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皆さん明けましておめでとうございます今年も宜しくお願い致します私の散歩コースからの初日の出です↓昨年は元旦早々の能登地震、二日目の飛行機事故など、なんとも言いようのないお正月でしたが、今年はお正月も含めて一年間出来るだけ平和で平穏な一年であることそして、読んで頂ける方々の安寧を初日の出に願いました。個人的な今年の願望は、また北海道に行きたいのと、地元の活動をもう一つ増やしたいと思っています。そう、主催者の先生に許可を取り忘れてブログに載せていないのですが、昨
つくばのコストコからまず向かったのが国指定、ですし八田さんの城ですからねサイクリストと同じ駐車場からテクテク茨城の城って感じま、きれいに整備された復元ですけど北堀北門から潜入この堀、障子堀だったんですって土塁にあがり本丸を東堀東橋東曲輪ここに碑あり小田城鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城であり、その始まりは小田氏の祖・八田知家が文治元年(1185年)に常陸国守護に任命されて当地に移って居館を構えたことによると言われるそれまでの常陸国南部は、平将門を亡ぼした常陸平氏が
NHK大河ドラマ、鎌倉殿の13人で市原隼人さん演じる八田知家こそが小田家のルーツであり、常盤国の初代守護職に就くなど名家でありながら、1300年代初頭にはその守護職も失っているようです。また、「神皇正統記」で知られる北畠親房は、7代小田城主治久の招きで執筆したと言われています。その後、一進一退を続けながら、小田家の最後の小田城主、氏治さんへとつながっていくのです。実はおだ姓でも、かの有名な織田信長より、小田氏治のほうが家柄でいうと名家であると言えます。小田氏治の野望・・・そんなゲー
2024年1月31日1月最後のツーリングは日本三大稲荷のひとつである茨城県笠間市にある笠間稲荷神社からいってみましたここは二回目になりますここの絵馬を持ってないので頂きにきましたきつねもイイですが大黒天のほうで参拝客は多いでした移動します笠間市から南へ走り石岡市にある
「どんど焼き」に行ってきました1月20日土曜日、つくば市内の「小田城歴史広場」でどんど焼きがあるというので行ってきました。小田城歴史広場はつくば市の北部、筑波山から連なる宝篋山を東に見る平地にあります。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、市原隼人さんが扮した八田知家が祖となった小田氏の居城だった場所です。南北朝時代には南朝方の北畠親房が「神皇正統記」を書いた場所でもあるそうです。1980年代までは、城跡のど真ん中を関東鉄道筑波線が走っていましたが廃線になり、2000年代に入って本格的な発
戦国最弱大名・小田氏治の小田城本丸跡宝篋山の麓にあるのが小田城本丸跡。小田氏の始祖は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する13人に一人「八田知家」。幕府から常陸国守護に任命されて、この地を本拠にしたというから、現在のイメージでは小田城が茨城県の中心になってもおかしくないくらい。戦国時代の領地でイメージすれば50万石くらいあったのではないかな。その子孫の小田氏15代目の小田氏治は、最近にわかに脚光を浴び始めた戦国大名。そのキャッチフレーズは「戦国最弱大名」小田城は関東のと真ん中に
筑波山を見に宝篋山に登ってきました標高461メートル霞ヶ浦、関東平野、空気の澄んだ日には富士山など360℃パノラマは筑波山からの眺めと同じですが一つ違うのが筑波山を見ることができるのがお薦めポイントです小田城跡の近くの宝篋小田休憩所(自販機・トイレ有り)脇の駐車場は6:45で9割方埋まっておりました(70台止められそう)9:30下山時は満車でした6:50登山コースは6ルートありますが登りは一番人気の中央の極楽寺コースで登ります山頂まで3kmのコースで所要時間は1時間35
おはようございます、たけちです。令和5年11月3連休の真ん中日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?昨日は季節外れの暑さでしたねまぁ、それでも、毎日が熱中症アラートの日々に比べるとまだいいですかね今日は、久しぶりランニングでもしようかなと思っています。さて、今日は、つくばりんりんロードに隣接してあった小田城について紹介します。『つくばりんりんロード③お城址の脇のサイクリングロード』おはようございます、たけちです。令和5年10月最後の日曜日、みなさん、いかがお過ごしに
おはようございます、たけちです。令和5年10月最後の日曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは、現在、栃木のとあるキャンプ場でまたーりしています。不安定な天気にめげず、なんとか一夜を越すことができましたこれで、また、人生レベル?がまたひとつ上がったかもまぁ、ただ、肉を焼いて、食って、野宿しているだけなんですがさて、今日はつくばりんりんロード第3話目です。『つくばりんりんロード②たけち、挫折す!?』おはようございます、たけちです。令和5年10月21日日曜
日時:9/30(土)目的:不死鳥の城天気:曇り気温:28℃風;弱い移動手段:バルカン君(大型自動二輪)APM11:20出発雨がパラパラ降り始めた。多分すぐに止むだろう。多分・・・。↓浦和ICから東北道にIN↓川口JCTから外環道にIN↓雲が厚い。三郷辺りでやられそうだ。↓高速上ではどうしようもない。そのまま突進。↓パラパラしていた雨が土砂降りになった。またまた雨雲レーダー大外れ。ひんと頼みますよ・・・。↓ずぶ濡れになるが北の空は明るい。あと少し
マルです。常陸国の不死鳥小田氏治戦国最弱、ポンコツ大名などとも云われますが、驚くほど人々から愛され慕われた殿様でもあります。確かに敗戦落城の数はちょっと、、、とは言えないくらい多いのですが、不死鳥と云われる程に何度も再起し、城を奪い返しています。城の奪還は優秀すぎる家臣団の活躍に依るところも大きいかと思いますが、何度負けても諦めない氏治のド根性も凄いのです。そして、これほど負けても領民達に慕われ続けたという謎の人望。だって領民達、戦の度になかなか酷い目に遭っているんです。15
こんにちは、たけちです。今、つくばりんりんロードも佳境に入ってます。暑い🥵この模様は後ほどブログにて紹介しますね🎵たけちonInstagram:"つくばりんりんロード岩瀬駅から土浦駅まで約40kmのサイクリング・・・暑い🥵#つくばりんりんロード#雨引観音#真壁城跡#小田城"0likes,0comments-takechi1977onAugust4,2023:"つくばりんりんロード岩瀬駅から土浦駅まで約40kmのサイクリング・・�..."instagram.
