ブログ記事50件
終戦の番組やドラマを今月たくさんやってて「日本語ってこんなにきれいだったんだなぁ」と改めて思った特に女性の言葉が素晴らしいこんなに綺麗な言葉を使わなくなったって残念「船を編む」を見てたせいもあるけど変化して行くものだとはいえ伝承されないのが勿体ない昨日読んでた「銀河ホテルの居候」に近代文学の大学教授が「もう文学の時代じゃないのかもしれない」と嘆くシーンがあって行間を読み取れる事が出来る人と出来ない人がいるような文章は不正確な表現として排除され配慮が足
陸自駐屯地に旧軍美化史料館/幹部候補生学校おく前川原駐屯地福岡・久留米/「大東亜戦争」と侵略を正当化www.jcp.or.jp陸自前川原駐屯地旧陸軍の展示戦史研究家山崎雅弘さんに聞く2025年8月3日【社会】戦前の価値観継承戦争の原因相手国に転嫁陸上自衛隊の前川原(まえがわら)駐屯地(福岡県久留米市)内の「雄健(おたけび)史料館」の展示について、戦史研究家・山崎雅弘(やまざき・まさひろ)さんに聞きました。小野田寛郎(ひろお)元少尉を「戦後30年戦い続けた情報
たしかに日本人気質が存在していたことは確かなことです気質と言うより気概といった方がピッタリくるかな一般庶民風ならかたぎかなビートたけしさん小野田少尉を語る-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.com良い悪いなんてくだらない判断しないでね😁
毎年受験生の参拝で賑わう神社へ周りの道が狭いんだけど「頭の神様」ということでかなり賑わいますたまたま見た年末のTV昭和時代を振り返る番組で取り上げられていました同世代ならば記憶に残ってるかな⁉️フィリピンの島で終戦を知らずに30年近くゲリラ活動をされていた方小野田少尉の言葉「生きる」ですこのニュース四国に住んでいた頃に見たのかなえー30年❓ってビックリしたもの🫢和歌山の方だったんだねひとりで生き抜いた強い意志は任
読書の秋なので、「上海灯蛾」という本を読みました。とってもおもしろかったです。子どもの頃、パールバックの「大地」という本を読んで、阿片って怖いなあ、と思いました。太平洋戦争の時代、日本も阿片で大もうけしていたんですね。全く知りませんでした。どこまでが史実でどこまでが創作なのかよくわかりませんでした。(最後にちゃんと説明してあります。)すごい調査をやって書かれた本だと思います。ハードボイルドですが、お勧めします。嘘か本当か知りませんが、ルバング島で見つかった小野田少尉は、上海のダ
ビートたけしが語った靖国神社の「真実」が話題に・・・https://t.co/NAXY3SNk32@YouTubeより—enoki(@enoki2)October9,2024鼻水垂れる。。
【愛してくれた人がいたということ】戦時中、フィリピンの小さい島で29年9ヶ月もの間、戦争が終わったこともわかっていながら、長官の命令のもと戦い続けた小野田寛郎さん。最終的に小野田さんは1人になるのだが、数年間は生き残った3人で戦っていた。「人は1人で生きれないんですよね。喧嘩して離れて、寂しくなってまた一緒になって。」というような事を言っていた記憶がある。人は寂しさには耐えれないのだなぁと思うことになった。そして最近も、そう思うことがあった。身近な人間なのだが口撃をし、こちらが
命令とは、命の使い方を言いつける事。今日、なにげに、小野田さんの映像を見た。じっくり見たのは初めてだった。彼にとって上官からの『命令』は絶対だった。いや、それは、上官が怖かったからとかではなく、その命令が、まさに自らの『命』を使うべき『令』だと、それを納得して生きていたからであります。それが日本の軍人の姿だった。何度もフィリピンを捜索され、もう死んだと思われていたが、『まだ、山の中で生きている。そして次の命令を待っている。』そういう噂がず
大東亜戦争終結から29年間も終戦を信じず情報将校としてフィリピン・ルバング島で遊撃戦を展開し帰還された故・小野田寛郎さんは、帰国後、かつて国家管理されていた靖國神社が戦後は民間有志の崇敬奉賛会が支えていることを知りショックを受け、戦後日本人の精神構造の極端な変化に嘆いてもう日本には…pic.twitter.com/XFaIvlwaBK—六衛府(@yukin_done)January25,2024
