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宮城オルレ大崎・鳴子温泉コースは、宮城県北西部の大崎市にあります。ルートは、大深沢橋駐車場~鳴子峡レストハウス~大深沢~小深沢~日本こけし館~尿前の関~国道分岐でした。団体の為に、国道47号線のバイパス分岐から鳴子温泉は、交通事故防止の為に歩行を取り止めました。(約3㎞)歩行距離は、7.9㎞歩行時間は、約3時間30(昼食を含む)累積標高差…上り240m下り320mでした。天候は、晴れ時々曇り、無風、最高気温11℃で小春日和の様でトレキングには最高の天候でした。
再訪鹿嶋御児神社(石巻)宮城県石巻市日和が丘芭蕉翁一行もここからの景色を見たとのことです。震災後しばらくの冬にご参拝して以来、小山の上から眺める海岸は開発が幾分進んだようです。参道階段を部活動の学生さんが昇り降りしていました、猛暑の朝。境内片隅に芭蕉の供養碑がありました(『おくのほそ道』所収ではありません)雲折々人を休める月見かな高倉勝子美術館宮城県登米市登米町寺池桜小路芭蕉翁一行のあとをたどりながら『おくのほそ道」の俳句の地を訪れる旅行もこ
今回の像さんは題材トップワンと思われます松尾芭蕉です。設置場所は大崎市鳴子温泉中山平です。こけし館の前の坂を下に下った関所跡にあります。鳴子温泉にはたくさんありますね!なおアルバムや映像等は【像さん松尾芭蕉大崎市鳴子温泉】を参照願います。大崎バックグランドメニュー歴史家庭菜園大崎検定
前回の投稿から1ケ月半も経過してしまいました。この間、ずっと猛暑が続いていて。今まさに接近している台風のおかげでようやく暑さから解放され、生き返るような思いがしています。一週間に一度、お題が出される「気楽爺さま」のブログ。先日は芭蕉さんをイメージされて「旅笠と矢立」でした。松島と中尊寺とを訪れて今宵の宿は鳴子温泉芭蕉さんの足跡を辿る「みちのく紀行」をしたことがあります。その時の思い出を短歌にしたものですが覆堂の中の「金色堂」の眩さが今も忘れ難くて。高
俳句といえば松尾芭蕉が有名です。家から車で1時間のところに芭蕉が詠んだ尿前の関(にょうまえのせき)があります。芭蕉は憧れの松島では俳句を作らず岩手県南部へ行きます。次に鳴子温泉(宮城県)から山形県の国境近くの尿前の関所へ来ました。現代語訳で読むとこの街道はめったに旅人など通らない道なので、関守に不審がられて色々きかれ、やっとのことで関を越すことができた。鳴子から羽前に出る中山越えの山道をのぼったところ、もう日が暮れてしまったので、国境を警護する人の家をみつ
鳴子温泉郷川渡温泉の旅館ゆさを出て、まず鳴子温泉駅に向かいました10:01夫は遠い昔、訪れたことがあるそうです。車を降りて駅の周りを歩いてみたかったけど、駐車場が無く断念。まだ時間は早いけど、目的地に行ってみることにしました途中、どこか見どころがあったら寄り道してもいいし。「尿前の関」という案内板を発見立ち寄らなかったけど、すごくない?「尿」の字が入ってるなんて!調べたら、大崎市のホームページにこう書かれてました。戦国時代には出羽の最
▲中山平温泉しんとろの湯宮城県大崎市鳴子温泉字星沼18-9大人440円鳴子温泉峡になるのかなぁ仕事で何度か来た鳴子峡から新庄へ1キロくらい進んだところにありました▲温泉分析書pH:9.3メタケイ酸が750でとろとろとろとろの温泉日本一ではないでしょうかカラン5鍵の掛かるロッカーあり100円浴槽1露天風呂なしホームページから⬇️(男湯ですね)普通に見えますがとにかくとろんとろんです中は撮影禁止です沢山お客さんいましたが温泉分析書だけ撮らせてとお願
