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滋賀の小谷城登城後、昼食を食べられるところと探して見つけた麺屋ジョニーさん。河毛駅周辺は何もなく、ちょっと離れたところにありました。とんこつ塩。家系っぽい感じですが、汁は少なめ。麺は固めですね。味は好きな感じでした。セットの唐揚げが4個ですが、かなり大きめ。いい感じにお腹がふくれました。ご馳走様でした。
先月末に備中松山城と鬼が城に行き、山城の楽しさを味わえたので、再度、山城に挑戦しました。今回の山城は滋賀県北部にある小谷城です。織田信長や豊臣秀吉などを描いた戦国時代の大河ドラマなどにかならず登場する浅井家のお城です。織田信長の妹、お市の方と結婚し織田信長と同盟を結んだ浅井長政の居城で、その後、信長を裏切り、姉川の戦いで豊臣秀吉らの軍勢に攻められ、このお城で浅井長政は自害しています。今回は20名ぐらいのバスツアーで、何度もこういったツアーに参加し、前回以上に歴
(長篠合戦古戦場織田・徳川連合軍の馬防柵跡)昨年、一昨年と東北でお世話になったかつての同僚デカちん(注:全体にデカいので私がそう呼んでいるだけで身体の部分的な特徴を強調しているものではありません)氏。『みちのく食い倒れ紀行①祭畤(まつるべ)温泉「かみくら」へ』待ちに待った東北旅行の日がやってきた。まずは吉祥寺アトレの惣菜店で弁当を買う。かつては駅弁といえば「牛肉どまん中」一本槍だったのだが、最近冷たいご飯+…ameblo.jp(2023年2月の東北旅行)その後デカ
事件の当事者笠原源七郎行永は、戦国時代の近江国浅井郡新井(現、長浜市新居町とその付近)の土豪。その昔、足利尊氏が竹生島に日御供米として寄進した、新井郷内の一町六反大の田地の切米七石五斗と、古来よりその振舞料として納められている一俵の米について、笠原行永が押領したと、永禄九年(一五六六)に問題になりました。永禄九年(一五六六)一〇月一五日付けで、竹生島が浅井長政の家臣である遠藤喜右衛門に宛てた案文によると、①笠原方が切米七石五斗について寺納されないので、毎年納める様申し入れてきたが、う
あけましたぁー遅くなりましたが。。。あけましておめでとうございまする本年もよろしくなりなぁー今日は、兵庫県の小谷城へ行ってきたお話らよ??又、歴史の説明は苦手なので看板貼り付けときまする車停めて、小谷城までにこんなお寺があるよ??そして、小谷城へ到着ここは、横堀が素敵なお城になりまする🏯素敵れしょ??ここは虎口ここは入らずに奥の堀切へ向かいます。橋はかかってるなりが。。。とても素敵な堀切なりよここは西小丸跡五の丸跡上からの横堀このだんだんだーーんはよか
小谷城は戦国時代屈指の山城と言われ日本五代山城の一つに数えられています標高495mの小谷山の尾根筋に築かれた南北に長い山城です1523〜24年にかけて長政の祖父浅井亮政によって築城されたと考えられていますが正確な築城年は分かっていません長政はお市の方を娶ったことで有名ですね3姉妹の娘たちも超有名です信長にとってこの結婚は近江を同盟国とし京へ上る足掛かりにしようと思っていたのでしょうが越前国の朝倉義景と信長が争った際には長政は信長ではなく朝倉方に付いて背後から奇襲した為
朝から雪が降りそうな天気の日曜日午前中なら大丈夫かな…ということでどうする家康でラスボスとなった茶々が生まれ育った小谷城跡へ登りました駐車場はひんやりと冬の冷たい空気が立ち込めていました見上げると山の上は雪模様ですいよいよ山城に登るんだ!とわくわくしながら登山道へ向かいました獣除けの扉をあけると敵に攻め込まれないためには必然の急登がありました山城だからね…本丸へ続く道には様々な場所がありました茶々が眺めたであろう琵琶湖の景色美しい景色で
