ブログ記事207件
玉龍山長泉寺の天井絵立派な龍が描かれています五平餅ですこちらはエゴマの五平餅美味しかったのでエゴマ購入しました♪お水がいただけます奈良井宿の地図木造3階のお家です押込一里塚跡深澤家住宅跡贄川宿に入ります贄川宿本陣跡贄川関所跡贄川宿尾張藩領贄川宿です今日はこちらで終了下諏訪温泉に向かいます
新宿に来たついでに、花園神社に参拝しました。あいにくの大雨でしたが、こういった時に参拝するのも趣があって好きです。この場所は30年くらい前に前職の仲間と良く花見をした場所です。とても懐かしく沢山の思い出があります。三寒四温、間もなく桜の蕾も膨らんでくることでしょう。徳川御三家尾張藩下屋敷の庭の一部で沢山の花が咲いていました。この美しい花園が社名の由来とされています。桜が咲く頃また訪れようと思います。
「上街道」を進みます。曹洞宗のお寺「報恩寺」です。先に記事にした「土田のビードロ」の創業者・石塚岩三郎は、幕末に没しここに葬られています。報恩寺から主要道路に出ると、屋敷門だけがポツンと残されています。少し前までは屋敷があったようですが、今は綺麗に整地されています。ここが「土田宿本陣跡(止善殿)」があったところです。この地は旧東山道土田~善師野~犬山という経路があったことから、古くから宿駅があったようです。初期の中山道の宿駅でもありました。木
旧甲州街道の旅は、談合坂サービスエリア(上り線)の北にある、中央自動車道を跨ぐ矢坪橋からはじめたいと思います。橋を渡ったあと側道との交差点を直進し、20mさきの右側にあるのが、大乗妙典日本廻国供養塔です。大乗妙典とは法華経のことで、この経典を66部写経して全国66の国にある寺社を巡る修行者を、六部と呼びます。同じ碑が上野原の街中にもありました。1813年建立のこの塔は、六部と呼ばれる修行者の結願成就を記念しているといいます。そこから15mさきで旧甲州街道は右手へ分岐する急な坂道を登りま
山の里加子母。今朝は曇り。今日一日「曇り」の予報です。明日は3月入り。白川では雑魚(渓流魚)の解禁日です。当地の上桑原区にある内木家。江戸時代から続く由緒ある家柄と、江戸時代に尾張藩が所有する木曽の山の「山守り」を務めた家でもあります。地元の人は「桑原」という屋号で呼んでいます。現在の当主は第20代目内木哲郎氏。先祖が残した約3万点の古文書を保存し、徳川林政史研究所(東京)と解読の作業に当たつています。内木家の外周は当地では珍しい外
毎月第3月曜日14時~清瀬を元気にする情報をぽつぽつとお伝えしています🌻パーソナリティは゛高P゛こと髙橋靖と゛たかじゅん゛こと髙橋純子のタカタカコンビ🎶2月19日の放送は「幻の清戸道をたどってみた!!」当日は清瀬市郷土博物館から生放送📻スペシャルコメンテーターとして、郷土博物館学芸員の古川さんと中野さんにご出演いただき、江戸から清戸(清瀬市)に向かう「清戸道(きよとみち)」の謎に迫りました♪《ご紹介したこと》①清戸道って知ってた?②清瀬市郷土博物館③
毎月第3月曜日14時~清瀬を元気にする情報をぽつぽつとお伝えしています🌻パーソナリティは゛高P゛こと髙橋靖と゛たかじゅん゛こと髙橋純子のタカタカコンビ🎶2月19日の放送は「幻の清戸道をたどってみた!!」江戸から清戸(清瀬市)に向かう「清戸道(きよとみち)」の謎に迫ります♪《ご紹介すること》①清戸道って知ってた?②清瀬市郷土博物館③清戸御殿跡④清戸道の痕跡を追って・・**清戸道って知ってた?**その昔、清瀬市は「清戸」という地名でした
和本江戸期写本「参議尾陽候源宗春書」1冊/尾張藩/徳川宗春/古書古文書/手書きです。41丁。29.5cm×20cm。手書き。【書名】参議尾陽候源宗春書【巻冊】1冊【著者】徳川宗春【成立】江戸期の写本だと思いますが、正確な年代は不明。
※小牧山城大手道および案内板…直線距離がなんと150mあります!尾張藩9代藩主徳川宗睦公の墓江戸時代大名、武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年1573年〜天正1
山の里加子母。今朝は曇り。スマホの予報では「曇り時々晴れ」とのことです。もうすぐ本格的な冬を迎える山の里。日が照っていても気温が下がって寒さが肌をさすようになってきました。我が家の畑にある渋柿の木。今年はほとんど実が生らなかったのに、柿の実が一つ残っています。別の渋柿の木に生っている柿の実です。冬の到来を感じさせる光景ですが、小鳥の餌として残しておきます。以下の写真は色づいたモミジが僅かに残っている風景です。私が住む集落に
「上街道」歩きの再開ですが、ここで「上街道」についてもう一度触れておきます。「上街道」は、名古屋城東御門から小牧をへて中山道伏見宿までの十里八丁(約40㎞)の道で、小牧宿・善師野宿・土田宿の三宿がありました。木曽につながることから「木曽街道」とも呼ばれ、楽田追分までは、犬山を結ぶ「稲置街道」と重なります。尾張徳川藩により中山道に出るために五街道並みに造られた官道で、武士や荷駄はこの道を通るよう義務付けられていました。走行距離がみじかく、庶民が通った「下街道」に対し、尾張藩主や武家など
