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七沢森林公園の駐車場に車を置いて、巡礼峠に向かって、ぶらりと歩き出す。紅葉を楽しみながら、公園内を徘徊。尾根に出て、「関東ふれあいの道」が通る巡礼峠まで来た。ここから、南に尾根筋の道を行ける所まで行く。途中の展望地からは、都心のビル群やスカイツリーも見えた。公園内の道です、よく整備されています。名残の紅葉をみて、落ち葉を蹴散らしながら歩く。大山が見えた、山頂の鉄塔も確認できました。公園の南の端まで来ました。ここから下って、住宅街を徘徊して、高松山に行っ
小町神社(こまちじんじゃ)2024.6.7(金)厚木市小野地区は、小野小町の生誕地とされており、先述の小野神社と、小町緑地には小町神社が鎮座します。緑に覆われていますが、化粧池と言われる小さな池がありました。小町の七不思議がありましたが、今回は時間の都合もあり、七不思議は割愛させていただきます。小町緑地駐車場小町神社を目指します鳥居がありました駐車場から、だいたい10分程かと思います。伝承によると、源頼朝の側室・丹後の局が、頼
愛猫のお墓参りも終えて…せっかくだから近くの神社にお参りしない?…と妹からの提案です。私は言う通りに運転するので…ってナビをお願いしました。着いたのは『小町神社』の駐車場です。厚木市には【小野】という地名があります。先ほどの『小野神社』もですが、こちらの『小町神社』も【小野】にあります。*小野小町を祀っている神社です。ただ…この『小町神社』は駐車場からかなり登ったところにあるようで…私のような難病患者が上れるのかな?不安を感じながらも拝殿を目指しましたよ。この鳥居からさらに上
神奈川県の厚木市小野は小野氏の発祥の地です。地名が先で、そこを領地とした瀬織津姫が夫に天下春命を迎え、その子らが領地の「おの」を名乗りはじめたのが小野氏です。小野氏は女王の瀬織津姫が生んだ一族で、大山積という地神大王家の血筋を受け継ぐべく生まれた一族で、天神王家を天忍穂耳尊が継いだことで、天神大王家と一対の存在としてあったのではないかと思っています。瀬織津姫は天照大神が女性だと思われてきた事からも分かる通り、アマテルが大王として機能不全となったなか、女王として孤軍奮闘し
既に20年の時を経ていますが。かつて厚木市「森の里」に青山学院のキャンパスがありました。通学手段は小田急線「本厚木駅」と「愛甲石田駅」からのバス便のみ。本厚木からのバスは交通渋滞による遅延リスクがあり、愛甲石田駅からのバス利用が主流。でも便数が少なくて。そこで毎朝繰り広げられる、駅ホームからバス停までの徒競走。「愛甲ダッシュ」と呼びならわされていたのだとか。キャンパスに辿り着くまでも大変な苦労をしていた、と青学出身の元同僚がこぼしていました(笑)。愛甲所縁の鎌倉御家
実は今、我が家に異変が起こっています!といっても、別に悪いことではないのてすが、小野お通の紹介する時にも書きましたが、我が家の血筋は若白髪が多いのです。私も例外ではなく、二十代にはかなり白くなっていて、今はほぼ「真っ白♥」だったのですが、最近になって髪を洗っていて黒髪が増えてきているのに気付いたのです。(真っ白からだから、気づきますよね(笑))はて?シャワーヘッドを変えて、ウルトラファインバブルのものにはしましたが、ウルトラファインバブルには白髪を黒髪に戻す効果は無さそうです
突然ですが、明日京丹後と福知山に行って、小野小町の墓参りをして来ようと思います。我が家の都合もあり、突然の決定ですが、それ程遠い訳でもないので、ブラブラっと行って来ようと思います。龍海
新年、明けましておめでとう御座います。m(__)m昨年までの成果として、5人の小野小町と伝承地との関係を龍海が認定してお知らせしたいと思います。(研究成果により今後、増減することはあると思います。)人の暮らしに役に立ってこその研究ですので、小町姫(ゴレンジャー)の加護を授かれる事をお祈り申し上げます。龍海−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−小野小町概略−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−★初代、小野小町采女
小野小町の名前の由来の解釈が核心へと迫れたおかげで、解釈の幅が広がり相模の小野小町の伝承も実態が見えてきました。おさらいですが、現在の状態を伝えると、①丹後局が「小町神社」を小野山に建てた。・・・小町神社縁起(小野山宮野院)②小町の七不思議の伝承1.小町の片葉松2.小町海苔3.業平竹の自生4.化粧塚5.小町の化粧池6.小町の竹橋7.小町の石橋(一説には小町井戸)③小町塚となるようです。次に、伝承の変遷をみるために『新編相模国風土記稿』から引用
