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【愛してくれた人がいたということ】戦時中、フィリピンの小さい島で29年9ヶ月もの間、戦争が終わったこともわかっていながら、長官の命令のもと戦い続けた小野田寛郎さん。最終的に小野田さんは1人になるのだが、数年間は生き残った3人で戦っていた。「人は1人で生きれないんですよね。喧嘩して離れて、寂しくなってまた一緒になって。」というような事を言っていた記憶がある。人は寂しさには耐えれないのだなぁと思うことになった。そして最近も、そう思うことがあった。身近な人間なのだが口撃をし、こちらが
小野田寛郎さん小野田寛郎(おのだひろお)1922年3月19日生まれ、2014年1月16日、満91歳没。和歌山県海草郡亀川村(現・海南市)生まれの大日本帝国陸軍軍人(予備陸軍少尉)、実業家。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。情報将校として太平洋戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。TBSNEWSDIGPoweredbyJNNさんが2021/10/0
こんばんは😁ずぶ濡れになったHickeyです☔️😵💫今日は丸一日ずっと雨だった豊橋☔️家を出た朝の段階ではシトシト雨だったからポンチョを着て出かけても大して濡れないと判断…それが…途中から土砂降りに😱賭け大失敗😱風も強いから顔に横殴りの雨☔️😱職場に着いたらポンチョの中はズブ濡れ☔️😱雨で濡れたのか汗で濡れたのかわからん😨☔️マスクからシャツ・パンツ・下着までグチャグチャ😨足だけレインブーツだから乾いてた🤣職場に着くなり身体を全て拭いて髪を乾かし…ロッカーに置いてあっ
3月12日の出来事1876年官公庁で日曜日を休日・土曜日を半休(半ドン)とする太政官布告。1894年ミシシッピ州ヴィックスバーグで瓶詰コカ・コーラが初めて販売される。1910年暴風雪により千葉県銚子沖で漁船83隻が遭難。1055人死亡。1917年第一次世界大戦:第十次イゾンツォの戦い(~6月8日)1918年ロシアがモスクワに遷都。サンクトペテルブルクへの遷都から215年ぶりにモスクワがロシアの首都となる。1930年マハトマ・ガンディーが塩の行進
アメブロは今日(3月12日)を「サイフの日」(財布の日)と推しています財布を変えるタイミングはいつ?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようまあ、こんな語呂合わせの記念日はともかく、何年前の今日という視点で見たら…13年前の今日は、東日本大震災に際して発生した福島原発事故で真っ先に思い出す、東京電力福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発した日です福島第一原子力発電所事故-Wikipediaja.wikipedia.org※菅直人という空き缶みたいな男が
小野田寛郎少尉、1974年3月12日生還!今から50年前の本日、1974年3月12日は、小野田寛郎少尉が生還した日でした。https://profile.ameba.jp/ameba/warmheart2003アメブロのブロガー、ナベちゃんの徒然草さんが、本日2024年3月12日7時7分7秒に投稿しました。ナベちゃんの徒然草さんが、記事で解説されていました。小野田寛郎さんについて、ウィキペディアでは、このように!https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0
当時私は高校入学を目前に控えていた中学3年生でしたが、今でも鮮明に憶えています。それは、今からちょうど50年前の今日・1974(昭和49)年3月12日に、旧日本兵の小野田寛郎少尉が終戦後29年間潜伏していたルパング島から、日本に帰国したこと。フィリピン防衛を主任務とする第14方面軍情報部付として1944年にフィリピン入りし、重要拠点だったルバング島に着任した小野田少尉は、翌年2月のアメリカ軍による艦砲射撃から逃れるため島の奥地に潜伏。その後も任務解除命令がなかったため、その