涼しくなったら旧街道歩きに…と思っていましたが、9月上旬残暑厳しくそうこうしているうちに冬野菜作りで家庭菜園作業が続き、やっと一段落できたことで、10/21日歩きに出かけました。ただ、旧東海道小田原以東の歩きは、宿泊が伴うこともあってなかなか思い切りができなく、近場の「上街道」を歩いてきました。「上街道」は、前に歩いてきた「下街道」に相対するもので、尾張徳川藩により中山道に出るために五街道並みに造られた官道です。↓下図の木曽街道が「上街道」で、善光寺街道が「下街道」にあたります。
普段、ジムで鍛えてみえるだけあって、爽やかな皆様🎶ジム仲間で気があって、旅行なんて、最高ですね❣️ありがとうございました。ますます、健康で、鍛えて下さいね^_^少しは見習わなくては😅Everyonelookssorefreshingastheylookliketheyusuallytrainatthegym🎶They'refriendsatthegymandtravelingtogetherisgreat❣️Thankyouverymuc
大富豪同心3【終】第八話【天下無双の型破り】本日19:30〜20:13です。尾張藩篠田一馬出演しております。https://www4.nhk.or.jp/P8526/BS時代劇大富豪同心3-NHKwww4.nhk.or.jp白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Si
長野県木曾の水木沢天然林にいき、いくつもコースの内、太古の森コースを歩きました。この水木沢を始めする木曽谷一帯は、遠く江戸時代始めに、徳川家康が木曾を尾張徳川領として山を管理させた。江戸時代も約100年におよぶ大量伐採により、森林資源が減少することになった。そこで尾張藩は、山の保護政をとらざる必要になり、厳しい罰則を設けて森林保護をした。その結果今では木曾谷は天然林が多く残ることになった。ここ水木沢天然林も樹齢200年前後の樹木が多数残る自然林になった。特に尾張藩が(木曾の五木)と言われて取り締
大富豪同心3第七話本日19:30〜20:13です。尾張藩篠田一馬出演しております。https://www4.nhk.or.jp/P8526/BS時代劇大富豪同心3-NHKwww4.nhk.or.jp白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheck
本日7/7金曜19:30〜20:13NHKBS時代劇大富豪同心3第三話です‼︎BSプレミアム、BS4Kで放送です。白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourfriends,family&interestshave
こんにちは■現代の怪異やや強引な結論を出した拙稿ですが、ここまで「戸山荘」に触れたからには後日譚も気になるところです。現代も怪現象の噂がつきまとう戸山一帯、今少し見ていきたいと思います。現在、戸山荘だったエリアは学校、戸山公園、住宅、そして巨大なアパート群である戸山ハイツになっています。戸山荘は家斉公、家慶公の御成りもあり、御三家、大名、公家、旗本などを招くこともありましたが、度重なる災害、財政悪化などで荒廃が進んだようです。幕末の藩主(隠居としても権勢は保持)であっ
大富豪同心3第二話より尾張藩篠田一馬白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourfriends,family&interestshavebeencapturing&sharingaroundtheworld
こんにちは最後になりますが、実は将軍家斉公の“御成り”にあたり、取り壊された堂宇・建屋があります。それは「御塩蔵」「御酒小屋」「観音堂」です。理由は分かりませんが、普通に考えれば見栄えが悪くなっている、近寄ると危ないから、といったことでしょうか。ただ、この稿では邪神を封じ込めた可能性を問うているので、これらも注目するものです。■まとめ(られますでしょうか)さて、怪物(邪神)が封じ込められていそうなお堂ですが、候補は以下の通り。①「隠里-虚空蔵堂」、②「和田戸大明神」、③「
本日6/30金曜19:30〜20:15NHKBS時代劇大富豪同心3第二話です‼︎BSプレミアム、BS4Kで放送です。https://www4.nhk.or.jp/P8526/BS時代劇大富豪同心3-NHKwww4.nhk.or.jp白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.