連休だったのでカミさんと久しぶりに城訪問。茨城県つくば市にある小田城に車で行ってきました。とにかく暑かった小田氏の始祖は『鎌倉殿の13人』で市原隼人さんが演じた八田知家です。小田城を築城しました。4代目から八田から小田に姓が変わったとのことです土塁北虎口跡東曲輪跡堀北西隅土塁北西虎口跡南西馬出跡馬出から見た宝篋山東池跡現在は付近の龍勝寺の山門となっている、かつては小田城の城門だったと言われている門。
マルです。小田氏治が戦った武将の一人、犬好きの太田資正。多分猫好きの氏治とは真逆な人物です。まず武人としての評価ですが、太田資正は上杉謙信、佐竹義重らからも信頼される智将として活躍していました。一方の氏治は、不本意ながらポンコツ武将として有名です。【氏治をはめた太田資正の策】1566年11月手這坂の戦いで劣勢となり、小田城へ引き返そうとする小田軍。ところが先回りして小田城へ到着した太田軍が「当主が帰還した」と騙して門を開けさせ攻め込み、小田城は奪われます。1569年11月太田資
マルです。こちらの記事の続きです↓『妹とお出かけ☆つくば市へ』マルです。今日は月曜日ですが私は代休日だったので、妹を誘い茨城県つくば市へ行ってきました。誘ったというか、お願いして付き合ってもらったという感じです。3年前か…ameblo.jp『案内所☆怪しい者ではありません』マルです。こちらの続きの記事です。『妹とお出かけ☆つくば市へ』マルです。今日は月曜日ですが私は代休日だったので、妹を誘い茨城県つくば市へ行ってきました。誘っ…ameblo.jpやっと本題に入ります。小田城登城!
マルです。こちらの続きの記事です。『妹とお出かけ☆つくば市へ』マルです。今日は月曜日ですが私は代休日だったので、妹を誘い茨城県つくば市へ行ってきました。誘ったというか、お願いして付き合ってもらったという感じです。3年前か…ameblo.jp小田城址へ着き、まずはマップでも頂こうかと案内所へ行きました。確か資料館みたいになっていて、小田氏治と夫人の木像や城の模型などが見られるはず。うそーん↓↓↓私達が訪問したのは月曜日でした。じゃあ御城印も買えない。3年も待ってやっと来たのに、まさ
マルです。今日は月曜日ですが私は代休日だったので、妹を誘い茨城県つくば市へ行ってきました。誘ったというか、お願いして付き合ってもらったという感じです。3年前から行きたかった念願の場所へ。筑波山ドーン!筑波山の雄大さがドーン!と伝わるような上手な写真が撮れませんでした。生で見る筑波山は本当に大きくて素敵なお姿でした。今日は筑波山には登ってません。過去3回ロープウェイで登ったことがあります。曇りの予報でしたが、私達がつくば市に着いたときは太陽がギラギラしていました。木陰を見付ける度にす
動物保護団体CAPINからお預かり中のノア君、毎日元気に過ごしています先週末のお休みに史跡『平沢官衛遺跡』広場へお散歩へ行きましたが、今日は平沢官衛遺跡にほど近い『小田城跡歴史ひろば』へみんなでお散歩に行ってきましたここは小田城の城跡のため、お城本体は無くお堀を再現した場所になりますワンコも入れる史跡広場なんですよ~ここの史跡ひろばは数年前に整備されたようでまだまだ新しく綺麗、あまり世間では知られていないのか...人があまりいない・・・・でもワンコのお散歩には今日は春
マルです。弱冠15歳で小田家の家督を継ぎ、初陣以来、負けに負けた小田氏治。そんな『戦国最弱』とも云われる殿に、死をも厭わず忠義を尽くし抜いた家臣団。この家臣達がいなかったら氏治は何度も小田城へ帰還することは出来なかったでしょうし、早々に討ち死にしていたかも知れません。不死鳥のように何度も立ち上がれたのは、この家臣団の必死の支えがあったからこそです。何としてでも氏治を護ろうとする家臣達の忠義心に、胸が熱くなります。山王堂で討死した菅谷政頼氏治が北条へ寝返ったことに激怒した軍神上杉謙信が、
3時間半
風は冷たいけど雪も降らず良いお天気。休日バージョン3時間超えコース。