1974年3月12日の夕方4時過ぎ、小野田寛郎元陸軍少尉がフィリピンから帰国した。「先の大戦」が終わっても終戦を信じず、フィリピンで投降を拒み続けた元日本軍人、小野田元少尉がルバング島の密林から投降し、30年ぶりに祖国の土を踏んだ。残置諜者atDuckDuckGoDuckDuckGo.Privacy,Simplified.duckduckgo.com残留日本兵とメディア――小野田寛郎元少尉の帰還をめぐって永井均(教授・副所長)*この記事は、紀要『広島平和研究』第7号に掲載され
3月10日の出来事紀元前241年ローマがカルタゴの艦隊を破り、第一次ポエニ戦争が終結。1016年(長和5年1月29日)三条天皇が譲位し、第68代天皇・後一条天皇が即位。藤原道長が摂政となる。1831年フランス外人部隊創設。1846年(弘化3年2月13日)孝明天皇が第121代天皇に即位。1876年グラハム・ベルが電話による会話に成功。第一声は「ワトソン君、ちょっとこっちに来てくれないか」1902年ボーア戦争:南アフリカのボーア人がイギリス軍に
小生の尊敬する小野田寛郎少尉の本を靖国神社の遊就館で購入しました。戦後30年間フィリピンのジャングルで戦い続けたサムライ。フィリピン・ルパング島のジャングルで30年間戦い続けた故小野田寛郎少尉。この御時勢下に是非とも読んでいただきたい本。いずれ、フィリピンのルパング島を訪問します。この本は既に小生が持っている本ですが、メンバー会員の男子大学生の卒業祝いで購入したものです。
こんにちは、大島へぶんです。ネットフリックスで映画「ONODA一万夜を越えて」を観ました。1945年太平洋戦争終結後もフィリピン・ルバング島で戦いを続け、74年に51歳で日本へ帰還、“最後の日本兵”として知られる小野田寛郎を描いた物語。小野田さんが日本に帰ってきたのが1974年。僕も当時のニュース映像は何となく覚えています。でもこうして映画で観るとその壮絶な人生に驚嘆します。終戦後も親族の説得やラジオ放送を敵の謀略だと考え、あくまで上官の命令として独
Netflixに上がっていたので、先の連休中に観てみた。鑑賞後、テレビ画面から写真を撮りながら、ぐずぐずやっていたら・・・ようやくアップです(;^_^A仏・独・ベルギー・伊・日の5カ国合作。フランス人監督による。全編、オール日本人キャストで、日本語で放映されていることに、共感。戦後、30年もの間、フィリピンのルバング島で生き抜いた小野田さんのお話。彼の優秀さが認められ、陸軍中野学校(スパイ養成校)に請われ、諜報員としての教育を徹底的に叩き込まれ、戦地でゲリラ作戦を
命令とは、命の使い方を言いつける事。今日、なにげに、小野田さんの映像を見た。じっくり見たのは初めてだった。彼にとって上官からの『命令』は絶対だった。いや、それは、上官が怖かったからとかではなく、その命令が、まさに自らの『命』を使うべき『令』だと、それを納得して生きていたからであります。それが日本の軍人の姿だった。何度もフィリピンを捜索され、もう死んだと思われていたが、『まだ、山の中で生きている。そして次の命令を待っている。』そういう噂がず
今日は忙しい外来が終わり、急ぎ開業準備に鳳までいきました。朝8時半から始めた外来は、数がかなり多いこともあって、終了は14時半前。昼食もとることができないまま、鳳で15時約束の銀行さんと面談。ギリギリ2分前に到着。1時間ほど、印鑑押しなど終えて病院に戻る前にクリニックを見にいきました!腹ペコだけど、休む暇は無い!下のドラッグストアーで、差し入れのお菓子とインスタントコーヒーを購入。内装工事中のクリニックに行き、職人さんらに軽くご挨拶させて頂きました!どんどん工事が進んでおります。職人
今から52年前。1972年1月24日にグアム島で、元日本兵の横井庄一さんが発見され、2月2日に帰国。横井さんは1944(昭和19)年からグアムに配属されたが、8月に戦死したとされ、戦死公報が届けられていた。横井庄一さんグアム島から帰国|ニュース|NHKアーカイブスグアム島で1月24日、元日本兵・横井庄一さんが発見され、2月2日に帰国した。横井さんは1944(昭和19)年からグアムに配属されたが、8月に戦死したとされ、戦死公報が届けられていた。日本へ帰った横井さんは「グアム島敗戦の状況を知
