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きのうは、ビデオを2本観た。フィリピン・ルバング島を死守した、小野田寛郎旧陸軍少尉の物語『ONODA一万夜を越えて』と、二宮和也が主演を務め、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に抑留された実在の日本人捕虜の伝記ドラマ『ラーゲリより愛を込めて』。「戦争ってひどいものですね」どちらも涙が止まらなかった。何度も観た。
前略、、、【一句】❝魂よ何としてでも生き残れ❞早々追伸、、、映画【ONODA:10000nuitsdanslajungle】監督・脚本:アルチュール・アラリ原案:ベルナール・サンドロン(著書『ONODA30ans
小野田寛郎氏の家に代々伝わる「名草戸畔(ナグサトベ)」の口伝とは?小野田家は和歌山県海南市にある宇賀部神社の宮司家(小野田城の城主)だった!小野田さんは英語と中国語が話せ、2人の兄は東大卒!https://bizconsul.net/2023/08/13/【タブー】日本書紀とは違う伝承/【タブー】小野田寛郎氏の家に代々伝わる「名草戸畔(ナグサトベ)」の口伝とは?小野田家は和歌山県海南市にある宇賀部神社の宮司家(小野田城の城主)だった!小野田さんは英語と中国語が話せ、2人の兄は東大
第9回感謝の心をつなぐ青年フォーラム(令和5年8月15日)令和5年8月15日(火)13:30~15:10(予定)※本年も野外の特設テントは設けずユーチューブ中継で配信します。【主な内容】※敬称略司会半井小絵(気象予報士・女優)◎開会の挨拶葛城奈海(共同代表)◎我が国及び全ての戦歿者に黙祷◎日本と世界の未来を担う青年からの提言インドネシア留学生オルホノド・ダイチン(南...www.youtube.com今年も8月15日が近づき感謝の心をつなぐ青年フォーラム幕末以来、国を守るた
40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順)-エキスパート-Yahoo!ニュース小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカーnews.yahoo.co.jp【書評】小野田寛郎を英雄に仕立てた黒幕の狙いとは?-まぐまぐニュース!終戦を知らされず、戦後30年間フィリピン・ルバング島で戦
孫娘とスポッチャでアーチェリーをしました。その昔、ちょこっとかじった事があるので、アーチェリーは得意です。名古屋栄のスカイル屋上にアーチェリー場がありました。そこへ、友人たちとちょくちょく通ったことがある程度です。スポッチャのアーチェリーは、弓も矢もガタガタです。矢をつがえて思いっきり引っ張ると矢が外れました。でも、道具の良し悪しを気にせず、弦を引っ張るだけで楽しくなります。的を狙って矢を放つと、少し右へ外れました。矢羽は硬質ゴムでできていて、かなり使い古され傷んでいます。これ
終戦を知らずに30年間戦い抜いた最後の日本兵「小野田寛郎」の孤独な戦闘小野田寛郎は終戦後も30年間フィリピンで生き抜いた男では、戦争終結後も30年間フィリピンのジャングルで孤独に生き抜いた小野田寛郎の生涯に迫ります。驚愕の事実を是非ご覧ください。mataiku.com
小野田さんのサバイバル物語も強烈なのですが、今回はアマゾンから先日届いた「日本のロビンソン・クルーソー」とも言うべき話を。過去にも鳥島サバイバルの話には触れたことがありましたが、『冒険作家椎名誠さんの『漂流者は何を食べていたか』』今日もまたアマゾンから届いた本。写真の左側に見えるエンデュアランス号関連の本は以前に紹介したこともありますが、こういった冒険物語は自分が安全地帯にいるから…ameblo.jp『無人島に生きる十六人』アマゾンから買った本なんですが。書店で目に
週末の夜は恒例行事のファミレスで読書タイム!いつものようにドリンクバーとパフェで静かなひと時を過ごしてきたわけです。さて先日紹介していたこちらの本を読んでいて、鈴木紀夫さんという登山家のことを知りました。フィリピンのルバングという島で、旧日本兵の小野田寛郎少尉と出会い、帰国への道を開いたというお方です。ルバング島マニラから結構近い模様。そして鈴木氏の著書『大放浪』を知り、アマゾンで購入。今日は宮城県図書館に行って小野田さん救出に関する新聞
ハンバーグの写真だけでアクセスが伸びると、ふだん必死にまじめな記事を出しているのが残念になってくるのだが(笑)さて昨日の記事で冒頭に出した『まぼろしの雪男』です。昭和54年の本ですから、もう44年も前。紙も日焼けしています。カバーを付けたのでしばらくは大丈夫でしょう。昭和46年1~5月に、ヒマラヤに雪男の姿を求めて冒険調査に出かけた人々の記録。外国でもヒマラヤの雪男と遭遇した物語は多数あります。例えばこれ。シベリアから歩いて歩いてインドを目指す途中のヒマラヤで
