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令和5年8月18日(金)今日は夏休みをもらっていたので、車で四條畷市にある四條畷神社に朝から行くことにした。母は午前中リハビリ・デイに行く日となっている。08:00頃自宅を出発する。↓第二京阪道路を利用する。↓城南宮南IC⇒寝屋川北IC09:00頃四條畷神社に到着する。平日にて朝の渋滞がと考えたが、何とかスムーズに行くことが出来た。四條畷神社は大阪府四條畷市にある神社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。また、建武中興十五社の一社である。大阪みどりの百選に選ばれてい
菅原都々子(すがわらつづこ/本名:永松都々子[ながまつつづこ]/出生名:菅原都々子/1927年8月6日~/戸籍上の誕生日:同年8月15日~)は、日本の歌手。1927(昭和2)年8月6日、菅原都々子は青森県上北郡三本木町(現:十和田市)にて長女として生まれる。実際の出生日は8月6日だったが、届け出に記載された日付は8月15日となっており、戸籍上はこの日付で登録、本稿で出生日はこれに準じる。父親は、浅草オペラ歌手の河合丸目郎(まるめろう)で、後に作曲家の陸奥明(むつあきら/本
私は、吉野生まれの、四條畷育ちです。縁あって、楠正行研究を始めて20年が過ぎました。でも、シンポジウムや講演会など、イベントを開いても昭和生まれの高齢者の皆さんにしか集まっていただけません。それは、戦後、日本の教育からこの武将が姿を消したからです。楠正行は、南北朝時代、正統な吉野朝復権のためただ一筋に生き抜いた武士道の精神の持ち主で、わずか23歳という若さで、四條畷の戦いに散って逝った四條畷ゆかりの武将です。今、四條畷神社に祀られ、小楠公墓所に眠っています。若い人にも、正
2023年3月14日10:50〜11:05四條畷神社父の意志を継いで戦った楠正行を祀る神社御祭神楠正行(まさつら)楠正行公は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて不利を覚悟で南朝側に立って戦った武将楠正成公の嫡男明治以降、父楠正成は【大楠公】息子楠木正行【小楠公】と親しまれる四條畷神社は、忠義の武将楠正行を尊崇し地元民が協力して創建明治に地元の神主たちが神社創建を嘆願。明治22年(1889年)現在地に創建の勅命が下り、四條畷神社という社号が下されました。地元民
二週間ほど前に大阪府の四條畷市に行ってきました。JR神戸線にのっていると、ときどき四條畷行の普通電車がきます。大阪の河内地方に位置するようです。四條畷市-WikipediaちなみにJR四條畷駅は四條畷市でなく大東市に四條畷警察署も四條畷市でなく大東市にダイエー四條畷店も四條畷市でなく大東市に位置しているようです。南北朝時代の楠木正成(大楠公)、楠木正行(小楠公)ゆかりの場所であったり、また室町・戦国時代の三好長慶ゆかりのばしょでもあるそうです。駅内には
さてさて…………TKさん大変お待たせいたしましたっ我々が次に到着したのは………『つきあたり小楠公御首塚の寺』である………Fさん、Nさんを是非連れてきたかった『太平記』の聖地だ【宝筐院(ほうきょういん)】京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門南中院町9−1【湊川神社】の宮司さんも、この【宝筐院】については、熱く語っていたなあ『夏の思い出2018④〜宝筺院(ほうきょういん)〜』家族と分かれたココロは、トロッコ列車の乗車時間までの間に【宝筺院】を目指した清凉寺の門前辺り。「つきあたり小楠
飯盛山頂、飯盛城趾まで、あと少しのところまで来ました。森の妖精がおられます。オマエは、山の妖怪やけどなっこの上に、テレビ塔が見えるのですが。実は、そこは山頂ではありませんから。迂回していきます。ハイ!こちらこそが、山頂へのルートなのです。あと、ひと踏ん張りで、山頂なのです。ヨイショっ!そして、こちらの後ろ姿は。小楠公、楠木正行公であります。これだけ、飯盛城趾、及び三好長慶公を大河ドラマにと盛り上がっている割には。三好長慶像とか、長慶寺さんとか、見当たりませんよね。麓に
