ブログ記事46件
山田純大著「命のビザを繋いだ男小辻節三とユダヤ難民」どこでこの本についての情報を得たのか不明ですが、長い間図書館の予約予定リストに入ってました。ようやく読んでみようと思い、今読み終えたところです。命のビザと言えば杉原千畝さんを思い出します。もうあまりに有名ですから。この本の著者の素晴らしいのは、ビザを発給してもらった後の6000人ものユダヤ人はその後どうやって日本に辿り着き、日本のどこに滞在し生活したのか、その具体的なことまで調べ上げたことです。杉原千畝さんが日本政府に背いてまでビザ
ユダヤ人が、ナチスの魔の手から逃れるために、命のビザを発給し続け、6,000人もの命を救ったのが、"東洋のシンドラー"こと杉原千畝。2万人のユダヤ人を救い、ソ連から北海道を死守した樋口中将。さらに、杉原千畝の救ったユダヤ人難民をもう一度救った日本人・小辻節三が居たとは知らなかった。歴史は巡り、助けたユダヤ人に日本人子孫が救われる事になった。記事抜粋イスラエル国会議員らが日本人に感謝状第二次大戦時ユダヤ難民救うハウザー議員(左)から感謝状を受け取る小辻暎子さん(左から3人目)=東京都
杉良太郎的生き方あるヤフーニュースに目が留まった。里子が152人もいる有名人の生き方だ。杉良太郎さんってそんな人だったんだ。...blog.drnagao.com杉良太郎さんかぁ・・・山田純大さんのお父さんなんだよね。やはり、杉良太郎さんと言えば「遠山の金さん」だし、歌もうまいと思うけれど。。。シンドラーのリストのことが書かれていたが、息子さんの山田純大さんは「命のビザを繋いだ男小辻節三とユダヤ難民」という本を書かれています。もちろん、持っていますし、読みましたよ
有本香氏、百田尚樹氏の合同ユーチューブに樋口季一郎中将の孫の樋口隆一氏がゲストで出ておられた。【有本香&百田尚樹チャンネル合同番組】ゲスト:樋口隆一niconico『有本香Channel』の内容を一部お届けします。続きはこちらhttps://live.nicovideo.jp/watch/lv334247559niconico『有本香Channel』の入会はこちらhttps://ch.nicovideo.jp/arimotokaori/blomaga/a...www.youtube.c
東洋のシンドラー知っていましたか?近代日本のこんな歴史|杉原千畝と「命のビザ」~東洋のシンドラーと呼ばれた外交官~アジア歴史資料センターは、近現代(1860年代から1945年前後)の日本とアジア近隣諸国との関係に関わる歴史資料(目録・画像)をインターネット上で提供する電子資料センター(データベース)であり、国立公文書館で運営されています。www.jacar.go.jpwカンレン
今日1冊の本を読み終わりました。「命のビザを繋いだ男小辻節三とユダヤ難民」ナチス・ドイツの迫害から逃れるためにポーランドからリトアニアに入った多くのユダヤ人達に、後に「命のビザ」と呼ばれる通過査証を本省の命令も顧みず数千人にも及ぶユダヤ人難民に発給した杉原千畝の業績は有名ですが、それだけでそのユダヤ人達の命が救われたわけではありませんでした。杉原が差し伸べた命のバトンをその先もしっかりと繋げた日本人達が存在したのです。ウラジオストックまでたどり着いた難民達を日本行きの船に乗せること
ホロコーストからユダヤ人を救った杉原千畝の命のビサはよく知られていますが、行き着いた日本(福井敦賀経由神戸・横浜)から、アメリカ、カナダ、中国へと出国させた小辻節三については全く知りませんでした。ビザの期限が一週間程と短く、どのようにしてビザの延長を勝ち得たか、命を賭けてユダヤ難民の為に尽くした小辻節三の半生を俳優の山田純大さんが書かれたものです。京都加茂神社の神官の家系に生まれ、キリスト教に転向し、最終的にはユダヤ教徒になる小辻節三の波乱に満ちた人生はドラマのようでした。途中、“
