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【問題】尼子十旗の筆頭ともされ、松田氏が城主を務めたのは、次のうちどの城か?【選択肢】三刀屋城熊野城白鹿城神西城【正解】白鹿城【解説】白鹿城は宍道湖の北側に築かれた城で、尼子十旗の筆頭にも数えられる松田氏の重要拠点であった。永禄6年(1562)、毛利氏に攻められ、城主・松田氏は降伏開城した。
今回より三日目。いつも泊まってるホテルの裏通りにですね…小泉八雲寄寓所址この辺りが小泉八雲の旧居跡だそうです。塩見縄手の武家屋敷が小泉八雲の旧居として大々的に宣伝されているが実のところ僅か3、4ヶ月(だったけ?)しか住んでいなかったそうです松江で暮らした約1年3ヵ月のうちの実はこちらの旧居跡での暮らしの方が長かったという真実。戸田宗家と知り合いの地元名士さん情報なので確実ではないかと。これが井戸跡このレンガも結構な年季が入ってるのでもしかすると当時の物なのかも。
2020年11月チャレンジ以前より、赤い地点から頂上(夕景城:矢筈山)を目指したかったが叶わず今回は、山頂から赤い地点に降るプラン登り口は、甲斐の平城の登り口から甲斐の平城経由で夕景城:矢筈山を目指す。登り口付近こういう場面で、俺は高所恐怖症だったということを思い出す。甲斐の平城から矢筈山(夕景城)まで結構な距離山頂で夏なので草木が生い茂ってるのか?2020年11月赤地点に向かって稜線づたいに降りていく道が割と整備されていて
2022年上半期に訪れたお城の中では恐らく№1に挙げてもよいのではないかと思うお城が、赤穴瀬戸山城です。何しろもう、道の駅のあたりから見上げた姿が身震いモノです。かつて出雲を訪れた際に訪問先候補として入れておきながらも時間切れで断念したお城でしたが、断念した背景には「ちょっと山が高いかな」という感覚もなくはありませんでした。でも現地で赤穴瀬戸山城を見上げてしまったら、たいがいのお城好きならば登らずにはいられなくなるのではないでしょうか。さきほど「ちょっと高い」と書きましたが、赤穴瀬戸山
真山城から下りてきて、さて白鹿城にいくべきかどうかを迷ったのですが、各種の書き込みを見ると山頂に眺望なく、案内板なく・・・とあって、6月という季節柄もあって今度こそ虫やら何やらの餌食になりそうな予感があって、登るのは断念しました。比高がそれほどあるお城でもないので、いつかは登ってみたいお城ではあるのですが。特に真山城と比較する上で、どの程度の加工が施されているものなのかについても一度自分で見てみないとイメージがわかりませんので。白鹿城は「尼子十旗」に数えられる尼子方の重要拠点でした。尼子十
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前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。出雲に進軍する毛利(もうり)軍。3万もの軍勢で目指すは月山富田城(がっさんとだじょう)途中、九州の大友(おおとも)の対応で毛利隆元(もうりたかもと)が出雲遠征軍から離脱しました。毛利軍は石見路から出雲に侵入。出雲に入り、尼子(あまこ)方の国人衆を次々と服従させていきました。永禄5年12月(1563年1月)、毛利軍は島根半島の宍道湖(しんじこ)北岸に本陣となる荒隈城(あらわいじ
【問題】尼子氏の主要な支城を「尼子十旗」というが、これらと本城・月山富田城を繋ぐ城郭を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】尼子連珠塞尼子月山長塁尼子十砦尼子氏三十三城【正解】尼子十砦【解説】尼子氏は主要な支城・尼子十旗(じっき)の他、それらと本城・月山富田城を繋ぎ、本城の周囲を固める「尼子十砦(じっさい)」と呼ばれる城砦群を築いた。
【12月12日(土)】先月に続き2度目の登城です。前回見なかった松田左近の墓や見逃していた刻印石なども見て来ました。所在島根県飯石郡飯南町下赤名①下屋敷跡と伝わる赤穴小学校より瀬戸山城址を見る。②松田左近の墓③大手門跡④第三郭より主郭方面を見る。(定番写真)⑤前回見逃した第三郭西斜面の石積⑥同じく南斜面の石積、刻印石があります。⑦刻印石⑧主郭西斜面⑨主郭よりの眺望、今回はどんよりとしています^_^;⑩東郭群へ行く途中で見つけた四ツ目結の家紋を描いた石。前回見なか