天皇の金塊シリーズという本があります。高橋五郎かなまあ、小野田寛郎はなぜフィリピンで残置生者をして何を守ったの❓いわゆる終戦時大陸にいた300万人の軍人はどこへ消えたの❓王様🫅の資産。民族資産と簿外資産て何❓漢民族と満州族と台湾と日本の支配者は誰日本国の歴史からすると1番殿様やら消えた財閥やらお金あるかもしれないですね。何せ日本人は働くから貧しくなる日本人の一方で世界通貨システムやアメリカ、欧州を救済するのが天皇ってのも悲しいですね。結果としての株高、日本に簿外
3つ前の当ブログに書いたように、『男はつらいよ』(1969山田洋次監督)の封切時の併映作は『喜劇深夜族』(1969渡辺祐介監督)でしたので、松竹の映画館は渥美清さんと伴淳三郎さんという浅草出身のコメディアンが2人、看板に並んだわけです。『男はつらいよ』でおいちゃん役だった森川信さんも舞台の軽演劇から出た方です。元々は大阪で「ピエルボーイズ」という劇団にいて、のちに浅草に出てきたのです。おいちゃん役の森川さんしか知らないと意外ですが、レビューに出ていたから歌も踊りもこなしていたといいます。
最近、有料、無料の動画配信サイトでドキュメンタリー番組を見ています。それらの中で、特に心に響いているのが時間を奪われてしまった人たち。ずさんな医療制度、戦争、冤罪。精神科の医療制度についてはすでにこの場に書きました。何十年も入院生活を強いられてきた精神病の患者たち。横井庄一さん、小野田寛郎さん。この名前をご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょう。戦争が終わった1945年以降も日本の敗戦を知らずにグアム島のジャングルで日本軍の迎えを待ち続け、終戦から27年目の197
1974年(昭和49年)3月12日。49年前の今日。小野田寛郎少尉帰国。潜伏中、民間人を殺害している事から実は帰国当時から賛否両論ある人で野坂昭如さんから直接殺人鬼呼ばわりされ逆にその野坂さんに「お前を殺す。」とまで言っている。ここでその賛否を裁判する積もりはないし小野田さんを擁護する積もりもない。だが島民の遺族やその当時を知る島民ならいざ知らず、現代人の感覚で批判するのはやっぱり違うと思う。一昨年の映画だが『ONODA一万夜を越えて』は、淡々と賛否の両面
NHK第一AMラジオ。周波数は666kHz。午前5時20分過ぎのコーナー、3月12日の『今日は何の日』です。【歴史上の日】1876年(明治9年)官庁の日曜定休・土曜半休が決まる1876年(明治9年)のこの日、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施された。それまでは、1868年(明治元年)9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていた。しかし、欧米との交易等で不便があったため、欧米と同じ仕組みに改めることとした。1871年(明治4年)から皇居で
2月20日の誕生日の花は、ウグイスカグラです。花言葉は、「未来を見つめる」です。1923年丸の内ビルが竣工1928年日本での初の男子普通選挙1946年旧ソ連が千島列島・南樺太の領土編入を宣言1952年東大ポポロ事件1962年米国で初の有人宇宙ロケット(フレンドシップ7)1976年ルバング島で戦っていた小野田寛郎に帰国を促す1983年Ⅹ線天文観測衛星てんまを打ち上げ1986年旧ソ連がロケット「ミール」を打ち上げ(大型宇宙船)1993年Ⅹ線天文観測衛星あすか
すべての戦争は財貨獲得に起因する(プラトン)たぶん人工⚫震もねあと⚫クチンとか真行寺君枝さんのブログ何も知らない嫁に真実を話してみたvol.13【人工○震編】#都市伝説#嫁#夫婦youtu.beトルコ地震、派遣された国際緊急援助隊(JDR)日本の救助チームは精鋭揃いのスペシャルチームトルコ大地震の援助で派遣された国際緊急援助隊の救助チーム。外務省を団長として、消防庁・警察庁・海上保安庁とJICA、さらハンドラー、医療班、構造評価のスペシャリストがあつ
rJW良心派ならびにJW強制2世のみなさんこんにちは。頑強なカルト親に一生悩まされる強制2世のみなさんにはお見舞い申し上げます。親子の縁はこれほど脆いのかとため息つく前に、現役JWなのに「アンチ統治体」というワカリミからの見解を披露させていただきます。両手を挙げての歓迎と塩対応の差は現在の行状や資質ではありません。両者の線引きは至ってシンプル。①バプったか?②審理委員会で排斥処分を食らったか?以上です。ほとんどの忌避親子断絶はJW親の側に責任があります。
シンクロ加速しんごちゃんネルのしんごちゃんが、またまた、興味深い本を紹介してくれました。和歌山には、神武東征の時に、神武の軍と戦った、女酋長率いる民がいたわけですが、その女酋長の名草砥部について書かれた本です。名草戸畔~古代紀国の女王伝説増補改訂3版[なかひらまい]楽天市場1,980円封印解きの佐藤シューちひろさんがニシキトベについて書かれていて、興味があったのですが、ニシキトベの復活太古の記憶の解放、根源的な生への回帰[佐藤シューちひろ]楽天市