5日間の休みを終え4日が初仕事、そして二日間仕事をしてまた土日の休日に入った朝、のんびりといつもよりゆっくり起き出してトイレあたりでとーさんに出くわす。その時とーさんが、え!?みたいな顔で私を見て、今日休みか?と言ってきた。その時私がすぐに思ったのが、土曜なんだから休みだよ!とーさん今仕事に行ってないから日にちの感覚ないんじゃない!?ではなかったのだ。本来はそうなるだろうけれど、思わず、えっ!?😱もしかして間違えてた!?今日仕事だったっけ!?とドギマギして焦ってしまい、すぐに日にちの確
chairlotです☆☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆仕事納めは28日でしたが、毎年恒例で29日はは仕事に出ていました。そして今日からは少しの間の年末年始のお休みです。ですが、逆に年末年始がお仕事の方々も沢山おられますし『正月の何がめでたいんだよ?ただ暦が変わるだけだろう。』という御意見を聞く事も多いですよね。それもごもっともだと思います。でも『暦』を知る生き物は人間だけでして。それが人間たる理由の大きなひとつだそうです。かつての日本軍兵士でフィリピン🇵🇭ルバング島にて終
きのうは、ビデオを2本観た。フィリピン・ルバング島を死守した、小野田寛郎旧陸軍少尉の物語『ONODA一万夜を越えて』と、二宮和也が主演を務め、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に抑留された実在の日本人捕虜の伝記ドラマ『ラーゲリより愛を込めて』。「戦争ってひどいものですね」どちらも涙が止まらなかった。何度も観た。
小野田少尉をご存知でしたか❓残留日本兵として、1人孤独に戦後30年戦い続けた兵士です。その方が日本に帰国した際に、一大ブームが起きました。小野田少尉が戦後の日本に伝えたメッセージを是非、確認してみてねそれと、今の現状戦争なんて、自分と関係のないことと今は思っていると思います。でも一旦始まってしまえば、全国民に深刻な影響が出ます。それがどれだけ悲惨なことか、私たちの世代は知りません。だから危険なのです。戦争を仕組み、金儲けを企んでいる奴らがいます。これまでの戦争は全てその目的で、嘘に
12月6日火曜日〜その7(写真)14枚組CD『昭和の名人古典落語名演集六代目三遊亭圓生』〜十三「唐茄子屋政談/包丁/三十石」(H23年4月6日KINGRECORD)も聴く。H29年3月11日、HDDに録画していた、MHKEテレ『小野田元少尉の帰還極秘文書が語る日比外交』を見る。
先日観た映画ONODAを新潟の先輩経営者にお知らせしたら小野田少尉の書を送ってくれた世界で一番説得力のある“不屈”早速拭きあげて書斎に掛けた毎朝これを見て真剣に生きる
神谷宗幣氏の記事を書いていて、陸軍中野学校を思い出しました。市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」では、単なるスパイ養成所としての扱いだった(と記憶している)陸軍中野学校です。が、実は、実際の陸軍中野学校は、そんなに単純ではなかったようです。早くから、日本の敗戦を見抜き、その後の日本国の生きる道を熟慮し、海外にて日本国を建国できるほどの人物を養成するための学校だったようです。そんな彼らの活躍により、アジア諸国の独立が可能となりま
太平洋戦争での潜水艦勤務は,過酷だった。密閉空間で汚れた空気の中,気温は40度を超え湿度も高い。艦内は,食糧や備品,輸送物資などで足の踏み場もない。通路に米の入った麻袋が敷き詰められ,将兵はその袋を踏んで行き来した。艦長室でさえ1坪もなかったというから,兵の寝場所などは魚雷の上だったりした。艦内の調理場も狭隘で,潜航が続くと艦内の温度上昇と空気汚濁防止のため加熱調理ができない。このような劣悪な環境下に置かれるため、食事の面では、水上艦艇の乗員よりも幾分優遇されたというが,海軍糧
小野田さんは終戦後、現地に残り、諜報活動をするのが任務だった。陸軍中野学校の二俣分校(静岡県浜松)は、1944年に日本の敗戦やむなしとなって、「敗戦後にアジア各国に残って活動するための要員を教育した施設」。
小野田寛郎氏が語った日本が大戦を始めた真実総集編1974(昭和49)年3月12日、元日本陸軍兵の小野田寛郎氏がフィリピンから29年ぶりに日本に帰還しました。帰国後、日本が大戦を始めた真実について語られたいます。本日は小野田寛郎氏のお言葉、他開戦に至った経緯を総集編としてお伝えします。今月のおススメ動画BEST10https://www.youtube.com/...www.youtube.com昭和天皇とマッカーサーの絆!アメリカ訪問時、米国民の心を鷲掴みにした昭和天
