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【JR四国が積極的に進める簡易駅舎化】これが駅舎?バス待合室同然!なんでこうなった?牟岐線中田駅JR四国は維持経費削減を目的に駅舎のスリム化を積極的に進めている。国鉄時代から現存した駅舎は四国島内にも多数あったが、2020年代に入ってから既存の駅舎を取り壊した上で、バス待合室同然の簡易駅舎が登場するようになった。牟岐線中田(ちゅうでん)駅もその1つ。2019年12月に訪問(現地調査)した際には立派な駅舎があったが、今回行ってみると露骨な骨組みが目立つ旅情も何もない質素な作りに化けていた。な
阪神スプリングジャンプは、見ててスッキリしました馬券が的中すれば自分の実力、ハズレれば騎手のせい…なのダヴェイルネビュラは五十嵐騎手と手が合うんでしょうけど、次の障害G1は競馬場も変われば斤量も変わるし…叩いて変わる馬も当然いるハズだし、どうなるコトやら中山大障害では邪魔なカラ馬を弾き飛ばして走ってたネビーイームが可哀想だったので、落馬して他に迷惑かけるような馬は出走してほしくないけどね(^_^;)ただ、その前にも京浜盃やドバイがあるから今のうちに脳ミソ休めとこっとでは、四国鉄旅②日目
先日、海を見たくなり大神子(おおみこ)海岸に出かけました。「大神子」は紀伊水道に面した徳島市と小松島市の境目付近の徳島市にあります。子供のころから、気分転換によく出かけている場所です。11月に入っても夏日近くの気温。松林の下の広場では多くの家族ずれで賑わい、バーベキューのよい香りがそこかしこから漂ってきます。そんな小径を2~3分歩くと海岸にでます。下は、徳島市方面(北側)を望んだ風景です。浜は、丸い砂利でできています。急深な浜だったような記憶がありますが現在は遊泳禁
徳島線石井駅から牟岐線中田駅にやってきました。降りて目に入ったのが、去っていく列車よりも待合室のような建物。中田駅!あら❕目的は小松島線跡を歩くことでしたが、なかなか良い駅舎があるなと思ってたのに😨調べたら2年ほど前に建て替えられたみたいで、四国では同じような簡易的な待合室が増えていて、この待合室を推進していくみたいですね。小松島線!今回の乗り鉄旅に行くにあたって、ふと小松島線ってあったなと思い出して、調べたみたら中田駅から分岐していて、整備された遊歩道を歩いてみることにしました。
高速バスで徳島駅前に着きました。お天気はイマイチ優れませんし、夜勤明けで眠いのなんの・・・。徳島は気動車天国。国鉄時代の気動車もまだまだ現役。では13時30分発の牟岐線阿波海南行の列車に乗ります。1200形と1500形の2両編成。地蔵橋駅。駅舎は1926(大正15)年建築。かつては1面2線でしたが、片線撤去されてます。中田の手前で左にカーブする道路は、日本専売公社小松島工場専用線の廃線跡。中田駅。「なかた」でなく
こんばんは❕…さて、なんかブログネタを。。とか探してたら。。…以前に載せたことがあるかもですが。。…こんなのはどぅでしょうか?・1981年9月14日(初下車時)・以上2枚、1985年2月24日、旅(85)より。。…小松島線廃止後、しばらく経ってから、跡地めぐりをしたことがあります。。・2009年12月9日、旅(608)より。。*
今回の『駅【簡易版】』コーナーは、徳島県中部、小松島市の北西部郊外に位置する牟岐線の駅で、国鉄時代は短距離路線の小松島線(1985年廃止)が分岐していた難読駅、中田駅(ちゅうでんえき。ChudenStation)です。尚、写真は2004年撮影と古く、現在は状況が変化していると思われます。ご了承下さい。駅名中田駅(M05)所在地徳島県小松島市乗車可能路線JR四国:牟岐線隣の駅徳島方…………地