押忍!絶好調です。また、まん防などで、倭の民の横のつながりを断とうとしていますね。みんな、しっかりと考える事が大切です。新聞、TVの情報なとに惑わされないように。元新聞社の私が言うのもですが笑笑どちらにしても、「何があっても未来は明るい」ですね^_^火曜は、南郷道場で稽古です。型(平安その1〜その5)と30分組手後屈立ちのイメージ今朝は、四條畷神社清掃の日です。朝の参拝は、波動が乱れていないので、氣持ちいいですね^_^清掃開始!階段の横の落ち葉を掃除したら、水脈が通りました^
夕方、大阪まで散歩してきました。今回は御堂筋の写真はこれだけ『令和2.12.26.御堂筋イルミネーション2020』ちょこっと御堂筋を歩いてみた道頓堀。グリコの看板、電気ついてない難波から北上します。大丸が見えます☝️カラーが変わりましたねぇ難波神社⛩ツルが飛んでます。�…ameblo.jp昨年は、難波から淀屋橋まて御堂筋を歩きましたJR学研都市線の北新地駅で下車、淀屋橋へ。大阪市役所土佐堀川。みおつくしプロムナードを歩きます。結構な人出でした。月と撮ったけど、上手いこと撮れ
はい、寝落ちーwww気がついたら電気代点いたままオちてました(^_^;)金曜日に仕事終わりにササーっと。雨降ってきて最悪(^_^;)なんでやねん本日12/3オープン(^o^)/●新店【大和極四條畷小楠公店】(大阪府四條畷市雁屋南町27-8)地図11:00~20:30定休日今月休み無し、来月からは未定(作る予定)Instagramこちらは四條畷駅近辺にオープンされた店舗で、店主さんはアラカワフードの【ラーメン大和】さん出身で同会社のFCとしてオープンされました(
11/3(水)…久々に「山サイ」にチャレンジ史跡「飯盛山城址」から生駒方面に行ってみました久々の山そしてMTB…しんどかった~…丸太階段にやられました~…▼スタート地点は、下山予定場所に近い大阪産業大学横旧170号行けばいいのだけど、狭い上に交通量多いので却下…遠回りだけれど深北緑地の方を回ることにします▼デカイ鉄塔…デカイな~…そのまままやん▼ちょっと寄り道の深北緑地でトイレ休憩…川の堤防道路が砂利道とは…昭和チックだ~とは▼深北緑地ではダージャンされてまし
今日は暑いから出かける予定なかったのですが、急に思い立ってお出かけし、早く済んだので何となくこのまま帰るのもなんだし少し周り道して四條畷神社に行ってみようと思いつきました思いつきできたものの、駅からの参道の距離感と暑さにやられそうになりながら、何とか階段も登りきり御参拝させていただきました。爽やかな風が吹いてきます駅から繋がる参道は気持ちが良いですね。ずっと地元の方々に大切にされている場所なんだと思いました参道をずっと下ったところの楠木正行公のお墓もお参りしてきました。素
大楠公・小楠公をめぐる楠木正成公の神社へ行きたいという母のリクエストで湊川神社へ。※今回利用した交通機関は茨城空港⇔神戸空港えー余談ですが…佐原に住んでいると小さい頃から「大楠公・だいなんこう/楠木正成」「小楠公・しょうなんこう/楠木正行」という言葉に親しみがあります。佐原の祭りでは町内ごとに山車が曳き廻されます。山車の上には歴史上の人物や飾りが乗るのですが、その中に大楠公・小楠公があったんです。その他にも経津主命、太田道灌、金時山姥、瓊瓊杵尊な
東大阪市には行きたい寺社がまだまだ沢山有りすぎて最近は時間が出来ては徘徊してるので段々と地理が分かるようになってるって・・・自分ではそう思っているのですが、何故だか真っ直ぐ目的地に着けないこんばんわ味醂です{迷子になって道を覚える❗さて、、今回は3月24日に東大阪・瓢箪山を訪れた際に発見した小堂とか、祠とかを記録として残しますメモメモ。。これも定番化しつつ有りますねお付き合いして下さりありがとうございますまずはこちら瓢箪山駅のホ-ムには何故か楠木正行公墓と書かれ