バナナを人房買ってきて、冷蔵庫の上にでもポンと置いておく。するとすごいスピードで、黄色い皮が茶色になっていき、熟れ過ぎて食べれなくなってしまう。なぜ?じゃあ、冷蔵庫の中に保管すればいい?結果は同じ。グーグルで調べてみた。どうすればバナナをフレッシュな状態で長くキープできるか?まずは茎の部分をサランラップでくるむ。そして、本体がどこにも当たらないようにぶら下げる。こんな風に。すると熟れていく速度が遅くなる。試してみたけど、それは
大東亜戦争終結から29年間も終戦を信じず情報将校としてフィリピン・ルバング島で遊撃戦を展開し帰還された故・小野田寛郎さんは、帰国後、かつて国家管理されていた靖國神社が戦後は民間有志の崇敬奉賛会が支えていることを知りショックを受け、戦後日本人の精神構造の極端な変化に嘆いてもう日本には…pic.twitter.com/XFaIvlwaBK—六衛府(@yukin_done)January25,2024
1月16日が命日・忌日の有名人・著名人1710年(宝永6年12月17日)34歳崩御(天然痘)東山天皇陛下第113代天皇霊元天皇第五皇子1914年72歳没(腎臓炎)伊東祐亨さん初代連合艦隊司令長官、第7代軍令部長1917年79歳没(?)ジョージ・デューイさんアメリカ海軍大元帥1942年満33歳没(飛行機墜落事故)キャロル・ロンバードさん女優『生きるべきか死ぬべきか』⇒『キャロル・ロンバード(1908年10月6日生~1942年1月16日没、女優)』19
chairlotです☆☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆仕事納めは28日でしたが、毎年恒例で29日はは仕事に出ていました。そして今日からは少しの間の年末年始のお休みです。ですが、逆に年末年始がお仕事の方々も沢山おられますし『正月の何がめでたいんだよ?ただ暦が変わるだけだろう。』という御意見を聞く事も多いですよね。それもごもっともだと思います。でも『暦』を知る生き物は人間だけでして。それが人間たる理由の大きなひとつだそうです。かつての日本軍兵士でフィリピン🇵🇭ルバング島にて終
あなたの幸せな時間は?家人が泊まりで外に出かけた夜に、ぷらっと「はま寿司」に立ち寄って食事をする時間。こういう「ぽっち」はpetitbonheurな時間です。まだ若かった吉田拓郎さんがこの歌をリリースしたのは1974年。こんな老人が口にするような言葉がタイトルのアルバムを買った私は世間知らずで苦労知らずの中学生。同じ1974年の3月12日には、フィリピンのルパング島で貧しい衣食と孤独に耐えて「終わらない大東亜戦争」を戦い続けていた日本兵の小野田寛郎少尉が
13歳で両親の虐待に耐えられず家出をして43年間も野山や河川敷で、人と一切かかわらないようなサバイバル生活をしていたという加村一馬さんこの話を知ったきっかけは、Youtubeにおすすめ動画として、43年間も野山でサバイバル生活をしていたという動画が紹介された事だった。実際に見てみるとなんと実話だという。残留日本兵として28年間ジャングルに潜伏した横井庄一さん、30年間一人で戦争を続けた小野田寛郎さんらを超え、川村さんは13歳のときから43年もの間、北関東の山中を転々としながら生き
人にとって幸福とは何んなのだろうか?苦労せず得られたものには価値観を見出せない。そして人は慣れてしまう。そして新たなものを求めてしまう。新たに求めようとした時、それは何かを失うことと一体だと思う。札幌医大、高田純先生の言葉陰と陽ようは作用反作用の法則何気なく過ごしていると失ってるものが大きいのかも知れない。そしてそれにより不幸だと勘違いして自分を追い詰める。自殺の多い原因の一つではないだろうか?また、自殺の多い原因、それは確実に抗うつ剤が大きいと思う。小野田寛郎さんの言葉