愛知の歴史史跡巡りの会で小牧市の城巡りに行きました。小牧市は日本続100名城に指定されている小牧山城があり、小牧長久手の戦いの砦群も残っているので、歩いて巡る事ができる史跡が多いです。今回の集合場所は名鉄・間内(まない)駅。電車で小牧山城にアクセスする場合の最寄り駅は小牧駅です。でも遠く離れた間内駅で集合する理由は駅前に浅井長政の銅像が建っているから。>>名鉄・間内駅の地図小谷城で亡くなった浅井長政浅井長政は織田信長の妹・市と結婚し織田と同盟を結びましたが、古
怜悧で狭量、人望に欠け、豊臣の天下を潰してしまった男――。かつて石田三成のイメージと言えば悪性評価の一辺倒でした。しかし最近では「義を貫いた忠臣」という良性三成像も着実に広まっており、人気を取り戻しつつもあります。では、変わりつつある三成の実像とは一体いかなるものか?石田三成は永禄3年(1560年)近江国坂田郡石田村にて誕生しました。父・正継は石田郷の土豪であり、浅井家に仕える身。母は浅井家臣・土田氏の娘でした。三成は二男にあたり、幼名を佐吉と言います。
11/3~4北近江城巡り続き小谷城の本丸~中丸~小丸~山王丸と回って今回は山頂の初期の小谷城とも言える大嶽城も登っていきます。山王丸から一度下っていき登り返していくのですが途中にあるのが六坊跡浅井久政の時に領内の有力寺院の出張所が置かれた曲輪小谷城側には石垣もありますここから登り返し💦最期の一踏ん張りで登ると大嶽城浅井氏初代浅井亮政が築いた主郭。その後東側の今の小谷城に主郭は移る。織田信長の攻撃に備え朝倉氏によって改造された曲輪になりました小谷山山頂494M登
小谷城と大河ドラマ小谷城跡へ行き、改めて小谷城が舞台になっている大河ドラマ。『江〜姫たちの戦国〜』(2011年)大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」|NHKドラマNHKドラマに関する総合情報サイト。新作トピックスやドラマ再放送情報はもちろん、放送中のドラマ番組に関するデータも充実しています。www6.nhk.or.jp小谷城跡を訪れた後に小谷城が出てくる1話と7話を観ると数倍感動します。NHK大河ドラマ撮影の地として記念の兜モニュメントが作られているぐらいなのですが。ドラマ
11/3~4北近江城巡り続き初日に玄蕃尾城・東野山城・田上山城・山本山城・虎御前山城を回って晩御飯は十二分屋長浜店滋賀県長浜市湖北町八日市753-2こちらで十二分屋そばをいただきました。まろやかな醬油ラーメン疲れた体に染みわたりました今回「道の駅湖北みずどりステーション」で車中泊。車中泊の車は30台程止まっていましたが静かな夜を過ごせました。で翌日です。午前中で家路につく予定です。最初に向かったのは小谷城滋賀県長浜市湖北町伊部日本100名城・日本五大山城
おはようございます☀今日は小谷城戦国まつりに出店します✨メロンパン、唐揚げ号両車出店です😁何年も前からお誘いを頂いていたのですが今年は別月になり、初出店できることになりました😊メロンパン、唐揚げの両方買える機会があまりないので是非遊びに来て下さいね😉
小谷城落城後の家臣達続きになります。前回はこちら『小谷城跡⑦大広間〜山王丸』小谷城散策の続き続きです。『小谷城跡⑥番所から桜御門へ』小谷城散策へいよいよ小谷城跡へ。麓の無料駐車場に案内板がありますが、今日はガイドさんおすすめの通り、…ameblo.jp浅井長政が今なお人々に愛される戦国武将である理由。義に厚かったと言われるものの。浅倉家への恩義を取ったとは言いますが、義兄である信長を裏切り背後から突こうとしたわけで。しかし、家臣や地域の民に慕われていたのは事実のようです
小谷城散策の続き続きです。『小谷城跡⑥番所から桜御門へ』小谷城散策へいよいよ小谷城跡へ。麓の無料駐車場に案内板がありますが、今日はガイドさんおすすめの通り、小谷城中腹駐車場まで車で乗り入れることに。そこから徒歩で登…ameblo.jp再びガイド地図登場ですそして、今回は立体復元模型と共に。(安土考古博物館のものです)写真と合わせてご覧ください進んでいくと、⑧大広間跡へ。ここは浅井長政やお市、子ども達が住んでいたとされています。千畳敷きとも呼ばれ、城内最大の曲輪跡です。建物
