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私の周囲では、宏美さんのデビュー記念日の2日前である昨日から、仲間のSNSがざわつき始めている🤣。ちょうど休日ということもあるし、東大阪でのコンサートが開催されたためもあるだろう。いよいよ明日が宏美さんのデビューまる47周年の日。私も便乗して特別企画(?)、行ってみるとしよう。と言っても、特段のネタはない😅💦。1982年のほぼ1年間、コンサート後半を飾ったヒットメドレーのオープニングに付け加えられていた、出自不明のあのヴァースを取り上げてみたい。1982年秋のリサイタルのプログ
1980年10月、秋のリサイタル。宏美さんは終盤で、この「愛のよろこび」をピアノ中心の伴奏でノーマイクで歌った。清らかなお声が郵便貯金ホールに響きわたり、静かな感動が私の心を貫いた。私にとって初めてのリサイタル体験であった。原曲の「愛の喜び(は)」は、フランスの作曲家、マルティーニが作曲した歌曲である。原詩はフランス語(Plaisird'Amour、作者不詳)だが、イタリア語(Piacerd'amor)で歌われることが多い。タイトルは「愛の喜び」だが内容としては、「愛の喜びは一瞬し
一昨日、宏美さんの実妹・ヨシリンこと岩崎良美さんが、(株)コンリアルアートに移籍された、と発表があった。これで姉妹で所属事務所が同じということになり、共演の機会が増えるかもしれない。ファンとしては嬉しい限りである。先月の富士市でのジョイント・コンサートを感染拡大状況悪化のため断念した私としては、野口五郎さんの次は、姉妹お二人でのコンサート・ツアーの実現も期待したい。😍宏美さんのFacebookより拝借さて、今日は1982年の秋のリサイタルのアンコール最後に歌われた「マイ・カラリン
タイトルになっているマッカーサー・パーク(MacArthurPark)は、19世紀後半からあるロサンゼルスの公園である。元はウェストレイク・パーク(WestlakePark)という名称だったが、第2次世界大戦を機にダグラス・マッカーサー元帥のモニュメントが作られ、マッカーサー・パークと改称されたようだ。私がこの「マッカーサー・パーク」という曲を初めて知ったのは、1980年に大学に入学してしばらくした頃である。「アイ・リメンバー・イエスタデイ」のブログでも触れたが、宏美さんのコンサー
「愛しのジジ(Gigil’amoroso)」は、1974年にダリダがリリースしたシングル曲。B面は、今年の夏のライブハウスツアーで宏美さんが初披露された「18才の彼(Ilvenaitd'avoir18ans)」である。ダリダは「愛するジジ」の邦題でこの曲を日本語バージョンでもリリースしている。まずはダリダの迫真のパフォーマンスが堪能できる動画をご覧いただこう。作詞:M.ミシェル、作曲:レナ&ポール・セバスチャン。原詞の内容も、概ね宏美さんが1983年リサイタルのクライマッ
このところ、野口五郎さんとのコラボ、そして宏美さんの筒美作品を集めたCD+DVDの発売、と嬉しいニュースが続いている。そのニュース記事の中で、私としてはとても気になったのが「筒美京平が岩崎宏美に提供したのは74曲」という部分だ。昨年10月、京平先生が亡くなった折り、宏美さんが「私は筒美先生に80曲ぐらい書いていただいた」と仰っていた。それがキッカケとなり、私は宏美さんの全作品を作家別にカウントするという作業に取りかかったのだった。その時の私のカウントでは「79曲」となっていたの
「ピープル」(People)の初出は、1964年のブロードウェイ・ミュージカル『ファニー・ガール』(FunnyGirl)で主人公のファニー・ブライスを演じたバーブラ・ストライサンドが歌ったものである。作詞・作曲はジュール・スタイン&ボブ・メリル。バーブラは、ミュージカルのアルバムとは別に、同年この曲をフィーチュアした4thアルバム『ピープル』(People)もリリースし、全米1位を獲得している。内容は、オープニングとエンディングに共通する歌詞が、この曲の全てを表していると言っても
ディオンヌ・ワーウィックが1982年に発表したスタジオ・アルバム『フレンズ・イン・ラヴ』(FriendsinLove)のタイトル・チューン。ジョニー・マティスとのデュエットで収録されている。ディオンヌについては説明無用、ジョニーは「ワンダフル!ワンダフル!」「恋のチャンス」等の大ヒットで知られるアメリカのポピュラー歌手だ。まずはオリジナルのお二人によるデュエット映像をご覧いただこう。作詞作曲に名を連ねるのはデヴィッド・フォスター、ビル・チャンプリン、そしてジェイ・グレイドンであ
