稲荷神社」もありますよ。狐がとうとう神様になった…硫黄の匂いがさ
9月24日(火)11:25快晴、一年中こんなだったらいいのに!?「岩瀬若者一同」の曳山で外題『源平合戦屋島の戦い』広目屋作人物「源義経」「平宗盛」「源平合戦」の一つである屋島を舞台とした戦い。栄華を極めた平家を率いるのは総大将の平宗盛。対する源氏軍を率いるのは戦の天才、源義経。一ノ谷の戦いから、平家追討を念頭に義経は平家の背後から奇襲を仕掛ける。これに驚いた平家は応戦をしながらも次々に海へと逃げていく。約三〇〇〇騎の平家に対し、義経は退くこと無く、ただひた
先日は「お月見」でしたね・・(・∀・)江戸時代、天皇はお月見の際茄子に開けた穴から月を見たといわれます。(後陽成天皇)この「茄子の穴から月を見る」ということが何を表すのか?また「茄子」そのものにどんな意味があるのか?「一富士二鷹三茄子」とも言いますし・・(^。^)・・以前からそんなことを考えていたのですが、「なす」と言えばこの人・・
2024年5月6日の平家物語ぶらり散歩、屋島寺に続いて安徳天皇社に行ってきました安徳天皇社の辺りが、安徳天皇の行宮と伝わるそうです。私はテンション上がったのですが、田んぼにいたおじさんからは怪訝な眼で見られました。
2024年5月6日の平家物語ぶらり散歩、屋島寺からスタートです日本遺産「『四国遍路』~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~」(外部リンク)の構成文化財です。鑑真和上が北嶺に創建、弘法大師が南嶺に遷移、四国八十八ヶ所霊場の第84番札所。が、今の私は、平家物語。しかも、平家寄り。なのに…屋島寺は源氏寄りでした那須与一の子孫が寄進した源氏の白旗、源氏の勝ち臼の他、源平合戦に関する展示物が多数、宝物館にあります。源氏ファンはぜひ。あと、こちら、屋島城の跡でもあったのですが、勝手に屋島の合戦関連の
源義経像「六日の菖蒲」とは、時機に遅れて役に立たないことのたとえ。菖蒲は5月5日の端午の節句に用いるもので、5月6日では間に合わない・・・。『平家物語』には、屋島の戦いに遅れて到着した梶原景時が源義経に「六日の菖蒲」と嘲笑されたことが語られています。『吾妻鏡』によると、1185年(元暦2年)2月18日、暴風の中を五艘の船(150騎)で摂津国を出航した義経は、通常では3日かかるところを翌朝には阿波国に上陸。19日には屋島に拠る平家軍を攻めて敗走させ、21日には志度寺に籠る残党を服従させま
【今日は何の日】4月25日■孔子祭■壇ノ浦の戦いの日■【今日の写真】春の京都仁和寺一年365日、毎日が何かの日です。季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました
命懸けでやれば何も怖いものはない、という。いまの世でいえば、命懸けといっても、戦争は別として多くの場合は、生死が五分五分のところで、そういう言葉を吐いてはいまい。しかし、いにしえ、命懸けとはほんとうに生死を賭けていた。なぜそんなに自分の命を軽く扱うのか、というほどに命をかけている。大河ドラマ『光る君へ』第10回「月夜の陰謀」では、花山天皇が藤原兼家の罠によって出家されられ、皇位をおわれる〈寛和の変〉が描かれていた。兼家の陰謀では、次男の道兼が、花山天皇を連れ出して寺にゆき出家させる〝実
3月22日の出来事650年(大化6年2月15日)日本の元号が大化から白雉(はくち)に改元。650年から654年まで。天皇は孝徳天皇。1185年(元暦2年/寿永4年2月19日)治承・寿永の乱:屋島の戦いがおこなわれ源氏方が勝利。atubambooさんが2011/08/05に公開平家物語:屋島の闘いTheTaleoftheHeike:BattleofYashimahttp://youtu.be/tVXUk1zoUJw1804年(享和4年2月
『那須与一』一、源平勝負の晴れの場所武運はこの矢に定まると那須の与一は一心不乱ねらい定めてひょうと射る二、扇は夕日にきらめきてひらひら落ちゆく波の上那須の与一の誉(ほまれ)は今も屋島の浦に鳴りひびく【作詞・作曲者不詳】◇先日申し上げましたが私源義経さん☆のように崖を馬で駆け下りるのは怖くて無理💦って思いましたけど😵那須与一さん☆のようにゆらゆら揺れる船の上に掲げられた扇の的に矢を射って命中させるのも無理だなぁって思い
源氏と平家の最後の戦いとなった壇ノ浦の古戦場跡と赤間神社。源平合戦が始まり、平清盛が病没すると徐々に形勢が逆転し、西国へと都落ちす平家一門。一ノ谷の戦い、屋島の戦いで敗退し、最後は、壇ノ浦の戦いに敗れ、幼くして入水した安徳天皇をお祀りする神社です。平家物語の冒頭、祇園精舎の鐘の声・・を思いだします。