【11月14日(土)】三刀屋城は承久3年(1221)に三刀屋郷の地頭職となった諏訪部扶長により築城されたと伝わります。諏訪部氏は後に三刀屋氏を名乗り、三刀屋城は山陰と山陽を結ぶ交通の要所にあたるため戦国時代には尼子氏の重要な拠点として尼子十旗のひとつに数えられています。所在島根県雲南市三刀屋町①大門跡石垣②三刀屋城は山頂の本丸まで車で登れてしまいます^_^;③本丸土塁④本丸北側切岸にある登り石垣?⑤本丸西側の堀切⑥伝天神丸東側の石垣
【11月14日(土)】出雲南東部の山間部に所在する要害山(標高418m比高50m)に築かれた山城。出雲の有力国衆である三沢氏の本拠であり、戦国時代には三沢城は尼子十旗に数えられる尼子氏の重臣でした。永禄4年(1561)毛利元就による出雲侵攻により毛利氏に降参し、以後は毛利氏家臣となっています。城跡は主郭を中心によく整備されており、比高もそう高くないので登りやすい山城です。堀切、竪堀、曲輪、土塁、石垣等の遺構を見ることができます。所在島根県仁多郡奥出雲町三沢①大手には
【11月14日(土)】赤穴荘の地頭である赤穴氏により築かれたと伝わります。出雲南西端に位置し、備後、石見との国境に位置することから戦国時代には尼子十旗のひとつとして重要な城でした。武名ヶ平山から西へ派生する尾根の先端標高631m/比高190mに築かれた山城で、銀山街道・出雲街道を監視する役割もあります。関ヶ原の戦いの後、出雲に入部した堀尾吉晴の家臣松田吉久により近世城郭に改修されたものですが、一国一城令により廃城となっています。所在島根県飯石郡飯南町下赤名①道の駅赤来高原よ
11月12日木曜日、午後休みを使って最後の尼子十旗の仕上げに我らが松江市の白鹿城跡へここは、本当にすぐ登頂できました。1合目という標識が出てきた時にはびびったけど1、3か5だったような?、7、山頂の間隔の標識でした。登山経路は東口と西口など、色々あるみたいだけど以前、近くを通った時に、車を停めるスペースが確認できたのは西口(ハートマーク)だったので、今回は西口から登ることにした。いちを、この日も夕食作ってますから尼子十旗物語完白鹿城:松田氏
ラスト1城と張り切って登山口に向かうも、山頂まで1.4kmあるらしい若干心が折れそうになる。しかし、急がなければ日が暮れてしまうのとむすこの塾の送迎に遅れてしまうという焦り?最後の力を振り絞って!とはこのことか?なんて、頭で考えて無心で登る。14時50分くらいから登り出し、15時25分くらいに登頂高速道路の下を、通り過ぎたあたりに登山口ありおばちゃんが立ってるあたりに車を、左手に見える標識のあたりが登山口登山道がきちんと整備されており比較的登りやすい。あ
12時15分くらいに、赤穴瀬戸山城跡をあとにし13時50分くらいから高麻城跡を登り出す。登頂は14時15分くらいちなみに、食事は移動中にウイダーinゼリーなどを摂って済ます。高麻城跡:ここも夕景城跡同様標識がないのでランドマーク的な物との撮影奥には、赤川が見える。ドローンで見えるだけで山頂は木々が生い茂っていて眺めは、、、ハートのスポットを目がけて運転すれば上の標識が見えてきます。ここも比較的、登りやすい山であった。標高差が100mちょっとで、25
赤穴瀬戸山城跡へはグーグルマップで、赤穴瀬戸山城跡登山口を目的地にする。山の近くに飯南町立赤名小学校があるため一瞬、ナビが間違ったのかと思いきや小学校を通る形で赤穴瀬戸山城跡登山口に到着<タイムスケジュール>10時前に夕景城跡を出発赤穴瀬戸山城跡登山口に11時過ぎに到着山頂までの距離が1000mと短いのと一番最初に登った夕景城で、結構時間を使ったので登り20分くらいのスピードで登頂少し、ドローンを飛ばして12時15分くらいに、赤穴瀬戸山城跡をあとにする。
前回、チャレンジ失敗に終わった馬木城(夕景城跡)前回のチャレンジ失敗によって、家族の尼子十旗巡りへのテンションの低さ!!いつ?尼子十旗を制覇できるのか?イライラ感?仕事を途中で、ほっぽり出した感?やり出したら一気派の僕はとうとう、残り5城を自分一人で回ることを決意する。11日11日水曜の朝から、4城を回ることにまずは夕景城跡跡地?:看板など何も無かった。前回は、赤いところから攻めようとしたが失敗今回は黄色部位からトライ前回は登り口の標識すら見つ
