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今回は再び帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。大正10年4月帝国劇場演目:一、堀部妙海尼ニ、勧進帳三、碁太平記白石噺四、乗合船前月に劇界を揺るがした吉右衛門の市村座脱退事件が起きた東京の劇界は吉右衛門が歌舞伎座か帝国劇場かどちらかに所属をするのか明言しないまま雲隠れしその余韻を引きずったまま4月公演を迎えました。(吉右衛門が6月の新富座出演を発表したのは4月中旬)そして吉右衛門を失った事で判官贔屓的に同情と注目を集めた市村座、再び仮名手本忠臣蔵の通しと新作2つの
今回で200冊目の筋書紹介となりました。いつもご覧いただきありがとうございます。今後とも御贔屓お引き立てを宜しくお願い致します。そんな訳で今回は久しぶりに歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。大正9年2月歌舞伎座演目:一、加賀見山霞花道二、御所桜堀川夜討三、柳港春着薊色縫四、鷺娘五、三人形11月公演以来の歌舞伎座の筋書ですが所有していない1月公演について軽く触れると歌右衛門の出し物である恒例の新作である護国女太平記は松居松葉が書き下ろした物ですが、内容としては
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます国立劇場伝統芸能情報館で開催中の企画展怪談物のつくりかた〜役者の芸と仕掛けの世界〜のぞいてきました解説に使用されている舞台写真以外ほぼ撮影可能にしてくれていました。蝦蟇さんの着ぐるみ(撮影するとき私のアンドロイドは【犬】と認識してました。四足だからかな・・・)天竺徳兵衛:初代尾上松助の錦絵天竺徳兵衛韓噺初演の絵本番付九尾の狐さん(大江巳之助:作)化け猫の手(【獨道中五十三驛】より)長いの〜🐾六代目尾上梅幸さんの
今回は久しぶりに帝国劇場の女優劇公演を紹介したいと思います。大正8年9月帝国劇場演目:一、女鳴神二、一家族三、出雲阿国四、日蓮聖人辻説法五、蘭蝶帝国劇場名物の女優公演も前年の4月に勘彌が加入した事により大きな変化を迎えました。何せ市村座時代から新劇、翻案劇に盛んに挑戦を試みていた勘彌という打ってつけの人材が加入した事もあり新作などにおいても自ら協力し率先して出演するなど幸四郎に次ぐ適材を得た事で様々な試みが可能となりました。また古典演目においても宗十郎に次ぐ和事の出
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございますコラボ忠臣蔵に向けて付け焼き刃になるのはわかりつつ😂予習中今回は予習に2001年3月新橋演舞場七世尾上梅幸七回忌・二世尾上松緑十三回忌追善・尾上菊五郎劇団三月大歌舞伎市川團十郎参加通し狂言仮名手本忠臣蔵の【五段目・六段目】を視聴しました《配役》*坂東正之助→河原崎権十郎*中村芝雀→中村雀右衛門*市川新之助→市川團十郎白猿映像の見比べは今回出来ずなのですが、しあわせな映像体験でした。でも予習予習と固くなりすぎたの
今回はお馴染み帝国劇場の女優劇を紹介したいと思います。大正8年2月帝国劇場演目:一、女車引二、塩原多助二代鑑三、二つの死四、新比翼塚五、戦勝踊前回の筋書で触れた様に1月公演の最中に梅幸が休演したものの何とか乗り切った帝国劇場は専属役者の内、梅幸は引き続き療養、幸四郎は浪花座へと出張、宗之助は休みとした為、恒例の女優劇公演は松助と宗十郎と専属女優での座組となりました。宗十郎は前にも紹介しましたが専属役者の中では松助に次いで女優劇公演には数多く出演していて女優劇に
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございますアメブロの不具合なのかブログのブックマークの為の保存ボタンを押すと“解除されました”と字幕が出るのですが(でもブックマークはされてる)私のアメブロアプリに天の邪鬼が憑いたのかしらん。なんだろう(笑)さて前に衛星劇場で放送していた歌舞伎座1981年10月盲長屋梅加賀鳶録画を2022年十月歌舞伎座の公演予習に視聴しました。道玄は二代目尾上松緑加賀鳶松蔵を十七代目市村羽左衛門お兼は四代目中村雀右衛門ほか配役はこちらの日本
