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東日本大震災から11年が過ぎ、その11年めの3・11からすでに1ヶ月以上が過ぎました。時間が過ぎるのが速すぎます。おとといでしたか、いつものごとくNHKFMを聴いていたら、復興ソングとしてよくNHKでかかっていた菅野よう子作曲「花は咲く」が流れてきました。歌っていたのは幸田浩子さん。その柔らかくて澄んだ歌声に、クルマを運転しながら涙が出てきました。夜空の向こうの朝の気配にわたしはなつかしいあの日々を思い出す傷ついて傷つけて報われず泣いたり
エミ音楽教室|愛知県弥富市|ピアノ教室ネット愛知県弥富市にあるエミ音楽教室です。JR弥富駅前のピアノとミュージックベルの教室。幼児から大人、シニアの方まで自信がつくことで自己肯定感につなげ、また世代間の交流も図ります。pnet.kawai.jp弥富市エミ音楽教室です。今月末で教室を卒業する生徒さんが、合唱で歌っていると教えてくれた曲。『群青』。東日本大震災で被災された福島県南相馬市の小高中学の平成24年度卒業生たちが作詞、教諭の小田美樹先生が作曲され、信長貴富さんが編曲。楽譜を買いまし
5年前の記事です今年の春、「常磐北線」が全線開通し、特急ひたちが運行開始コロナの影響でまだ乗りに行けてないが、とりあえず品川から仙台まで通しで乗りたい
2011年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。その影響で、波高10m超え、最大遡上高40.1m超えの巨大な津波が発生、さらには福島第一原発で事故。僕は、この時、中学2年生でした。卒業式を終え、寂しい気持ちの中で部活をしていた時でした。あの時に見た津波の映像。忘れることはありません。大学1年の時、ある合唱曲に出合いました。曲名は「群青」。作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生作曲:小田美樹
毎年何回か聞いてウルウルする。明日も会えるのかな?群青3・11が結んだ絆の歌https://www.amazon.co.jp/dp/4866040416/ref=cm_sw_r_cp_api_i_fs0XDb5Y7DV9Y3.11そして福島第一原発の事故。別れ離れになった同級生と故郷を思う歌。
PMFミニコンサートカルテットモーツァルトとメンデルスゾーン世界のあちこちから集まった若者の演奏を聴きました。目を閉じると身体中が音に包まれるのを感じます。レナード・バーンスタインがロンドン交響楽団とともに札幌で創設した国際教育音楽祭バーンスタインは素晴らしいものを残してくれました!今月は札幌中音楽に包まれています音に酔いしれた後の大通公園を見下ろすお店で美味しいお酒写真を撮るどころではありませんでした(笑)そして明後日は…アンサンブルフローラの歌唱指導をしてく
リスナーさんから2/25(月)「群青」を流してほしいとリクエストをいただきました福島第一原子力発電所から半径20km圏内に位置する福島県南相馬市にある小高(おだか)中学校から「群青」という曲が誕生しました東日本大震災による原発事故後生徒たちは心を痛め音楽の授業で歌えなくなったそうですある日、小田美樹先生が小高中学校を離れた生徒達がどこにいるのか生徒たちと話をしながら大きな日本地図に生徒の写真を貼り付け「遠いね」「でもこの地図の上の
合唱曲「群青」の作曲者・小田美樹先生がSNSでつぶやかれています。群青の子らは東日本大震災から2年後に福島県の小高中学校を卒業しました。その卒業式で歌われたのが「群青」です。今までさまざまな合唱団、小中学校などで歌われてきました。我が瀬戸男声合唱団も来月の演奏会で演奏させていただきます。小田先生は佐世保で群青の子らのお一人と再会されたとのこと。「一番遠い被災者」だそうです。その「群青の子ら」も今年成人式でした。今回お会いになったそのお一人も
今日は先ほどまで瀬戸男声合唱団の練習でした。先週「是非やりましょう」との賛同を得て取り組むことになった群青さっそく譜読みから始めました。さすがに中学生のようなリズム感いきなりは出ません。とくに後半信長さんの編曲版ではピアノ伴奏のビートが変わります。軽快なリズムにどう乗ってもらうか。けっして軽い歌ではありませんがリズムに乗る乗らない大きな違いがあります。軽快なリズム感を維
瀬戸男声合唱団は東日本大震災に関連した曲をこれまでも取り上げてきました。和合亮一さんの詩が主体です。今も「つぶてソング」「夜明けから日暮れまで」を練習しています。次の定演で取り上げる予定です。「もう一曲何かできないか」団員から相談を受けあれこれ調べてみました。「『群青』に男声合唱版がある」すぐに楽譜を取り寄せました。しかし「他の合唱団が取り上げていない曲を紹介したい」今まで選曲の基本にしていま
東日本大震災以前から福島県にはご縁がありました。愚息がたまたま福島大学に進学したためです。とくに2002年(平成13年)は頻繁に訪れていました。当時は銀行合併の実務に携わっていて毎週金曜日に東京で交渉を繰り返していたのです。たいていそのまま福島に移動し日曜日の午前中まで愚息宅に滞在夕刻岐阜県に戻る生活でした。ストレス解消に東北の環境が必要だったようです。バスで仙台へ移動したり仙山線を乗り降りしたりけっこう
瀬戸男声合唱団は「群青」を練習曲に加えました。次回の定期演奏会でも取り上げる予定です。東日本大震災を考えるときにどうしても思い出してしまう「震災」があります。阪神淡路大震災です。神戸市の実家が被災したのです。実家の被害は大きくはありません。しかし周囲の惨状は表現しきれないほどでした。1995年1月17日親友のお母さんが亡くなりまた別の親友は仮説に移り住み近くの教会にも何人かの避難者がおられました。
『群青』という歌を知っていますか?谷村新司でもスピッツの歌でもなく、合唱曲の方。ニュースや新聞で取り上げられたこともあり、知ってらっしゃる方も多いかもしれません。福島県南相馬市立小高区。海に面した町です。小高の町は原発事故で警戒区域に設定され、故郷に足を踏み入れることもできなくなってしまいました。小高区唯一の中学校が小高中学校です。在校生のうち4名が震災で亡くなりました。大多数の