義理の母が、城巡りならぬほぼほぼ登山に参加してくれて心強い今回は思い切って尼子十旗の中でも、難関?最難関な馬木城にトライ途中、小雨がちらついてきたのと落雷に加えて藪漕ぎみたいな登山が気持ち悪いとみんなが言い出し、断念多分、今後は馬木城に家族は誰も付いてきてくれないな、、、色々調べるとチャレンジする場所が違ったみたい。今回トライした場所調べてみるとこの黄色い部分からトライするっぽいグーグルマップを使うとこっち側に案内されるけど道がめちゃく
今回は、義理母も連れて本丸跡で謎のゲーム始まる。駐車場:道路脇に手前2台?、奥2台分の駐車スペース(黄色部位)本丸跡まで、400mの道のり結構、急な斜面が続く山頂の本丸跡は視界が全然悪く、登った後の爽快感少な目【国内正規品】DJIMavicMiniコンボドローンカメラ付き小型Amazon(アマゾン)56,650〜69,800円DJIMAVICMINIFlyMoreCombo+microSDカード[64GB]【賠償責任保険付】楽天
土曜日家族で駐車場:道路脇に2台分?の駐車スペース(水色部位)登山口:赤い丸あたり山頂まで600mの道のり最後100mは、急斜面を登る感じの迫力ある登山この大自然の絶景を写真に、動画に綺麗に収めたい。制覇した尼子十旗白鹿城:松田氏三沢城:三沢氏三刀屋城:三刀屋氏赤穴城:赤穴氏牛尾城:牛尾氏高瀬城:米原氏神西城:神西氏熊野城:熊野氏馬木城:馬来氏(真木氏)大西城:大西氏
祝賀御列の儀の様子を拝見しながら投稿しています。両陛下おめでとうございます。今回は、山陰の戦国の雄・尼子氏の本拠・月山富田城を守る尼子十旗の第三番の三刀屋氏の本拠の三刀屋城跡を訪れました。旧・出雲国飯石郡三刀屋郷(島根県雲南市三刀屋町)にあり、写真①は斐伊川の支流の三刀屋川の対岸から城跡の全景です。写真②は、城側の山麓より三刀屋橋をみる。この三刀屋川の河畔は今は桜並木になっており染井吉野700本、山桜230本、御衣黄(ぎょいこう)170本の合計,100本の桜が2k
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡で地域活性する活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたします。【前回まで】ついに毛利元就は石見を平定した。強敵だった本城常光も居なく石見の要衝の山吹城も毛利の物となったのである。そして、いよいよ、尼子氏の本拠・出雲への侵攻を開始するのであった。【白鹿城の戦い】石見を平定した毛利元就は遂に尼子の本国・出雲への侵攻を開始した。尼子
所在地島根県出雲市東神西町(那賣佐神社または十楽寺から)感想尼子十旗の一つ神西氏の山城で、同氏は尼子再興軍に属して上月城で自刃した。神社の場所も既に城内と思われ、尾根を登ると数段の郭を経て主郭に至る。感想主郭だけは樹木が伐採されているが、周辺は荒れた竹薮で、主郭奥の二ノ郭も意味不明の鉄パイプ。「低」の上なので、少し整備すればすぐ「中」にできる。
所在地島根県雲南市加茂町大西(高麻山)特徴尼子十旗の一人である大西氏の山城で、南麓の登城口から山頂まで15分ほど。途中に虎口のある郭が数段あり主郭もそこそこ広いが、登城道以外は藪に埋もれて遺構は確認できない。感想登城途中の郭は間延びしていて普通の登山とさして変わらない。
所在地島根県松江市八雲町熊野(要害山)特徴月山富田城を護る尼子十旗の一つで、開城したのは富田城の落城後だった。西麓から登ると居館跡のような石垣があり、20分ほどで腰郭(八幡成)を経て主郭に至る。主郭から南側の尾根に段々の土壇が続き、最下段が井戸郭になる。感想樹木が伐採されてお城らし
○訪問記出雲市でゆっくりと爆睡した後、2日目の朝。今回の目的地は再び木次線に乗車します。三刀屋城は先日紹介した三沢城と同じく尼子に属する三刀屋氏の城。城主が毛利に鞍替えして生き残りを計りましたが、最終的に改易させられています。三沢城と同じく木次線に乗車。休日の時とは打って変わって乗客は私を含めて僅かでした。相当に危機感を感じさせる情景です。木次線の中心駅・木次駅へ。流石にこの地域の中心駅とあって、観光案内所へ大型ショッピングセンターなどが駅前にあります。早速、観光案内所へ今回
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