9月19日(月)昨夜日本テレビ系の局でオンエアされている「おしゃれクリップ」という番組のゲストで尾上松也さんが出演していましたちょうど1ヶ月くらい前に一緒に飲んでいたので、何だかちょっと変な感じでしたが、お父様尾上松助さんの話をする時はさすがに真面目な顔をしていましたねぇ~✨松助さんは名古屋の舞台に出演している時には毎日のようにCAPONEへ来て、あれこれ話ながらかなりの量のお酒を飲む人でしたから松也さんが小さな頃の話からいろいろ聞かされていましたしかし、松助さんは59歳でお亡くなりにな
今回は歌舞伎座と同じ月に行われた帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。大正7年10月帝国劇場演目:一、出世景清二、花上野誉碑三、雪月花3名の襲名披露で湧く歌舞伎座に対して帝国劇場は通常通りの公演ながらも代わりに松本幸四郎の三男である松本豊の初舞台を踏ませました。この豊こそ戦後の歌舞伎を御存知の方は知らない人はいない二代目尾上松緑その人であります。幸四郎の悪七兵衛景清、梅幸の阿古屋、豊の石若このあどけない子が将来こうなります。因みに家主長兵衛は同じ月に歌舞伎
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます首から背中が痛くて痛くてやーねーなんてそんなこんなさて積ん読中のご本ですが…織田紘ニ歌舞伎モノがたり写真:青木信ニ淡交社はしがきに郡司正勝さん織田さんの実体験に基づく“物知り”とは違う信頼に足る説得性を持った内容、とお話してくれています。こういう時劇場はやっぱり【芝居の国】だなあとつよく感じます。私みたいな余所者、旅人とは違う、芝居の国の住人のことばといったところなのでしょうか☺️ひょっこり手に入れて積ん読中でまあ、
今回は久しぶりに帝国劇場の女優劇公演を紹介したいと思います。大正7年7月帝国劇場演目:一、女忠臣蔵二、結婚の前三、滑稽俄安宅新関帝国劇場名物の女優公演も開始から7年が経過すると当初の物珍しさもすっかり消えて帝劇を支える立派な戦力として成長しました。そして専属女優陣に加えて前回の6月公演の筋書でも触れましたが今回は市村座から彦三郎と三津五郎、歌舞伎座からは片岡市蔵と市村亀蔵、そして専属俳優は松助と菊四郎と若手、中堅、ベテランが入り混じって補導として出演しています。
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございますねむい😪(春だなあ)さてユネスコ無形文化遺産特別展体感!日本の伝統芸能歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界感想続きです。一階左手に進んで順路①は歌舞伎展でした。上から見下したところ。私、階段ばかり写してますがエレベーターもありました。利用しなかったので大きさ広さ等はわからないのですが。大道具展示『金門五三桐』南禅寺山門と石川五右衛門の衣裳・鬘・小道具このマネキンさんは身長何cmなんだろう。思いのほか大きく足
今回は歌舞伎座と同じ月に行われた市村座の筋書を紹介したいと思います。大正6年7月市村座演目:一、時今天下知皐哉ニ、太刀盗人三、指物師名人長治四、歌徳恵雨乞参考までに前回の市村座の公演の筋書『大正6年4月市村座三津五郎の助六桜の二重帯と四代目市川男女蔵襲名』今回は以前に歌舞伎座の筋書で触れた帝国劇場と市村座の助六競演の内、市村座の筋書を紹介したいと思います。大正6年4月市村座四代目市川男女蔵襲名披露演目…ameblo.jp前回紹介した4月公演を成功させ