こんにちは、まさまさです。本日もご訪問頂きましてありがとうございます。今日も引き続き4月17日〜18日で行った徳島旅行についてのご紹介Part7です。南小松島駅から徒歩10分。小松島港の交差点まできました。ここは、かつて1985年3月14日まで「小松島線」という路線があったところです。廃線跡の一部はSL公園とされ、今でも保存車両が残って、子供達の遊び場として日々を送っています。小松島駅跡地に立てられた、小松島駅。向きは45度変わっていると思います。しかし保存してくれるだけ、ありがたいで
忘れたころに…つうかもはや誰も知らない(笑)チョー不定期なこのシリーズ、。まあ3年半で3回目ですしねえ…。今宵は、こういうやつ。社内補充券と言いまして、列車内で車掌さんから買う切符ですが…こんなん現在でも存在してるんだろうか?ローカル私鉄とかならあるのかもしれんですな。これは、今は亡き小松島線の往復切符。大昔にこんな記事を書いておりますが、その当日の切符ですな。この日は青春18きっぷで四国を回ってたのでこれを買わずとも小松島線には乗車できたんですが、まあ記念品としての購入、って
11月12日その12このようにモニュメントが残っておりここが廃線跡であることを示している。かなり広い操車場があったことがうかがえる遊歩道に中継信号機が残っていた。ここの廃線跡ではほぼ唯一の当時のままのものであろう。廃線跡あるあるの緩やかなカーブもちろん直線の部分もあり橋は残念ながら当時の鉄橋を利用したものではないこの車、どうやって出すんでしょうね?牟岐線の踏切が見えてきて遊歩道は線路に沿って、ゴールはすぐそこである。廃線跡としては超
11月12日その11小松島市総合庁舎を港の方に曲がったところに広い駐車場がある。国鉄小松島線の小松島港駅(仮乗降場)跡である。小松島線は、かつて小松島市の中田駅から小松島駅までを結んでいた国鉄の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄路線として最も営業キロが短い路線として知られていたが、1985年3月14日に全線が廃止となった。中田-小松島(小松島港仮乗降場)(1.9km)ちなみに現在の最短路線は宮崎空港線の1.4kmである。徳島港は深度が浅かったため、
こんばんは☆彡SMAP/オリジナルスマイル今年は遅い夏休みに入り8/30~9/1秋旅行気分転換・精神安定を図るため四国の山奥に行ってきました。朝から高速道路で淡路島を通過し徳島・鳴門市から四国に入りました。まず向かったのは鳴門市西部のお寺霊山寺(りょうぜんじ)四国八十八箇所霊場の第1番札所であります。お遍路さん多くの方はここからスタートかな?まずは参拝
皆さんこんにちは。一部の皆様は再びご訪問いただきましてありがとうございます。この記事は、23日の18時半ぐらいに作成途中に間違えて投稿してしまった記事を一旦保留にして加筆しました。すいませんでした。四国の急行最後は、高松駅に顔を出さない急行列車でした。現在の特急剣山ですね。急行よしの川2号徳島行です。確か撮影場所は阿波池田駅だったと思います。徳島線徳島ー阿波池田駅間に運転されていた急行です。1980年代前半までは、一部の急行よしの川は、阿波池田
blogno.23220200517日1982年のGWに、瀬戸大橋が完成すると廃止になることが必至だった宇高連絡船と、採算の面で、やはりいずれ廃止になるであろう仁堀(にほり)航路(今の、しまなみ海道の辺りに航路があったとイメージしてくださいましな)、それに1.9キロしかない小松島線にも早く乗っておかねばならない線でしたので、それだけのために、寝台特急あさかぜで広島に向かいました。それまでは、3段ばかりでしたが、2段寝台はこの時が初めてだった記憶があります。広くて快適でした。広島
今回の遠征では徳島経由高知入りを目指しました^^一つめは、、、徳島城(*´◒`*)まずは阿波から参りますよー本丸より^^阿波は龍馬というより蜂須賀です(*´◒`*)本丸手前の石垣さまなかなかの高さで大満足貝塚があったらしく、巨石もゴロゴロ(*´◒`*)海が近いのであります^^この規模は、大阪城も真っ青ですね^^なにより自然の岩(*´◒`*)構造物はなくなってしまいましたが石垣はバッチリ(*´◒`*)徳島駅から近すぎてワクワクしていたらこんな素晴らしい看板発見