平成十一年(一九九九年)三月二十四日、午前〇時五〇分、日本国民を拉致して能登半島沖を北朝鮮に向かって逃走している北朝鮮の工作船に対し、防衛大臣は、内閣総理大臣の承認を得て、防衛出動に次ぐ高度の緊急事態対処命令である「海上警備行動」を発令した。この命令に基づき、イージス艦「みょうこう」は、時速三〇ノットの猛烈な速度で北に向かう不審船の追跡を開始し、停船させるために同船の周辺に一二七ミリ炸裂砲弾を連続発射した。すると、北朝鮮工作船は、洋上に停船した。しかし、突如、再び動き始め
これは実話なので内容は大体想像がつきました。暗くて辛いストーリーなんだろうなと思い、録画してから2ヶ月以上も放置したままでした。あらすじ太平洋戦争末期の1944年12月、陸軍少尉の小野田はフィリピンのルバング島に派遣され、ゲリラ戦に従事。日本軍は劣勢にあったが、陸軍中野学校で特殊訓練を受け、教官から「君たちに死ぬ権利はない。何があっても必ず生き延びろ」という教訓をたたきこまれていた小野田は、部下たちともにジャングルの中に立てこもり、徹底抗戦。過酷な状況下、彼らはひとり、またひとりと命を落とし
2023年10月20日--------------------------------------------きょうもサバイバル。生きているって感じです。2022年10月20日--------------------------------------------「目的を持ち、覚悟を決めなければ難関は打破できないということ」人生はサバイバルですよね。1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書Amazon(アマゾン)2,250〜7,496円
NHK第一AMラジオ。周波数は666kHz。午前5時20分過ぎのコーナー、10月19日の『今日は何の日』です。【歴史上の日】1925年(大正14年)早慶戦が19年ぶりに復活(お互いの応援団とOBたちが熱くなりすぎて中断を余儀なくされた早慶戦だったが、東京六大学野球連盟が創設、19年ぶりの早慶戦復活が実現した。復活した早慶第1回戦の試合前、早稲田部長安部磯雄がグラウンドに立ち、早慶戦復活が野球の発展にいかなる意義をもつかを、応援におけるマナーの遵守を求める請願
さてさて………………【藤白神社(ふじしろじんじゃ)】和歌山県海南市藤白466【社務所】にて、預けていた御朱印帳を取りに再び立ち寄った……………職場に『鈴木さん』が居てるので、お土産に「鈴木家御守」を購入することを決めるも、色に悩むココロどっちがいいかなあおっ小野田さんだ【藤白神社】の氏子だったという【小野田寛郎(おのだひろお)】1992年〜2014年日本の陸軍軍人。和歌山県海草郡亀川村(現:海南市)に生まれる。情報将校とし、第二次世界大戦に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、
「昭和の大事件・日本兵は生きて帰還した!」昭和47年1月グアム島のジャングルで太平洋戦争の終戦を27年間も知らず潜んでいた旧日本兵「横井庄一」さんが発見されました。日本へ帰還した際に「恥ずかしながら帰って参りました」との発言がセンセーショナルで、その年の流行語大賞になりました。1997年82歳でお亡くなりになりました。昭和49年3月フィリピン・ルバング島で終戦を30年間信じず、潜んでいた「小野田寛郎」さんが元上官の説得により投降し、帰還しました。小野田さんが発見さ
本日も熱中症アラートが発令されました我が町ですが、ゴロゴロしているのも嫌なので、神社仏閣へ行こうと、ネットで調べていった所が、(動機不純とまではいわないが)なんと・・・!!!!という場所でした。この方のゆかりの地だったのです。👉小野田寛郎さんご存じでしょうか?ニュースを直接見聞きした世代だと、60代の後半の方あたりになるのかもしれませんが、当時8歳だった私が知ったのは無論、随分後ではありましたが、何故知ったかと言うと・・・ご出身が隣町だったからつまり、地元の人
小野田寛郎さんの実話映画「ONODA一万夜を越えて」見ました。グァムの横井庄一さんは知っていましたが29年間ジャングルにいた最後の兵隊とも言われている。映画は日本に帰るところまでだったが日本に帰ったあとの生活を知りたくなりました。