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私の姪は当時、上は中学生、下は小学校低学年でした。上の子は毎日泣いてて、下の子は一見大丈夫そうでしたが突然泣き出す事が多かったです。遺品整理してる時、下の子が捨てようとしたガラクタを全部持って行きました。ささいな物でもお母さんとの大事な思い出だったのでしょう。その光景が忘れられません。一つだけはっきりしてる事は、私達周りの大人がそれこそ命を懸けて子供達を守らなくてはなりません。海老蔵さんは麻央さんと何かしらの約束したと思います。麻耶さ
前から気になっていましたが・・・麻耶さんが何を信じるか、それはもちろん自身の自由ですね。心が疲れてる時、何かに救いを求める。もちろん良い事ですね。同時に危険なのが、心の隙間をつけこんでくる強引な解放の押し付けですね。辛い状況の時、手を伸ばしてくれる存在は有り難いですが、つい、安易にそれを頼って楽になっても、それが無ければ生きられない。それは、時に洗脳と呼びます。私はメディアに出る方の手助けをしてたので、芸能人に寄ってくる人が多いのは実際に見てます。
もしも代われるなら麻央さんのお父様お母様、麻耶さんそして海老蔵さん皆さん一度は本気で思った事だろう現実的にはあり得ないのに考えただろう私は何度も考えました姉の悪い箇所が治るなら、私の体から取って、移植して欲しい医者に頼んだ事があるその結果、私は死んでもいいと本気で思ったそんな事が出来ないと解かっていても本気で思ってしまう姉と私は幼少期から二人の時間が長かった姉とはマンションの一室で二人暮らしだった母は隣の
失踪してた私の親父が昨年暮れに亡くなりました。多額の私名義の借金を残して。もちろん私が知らない借金です。よって全部、無効にします。筆跡鑑定すれば明らかになりますが驚いたのは自分の実印が使われてた事です・・・どうして手に入れてたのか?犯人は母親が絡んでいました。まさかでした・・・私の知らないところで密会してました。私が5歳の頃からほぼ家に帰ってはいませんんでした。もちろん生活費も一切入れて無いです。しかし、母は離婚しないで親父がいつか本妻
よくこの話題を目にする。一緒にいるだけで大騒ぎ・・・麻耶さんは純粋に麻央さんが残した大事な宝の子供達が大好きで、守るべき存在であり一緒にいる事は当然の事だ。麻耶さんも姪甥と一緒にいる事で癒されることも確かだ。同時にそれは二人の子供も麻耶さんと一緒にいる事で寂しさを軽減される。互いに支え合ってるだけだ。二人の子供の側に親の海老蔵さんが常にいる事は当然で、そこに伯母の麻耶さんが頻繁にいる事は当た
大切な人を失うと残された人は想像を超える悲しみに決して枯れない涙を流す悲しみは雪のように降り積もる特に若くして亡くなるともっと、もっと話したかった・・・過ごしたかった・・・一緒に笑ったり、泣いたり・・・想い果てる事は無い悲しみは決して消えないそれでも・・・残された人は生きていく誰の為に生きるの?もちろん自分の為
麻央ちゃん、絶対大丈夫だ。根拠は有る。医学的に解明されてない人間の治癒力は沢山有る。それは奇跡では無く、治したいと思う強いココロです。麻央ちゃんは何度も乗り越えてきた。出来た理由は治したいと願う強い心がそうさせた。だから断言する。何十年後も家族で笑ってる姿が見える。心が折れそうになっても、決して折れなかったのは麻央ちゃんの治したいという強い心だ。お母様、お父様、海老蔵さん、れいかちゃん、カンカン、そして麻耶お姉ちゃん、家族全員の愛
御存知のとうり麻央さんには二人の子供が居る。二人ともまだ幼い。今は海老蔵さんを中心に麻耶さんも伯母として送り迎えや遊び相手になって二人の子供を支えてる。家を空ける時間が多い海老蔵さんは随分、助けられてるだろう。麻央さんと同じ血が流れて、麻央さんが産まれた時から何年も同じ月日を共にして麻央さんの考えや思っている事はなんでもわかる仲の良い姉にある程度任せるのはとても自然な流れである。何故か批判してる人が居るが
*①~以降は2017年9月からの”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます忘れられない事がある。麻耶さんがまだ乗り物に乗るのも恐る恐るだったクリスマス前の出来事だ。私達読者の為に、東急本店前にあるクリスマスツリーを徒歩で行って写真を撮ってくれた。この場所は決して広く無い場所で、広場と呼べる広さでは無い。行った事がある方ならわかるだろう。人通りも多い。そんな中、一人で人気のない夜道を歩いて写真撮るだけの為に行ってくれた麻耶さんの
*①~以降は2017年9月から”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってますあの日から早くも数か月。”人生で一番泣いた日”と書いた日から・・・新たな海老蔵さんの闘いは始まっている。どんなに悲しくても舞台の幕は待ってくれない。宿命と言う名のもとに生まれた男。最近は気丈に振る舞い、舞台に立ち子供を役者として育てる宿命。子供も宿命を背負ってる。あんな小さな背中でも。宿命とは変えられないものだ。ならば、彼に泣く場所はあるのか?一門を率い、
*①~以降は2017年9月から”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます今、何故か心が一番辛いです。何故だかわかりません。気力が全く湧かないです。夏ごろから心身共に調子上がってきたのですが、8月の終わり頃からまた、振り出しに戻った感じです。やっぱり姉の事を想う時間が多いですね。姉も麻央さんのように強く、色どり豊かな人生を送ったと思います。苦しかった思い出より楽しかった笑顔の姉の姿がより強く思い出されます。その幸せな笑顔をもう見れないのは耐えが