未だ夜が十分に明けきらない阿波池田駅を午前6:00に出発特急しまんと2号、うずしお3号と乗り継ぎ、すだち県からうどん県を経由して再びすだち県へ気動車王国の牙城である徳島駅までやってきました8月4日の幻の阿佐線乗り鉄に次いで2度目の徳島駅ですが、前回は16:11に4番線に入線今回は8:14に3番線に入線し、9:30発の4535Dまで乗り継ぎ時間が1時間以上もあって時間帯も異なる為か、2600系気動車にも遭遇出来ました徳島駅を出発する便は、どの列車
待望の阿佐東線≧ω≦13:37に甲浦駅を出発13:48に海部駅に到着8.5kmの阿佐東線は、僅か11分間のあっという間の乗り鉄でしたが宍喰駅から海部駅までの海側の車窓には、太平洋と宍喰海岸の素晴らしい景色が映りましたDMV(デュアルモードビークル)化前の車窓間に合ってよかったですこの区間を気動車に乗って走る事は、もう二度と無いと思うと感慨もひとしおです(ಥ﹏ಥ)本日もご訪問頂きましてありがとうございます前回の阿佐東線(阿佐海岸鉄道)
皆さま、おはようございます!高松市内の駅巡りを楽しんでいると、たまに駅舎の中や周辺で「よんてつ不動産」という会社さんを目にします。高徳線・栗林駅に併設された「よんてつ不動産」看板にも書いてますが、JR四国グループの不動産会社だそうですよ。他のJR会社でも経営を安定化するためにホテル事業や不動産会社を手掛けているのは知ってましたが、JR四国も頑張っていたみたい。…というか「四鉄」を「よんてつ」って読むの、今知りました。ずっと「してつ」って呼んでましたわ。そんなJR四国は
昨日は浜松のLAWSONのセルフで入れました。今日は朝イチ千葉の八千代で予定があり、急行しました。ルートは、Googleは首都高まで東名を案内しましたが、私は横浜町田で保土ヶ谷バイパス。そこから横浜新道で三ツ沢、そこから横羽線を通り、銀座を過ぎて7号小松島線から京葉市川で外環を高谷ジャンクションへ。そこから東関道で千葉北インターへ、というルート。急いでないと使わなそうですね(笑)でも、休日の午前中、早かったです。さて、その後ウロウロして再び千葉北インターへ。「油」の看板。ありますね。これも見
毎度ご覧いただきありがとうございます。ヘッドマークまつりの話を再開します。引き続き101D「急行1号」を撮影するわけですが、どこで撮るか迷っていました。ヘッドマークが映える場所ヘッドマークが映える場所ヘッドマークが映える場所迷いながら運転するのは良くない。困ったときの総元駅です。※個人の見解構内でスナップしながら待ちました。101Dの到着です。そして本当に困ったときはここ。久我原-総元間の堀田踏切です。
この駅を『なかた』って読んじゃったら素人さんです中田駅は昭和60年までは国鉄小松島線の分岐駅でした。と言いますか、小松島線が先に開業しており、かつては、大阪南部や和歌山県との海上連絡ルートとして栄えたことからすれば、牟岐線のほうが支線のような扱いだったのかもしれません。分岐の痕跡はよく分かりませんが、ルートからすると、右の錆びたレールは元々は小松島線の線路だったのかもしれないですね。ただ、ホームは1面しかなく、もともと小松島線も牟岐線と同じホームを使っていたような気もします。このあたり
中越居館(宮下氏居館)お城めぐり-はてなブログ跡ないのは分かっていたけど、「電車を見る」ということでやってきた。入場券で中へ。居館跡があったと思われる方角↓線路敷いているので、遺構などあるはずもなく。電車見に来たのに30分以上来ないという残念な時間帯だったので、仕方なくウロウロしてみた。中越居館は和田城主だったという宮下氏が帰農した際に暮らし...上海日本人租界散歩先人たちの跡を訪ねて第三章昭和考古学とブログエッセイの旅-はてなブログ仕事で上海に駐在していた1