今日私は1回目のワクチン接種だった。私は現在6人家族。義理の両親はもう2回共済んで副反応なし。娘と息子は大学でそれぞれ1回目を受け、共に発熱。若い人の方が副反応が大きいということが、少なくともうちの家族に限っては当てはまっている。私が今日受けると聞いて、息子からは「若ぶって副反応出たふりするなよ」と先手を取って釘を刺されてしまった。😅💦さて、「哀しみの終るとき」は、1971年の同名フランス映画(Çan'arrivequ'auxautres)の主題歌。音楽はミッシェル・ポルナレフ。
オリジナルは、宏美さんがコンサートで何曲か取り上げたことのあるジャニス・イアンの「我が心のジェシー」(Jesse)。この曲が世に知られるようになったのは、ロバータ・フラックの『やさしく歌って(KillingMeSoftly)』収録のバージョン(1973)が最初で、半ば引退状態だったジャニスが再び脚光を浴びるきっかけとなる。ジャニス自身の録音は、『スターズ~ジャニスの私小説(Stars)』(1974)に収められている。この曲のテーマは、ベトナム戦争に行った軍人の帰りを待つというもので
「愛はかげろうのように」(I'veNeverBeentoMe)は、1976年、アメリカで複数の歌手によってレコーディングされた。最もポピュラーなシャーリーン版は、もともと彼女のアルバムにも収録され、77年にシングルカットもされているが、ヒットしなかった。それが82年に、あるラジオで流されたのがキッカケで、世界中で大ヒットした。宏美さんは、この82年のシャーリーン版のヒットを受けて、秋のリサイタルで取り上げたと考えられる。『洋楽和訳NeverendingMusic』による
ブロードウェイ・ミュージカル『ドリームガールズ』(Dreamgirls,1981)より。作詞:トム・アイン、作曲:ヘンリー・クリーガー。この「アイ・アム・チェンジング」(IAmChanging)は、第2幕の2曲目、ガール・グループのリード・ボーカル、エフィが歌うナンバー。エフィの初演時のキャストはジェニファー・ホリデイ、映画版(2006)ではジェニファー・ハドソンが演じた。お2人共動画が見つかったので、ご紹介しておこう。宏美さんは、そのミュージカル公開の翌1982年の秋のリ
「フラッシュダンス」(Flashdance…WhataFeeling,1983)は、ご存知1983年公開の映画『フラッシュダンス』(Flashdance)の主題歌。アイリーン・キャラが歌い、ビルボード1位やアカデミー歌曲賞等を獲得している。作詞:キース・フォーシイ、アイリーン・キャラ、作曲:ジョルジオ・モロダー。歌詞も映画の内容にリンクしたものになっている。サビの「♪Whatafeeling/Being'sbelieving」の歌詞がいい。Whataboy!〜何て子な
原曲はナタリー・コールの1976年のヒット曲、「Mr.Melody」である。メガ級のヒットではなかったが、東京音楽祭でグランプリを獲ったこともあり、日本ではお馴染みの曲である。ナタリーは皆さんご存知の通り、ナット・キング・コールの娘さんだ。作詞・作曲はチャック・ジョンソンとマーヴィン・ヤンシー。内容は、メロディーを擬人化して、「ミスター・メロディー」と呼びかけ、音楽への愛を高らかに歌い上げる素敵なナンバーだ。聴きどころのスキャットの部分など、とにかく楽しげに歌うナタリーの声を聴いている
「素直になれなくて」(HardToSayI’mSorry、1982)は、アメリカのロックバンド、シカゴの全米No.1ヒット曲。ホーン・セクション中心のブラス・ロック・スタイルでヒットを飛ばし続けて来たシカゴが、デヴィッド・フォスターを制作に迎えて、大きな転換点になった曲だと言う(メンバーのピーター・セテラも制作に加わっている)。ホーンを抑え、シンセサイザーを活かしたバラード風の曲調は、以降シカゴの楽曲のメインストリームとなる。私はいつものパターンで、宏美さんの「素直になれなくて
1980年秋のリサイタル、Ⅱ部のオープニングで続けて歌われた、いずれ劣らぬアッパーチューンである。このリサイタルⅠ部は、『宏美・22才の愛』というテーマのもとに、「ザナドゥ」等のアップテンポのナンバーはありつつも、全体にじっくりと聴かせる構成だった。なので、Ⅱ部のオープニングと共に、客席のファンが「待ってました!」とばかり盛り上がるのが、ライブ盤を通じても伝わって来る。この年のライブ盤は、3年ぶりに2枚組フルにライブ音源である。それだけ名曲・名唱揃いだし、宏美さんもライナーノーツに「こ