小野田寛郎さんのいたルバング島2日目。昼飯後、ガイドさんと管理人とで、トライシケルで小野田ケーブへ。前日も日本人兄弟をガイドしたとのこと。50代でちょっと太目のガイドさん・・港からトライシケルで15分、徒歩で40分位で小野田ケーブ1へ。パンデミックを挟んで、道が大分荒れたとか。川には川エビしかいないそう。果物はジャックフルーツやココナッツ奥行10メートルぐらいの小野田ケーブ1ケーブ4まであるそうだけど、引き返し。シニアなので足腰が・・動物は?と聞くと、野生の鶏や豚ぐらい。
管理人と一緒に、最後の日本兵小野田少尉の居たルバング島で2泊。港近くで宿。宿はガラガラ。パンデミック後、観光客はまださっぱりとか。朝早く管理人が港近くで、キロ200ペソで高級魚のラプラプを購入。魚はかなり安いとか。管理人の友人宅で焼いてもらい、朝食はラプラプの焼魚・・何かもったいない。カラスかな?午前は、友人さんの車で島内半周。セスナ機の並ぶルバング飛行場。マングローブ路上に干している、カサバチップスお土産で購入午後は、管理人とガイドさんと一緒にトライシケルで小野田ケーブへ
本日一月十六日は、八年前九十一歳にて卒去なさいました、小野田寛郎元帝国陸軍少尉の九回忌にあたります。改めて、そのご生涯に、深甚なる敬意を捧げます。後ろに立っているのが見習士官(陸軍曹長)当時の小野田寛郎氏。前に座っているのが実弟の滋郎氏(陸軍少尉)。小野田寛郎(おのだひろお、1922年(大正11年)3月19日-)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。大東亜戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。軍歴上海の商
公式より1945年に終戦を迎えた日本。終戦を知らされないまま約30年間、フィリピン・ルバング島で秘密戦の任務を遂行し続けた実在の人物・小野田寛郎。壮絶で孤独な日々と戦った一人の男の人間ドラマ。これは公開、いやそれ以前の制作が発表された時から何かの機会に必ず見ようと思っていました。こういう機会になるとは全く予想してませんでしたが。小野田さんの登場シーンは和歌山の実家でくすぶっていた所からでした。全編3時間、内2時間は小野田さんのジャングル生活と長いです。実2
明けましておめでとうございます。西暦2023年神武天皇即位紀元2683年今年最初のブログは少しマナックな神社から始めます。年末は和歌山県と奈良県をかなりゆとりのスケジュールでフラフラしてきました。和歌山県海南市市の名前とはイメージの異なる山側にある集落にこの神社はあります。頭の宮宇賀部神社地元民の間では「おこべさん」の愛称で親しまれています。頭の宮と言われるように、元々は、頭痛、うつ病、認知症など脳に関わる病の平癒の神として信仰されていましたが、最
アメリカから見た日本@yamatogokorous私が小野田少尉の生き様を知ったのは彼が2014年に逝去された際だった。ふと手に取ったアメリカの雑誌に逝去に伴う特集記事が組まれていた。古いモノクロの日本軍人の写真が目に留まった。(続き→)yamatogokorous.comアメリカの雑誌で初めて見た侍:ラストサムライ小野田寛郎終戦後もフィリピンのジャングルで約30年も諜報活動を続けた一人の少尉がいた。彼は陸軍中野学校出身で、フィリピンのルバング島では諜報員として配備された
MAG2NEWSの記事プーチンが安倍氏に明かした“尊敬する日本人”の名が示唆するウクライナ「30年戦争」プーチンが尊敬する日本人は、小野田寛郎氏だそうです。フィリピンのルパング島で戦後30年に渡り孤独な戦いを続けた旧日本兵です。小野田さんの経歴は、中野学校(諜報機関)で、プーチンと同じ経歴で戦争が終わっても一人で戦い続けたところが気にいっているようです。好戦的な性格があるのでしょう。北方領土の問題は、経済援助を受ければ、従来の国土だと発言するし、北海道もロシアの
今だからこそ相応しい1冊です。今もしご存命でいらしたら現在の状況を子どもたちになんと語ってくれることでしょうか。むかし小野田寛郎さんの自然塾に子どもと参加したくて叶わなかったことは今でも悔やまれます。やりたいこと叶えたいことは諦めてはいけないですね。現在の世界情勢状況を踏まえて心の備えとして小野田寛郎氏の言葉をこの場に記しておきたいと思いました。口で平和を叫び戦争の愚劣さを語るのは易しいことです。でも世界の現状を見ればそんな理想論は通用しそうにありません。社会に生存競争
「目的を持ち、覚悟を決めなければ難関は打破できないということ」人生はサバイバルですよね。1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書Amazon(アマゾン)2,250〜7,496円