大田原市にある羽石音楽教室です♬来週のコンサートの中でも歌う曲です。文部省唱歌那須与一を歌ってみた♬https://youtu.be/xBe8TTr_s_o?si=l1haMdQ1THfVYnUc文部省唱歌那須与一を歌ってみた♬歌:石井真由美ピアノ:羽石洋子大田原市のイメージキャラクター与一くんと共に❤️youtu.be栃木県大田原市のイメージキャラクター「与一くん」と共に❤️聴いてみて下さい♬
源平合戦一ノ谷の戦い平安時代の末期寿永3年/治承8年2月7日義経率いる源氏軍による奇襲伝説として伝わる鵯越の逆落し考えもしない方向から平家の陣への奇襲源氏の圧勝により平家敗走この奇襲も軍略を感じ俺が義経が好きになった1つの出来事です✌️この戦で若くして命を落とした平敦盛熊谷直実が我が子と歳の変わらない敦盛を、、、、この事も多く物語で語りつがれてます敦盛といえば織田信長が好きな歌敦盛平氏は屋島へ!!【楽天ブックス限定先着特典】平家物語Blu-ray
笠置シズ子を訪ねた後、宿に向かいました。グランドエクシブ鳴門はゴルフコースと、4棟のホテルが点在する広ーい敷地にあります。宿泊はコスパが良いザ・ロッジ。窓から城のような本館が見えます。次はこちらへお泊りくださーいと誘っているみたいな、、、。夜はライトアップされます。異国にいるようです。夕食はザ・ロッジのイタリアンルッチコーレで。珍しい食材、きれいなプレート、凝ったソースで楽しみました。ただナイフがなまくらで、和牛のローストビーフが切りにくくてあせりました。朝食前の散歩
源平合戦屋島の戦い那須与一ミニジオラマ
久しぶりに訪問した古本屋さんで見つけたので購入してきました。キラキラしているのは、いつものようにクリアファイルによるブックカバー制作。そういや「なんとかを読む」シリーズは絶対あると思い本棚をよく見たら発見。『太平記を読む』もありました。このシリーズで軍記物はほかに『信長公記を読む』がありますが、当方あまり織田信長に興味を持たないのでそっちはパス。出来れば『義経記を読む』があるといいんだけどな。一ノ谷の戦いに関する物語上の虚構などを解説したり、同様に屋島の戦い前
2023.9.7晴れてたら良かったけど突然ですが香川県まで初‼️香川です‼️コレでやっと四国4県を制覇できました〜高松に近づくにつれ瀬戸内の小島が見えてきました高松空港到着‼️この日は空港からレンタカーを借りることに何故って?屋島にどうしても行きたかったのでした‼️源平合戦の舞台、那須与一でも知られる屋島まで🚗当時は屋島は完全な島でした「鎌倉殿の13人」では屋島の戦いは残念ながら描かれませんでしたが…同じく大河ドラマ「源義経」ではタ
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の源平の合戦と源頼朝と義経の兄弟の関係についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想武家政権実現のために自らを頂点とした君臣関係を重んじる源頼朝とそれが理解できずに排斥される”戦の天才”源義経(『まんが日本史』より「源平の合戦-義経の奮戦と平氏の滅亡」タイトル画面)義仲入京→義仲滅亡→義経・範頼入京→平氏滅亡と一気に前回は頼朝は富士川の戦いで平家を打ち破り、義経と再会を果たすも坂東武者らの提案で東国を
カバヤだったか?フルヤだったか?覚えて無いんですが、昔、食玩で販売されてた源平合戦の那須与一のフィギュア。フィギュアを飾る人は皆んなやりたいんじゃないかなぁ?と思う屋島の戦いのシーン。やはり沖合の扇の的は必要だと思い、ミニジオラマで再現しようと思い、入手した。
うどん食べたあとに、ちょっとティーbreak☕屋島東小の真ん前の住宅地で、ヒッソリと営業されてる喫茶店。。。「喫茶DAN-NO-URA(ダンノウラ)」さん。そう!ここは、源平古戦場・・・屋島の合戦の「檀ノ浦」^^(注:源平合戦「檀ノ浦の戦い(下関)」とは別の「壇ノ浦」で~す)。。。ヤヤコシイw店は、階段駆け上った2F部分。。。カバンや置物などの雑貨も販売してる手作り感満載の店内。。👆メニューらしいものは見当たらなかったので、とりあえず、アイスコーヒーを注文👆ご年配のご主人が
屋島の戦い後半の那須与一の海上の扇を弓で射る話から壇ノ浦の戦い寸前までを描いた『新・平家物語(十六)(新潮文庫)』について宗盛の失策で反撃勝利を逃した平家、その宗盛の出生の秘密が明かされる。新・平家物語(十六)(新潮文庫)吉川英治新平家物語新潮文庫全巻セット20巻セット本書について前巻で義経の奇襲の前に兵数も分からず混乱した宗盛の指揮により屋島から海に追いやられた平家一門。しかし、義経が150騎ほどのごく少数の兵であることや、伊予国(愛媛県)の河野氏打倒に送り出してい