前回に相模の小野神社に対する評価で、縁起式内社の「小野神社」では無いと否定しましたが、それを撤回したいと思います。理由としては土地勘が無い事が最大の理由になるのですが、(現在の愛甲と愛甲西)上図が現在の愛甲地区ですが、小野神社はこの地区にはありません。そして上図が小野地区の小野神社、小町神社、元の位置である秋葉社の位置になります。私は地理的な知識が無かった為に、地元の人には容易に気づけるような事を見落としていました、小野神社の今の位置と元の位置は、どちらも小野地区
今回は武蔵や相模の小野神社の成り立ちから古代の小野神社の事を炙り出す事にしました。まだ、相模の伝承からは何も見つけられていないのですが、相模や武蔵に残る小野神社をしつこい位、繰り返し調べた結果、一つ気がついた事があります。まず、厚木市小野にある小野神社ですが、この神社は元々の位置が、現在の位置の南西200mの地点、現在秋葉神社の祠がある地点にあったそうです。そして、小野神社の前は「閑香大明神(かんかだいみょうじん)」と呼ばれていた事が分かっています。この「閑香」は「あいこう」と
厚木市小野にある小町神社から始まった追跡劇ですが、その後の調査から分かった事を加えると次の様になります。①比企尼は元々は京都に居た。②丹後局は吉見系図によると「無双の歌人」だったそうです。③丹後局は惟宗広言との間に産まれた子が「島津忠久」となった。④比企尼には三人の娘がいる。⑤長女の丹後局は惟宗→安達へと嫁いでいる。⑥次女は河越へと嫁いでいる⑦三女は伊東→平賀へと嫁いでいる⑧次女の娘が「源義経」の妻となっている。これらの情報を図に起こすと次の様になります。最初は初
前回、厚木市小野の小町神社は瀬織津姫のお墓ではないのかという事を書きましたが、同地には「小町塚」と呼ばれる古墳がある事を今日知りました。(引き続き、神奈川の小町伝承を追っかけています。笑、笑、笑)(『Etsuro1のブログ』からの引用です。)小町神社が古墳の様な所にある印象を受けていたのですが、写真の撮り方の問題だったようで、実際には(『Etsuro1のブログ』からの引用です。小町神社・・・その1-Etsuro1のブログこの塚はなんだ?・・・小町塚神奈川県厚木市小野
小町神社の存在から神奈川県に小野小町の末裔がいることを確信したので、神奈川県の小野小町伝承を調べると、あっさりストーリーが分かったと思うのでご紹介いたします。『中世歴史めぐりyoritomo-japan.com』に小町神社について書かれたものがあったので引用すると、小町神社〜小野小町と丹後局の伝説:厚木市〜源頼朝の御落胤伝説www.yoritomo-japan.com「小町神社(こまちじんじゃ)は小町姫を祀る神社。(中世遺跡めぐりからの引用です。)伝説によると、源
小町神社は、源頼朝との間に男子を産んだという丹後局が建立したのだ伝えられています。伝説によると・・・丹後局は頼朝の子を身籠ると、北条政子の怒りを避けるため小野の里に逃げ込んだのだといいます。政子に呪われて白髪になってしまった丹後局は、小町姫に祈ると黒髪に戻ったのだとか・・・小町姫とは、絶世の美女といわれた小野小町のこと。小町神社に祀られているのは小町姫です。☆☆☆☆☆丹後局は伊豆の蛭ヶ小島に流された源頼朝を支援しつづけた比企尼の娘。『吾妻鏡』によれば、1182年(養和2年
前回は、「愛甲三郎季隆」館跡を訪ねました。この館跡から、(旧)玉川を上流へと更に遡っていくと、「縁切り橋」の石標がありました。説明書きには「源頼朝側室丹後局の安産祈願警護のため留守にした館を北条政子により焼き討ちされた『愛甲三郎』、これを機に北条勢力と縁を切った」のが、燃えさかる自館を目の当りにした玉川の橋のたもと。それゆえの「縁切り橋」だそうです。さて、「丹後局」さん。以前も紹介しましたが、「縁切り橋」から目と鼻の先にある「小町神社縁起」に薩摩島津家の家祖・忠久公の実
今から遡ること約1100年前。平安時代中期に制定された「延喜式」に記された「古い神社」が、相模國には13社が存在しています。未参拝のお社、あと残りは3つ。ですが、そのいずれもがママチャリ利用でまる1日を要するため、二の足・三の足を踏んでいる次第。本当にいつまで経っても完遂しない「相模國延喜式内社」めぐりになっています。といったところで、この日は最も身近な式内社「小野神社」に参拝。(厚木市)七沢へと向かう道すがらにあり、社叢林が見事。夏場の暑い盛りにチャリンコを漕いでいる折の絶
薩摩藩「島津家」が幕府に提出した「家系図」では、源頼朝の側室「丹後局」から産まれた「忠久」が家祖とされているそうです。(↑)「小町神社(厚木市)縁起」頼朝の正妻といえば「北条政子」。文献を読むと政子さんの側室に対する「迫害」は相当なものだったようで、丹後局さんも危うく首を刎ねられるところだったとか。危うく難を逃れて辿り着いた先が、ここ厚木にある「小町神社」であった、と縁起に記してありました。(↑)小町神社その後、丹後局さんは泉州住吉(大阪府)に居を移し、そこで誕生したの