権現の滝から標高315.9mの飯盛山(大阪府大東市及び四條畷市)に築かれた飯盛城趾へ行きます。10時49分。10時57分。分岐。バイク、自転車が停まってますねぇ。左(北)の方へ進むと、龍尾寺、国道163号につながります。登っていきます。よく見たら、石が積まれてます賽の河原うん水飲み場滝谷楠水の場。休憩されてる方々がおられました。ここから、急な狭い道を登ります11時05分。はぁはぁ。。。舗装された道へ出ました。11時11分。城趾への逆側に、楠公寺🙏11時13
小楠公(楠木正行)の墓をお参りして、JR四條畷駅近くの学研都市線を越えて、まーっすぐ参道を振り返って。ハイキングコースの地図。ちなみに、飯盛山山上には、小楠公(楠木正行)の像が建ってます小楠公(楠木正行)の墓から、まーっすぐ15分ほどでした。南北朝時代、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行(まさつら)とその一族の将士24人を祀る神社。明治23年(1890)に創建。正行は、大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」として、いまも多くの人に慕われる「忠孝両全」の名将です☝️。
小楠公(楠木正行)御墓所野崎観音から歩いて、四條畷市の小楠公の墓へ。学研都市線のJR四條畷駅からすぐです。忠臣大楠公(楠木正成)は、戦前の教科書には載ってたと。今の教科書には、逆臣足利尊氏しか載ってない🙏奥に、墓があります。足利尊氏の武将高師直の大軍に敗れる。読めない。。。一周します。二本が合した楠。樹齢550年。とてつもない大きさです🙏退散します。まーっすぐ進むと、小楠公(楠木正行)を祀る四條畷神社⛩へ辿り着きます。行かいではおられんでしょうseey
大阪府大東市〜四條畷市まで歩きましたJR学研都市線の住道駅下車、大東市役所前の「三好長慶」像を見てきました。10時20分。で、そこから、阪奈道路に通じる大阪生駒線を東へ。大東市民会館前を通過。躍動感ちょっと気になるんで、回り込みました。。。10時24分。いやーんそうくるかぁ。。。JR学研都市線を越えて。10時35分。正面は生駒山脈大阪桐蔭高校門、金かかってますねぇ。10時45分。JR野崎駅。11時01分。飯盛山ハイキング道案内図。今回は、そちらへは行きませ
前回の続きです。写真を追加し、一部改訂しました。よろしければ、東シナ海に浮かぶ島②も参照ください。下甑島郷土館を後にし、次に向かったのは神功皇后と武内宿禰が訪れていた、瀬々野浦地区同地区内には、大帯姫神社が鎮座し応神天皇のパパは武内宿禰(あくまで役職名なので、本名は分からず...)であると、語り継がれているそうです。それなのに...何を勘違いしたのか?片野浦に行ってしまったのです...散々、事前に調べたのに...(^o^;)道中で、この看
押忍!ついてる絶好調、かねりんです^_^今日は、四條畷神社へ^_^いま、コロナなどで、厳しい状況ですが。「この事からは、なぜかいい事しか起きない」美来は明るいですよ〜野崎道場オリジナルTシャツ(ドライ素材)令和3年2月に発売します〜^_^2,500円(税込)予約受付開始します〜お問い合わせは、下記のメールまでよろしくお願い致します。nozakidojo@gmail.com兼田まで^_^各サイズ対応しています〜極真空手野崎道場関西本部入会金0円年間費0円4回まで
12月3日(木)。楠木正行(くすのきまさつら)の大きなクスの木を生で見たい!!!最近、大木や巨岩などに興味しんしんでガンガンな私⤴️⤴️〈大阪府大木〉と検索すると…あらら、結構近くにありますやん!!…という事で、この日のrunの最大目的は四條畷市に存在する〈楠木正行の大クス〉に会いにゆくrun!!寝屋川市のお気に入りのスーパー銭湯♨️〈水春〉にバイクを止めて、runの発着地点にしようと考え向かったのだが・・・あいにく!!!リニューアル工事中の為翌日まで臨時休業やとさ⤵️⤵️あちゃー