みんなの回答を見るセブンネットやAmazon・楽天で、本を購入。風野真知雄・著耳袋秘帖シリーズ眠れない凶四郎山田純大・著命のビザを繋いだ男小辻節三とユダヤ難民明石散文・著二人の天魔王信長の正体等々です。ここで、纏めて何冊も買ってしまっています。
おはようございます😃朝一番に息子の職場でアクシデントが。これは放送関係者にとっては、心臓が止まるぐらいのおおごと!息子にはなんの責任もないのですが、すっ飛んで行きました。何故か私も今朝は早起きしていたので、朝ごはんの用意が間に合いました。さて。山田純大さんのプログ、小さな娘さんがあまりにお可愛らしいので、読者登録して拝見していました。ところが、彼はユダヤ人救出に功のあった小辻節三氏のことについての著書があったんですね、驚きました。杉良太郎さんの息子さんとしか知らなかった(笑)。この
純大さん、こんばんは⭐️お疲れ様です(^-^)いよいよですね、海外で小辻節三についての講演が実現するんですね✨純大さん、当日、海外に出向くことは出来ないけど、心から成功をお祈りしてるので、頑張ってくださいね💕しっかり美味しいもの頂いて、温かいお風呂に入ってゆっくり休んでくださいね🤗
水澤心吾(みさわしんご)さんによる一人芝居を観た。第二次世界大戦の最中、ナチスによるユダヤ人虐殺が行われた。そのとき、リトアニア日本領事館領事代理の杉原千畝氏は、逃げまどうユダヤ人たちに一筋の光となるビザ(日本を通過し、アメリカなどナチスの手が届かない所へ逃れるための)を発給しつづけた。当時の日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結んでおり、外務省からは、難民へのビザ発給許可は下りなかった。(以前、調べたときには、行き先が明確に定まっていて、相応の資産がある者には発給されるこ
ちょいよしNO.2528人生は短いわ、人から何を言われても、あなたの信じる道を選んでください今日のちょいよし本命のビザを繋いだ男小辻節三とユダヤ難民1,836円Amazon2013年7月5日第4刷発行Amazon紹介ナチスの恐怖からユダヤ人を救った、もう1人の日本人がいた。目次少年期、青春期の小辻ナチスによるユダヤ人迫害奇想天外な『河豚計画』満州へ小辻と松岡洋右ほかつないだ男〝命のビザ〟をつないだ男。本書の主人公、
最期の言葉もう寝るからいいよ※娘たちが小辻の、むくんでいた足をさすっていた時の言葉。一晩中付き添っていたが娘たちが目を覚ますと小辻は永遠の眠りについていた。遺言エルサレムで眠りたい出典命のビザを繋いだ男小辻節三とユダヤ難民[山田純大]小辻節三日本のシンドラー・杉原千畝の「命のビザ」で日本に逃れたユダヤ難民6000人。しかし許された滞在期間はわずか10日あまり。ビザが延長できない場合、彼らを待ってい
いわゆる「杉原美談」では、外務省の命令に背いて杉原がビザを発給したことになっています。そしてそれが原因で外務省をクビになり、死後まで復権できなかったという反日宣伝の材料とされています。杉原千畝1939(昭和14)年9月、ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻し、独ソ不可侵条約の秘密条項で、ポーランドは分割・占領され、バルト三国はソ連に占領されます。ユダヤ人は独ソ軍に迫害され、ユダヤ教の神学生は隣国リトアニアに逃れ潜伏します。海軍におけるユダヤ問題の第一人者犬
ナチスドイツに追われるユダヤ人難民にビザを発給し「日本のシンドラー」として名高い杉原千畝氏とともに、日本でその難民を受け入れ米国へ橋渡しをした小辻節三氏についてもっと知られるべきだと思います。その小辻氏について山田純大さんが書かれた本がこちらです。とても読みやすいです。
子供の頃に何度も何度も読み返した『アンネの日記』。ユダヤ人だから。ただそれだけで殺されていった人達がいる。ホロコーストやアウシュビッツに関する本を読んでは、人間の残虐さに震えました。しかし一方では、それを阻止しようと危険を顧みずにユダヤ人に手を差し伸べた人もいる。映画『シンドラーのリスト』が公開された時には、少し救われた気がしました。[日本のシンドラー]、そんなキャッチコピーで杉原千畝さんがテレビで紹介されていたのも、確かその頃だったように思います。杉原千畝さんが発行した短期滞在の