*①~以降は2017年9月からの”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます麻央さんのブログは常に笑顔だった。悲壮感は感じられない。だから深く心に刺さった。強く、優し麻央さん。大好きだ。先日録画してあった番組を再度見た。”人間どう転んだのではなくどう起き上がったのが重要だ”よく聞く言葉だが、麻央さんが言うとその言葉の重みが全く違う。私だったらブログも出来ないだろう。ましてやあの状態で笑顔を撮る事は考えられない。
*①~以降は”2017年9月からの小林麻央を想う時”のフォルダに入ってますこれを見てる友人や仕事関係の方にこの場を借りて謝罪したいです。この度は一方的に連絡を断ち申し訳ない気持ちで一杯です。いつか、全部話せる日が来ますのでそれまで、このブログを通して現状をお伝えさせて頂きいます。心からのお詫び、ご理解、感謝申し上げます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・倒れてから、交友関係は自ら全部
*①~以降は2017年9月からの”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます姉には二人の子供がいました。二人を溺愛してました。私に出来る事は全てやったつもりですが、二人の心の傷を癒す事が出来て無いでしょう。姉が旅立って、初めて母の偉大さを知った。母親の存在は何よりも大きな存在だと初めて知った。今頃わかっても遅いが・・・寝れない日に夜空を眺めて祈ります。二人の姪には必ず幸せな人生を歩んで欲しい。何度も祈
*①~以降は2017年9月からの”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます麻央さんの闘病麻耶さんのサポートこの姿を見てると、お互いの姉妹愛が垣間見えた。垣間見えたと言うより、愛情が剥き出しに見えた。私の場合、小学校高学年から姉は守る存在だと思ってました、姉が旅立つ前まで・・・こんなに悲しなんて想像もしてなかった。こんなに苦しいなんて想像もしてなかった。こんなに辛いなんて想像もしてなかった。私は姉に対して兄弟愛が大きく存在してたのだ。そ
*①~以降は”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってますそうして毎日麻央ちゃん、麻耶ちゃんのブログを読み始めた。懸命に生きる麻央ちゃん、それを支える麻耶ちゃん、二人の姿は以前の姉と私を見てるようで完全に感情移入した。感動したエピソードは数えきれない。麻耶ちゃんと麻央ちゃんは転校が多かったと動画サイトで知った。容易に想像できるのが、学生時代は友達出来てもすぐ離れる。幼い頃から二人は姉妹で支え合っていたのだろう。過ごした時間も一番長いだろう。
*①~以降は”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます注::⑤は事情で真実の半部程度です。全部書くと姪二人が心配です。もう関係者の方が見てるのは解ります。二人の姪も皆さんの想像以上に苦しんでます。どうか、姉の残した大事な姪二人が普通の生活送れるように配慮を宜しくお願い申し上げます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・姉が旅立って一ヶ月後、二人の姪は夏休みに海外旅行に連れて行った。二人ともキ
最近、人気のない公園をジョギングしている。ジョギングと言える速度ではないが早歩き?徒歩?遅い速度で10キロ前後を走るのが日課だ。私が倒れて早1年が経とうとしている。その間は続に言う”引きこもり”状態だ。今も走ってる時以外は同じ状態だ。しかし、一年もベットの中に居ると、どんでもない太り方をした。身長173cmで体重70キロだった人間が一年で107キロまで太ってしまった!!!これは過去最高です。+37キロ、競走馬でもそんなに太らない。私は太りやすい体質で、二
*①~以降は”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます私は一つの事は隠し、何度も何度も小林姉妹のブログに何回も投稿した。投稿してるうちに自然に麻央さんへの回数が多くなってきた。別に麻耶さんのブログが嫌いになった訳では無い。麻耶さんにも毎日コメント、リプログした。姉妹、兄弟の絆は私も心が突き刺さるほど知っているからだ。麻央さんのブログの中では麻耶さんはいつも笑顔だったが見えない所で何度も、何度も、泣いてるだろう・・・麻耶さんにも最大限の応援と
*①~以降は”小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます私と姉は小さい頃、父親が失踪したので母親が生計を立ててた。母の帰宅が21時過ぎなので、姉との時間が一番長かった。食事は、まだ私が小学生低学年、姉が中学1年生なので、姉が担当した。私は掃除、皿洗い、洗濯を担当した。父が借金を残して失踪したのでヤクザの取り立てが過酷だった。毎晩、電話、時には家に上り込んで家財を荒らして行った。当時は法整備されてなく、子供にも容赦はなかった。本当に危ない時は、ビジネスホテルに逃
麻耶ちゃん、私が初めてあの時の事、書きました。一部、姪が見てる為、ソフトに書いてますが初めて書きました。麻耶ちゃんと出会う前の事です。①~小林麻央を想う時”のフォルダに入ってます小林麻央さんを想う時⑤姉の死小林麻央さんを想う時⑥残された人達今日載せた、この二つはブログの一番上にしばらく置いときます。麻耶ちゃんと自分は一緒だよ。