映画の前売券を買っていたのに、1ヶ月ほど放置していたら、上映終了間近になっていたため、上映している1番近い池袋へ。「ONODA一万夜を超えて」を鑑賞してきました。3時間近い映画でしたが、あっという間でしたね。
令和3年10月22日〔金〕【第1610号〔本年第361号〕】なんば、TOHO別館にて「ONODA一万夜を越えて」を観てきた。9:30開始だった・・・長かったぁぁ!!三時間弱の長編作品。監督は、アルチュール・アラリ(=フランス人)で、国際共同制作、というコトらしい。小野田寛郎さんに扮した、津田寛治の・・・眉間に皺をよせた無口な表情、ソレと、小野田さんの上官・教官(谷口義美)役のイッセー尾形のひょうひょうとした感じ・・・しゃべりがおもしろかった。映画の始まりは、1974
火曜日。今朝も寒くて布団から出るのが辛かった…😰まだまだ寒さは序の口なのに、これでガタガタ震えてたらダメだよね…。3年前に倒れてからというものの、寒さにかなり弱くなってしまいました。3年連続で冬場に入院していた期間もあったので、シーズン半分は病院に護られていたんだよね💧今年の冬は入院ゼロで完走したい。今日は朝から名演小劇場へ。ここに来たのは20年以上ぶりじゃないかな?先輩タレントが結成していたコントユニット「オーバーワーク」のライブを観にきて以来です、はい。※「オーバーワーク」
というわけで今日は映画を観てきました。今日見たのは「ONODA-一万夜を越えて-」です。50代以上の方なら小野田寛郎少尉のことを記憶されているかと思います。フィリピンのルバング島で終戦後もジャングルに潜伏して戦い続け、1974年に帰国した元陸軍軍人です。小野田少尉は陸軍中野学校出身。中野学校とは特殊工作員を養成していたところで、俗に「スパイ学校」などとも呼ばれます。小野田少尉は1944年にルバング島に派遣されます。その頃はすでに米軍がフィ
久々に映画を見てきました。緊急事態宣言が終わり、映画007のテレビCMもあり、嫁と映画身に行こうかと話しつつ、上映状況を調べて、偶然、見つけました。「ONODA」年配の人は知っていると思いますが、第二次世界大戦の終了した1945年以降も、終戦を知らず29年間、フィリピンのルバング島に残っていた小野田少尉の実話です。題目を見た瞬間、凄く興味が出て、嫁と一緒に見るような映画でないと思い、一人で出発久々の映画館で早めの到着。シネマコンプレックスのため、色々な映画が上映され
小野田少尉の映画「ONODA一万夜を越えて」を西宮北口ガーデンズのTOHOシネマズで見る。初日の最終上映だが、観客は10人程。宣伝不足か?スポンサーのテロップに朝日新聞!これはまた偏向映画かと思いながらみる。174分の長編。映画は小野田少尉が入隊するシーンから、ルバング島を去るところまで描かれている。事実と違うところはありそうだが、反日偏向映画でもない。結構感動する。多くの人に見てもらいたい。何故、命令があるまで出てこれなかったのか。解っていたけど出ていかなかったのか。それは小野田少尉しか知
建国大学に集まった名物教授、毎晩の「座談会」101歳が語る満州国withnews(ウィズニュース)日本が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。...江戸時代の朱子学者の話ばかりする若い日本史の助教授に対し、学生たちが「個人の話ではなく、...2021/10/01梨の木ピースアカデミー:「援護法とヤスクニ」-レイバーネットレイバーネット日本...家永教授が、1983年、自著の「高校日本史」で、「日本軍のために殺されたひとも...の戦後社会運動
お立ち寄りありがとうございます吉村昭先生の「漂流」をひと月ほど前に読み終えて感想を書こうと思いつつ、更新をさぼっておりましたら、小野田少尉の映画が10月に公開されると言うことを知りました。奇しくも「漂流」に小野田さんの事もチラリと載ってたのです。あらすじアマゾンより江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行ったが、土佐の船乗り長平はただひと
こちらは宮部みゆきさんの短編時代小説ですね。短編の本はたくさん出ていますが、どれを読んでも面白い。すごいなあ。江戸の人々が悩んだり争ったりちょっと悲しい思いをしたりという様が、時代が違えど現代の人間関係に通ずるものもあり、ホロリとさせられます。短編で1話完結というのが、なんだか落語っぽくてそれもいいですね。今回その中でも、特に心に響いたものを記します。「てんびんばかり」同じ長屋に住んでいて、家族ぐるみで仲が良く、まるで本当の姉妹のように一緒に育ってきた二人の娘