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます🌸雨降りの音がつよく激しいです。今日は尾上松也・歌舞伎自主公演挑む〜完〜新作歌舞伎赤胴鈴之助初日ですおめでとうございます☆例によって例によりわたしは今回行けませんが心踊ります😆チラシデザインがそのまま芝居絵看板になってる感じでよいなあ✨赤胴鈴之助は松也さんのお父様の松助さんも演じたことがあるご縁あるキャラクターなのですね。それに新作歌舞伎として挑む…!胸熱です。下北沢の本多劇場で新作歌舞伎が幕開
今回は大正の歌舞伎の歴史に残る公演を紹介したいと思います。大正5年10月歌舞伎座演目:一、沓手鳥孤城落月二、茨木三、扇的西海硯四、与話情浮名横櫛タイトルにもある様に帝国劇場に移籍した六代目尾上梅幸と四代目尾上松助が明治44年1月公演以来、5年ぶりとなる出演を果たし正式に歌舞伎座と帝国劇場が提携した初の公演となります。明治44年1月の筋書『明治44年1月歌舞伎座帝劇開業前夜』今回の筋書は帝劇開業
大正の歌舞伎界を大きく揺り動かさした大正5年2、3月シリーズの締めくくりとして今回はこの筋書を紹介したいと思います。大正5年3月帝国劇場演目:一、増補桃山譚二、春興鏡獅子三、雪暮夜入谷畦道四、どんつく梅幸、松助を借りて市村座で行われた2月の五代目尾上菊五郎十三回忌追善公演を成功させた返礼もあって前年の8月に引き続き2回目となる帝国劇場への市村座の引越公演となりました。そして前回に引き続き帝国劇場から松助が参加しています。8月の引越公演はこちら『大正4年8
さて、今回は新富座の筋書でも触れた市村座の筋書を紹介したいと思います。大正5年2月市村座五代目尾上菊五郎十三回忌追善絵本筋書の表紙が一月と全く同じだったりします。演目:一、鼠の洞だんまり二、一谷嫩軍記三、土蜘四、鼠小紋春着新形五、くらま獅子六、粟もち大正4年8月に初めて行われた帝国劇場への市村座の引越公演が大成功に終わった事から開場からこれまでの敵対関係など何処吹く風で親密になり始めた帝国劇場と市村座は早くも11月には第2回目となる提携公演を行い帝国劇場の
今回は以前から何度か触れていた帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。大正4年8月帝国劇場今回は珍しく番組と呼ばれる簡易役割一覧も付いていました。演目:一、競伊勢物語二、身替坐禅三、髪結新三タイトル通り、帝国劇場が明治44年の開場以来犬猿の関係にあった田村成義との和解を果たし、今まで歌舞伎座で行っていた引越公演を帝国劇場に移して行われた大正の歌舞伎史に残る歴史的公演です。間違っても三座の交流開始は大正5年からじゃないよ
飯田市にある亡き父の実家。まだ私が小さい頃、数回訪れた記憶がある。あの頃きっと幸せだったんだろうな。93歳になる叔母と再会し昔訪れたであろう近所のお寺へ行ってみた。ここに来たのかな。お寺に行った記憶はある。きっとここなんだろう。かつて歌舞伎役者の一座が飯田を訪れた際、この地で亡くなった尾上松助の墓がありました。※何代目かは失念叔母とはここでお別れ。私の車が小さくなるまで見送ってくれ
前回は中座について紹介しましたので今回は角座の筋書を紹介したいと思います。明治25年3月角座演目:一、老女村岡九重錦二、戻橋三、神明恵和合取組左團次・我當擁する浪花座との公演合戦となった訳ですが、そもそも何で大阪の地で両優が全面対決をする事になった原因から紹介したいと思います。東京では「團菊左」と九代目市川團十郎を加えて三幅対で紹介される五代目尾上菊五郎と初代市川左團次ですが明治25年前後の彼らを取り巻く状況は
こんにちはいつもお読みくださりありがとうございます。体調につられて気持ちもひっぱられて落ち込んでいるので(ぶつけたところと、ぶつけられたところといたいのです。冷えってこんなに影響するんだなあ。しみじみ。)気持ちをまぎらせたくぱっと本を手にしてパラパラ今月のお芝居ということもあり『鏡獅子』のお写真に目が止まるこの辰之助さんは初代の辰之助さんですよね?(この本を手にしたばかりのころは知らない役者さんがいっぱいでぴんとこなかったページやお写真もあ、この役者さんはこの間