着いたようで、中々着かない、飯盛山頂です。ここかっ!ここだろっ!と、思いましても。お屋敷跡だったりして。結局、まだ先です。あっちですか。ハイハイ。今度こそ、近いでしょう。フムフム。楠公寺さんは、この下なんですね。では、山頂を制覇してから、向かいましょう。ウッソ〜、鬱蒼としてきました。ウププププ〜。どこが、オモロいねんっ堀切です。両側を崖にして、細い道にすれば、敵が一気呵成には攻め込めませんし。いざとなれば、この道を崩せば、近寄れなくもなるわけです。よく、考えて
愛宕念仏寺から嵐山方面に向かって戻ります。。。。。。茅葺き?嵯峨野、雰囲気のいい家屋がいっぱいです。目的地の隣、宝筐院。よく見れば、「小楠公菩提寺」の文字発見楠木正成の子、正行のことですね。行きたいけど、次回に我慢京都はあちらこちらに歴史が転がってます清涼寺仁王門に到着。立派ですねぇ。ふむふむ。境内へ。法然上人像。多宝塔。法然上人の墓。鐘楼。薬師寺。
今年の夏も、猛暑続きでした。特に、お盆休みは、それはそれは、ひどい暑さで。マスク冷感夏用ひんやり冷たい接触冷感洗えるピンクグレーホワイトライトブルーブラック3枚セット定形外送料無料★UVカット個包装男女兼用大人用クール暑さ対策日焼け対策熱中症対策アイスシルク冷感マスク抗菌、UPF50+STARMASKスターマスク楽天市場1,380円それでも少しはと、身体を動かした夜中に足がつり。翌朝は、手のひらがつり。※【送料無料】経口補水液
第27回楠公研究会、建水分神社にて、盛況裡に開催させていただきました。実は、建水分神社は、第一回楠公研究会の開催の地でありますが、当社を記念すべき初回勉強会の場とさせていただいたその所以とは、建水分神社が楠木一族にとって最も重んずるべき神社の一社であるという事に他なりません。また、今般、コロナ禍という現状下に於いて、様々な常識が急速に大きく変容していっていますが、大きな変化と同時に生ずる原理こそが原点回帰であると確信しています。そのような気の流れにあ
大阪に戻って来ました。四條畷神社⛩に行くのだがナビを当てにしていたら一通と細い道で迷いながら到着、設定ミスか?土砂降りの中神社⛩にたどり着くとこちらは小楠公で知られる人を祀る神社でした。四條畷神社⛩じゃないナビで探し直すと近くにあった。
第十一回楠公研究会「皇紀前創祀の古社・枚岡神社と小楠公」(平成30年6月18日(月))のYouTube記録動画を更新しました。平成30年6月18日、第十一回楠公研究会を枚岡神社にて開催した折の記録。当時から在籍されていらっしゃった弊会会員の方には懐かしい記録かと存じます。当時から弊会に在籍されていらっしゃった会員の方には懐かしい記録かと存じます。楠公研究会YouTubeチャンネルが当ページに替わったという事もありますが、コロナ禍の中にあり、再び天岩戸が開かれる兆しを感じ願いつ
「第十講人生と国政」その遠祖は小楠公を助けて四条畷に戦死した堀田弥五郎正泰。懐良親王を奉じて遠州井伊谷に勇戦した尾張津島勤皇の豪族で、現在四条畷神社に合祀されております。その因縁で四条畷中学に学ばれました。(4343'23)
みなさん、こんにちは。昨日、ご訪問下さった方々。ありがとうございます。今日は、朝から歩いて、富田林市甘南備にある、楠妣庵に行ってきました。山道を通って、マイナスイオンを浴びながらテクテクと歩いて行きました。結構大変な道でした。楠妣庵の入り口です。楠妣庵は、大楠公楠木正成の子である、小楠公楠木正行が、建立したお寺で、正成の妻である、久子が晩年を過ごした場所でもあります。この写真は、大楠公が、湊川の戦いで討ち死にし、首が河内に届いた時に、後を追って自刃しようとした小楠公を久子
飯盛山城では近年、次々と新たな石垣が新発見され、今や歴史家・専門家からも熱い視線を送られている。石垣の範囲や規模が、想像以上に広かったのである。。これは、石留めや土塁固めといったレベルでは無い、大規模な石垣を山城に積極的に用いている事を意味する。信長の小牧山城にも先駆けた、全国でも最初の城だ、という可能性が出てきたからだ・・・天下人・三好長慶の凄さ、思い知るがいい。。ささ、前回の続きっと。↓楠木正行公之像逆光&台座が高過ぎなので、表情はまったくわからなかった