2022年9月29日この日、東北つまみ食い街道17日間の旅の第2日の後半は、出羽仙台街道中山越「鳴子温泉~堺田」(6)JR陸羽東線・鳴子温泉駅、出発。(10:07)駅前通り(こけし通り)を行く。JR陸羽東線を横断。鳴子集会所(10:22)国道47号に合流して左折。(10:24)県道47号を離れ、右折して国道108号へ。「義経啼子橋」(大谷川)(10:36)国道108号から離れ右折して、江合川出合いを探す。この辺かな(10:52)
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。日曜日、いかがお過ごしでしょうか。今回は、松尾芭蕉のおくのほそ道を辿る旅2022の最終日。今回の旅で私が個人的に一番印象的だったのは、この日の最後に訪れた山寺立石寺。山頂までの階段は1015段!すでに2日間の行程で、足腰にはかなり負担がかかってきていたので、私は最後まで登るのは無理かなぁ、、と、半ば諦め半分のスタートでした。その前に、まずは3日目の前半に立ち寄りましたところから。この日は、朝から雨。鳴
「鳴子温泉」から「奥の細道」散策のスタートです。鳴子温泉街を抜けて行きます。朝早いので人出はありません。鳴子温泉は837年に発見されました。「鳥谷ヶ森(鳴子火山)」が大爆発し、熱湯が噴出したと云われ、一説には、その時の轟音から村人が「鳴郷の湯」と名づけたとも伝えられています。「源義経」が「頼朝」に追われて「平泉」へ落ちのびる途中に訪れたことや、「松尾芭蕉」が「奥の細道」で「鳴子」から「尿前」を通る「出羽街道中山越え」を選んだこと
こんばんは🌙😃❗かっぺライダーです❗東北ツーリングの思い出を振り返る第1弾です🎵1日目雨の中の道の駅にしかわ(山形県)お昼ごはん天然酵母のパンカスタードクリームなのにカスタードクリームがほとんど入っていない😭まぁ一緒に買ったお団子(3本入り)が絶品だったので許します😅それにしても寒かった😱この後いつものネタですが、かっぺライダーは合羽ライダーに変身それから下道で宮城県のあら伊達な道の駅を目指しますが雨に降られて写真は有りませんえ~とあれは
加納石人の書*火曜日、木曜日、土曜日に更新*おくのほそ道第30回出羽路(尿前ー象潟)しとまえーきさがた尿前しとまえ南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかヽりて、出羽の國に越えんとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。蚤虱馬の尿する枕もとある
『おくのほそ道』第26回「尿前の関」(しとまえのせき)(尿前の関)(鳴子・尿前の関・堺田元禄二年五月十五日)<第26回「尿前の関(しとまえのせき)」>(原文)南部道(なんぶみち)遥(はる)かに見やりて、岩手の里に泊る。小黒崎(おぐろさき)みづの小嶋を過ぎて、鳴子(なるご)の湯より尿前の関(しとまえのせき)にかかりて、出羽の国に越えんとす。此の路旅人稀(ま)れなる所なれば、関守(せきもり)に怪(あや)しめられて、漸(ようよう)として関を越す。大山を登って日
公明新聞2004年11月16日号21世紀「芭蕉の風景」奥の細道11回編尿前の関[鑿虱馬の尿する枕もと]芭蕉には最大の難所。奥羽山脈越えの場面公明新聞2004年11月29日号21世紀「芭蕉の風景」奥の細道12回編尾花澤[涼しさを我が宿にしてねまる也]月山・鳥海山を望む地でくつろぐ場面