おいおいおいおい。ビックリしますよー。マジですか⁉︎マジですよね…。小松島のAwamusic。家から1番近い事もあり小学校一年生の時にゴレンジャーの主題歌を買いに行ったのが覚える中では最初。昔はレコード屋さんでオーディオもギターの弦も買えたし、ピックもあった。レコードの針もかったなー。中学生になってジャパコアと長渕剛にハマり無理難題言ってレコード取り寄せてもらった。ポスターやグッズもよくもらった。80年代半ばインディーズブームが起こったすぐで注文ばかりし
日本で一番短い(1.9km)国鉄路線であった小松島線の小松島駅跡地に作られた公園。徳島中央公園の鉄道地図にも「S60.3/14廃止」書いたある。SL記念ひろば開業当時の小松島駅駅舎が再現。ここにあるのは[C12280][オハフ50272]色が塗り替えられてるそうですが、実際に小松島線を走ってた車両。SL記念ひろばは遊具も水飲み場も車止めもSLがモチーフ。となりは狸ひろばSL記念ひろばは実質ねこひろばです。
本日(3月13日)は、以下の出来事があった日です。神戸市電の最後の区間・板宿駅~三宮阪神前駅間がこの日のラストラン(さよなら運転)を以って廃線となる。(1971年(昭和46年))徳島県の国鉄小松島線がこの日のラストラン(さよなら運転)を以って廃線となる。(1985年(昭和60年))鹿児島県の国鉄大隅線がこの日のラストラン(さよなら運転)を以って廃線となる。(1986年(昭和61年))北海道と本州を結ぶ青函トンネルが開通した日。2016年(平成28年)3月25日までの28年間は津軽海峡線(
1/22(日)今朝の日曜版に故郷徳島の民話「阿波の狸合戦」が載っていた。1面、2面を一気に読んだ。懐かしい!阿波の狸合戦として、昔から語り継がれ、講談や映画にもなった。徳島・小松島の染物屋の茂右衛門に命の危機を救われた金長狸は、恩人の商売繁盛のために尽くす。金長と六右衛門狸の確執と大合戦が描かれている民話である江戸末期にに起きた争い事を狸を使って戯曲化したものと、古くからの狸伝承が結びついたといわれ、小松島と徳島・津田地区の漁業権争い、地場産業の藍染めに
訪問日2012/08/17牟岐線中田駅と小松島駅を結んでいた国鉄路線小松島駅構内扱いで小松島港仮乗降場が存在した廃止は1985年3月14日小松島駅方からたどっていくここに貨物側線がならんでいた末端側から中田駅方面を見るタンクの左に線路があった小松島港仮乗降場跡オレッちのいるとこに線路があった倉庫沿いにホームと発着番線があった柵沿いが廃線跡踏切跡うっすら線路の跡が残っている未使用のまま残る線路用地遊歩道になった、小松島港仮乗降場へ続く線路の跡小
今回は、1913年に開業し、1985年に廃止された、全線が徳島県小松島市内を走行していた小松島線(こまつしません)について超簡単にレポートします。小松島線は、徳島市と航路の発着していた小松島港を結ぶために阿波国共同汽船が建設した路線で、1913年に小松島軽便線として開業しましたが、当初から国が借り上げて運営し、1917年には正式に国有化され、1922年には軽便鉄道法廃止により徳島~小松島が小松島線となりました。その後、1940年に小松島港乗船場に近い小松島駅構内に小松島港仮乗降場を開設
皆さま、おはようございます!小松島線の廃線跡巡りネタも今回が最後ですよ。(前回分はこちらからです)昭和60年に廃止になった小松島線の廃線跡を歩いてみた(その1)昭和60年に廃止になった小松島線の廃線跡を歩いてみた(その2)いよいよ小松島線の廃線跡最大の見せ場であるたぬき広場に突入します。たぬき広場は小松島ステーションパークの東側にある公園で、上の航空写真の中央に写る楕円形の白い広場がソレです。広場の東側には、今でも廃線跡が残っているっぽく。緑の矢印の先に写る歩道が