意訳で楽しむ平家物語シリーズ。最終巻の(3)は、木曾義仲の挙兵から、一谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い、義経の挫折まで。『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』平家物語の有名な一節ですが、勝てば将軍、負ければ賊軍。まさに歴史は「盛者必衰」。「平家物語三」木村耕一(1万年堂出版)【8月11日読了】【オススメ度
※このページは、『脱出ゲーム香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで下さい。屋島源義経「鞍馬から戻ってきたぞ」「この義経が牛若丸だった頃の師匠である鬼一(きいち)法眼(ほうげん)と、大天狗の相模坊殿にお会いすることができた。相模坊殿の話では、崇徳院はこの義経を許してくださるとのこと。讃岐の民に仇なす者どもを倒すため、我の力を欲しているそうで、近々、院の軍勢に加わることになりそうじゃ」
こんな気持ちで源平合戦に接したことはありませんでした。この事はまず伝えたいと思いました。やはり源平合戦は源氏側が勝つんです。そしてその合戦で負けるのは平氏なんです。一ノ谷、屋島、そして壇之浦の戦い。源氏側でしか考えたことがない私には、ここには本来考えねばならなかった全てがありました。源氏側でしか考えることができなかった私には、1ページ1ページをめくる心苦しさがここにありました。レベルは違えど「蒼天航路」という曹操が主人公の漫画を読んで、この視点の曹操を知ったぐらいの衝撃です。そし
※このページは、『脱出ゲーム香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで下さい。屋島源義経に、軽い弓を渡した。「これぞ我が弓!かたじけない。もし敵にこの弱い弓を取られてしまったら、『これが源氏の大将の弓か』とあざ笑われるところであった」「それがしからの贈り物じゃ、受け取るが良い。鬼一法眼が持っていた兵法書の写しだ」兵法書『六韜(りくとう)』の一部、「虎の巻」を手に入れた。早速読ん
※このページは、『脱出ゲーム香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで下さい。屋島源義経「驕る平家は久しからず」「あれほどの権勢を誇っていた平家も、わずか20年で京の都から追い出された」「その後、我が軍勢が一ノ谷、そしてここ屋島、さらに壇ノ浦で平家と戦って大勝し、平家は瞬く間に滅亡した」「今の讃岐は、まさに平家の全盛期をほうふつとさせる。『県強付会にあらずんば人にあらず』といった状態だ。
昨年、ブロ友さんから「胴吹桜」を教わりました。そして、昨年に胴吹桜を見つけました。今年は狸家の近くの「鞍掛地蔵」へ探しに行きました。ここは、源平合戦屋島の戦いで、義経が休憩をしたところとされています。屋島狸が子供の頃、この松の先代の松に登って、遊んでいましたが、先代の松は枯れてしまいました。この松は、20年くらい前に植えられました。義経が鞍を掛けた時から、もう何代目になるのか?屋島狸は松を見に来たのではありません。桜の老木の胴吹桜を見に来たのです。
鎌倉幕府(3)(反平氏運動)このころから反平氏の運動が起こってきた。治承4年(1180)後白河上皇の皇子以仁王が平氏追討に令旨(皇族の命令を伝える文書)をだして、源頼政らと挙兵した。頼政は保元・平治の乱の勝者で平清盛に信頼されていた源氏の棟梁であり平清盛から信頼されて出世した。しかし平家の専横に対して不満が高まり、後白河上皇の皇子以仁王と挙兵しようと計画して諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えたが計画は露見し準備不足のまま蜂起したが平家の追討を受けて宇治平等院で敗北して自害した以仁
源平合戦、屋島の戦いが終わり2ヶ月後の4月に、栄華を誇った平家が滅亡する源氏と平家の壇ノ浦の戦いに繋がるんですね。この旅でずっと感じていたことこの戦い、平家方の気持ちが自分自身の心の中にあることがわかりました。それはガチンコ勝負をしても結論を見出さない。何処にも着地しない。自分の良い資質を自分に使わず、他人のことばかりに使うまた頑張っても、結論やられる。そして最終的