(宮城県JR陸羽東線)JR陸羽東線は宮城県と山形県をつなぐ鉄路で、「奥の細道湯けむりライン」という愛称を持つ。山形県の新庄駅まで続き、そこから先はJR陸羽西線、余目駅からはJR羽越本線となり酒田へと続く。芭蕉の歩いた道は、今の陸羽東線に沿う道で、途中、堺田駅と赤倉温泉駅の間で、陸羽東線から離れて南下し、山刀伐峠を越え、山形県尾花沢市へと至る。ここの鉄路の風景は実に美しかった。何があるというわけではないが、歩いていて、何度も立ち止まるほどほれぼれとした。今日はあい
こんにちは(^-^)今回は、宮城県鳴子温泉にあります尿前の関所跡へ訪れた時の風景をご紹介します。こちらは、俳人松尾芭蕉の一行が奥の細道の道中、役人の取り調べが厳しく大変難儀させられた関所だと伝えられています。駐車場から、急な階段をしばらく下がっていきました。【尿前の関】出羽街道の関所跡で「尿前」の名の由来は、義経の息子・亀若丸が初めておしっこをしたことという説からきているそうです【芭蕉句碑】遠くにみえる中央の石碑が芭蕉句碑です。「蚤虱馬の
仙台駅から東北本線の普通電車で小牛田駅に向かいました。仙台駅で予定より一本早い電車にギリギリ間に合ったため、小牛田駅で下車したときに乗車してきた電車を撮影しました。仙台支社仙台車両センター(仙セン)所属の701系でした。701系の車内です。仙台への通勤方向とは逆方向のため松島駅で通学の高校生がほとんど下車してしまいました。ちなみに、平日のこの時間の仙台行の電車は満員でした。小牛田駅で陸羽東線に乗り換える前に少しばかり時間の余裕がありました。レール運搬車のキヤE195系の奥に「リ
ゴールデンウィーク明けのダウンジャケットもまだまだ必要な寒いみちのくひとり旅。寒いみちのく雨の中、ウロウロと芭蕉句碑をめぐりました。前回のブログcrick鳴子温泉を後にして車を少し走らせたところにありますのがはい。芭蕉句碑(笑)蚤虱馬の尿する枕もとなんとも臭い芳しくない句ですね(笑)農家に泊めてもらったら蚤や虱が飛び交うわ、枕元では馬が尿を、、。そんな句。この句碑は芭蕉が奥の細道紀行でここを通ってから80年後に地元のかたが建てた句碑だそうです。それでも1
こんにちは(^-^)今回は、宮城県鳴子温泉にあります尿前の関所跡へ訪れた時の風景をご紹介しますこちらは、俳人松尾芭蕉の一行が奥の細道の道中、役人の取り調べが厳しく大変難儀させられた関所だと伝えられています駐車場から、急な階段をしばらく下がっていきました【尿前の関】出羽街道の関所跡で「尿前」の名の由来は、義経の息子・亀若丸が初めておしっこをしたことという説からきているそうです【芭蕉句碑】遠くにみえる中央の石碑が芭蕉句碑です「蚤虱馬の尿する枕
【原文】南部道遥かに見やりて、岩手(いわで)の里に泊まる。小黒崎(おぐろざき)、みづの小島を過ぎて、鳴子(なるご)の湯より尿前(しとまえ)の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、やうやうとして関を越す。大山(たいざん)を登って日すでに暮れければ、封人(ほうじん)の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。蚤(のみ)虱(しらみ)馬の尿(ばり)する枕もとあるじのいはく、これより出羽の国に大山(おおやま)を隔てて
「東北林道行(1)」より「尿前の関(しとまえのせき)」。番所跡で、その昔に義経一行が都落ちの際、正妻の「郷御前(さとごぜん)」が腹痛で尿を漏らしたとの謂れがあるところです。過酷な旅で将来も定かではありません。ストレスで胃潰瘍になっても不思議ではないですよね。結局、平泉で義経と22歳の生涯を終えることになりましたし。R47には看板があるだけですが、番所跡は200m程下にあります。江戸時代には、建屋が10棟もあったそうです。現在残っているのは石碑のみです。この石碑は芭蕉の行脚80年後に建てら