小谷城散策へいよいよ小谷城跡へ。麓の無料駐車場に案内板がありますが、今日はガイドさんおすすめの通り、小谷城中腹駐車場まで車で乗り入れることに。そこから徒歩で登ります。大きな看板がありました。私が訪れた頃はと言いますと…。とにかく熊遭遇事件のニュースが連日流れる日々でして。いきなりですが怖っ緊張感ヤバい。直前に買った100均の鈴と、スマホのAmazonmusicスタンバイ。ガイドさんにもらった地図から行くと、車を停めて登ると①の番所に到着します。アスファル
【問題】小谷城(滋賀県長浜市)で、大永5年に朝倉宗滴が布陣した場所を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】金吾丸九十九丸英林丸九頭竜丸【正解】金吾丸【解説】大永5年(1525)、浅井氏と六角氏の調停のため、朝倉宗滴(教景)が小谷城の一角に布陣したとされる。この場所は、教景の名乗りから「金吾丸」と呼ばれる。
戦国ガイドステーション小谷城戦国歴史博物館こってり歴史を調べて、いざ小谷城へ。訪れたのは10月半ばでした。車で姉川を渡り、右手に小谷山が見えてきました。まずは、小谷山の麓の戦国ガイドステーションへ。ボランティアの方が気さくに話しかけてくださり、パンフレットもいただきました。このパンフレットを見ながら、見どころを教えていただきました。小さなステーションですが、パンフレットには書いていないオススメポイントなど丁寧に教えてもらえるのも新鮮で↓そのパンフレット敷地内に
後編浅井家の滅亡続きになります。『小谷城跡②歴史編-前編-』小谷城跡②歴史編-前編-小谷城跡、浅井三代の繁栄小谷城の歴史-前編-訪れる前に、小谷城の歴史を振り返りたいと思います。本気モードで調べます滋賀県長浜市の…ameblo.jp『小谷城跡③歴史編-中編-』小谷城跡③歴史-中編-小谷城跡、浅井三代の繁栄小谷城の歴史-中編-前編はこちらです。『小谷城跡②歴史編-前編-』小谷城跡②歴史編-前編-小谷城跡、…ameblo.jp浅井長政は姉川の合戦で敗れた後も信長
中編浅井家と織田家前編はこちらです。『小谷城跡②歴史編-前編-』小谷城跡②歴史編-前編-小谷城跡、浅井三代の繁栄小谷城の歴史-前半-訪れる前に、小谷城の歴史を振り返りたいと思います。本気モードで調べます滋賀県長浜市の…ameblo.jp諸説あるようですが、織田信長の妹であるお市の方が浅井長政のもとへ嫁いだのが1568年と言われています。長政24歳、お市21歳の時。浅井家と織田家の同盟を示す政略結婚でした。織田信長は室町幕府最後の将軍となる足利義昭に伴い岐阜から
前編浅井家三代の繁栄訪れる前に、小谷城の歴史を振り返りたいと思います。本気モードで調べます滋賀県長浜市の北にある小谷城跡。室町時代後期。つまりは戦国時代、浅井亮政によって築城(1525年頃)された山城です。小谷城はその後浅井三代の亮政(すけまさ)、久政(ひさまさ)、長政(ながさま)の居城となりますが、織田信長に攻められ浅井家は滅亡(1573年)。この戦でも武功を挙げた木下(のちの豊臣)秀吉が城主となりますが、秀吉は山城であることを嫌い、琵琶湖に面した長浜に新たに長浜城を築
小谷城跡①そうだ。小谷城へ行こう私は滋賀県在住です。滋賀って、色々と地味なんですよねー。日本の100分の1が「滋賀」なのだとか。人口、面積。なので、「100分の1県」と呼ばれることもあるそうです。ちなみに琵琶湖は地図で見ると半分ぐらい占めていそうですが、1/6。滋賀県民は小学生の時に叩き込まれます。関東で言うところの、埼玉的地位なのでしょうか?翔んで埼玉2琵琶湖より愛を込めて映画『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜』公式サイト全世界を席巻した<壮大な茶番劇>まさ