11月中旬の週末に、日帰りドライブ旅で茨城県を訪問。前回記事でつくば市内で美味しい「刺身三点盛の定食」を頂いた後は、筑波山のふもとにある「小田城」を訪問しました。🏯■小田城のガイダンス施設を訪問今回は「小田城」を本拠地とした城主「小田氏治(おだうじはる)」の生き様に興味を持ってやって来ました。ところが、、、(説明の都合上、画像を左右反転しています)ガイダンス施設となる「小田城跡歴史ひろば案内所」には、「八田知家(はったともいえ)」の幟がはためいていました。「八田知家とは」折
晴れた休日。息子が、静岡の興国寺城に行きたいとのたまふ。また静岡かよーー今何時?8時過ぎ。えーーー!!……と言いながら、高速代節約のため、下道を静岡に向けて走った。富士山見えたわー🗻途中の町で、カール売ってるよって。え?カールって売ってなかったっけ?あまりスナック菓子食べないから意識したこと無かったけど、たしかに売ってない。……かも。小さな店先に、ここまで主張激しいところを見ると、かなり貴重品な感じ。しかし、わざわざ買うまでにはいたらなかった。そこには、こんな猿のオブジェ
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)283城目は小田城ですよぉー今夏の週末は雨三昧で行きたい山はヒル率高めってのもあり山から遠ざかってた3ヶ月。。「そろそろ山登りてぇ~」ってトコでアウトドアとは無縁であろうK氏と筑波山登ろうぜぇー的なノリについでに今欲しいもの1位のがアタイに飼う資格あんのか検証のため麓のつくばわんわんランドへもそんなつくば巡りツアーの皮切りがついで感ハンパねぇ小田城跡地元・つくば出身のK氏すら「最近出来たの
小田城秋の陣、後編なり鎌倉時代のわが茨城県(当時は常陸の国)南部で勢力を持っていたのが小田氏と言われています。その小田氏の居城・小田城が戦国時代に実在しました。お城は勿論、現存しませんがその跡地に作られたのが小田城跡歴史ひろば。今回のイベント会場となった場所です。つくば市で平成21年度から7年間をかけて発掘調査を行いその調査結果をもとに遺構が復元されました。普段は城跡の公園として地域の人達の憩いの場となっていますこの公園に関しましては、後であらためてゆっくりと書かせてい
おはようございます岐阜コーラです。昨日のテレビ、最強の城総選挙の感想を書く。全国の城から歴史の専門家らによる人気投票。その中からTOP20を紹介する。所詮は、民放局の出来の悪いものなんだなと冷めた内容。特に上位3位は見るに耐えない内容。面白かったのは、20位〜4位まで。韮山城のみぞんざいな扱い。は酷かった。実際の戦で使用されてない机上の空論城が紹介されるのは萎える。姫路城なんてあの形になってから戦とは無縁なんだぞ。一度も攻め込まれてないお飾り城。どこが最強なのかと思う。今の形の大阪
田土部駅から常陸小田駅まで廃線跡を辿りります。筑波山が見えてきました。常陸小田駅跡に到着です。城跡のど真ん中を筑波鉄道が走ってました。地元のまちあるきマップ。筑波山方面を撮影。土浦方面を撮影。常陸小田駅から少し土浦方面に向かうと小田城址があります。
こんばんはご無沙汰しておりますまぁ月が変わったんでん?月のモノに代わって・・あたしゃアホかえええアホですよ認めるんかいまぁ反省を活かしてあまりイジらないでおこうおぅおぅどこをいじってほしいんだ?ちゃんと言ってみろよきちんと言わないとわかんないよおらおらいつまで我慢できるんだ?もうそろそろ限界じゃないんか?はやくすっきりしいんじゃないのか?あっ私にいじってほしい人は何処をどう
マルです。私の大好きな戦国武将、小田氏治。常陸の名門小田家に生まれ、家臣や領民に愛され、何度城を落とされても不屈の精神で奪い返し続けた常陸の不死鳥。そんな氏治の宿敵と云えば、やはり佐竹義昭、義重でしょう。息子義重の方をざっくりご紹介↓佐竹義重1547年生まれ1612死没佐竹家代十八代当主居城は常陸国の太田城(舞鶴城)勇猛果敢な武将で『北条との戦いで、敵の騎馬武者を兜もろとも真っ二つ、一瞬にして7人の敵を切り捨てた』ということから『鬼義重』『坂東太郎』の異名を持ちます。