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【問題】佐料城とは、次のうちどの城の平時の居館か?【選択肢】聖通寺城黄峰城勝賀城引田城【正解】勝賀城【解説】鎌倉時代、香西資村は勝賀山の山上に勝賀城(香川県高松市)を築城した。以来約350年間にわたり同氏の拠点となった。東麓には平時の居館と伝わる佐料城がある。
SNSのフォロワーさんに桐生市に中世城館の遺構が残っている屋敷があると教えて頂き、早速向かいました。彦部家は第40代天武天皇の第一子、高市親王を始祖とし、以来1300年の歴史を誇る家系です。駐車場も完備され、ここから徒歩で向かいます。駐車場の向かいに案内板があります。こちらが入口で、長屋門が見えます。石碑と説明板です。縄張りが中世城館そのものなのが解りますね。長屋門です。国指定重要文化財になってます。ここでインターホン押して待ちます。ボランティ
大胡城から大胡神社を経由して今度は養林寺へ行きました。ここは大胡館と呼ばれる大胡氏の館跡で、別名は養林寺館とも言います。牧野氏のお墓もあります。下の写真の場所が駐車場なので、ここに停めて向かいます。養林寺の山門です。ここに説明板と案内表示があります。説明板にも記載されてますが、二重堀の一部が現存しています。元々は北側、西側にL形に、更には外側に堀と土塁が巡っていたらしいですが、付近の道路の拡張や墓地を造成するにあたってほぼ消滅しています。墓地入口には牧野家墓地と書かれ
要害城(出雲市万田町)詳細不明。東曲輪群東四郭東腰曲輪東曲輪群東四郭東曲輪群東四郭西腰曲輪土橋状尾根東堀切からの北竪堀浅い東堀切東曲輪群東三郭東曲輪群東二郭東曲輪群主郭東曲輪群西二郭東曲輪群西二郭西腰曲輪東曲輪群西三郭中央部は道路により分断されている西曲輪群東二郭北帯曲輪西曲輪群東二郭西曲輪群主郭主郭北西腰曲輪主郭南西腰曲輪鞍部の西曲輪群西二郭鞍部の西曲輪群西三郭出丸状の西曲輪群西四郭西四郭西帯曲輪居館跡か?西曲輪群西五郭西五郭の北土塁要害城遠
みなさま本年度のスケジュールのご連絡が遅くなりましたこと、心よりお詫び申し上げます。現在、年間スケジュールの最終調整を行っており、今週中には全体の予定を公開できる見込みです。まずは急ぎ、第1回の開催について下記のとおりご案内いたします。令和8年度第1回やまなし地域文化フォーラム◆開催日令和8年4月19日(日)◆会場山梨県立青少年センター(山梨県甲府市和戸町1303)本館2階多目的室◆資料代:500円◆事前にメールにて申し込みください。yrcf20
板橋陣屋(日光市)かつて板橋城の居館として使われていた。↓板橋城↓『板橋城(日光市)』板橋城(日光市)永正年間(1502~20)に日光山・遊城坊綱清によって築かれた。天文年間(1532~55)になると壬生綱房は宇都宮氏と仲が最悪になってしまい、…ameblo.jp下野板橋藩の陣屋で、伏見城の戦い(1600)で鳥居元忠と共に討死した松平近正の功により、子・松平一生がこの地に1万石で入り築かれた。ちなみに「一生」は「かずなり」と読む。地味に読めないな()慶長9年(1604)、一生は35
赤磐郡吉井町0140(赤磐市塩木字前)詳細不明。形状から見て居館跡か?南四郭南三郭の石垣東水路南三郭南二郭の石垣南二郭主郭の石垣主郭間隔を狭めながら、まだ続く石垣軌跡ログ旧赤磐郡吉井町の城
六万騎城の西に黒沢台屋敷と呼ばれる居館跡があるのを見つけたので、行ってみることにしました。現在は正眼寺になっています。境内へは車で行く事が出来ます。正眼寺の本堂です。下の道から参道が続いており、上から見るとかなりの高低差があるのがわかりますね。せっかくなので山門まで下りてみる事に。山門です。山門を抜けて参道を進むと、高低差がある郭があります。近づいてみてもこれだけの高低差が。中間にテラス状の道がありますが、当時の物なのかは判りません。別の資料で
坂本館(松江市坂本町)詳細不明。西二郭西二郭の西横堀土塁に囲まれた主郭東土塁南土塁南西土塁北西土塁北土塁北東竪堀南西三郭…この片隅に鉄塔が建つ坂本館遠望軌跡ログ松江市の城
構城(久米郡美咲町打穴上)中世史料はもとより近世の地誌類にも全く見られない。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第3冊美作編より)主郭東部は墓地となっている虎口のような入口主郭より高い西帯曲輪構城遠望軌跡ログ久米郡美咲町の城
国府原館(隠岐郡隠岐の島町下西)国府尾城の居館跡。図中、国府尾城の北西に位置している館跡南東堀切館跡の南東土塁南土塁北帯曲輪国府原館の位置隠岐の城