純大さんが、ブログで、鎌倉市議会による「小辻節三さんの人道的行為を顕彰する決議文」が届いたと書かれておられ…その決議文を拝見させていただきました⇒https://ameblo.jp/jundai-yamada/entry-12324155894.html#cbox「多くの人々の『心の文化遺産』として語り継がれるよう…」…とても素敵で、私も、まるで我が事の様に嬉しく思いますが…ブログに「ただ、ただ、嬉しい。」と書かれておられる…小辻さんの偉業を世に広めるために尽力されてきた純大さん
毎日の様に、どこかでどこかの物産展が、開催されている大阪ですが…写真は、通りかかった所で開催されていた北海道物産展…の何故か隣で売っていた壱岐島のバームクーヘンです壱岐島と言えば先日純大さんが、的場さんと撮影されていた所と言う事で、衝動買いしてきました昔から続く製法で作られたと言う、土肥製菓店の「壱岐島ばーむくーへん」です。インスタ映えなど、全く念頭にない四角のフォルム…ですが、あまり美味しそうに見えないのは、私の写真の腕前の問題です実際のお味は、ふわふわの食感と優しい甘さでとっても美
命のビザを繋いだ男杉原千畝さんのお話しは何度か聞いていましたが、小辻節三さんさんのことは知りませんでした…山田純大さんのブログで知りこれは読まなくてはと頼んでいました(NHK出版)素晴らしい先人たちに感謝を込めて読ませていただきます。
きっかけは山田純大さんが大好きな事からこの本にたどり着きました。本なんて雑誌以外、ほとんど読んだことない36年。吸い込まれるように読ました。なんのお金にもならないのに、ここまでユダヤ難民たちに尽くした日本人がいたこと、沢山の命を救った日本人がいたこと。小辻節三。彼が亡くなった歳に生まれた山田純大さん。本人から話が聞けなかったのが残念ですが、それでも手がかりを求め、追い、いろんな人と出会い、俳優という職業の傍ら、取材をすすめて何年もかけてできたこの本。山田純大さんを始め、沢山の思いがつ
「鎌倉市議会が、小辻節三さんの人道的行為を顕彰する決議を全会一致で可決した」と言う記事が、9月12日の毎日新聞地方版に載っていたそうです。⇒https://mainichi.jp/articles/20170912/ddl/k14/040/393000c実の所、市議会による「顕彰決議」にどう言う意味があるのか…今後どの様な「顕彰」が行われ、それがどんな効果をもたらすのか…私には、分からないのですが…ただ、こんな風に小辻さんのお名前がメディアに取り上げられ…小辻さんの事をご存じなか
今日は72年前に広島に原爆が投下された日です。今朝の通勤電車の中で、ブロ友のアオバさんの記事を読み、あっ!と気づき、時間を確かめたら、ちょうど8時過ぎ頃で、投下時間8:15に電車の中で黙祷ができました。電車の中だったので72年前の広島の朝も、あの路面電車に、私のように通勤している人がたくさん乗っていたことを想像しました。学生さんもお勤めの人も、電車の中でいきなりの閃光と爆風に人生を奪われたのでしょうか。日々を懸命に生きる普通の人々の頭上に、何が落とされたのか
ツイッターの「在東京イスラエル大使館」の公式アカウントで…先日純大さんがブログに書かれていた、小辻節三さんのご息女のジュリーさんの納骨式が執り行われたと言うツイートがありました。https://twitter.com/israelinjapanジュリーさんの事は、純大さんのご本で、講演会で、ブログで…純大さんから教えていただいた事をもとに、勝手に想像しているだけではありますが…物静かで凛としたイメージがあります。…そして、おそらく純大さんの事を息子の様に思われていたのでは?と
読んでみたい。