こんにちは■怪異の起きそうな建屋はどれか?耳嚢にあるのは、①「片山里」にある②「いかにも社も古く事古りし所」であること、の2点です。「片山里」では正直特定は難しいです。固有名詞で合致するものはなく、ここでは“里のようなたたずまいの場所”と考えるのが妥当ではないでしょうか。「里」がつくのは「山里御数寄屋」「隠里」になります。数寄屋は堂ではないので、考えにくい。「隠里」には虚空蔵堂があったということなので、これは候補になりますね。▲戸山公園(箱根山地区)案内図「古りし
大富豪同心3第一話より尾張藩篠田一馬https://www4.nhk.or.jp/P8526/BS時代劇大富豪同心3-NHKwww4.nhk.or.jp白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourfriends,fa
名古屋市昭和区にある尾陽神社です。比高差10メートルの小高い丘の上に築かれた神社です。社地は嘉吉年間(1441年~1443年)に佐久間美作守が築いた御器所西城の跡地だと言われています。尾陽神社の由緒書きの看板が出ています。この神社には三つ柱の神様が祀られています。主祭神は天照大神です。二柱目の神様は徳川義直命(とくがわよしなおのみこと)で初代尾張藩主の徳川義直公を神格化してお祭りしています。義直公は名古屋東照宮に合祀されて
いよいよ本日6/23金曜19:30〜20:13NHKBS時代劇大富豪同心3第一話です‼︎BSプレミアム、BS4Kで放送です。尾張藩士篠田一馬役で参加しています‼︎https://www4.nhk.or.jp/P8526/BS時代劇大富豪同心3-NHKwww4.nhk.or.jp白石朋也公式Instagramhttps://instagram.com/tomoya_shiroishi?igshid=MmIzYWVlNDQ5Yg==Login•Instagram
有松の町並み今週のウオーキングはちょっと遠出をして義妹の案内で「有松(ありまつ)」へ電車で名古屋へ行くときに通過する町ですが、訪れたのは初めて。有松は、慶長13年(1608年)、東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に尾張藩によって開かれた。東海道を往来する旅人の土産物として絞り染め(有松絞り)が考案され、以降、有松のまちは発展した。東海道沿いには、今なお絞商の豪壮な主屋をはじめとする数多くの伝統的な建物が残り、有松絞りによって繁栄した往時の様子を今に伝えて
こんにちは耳嚢(新耳袋ではない)の巻之九にこんな話があります(少し原本にないことも加筆しております)。***尾張藩下屋敷は外山屋敷と呼ばれ、二代光友公が肝入りでつくった庭園が有名だった。時はくだり、どこで聞いたか、ささやかれたのか、将軍家斉が訪れる運びとなった。尾張公は九代宗睦であったが、御成となればお家あげての一大事、災危や老朽化で荒れていた庭や堂宇の修繕を命じたのでした。幕府からも下見を兼ねた監察役が事前に訪れることになった。外山屋敷は三十を超える寺社や農家風建屋、四阿
とても幸せな日に見た名古屋城。とても美しかった。また、逢えるだろうか。
2023年5月4日(木)。天気晴れ。みどりの日。急に思い立って、名古屋に行くことにしました。一昨年のゴールデンウィークは甲府に行き、昨年は静岡に行きました。そこで今年はもう少し先で、日帰りが大丈夫そうなところということで、名古屋になったのです。朝早くの新幹線に乗ったので、朝食は車中でとりました。東京から1時間40分ほど、あっという間に名古屋に着きました。名古屋駅から外に出て、駅舎を振り返ります。現駅舎は、1999(平成11)年開業の「JRセントラルタワーズ」です。先代の駅舎は、1937(
今年のゴールデンウィーク、明日から息子家族が帰省の予定でしたが、数日前に孫ちゃん発熱🌡今は快方に向かっているとのことですが、大事をとって今回は中止になりました。これまで一度も熱を出したことのない(突発性発疹もまだの)孫ちゃん。保育園の洗練かしら😅こうやって強くなるのでしょう。子育て中は特に予定通りには行きませんよね。息子達が子供の頃、体調不良で帰省中止になった時、義母は残念な気持ちが大きすぎたのかよく怒り不満を口にしていました。同じ立場になった今、義母の言動はどう考えても理解できません😂