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」は、途中「お城紀行」の投稿等で何度かの中断を余儀なくされましたが、昨日完結いたしました。当初「全国御殿を巡る”はじめに”」を記載した時には、90回に亘るシリーズになるとは思っていませんでした。しかし、スタートして今まで撮ってきた写真を整理しているうちに、色々なお城の「御殿」や御殿に付随する「建造物(茶室や能舞台や御亭など)」が結構現存していたり或いは再建されたりしていました。更には、城外に移築されてお寺の本堂や書院、神社の拝殿や神殿などに
中断していた城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」は、昨日から再開しています。御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。全国「御殿」を巡る”はじめに”↓『全国「御殿」を巡る”はじめに”』「近世城郭」における「城郭建造物」には、「天守」を始め「櫓」「櫓門」「門」「御殿」「番所」「蔵(金蔵)」「馬屋」その他に「御殿」を構成する「茶室」「能舞台」「…ameblo.jp今回は、「亀田陣屋」の模擬「御殿」をお届けします。■「亀田陣屋」(秋田県由利本
有賀城(宍粟市波賀町有賀字願成寺)詳細不明。「波賀城主が平地の有賀に移った」との記述があるが、それがここであろうか?ただし、この場所は平地ではない。南麓の石垣南東麓の削平地、あるいは居館跡か?南三郭?古墳?南二郭主郭北二郭有賀城遠望軌跡ログ実地踏査を元に作成した概略図旧宍粟郡波賀町・旧宍粟郡千種町の城
今日は築城メニューに関するお知らせです。明日、6月1日より[築城]の[縄張り]に新たに2作品が追加されます!!左の「平城風縄張り5」は、平城ながらも主要な曲輪部分と外郭との間に少し高低差があり坂虎口で接続された縄張りとなっています。右の「山城風縄張り7」は、背後を川で守られた天険の地が選地されています。山上の主要部および山麓の居館部にそれぞれ石垣が用いられています。上記の2つの新作縄張り、設計は今回もいなもとかおりさんによるもの。明日6月1日の日中に追加される予定です
人気オンラインゲーム「フォートナイト」をご存じでしょうか「フォートナイト」に、岐阜ゆかりの戦国武将、織田信長の居館が登場しました「フォートナイト」ゲーム上に自治体が、メタバース空間を公開する事は珍しいそうです。対戦型のシューティングゲームとして知られていますが、近年は観光PRや、音楽のライブ等、利用の幅が広がってます岐阜市は、ゲーム内の仮想空間「メタバース」に戦国時代の岐阜城山麓部を再現して4月25日に公開されましたこれまでの発掘や、文献などの調査に基づいての居館や、庭園などがあ
三根山陣屋から今度は吉江館に来ました。この写真は説明板が立っている公園です。説明板によると、どうも比定地らしいです。新潟市って新潟城とか沼垂柵とか比定地が多い気がします。遺構などは特にはありません。この土盛りも公園化した時のものかと思います。近くには中ノ口川が流れており、そこそこ大きかったら天然の堀の役目とかあったのかもしれませんが、住宅地に改変されているので現時点では何とも言えませんね。吉江児童遊園地(37.473504,139.003407)駐車場
名称:伽羅御所(きゃらのごしょ)城郭:居館築城年:不明築城主:奥州藤原氏主要城主:藤原秀衡、藤原泰衡所在地:奥州市江刺岩谷堂目割沢
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。昨日のブログで今回1城目、雪の中の「荒砥城」をご紹介しましたが、2城目はやはり雪の中での訪城となった「真田氏館」(長野県上田市)です。「上田市街地」から北に向かって車を走らせると、途中「砥石城」へ行く道の分岐点である「伊勢山」を通り越して、「下原」交差点の次の交差点を右折しますが、この場所に「真田氏発祥の郷」碑が立つ「真田氏記念公園」がありました。いよいよ「六文銭」の幟がはためく「真田の郷」へ入っ
岡山県北部の津山市から鳥取県に通じる国道179号線を北上すると、奥津町(現鏡野町)に入ったあたりで濃い山影を水面に映す湖が見えてきます。中国山地を流れる吉井川をせき止めた苫田〈とまた〉ダムの貯水湖です。このダムの建設に伴い、岡山県教育委員会では用地に所在する遺跡を調べ上げ、縄文時代~江戸時代の集落跡、古墳、鉄や銅・木炭の生産跡、鎌倉~室町時代の居館や城跡など21か所の遺跡を確認しました。このうち、ダムに水没する場所や湖岸道路が建設される場所の遺跡については、平成7年(1995)から発掘調査を実
先週のZOOMお城会「諸説あり」テーマは「館」ボクはリアルなお城の会からハブられている為このZOOMお城会ではできるだけ喋らせて頂こうと思っています。で、最近は用語の定義などを話させていただくことが多く、今回もその線でと思って以前別の会で読み合わせしたお話をしました。ん?何か「館」の定義とは離れてますね。まあ言いたかったのは鎌倉時代後期くらいまでは堀も土塁もない武士の居館が、臨戦態勢になることで「城を構える」となるということ。堀や土塁を常備した所謂「方形居館」が常となるのは室町以降だと