宏美さんは、スティーヴィー・ワンダーもリスペクトしているに違いない。コンサートでも、「心の愛」「愛するデューク」「マスター・ブラスター」などを歌われていた。そして9年間続いた宏美さんの秋のリサイタル、最後のステージのラスト・ナンバー(アンコールを除く)もスティーヴィーのこの曲、「ステイ・ゴールド」だった。「ステイ・ゴールド」(StayGold)は、フランシス・コッポラ監督のアメリカ映画『アウトサイダー』(Outsider、1983)の主題歌。カーマイン・コッポラ(コッポラ監督の父)作
1982年リサイタルのアンコールで歌われたアッパーチューンである。オリジナルはディオンヌ・ワーウィックのアルバム『フレンズ・イン・ラヴ』に収められている(このアルバムのタイトル曲は、やはり同年のリサイタルで宏美さんが取り上げ、タイム・ファイブと共演している)。作詞・作曲:トム・スノウ、訳詞:米倉万紀子・山川啓介、編曲:小野寺忠和。この曲を聴くと、当時の懐かしさが甦ると同時に、新鮮な感動がある。と言うのは、この曲はリアルタイムではライブ盤のLPに収録されず、VHDディスクのみで観るこ
ご存知、ライオネル・リッチー1983年のヒット曲。すぐその年に、宏美さんは歌われている。旬のものを取り入れる宏美さんのリサイタルらしい。私がライオネル・リッチーの名前を知ったのは、その2年前のリサイタルで宏美さんが「エンドレス・ラブ」を歌われてからだった。洋楽をほとんど聴かなかった当時の私は、そのように宏美さんの歌を通じて洋楽のアーティストを知っていったのだ。このライオネルはその後、85年にマイケル・ジャクソンと共に全世界的にあまりにも有名な「WeAreTheWorld」を共作している。
「スカボロ・フェアー」(ScarboroughFair)はイギリスに伝統的に伝わる歌である。源流は17世紀にまで遡るが、現在と同様の歌詞が記録されているのは18世期末らしい。われわれがよく知っているメロディーは、サイモン&ガーファンクル版で、映画『卒業』(1967)に用いられ、世界的に有名になったと言う。ドリアン・モードの旋律である。宏美さんが残したこの曲の最初の録音は、1982年のライブ盤である。リサイタルのためにアレンジされたのではなく、この年の夏のコンサートツアーから歌われ
♪私たちはそうよミュージック・ラバーズ歌が会わせてくれた恋人よ(略)今はそれぞれの人生を忘れましょう心の指からめひとつの歌に酔いあたたかい夢を見ましょう1982年後半のツアーで、必ずオープニングで歌われた楽曲である。秋のリサイタルのステージ構成を担当した山川啓介氏が詞を書き、指揮をした小野寺忠和氏が曲を書いた。コンサートのために書き下ろされたオリジナル曲である。この曲を聴くと、これから宏美さんのコンサートが始まるんだ、という何とも言えない期待感を
どうも!作編曲屋の小堀です。仲人の訃報その後。JASRACの会報で仲人である小野寺忠和氏が亡くなったことを知りました。氏のマネジメントをしていた人や写譜屋さん師匠に巨匠各方面に問い合わせるも誰も情報を持っていませんでした。会報の訃報に最初に気づいたのが小堀で氏が亡くなったことを知っている人が全くいなかったのです。氏は数年前に大阪の実家に帰っており東京の関係者とは疎遠になっていました。とはいえ昨年までは年賀状のやりとりができていました。今年は出した年
どうも!作編曲屋の小堀です。▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️JASRACの会報が届きざっと目を通すか…と斜め読み。え!?あれっ!?えええ〜〜っ!仲人の訃報が載っていました。小野寺忠和(69才)3月31日逝去作品「風雲たけし城のテーマ」今年の年賀状は返送されてきており連絡先がわかりません。少し前に作編曲家協会を退会した旨協会の会報で知りもう音楽で仕事をするのはやめたんだな…とは思っていました。何が起きていたのか葬儀はどうしたのかさっぱ
皆様おはようございます。菅井隆行です。新月明け、私は何に乗れば早いのか・・・。のってけ、のってけ?*2016/9/18の記事を画像変更これぐらい奮い立たせる曲があってもいいじゃないか。旭営業所の1214号車1992年に導入した三菱ふそうエアロスター・大型路線バス新呉羽ボディ最後の代にあたる1台。左近山や美立橋を中心に活躍した。2005年廃車