先日近江八幡に行ったあと、まっすぐ帰るのもどうかなと思って、ちょっと足を伸ばして小谷城まで行きました。城山の登り口は公園のように整備されていて、大きな冑のモニュメントが迎えてくれました。車で途中まで行ってあと歩こうかと思っていたのですが、辺りに誰もいないし案内のボランティアの詰め所も無人で勝手に車で上っていいのかもわからず、下から頂上を(どこが頂上かわからなかったのです)見たつもりで次の場所へ移動しました。戦国時代の城の登り口かと見まがう(笑)小谷城戦国歴史資料館。こちらも人
土曜日、大関ヶ原祭のあとは城めぐりをしてきました。関ヶ原まで行くと滋賀県は近いですね。まず小谷城へ行くことにしました。途中の道の駅で念願のサラダパンに遭遇!!!!これは食べねば。1つ170円でした、パパと分けて食べました。↑こちらサラダパンです、見たらわかるか小谷城からは琵琶湖も見えます。戦国時代は山の上のお城なのでひーひー言いながら登りました。ちなみに昔行った安土城はひーひーどころではなかった、今の体力ではちょっと厳しいかも。こちら彦根城です。たぶん10年振りくらい?前
Myhusband,wholovescastles,tookmeuptoOdaniCastle,oneofthe100bestcastlesinJapan.ItwasashorthikeandweenjoyedagreatviewofLakeBiwa.https://www.youtube.com/watch?v=73th2ySbYHM【戦国最大級の山城攻め】信長に敗れた朝倉・浅井家滅亡の戦い|小谷城の戦い✅小谷城の
滋賀県長浜市を流れる姉川9月9日、姉川古戦場へやってきました。名古屋や大垣よりも西、琵琶湖の東側に位置します。朝倉義景:織田信長の上洛要請に従わない浅井長政(あざい):織田信長の妹・お市の方と結婚したのに信長を裏切って朝倉方に付くVS織田信長徳川家康という、1570年の戦い。姉川を渡る。渡った場所浅井長政と織田信長の合戦地この場所は八左が北五:徳川方陣地十一:朝倉方陣地四:織田方陣地十:浅井方陣地陣形の図左が北
攻城日:2023年7月16日↑城跡石碑&解説板↑小谷城は、栃木県小山市にある城跡デス♪↑埋もれつつある城跡石碑↑城跡は、JR東北本線間々田駅の西およそ4kmにあり、現在は神社や農地などになっています。↑読めなくなりつつある解説板↑"小谷城"というと、近江国にある浅井氏の本拠地だったあのメジャーな小谷城が真っ先に思い浮かびますが、こちらは下野国の小谷城...読みも近江のは"おだに"ですが、こちらは"こや"と読みます。まぁマニアしか知らないマイナー物件ですww
8月29日に夜行高速バスに乗車し、滋賀県の城巡りに出掛けました。現地での移動と復路は青春18きっぷを利用します。仕事終わりからのスタートだったので、かなりの強行日程でした30日の早朝に南草津駅に着き、そこからJR琵琶湖線と北陸本線で河毛駅に移動。河毛駅最初の目的地は小谷城です。駅でレンタサイクルを借りて、20分ほどで戦国ガイドステーションに到着。戦国ガイドステーション(早朝のため、まだ開いていません)自転車はここまで。2011年NHK大
田んぼの中の道を歩き、河毛駅から清水谷に位置する小谷城戦国歴史資料館に向かう。午前中なので、太陽に向かって歩く形になり、とても暑い。北国脇往還に入ると史跡がポツポツと現れる。これらを横目に見ながら谷を進むと資料館がある。規模の違いや遺構の残り具合は全く違うが、一乗谷と雰囲気が似てるような気がする。資料館がある清水谷から、山道を登る。後から小谷城跡ガイド館の人と話すと、「あそこの道が一番キツイ」とのこと。登山道はよく整備されていて、ところどころ木が伐採されているので、眺望が良い。琵琶湖と竹生島
久しぶりに名城100選巡りに行ってきた小谷城(43/100城)日本の山城トップ3に入ったそうですなので、城跡は山の中回るのに4時間もかかるという事で・・・立派な登山です麓から全景を撮って終了後ろの山の尾根に沿って城跡があるそうですが、この暑さで回るのは無謀です