猿ヶ京城に行った後に近くに何かないか月夜野IC方面に向かっている時に見つけた後閑館。場所は月夜野ICから県道61号線を北にある後閑駅方面に向かうとあります。立派な石垣がある民家が見えてくるのですぐにわかります。標柱が立っている所から撮影。一部土塁になっているようです。敷地内で入れないので内部の現状が把握出来ないので外側から。石垣も当時のまま残っているようです。入口側から見てみると、結構な大きさなのがわかります。石垣の上には標柱があります。標高392.5m
す段垣内構居(多可郡多可町門前字段垣内)別名:段ノ城構居・荒田構居段垣内構居は段ノ城の山麓部にあることから、在田氏の居館であると思われる。なお、段垣内構居は『播磨鑑』にある荒田構居と同一であると考えられる。北東出郭北東出郭の北空堀北東出郭の西土塁東三郭の東空堀東三郭東二郭の東土塁東二郭東二郭の北土塁と北空堀主郭の北空堀主郭の東空堀主郭の北土塁の南下の帯曲輪主郭西二重空堀実地踏査を基に作成した概略図軌跡ログ多可郡多可町の城
大崎城に行った後、近くの龍谷寺に行きました。ここは大崎城主の大崎氏が平時住んでいたとされる居館があった場所です。アクセスですが、国道291号線の分岐点(37.129120,138.947624)を曲がった先の右側に白い建物が見えてくるのでここを入ると八海山龍谷寺です。下の写真は山門です。山門をくぐって正面に本堂があります。山門からここを曲がると白い建物があります。この白い建物が妙光堂で、日本の優れた建築10傑の一つに数えられていて、120体の仏像が安置されている
この日、Twitterのフォロワーさんが「乁(˙ω˙乁)ウネウネが見たい」とツイートされてたので、しばらく見てないなと大葉沢城へ向かい、乁(˙ω˙乁)ウネウネを堪能したのですが、東側が大規模伐採されて一部の畝状竪堀が破壊されてしまったのを目撃して、村上市教委委員会に報告、次の日に朝から現地に向かって現状を確認したそうです。その後、伐採後の工事はストップしたようです。そんな惨状を見た後に向かったのが馬場館。黒川氏の一族、もしくは家臣の居館跡とされ、平成16年3月30日に県指定史跡を受けていま
この日、魚沼エリアの紅葉の状況を見ようと朝早くから魚沼市へ走りました。というのも、湯沢、南魚沼市、魚沼市エリアの山城は紅葉後から初積雪までの時期が短いためタイミングが重要になってくるためで、この時期でも雪対策を各地で行われています。てなわけで調査ついでに以前から来たかった新保館に来ました。新保館は南北朝時代に原大弐が居城したと伝えられており、戦国時代には琴平城主の発智氏の平時の居館と伝えられています。新保館自体は館の内遺跡という名称で魚沼市指定史跡に登録されています。アクセスで
三墓山城に訪れた後に向かったのが寺館城。戦国時代に春日山城から派遣された武将の居館だったそうです。アクセスですが、国道405号線の37.092127,138.338644の交差点を北に向かった飯田地区にある旧高士中学校が見えてきます。その門があった場所に下の写真の説明板が立てられています。説明板の座標は37.0967935,138.336809です。周囲は遺構などは一切残っていません。これが旧高士中学校です。旧高士中学校の向かいも城域だったそうです。校門
フォロワーさんと簑冠城に行く手前に教えて頂いた簑冠館。簑冠城主の大熊朝秀の平時の居館跡だそうです。居館跡には石碑が建っています。下の写真は居館跡の堀跡で、現在は畑になっています。石碑が建っている所に1枚目の写真に載っている白い家があるので、もし家の方がいたら一言掛けて下さい※グーグルマップで見ても民家は写っていません。(2021.11.9現在)位置情報37.045396,138.288155(石碑)駐車場はありません。
上越妙高エリアの城跡巡りで案内して頂いた高柳館。別名は鬼小島弥太郎館と呼ばれ、上杉謙信に仕えた武将、小島弥太郎の居館跡と言われています。当時、あまりの強さに「鬼小島」と呼ばれたそうですが、上杉家の軍役帳に載ってなかったので実在していたのがどうか判らないそうです。現在は2つの郭と堀跡が残っています。下の写真は鬼小島弥太郎館の石碑です。石碑のすぐ横には堀があり、郭間を仕切っています。ここが虎口です。周囲は全周堀で囲まれています。郭は現在グラウンドとして使われていま
☆極楽寺ヒビキ遺跡大和国葛上郡奈良県御所市大字極楽寺(アクセス、駐車は下部写真にて)Wikiの紹介が非常に分かりよいので、そのまま引用します。━━御所市大字極楽寺にある、5世紀前半(古墳時代中期前半)の豪族居館遺跡。遺構は、橿考研による発掘調査で概ね明らかとなっている。葛城山麓の高台の上に位置し、北と東が谷に面し、南と西には濠と塀が巡らされていた。大型建物跡の床面積は225平方メートルと5世紀代で最大級になる。古代豪族葛城氏の本拠地とされる南郷遺跡群の南部に位置し、その政庁の跡と推