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お友達に「お土産」と渡された時に(お醤油)「うらぎり!!」と見えたので、あっ!!私の中で裏切り者といえば、1600年関ヶ原の戦いにて、西軍から東軍へ寝返った小早川秀秋なのです😡小早川秀秋の「うらぎりサイダー」発売中↓なので、てっきり小早川秀秋かと思いきや、あれ?顔が違う・・・あぁ!明智光秀か!数年前の大河ドラマ「麒麟が来る」の最終回で、明智光秀は教科書で習った「農民に竹槍でコロされる」ではなく、生き延びていた説を匂わせたエンディングだったので、すごく嬉しかったで
本日は12月25日ですので……2009年12月25日が『関ヶ原群雄伝①大谷吉勝の決意』の発売日ですので、デビューの日となります。16年か……当時は、まだ旧ブログもなかったので足跡を辿れませんが。『関ヶ原群雄伝』シリーズ(歴史群像新書)ちなみに全3巻シリーズでして。吉勝は大谷吉継の息子で、真田幸村の義弟です。デビューからして、主人公のチョイスがなんともですが。2巻で三法師こと織田秀信、3巻で小早川秀秋にスポットが当たるという、これもめずらしい展開となります。……今か
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟』ということで、司馬遼太郎先生が豊臣家の人々をそれぞれ章立てして書いた『豊臣家の人々』を読みました。司馬遼太郎先生の筆で、秀長・正妻の北政所・淀君&秀頼・秀次・秀秋・秀家などそれぞれの人物像を知る1冊豊臣家の人々新装版(角川文庫)Amazon豊臣家の人々新装版(角川文庫)[司馬遼太郎]楽天内容・レビュー本書は9つの章立てで、それぞれで秀吉を中心とした豊臣家の人々の話が書かれています。構成は以下の通りです。第1話
戦)小早川秀秋:聖夜の提灯戦)今井宗久:布袋卿法印武)柳生石舟斎:殴込の決心覇)足利義輝:雪の恋人呪)三好長慶:聖夜の天下人射)島左近:髭左近覇)松永久秀:紳士の志呪)安国寺恵瓊:聖樹の宴会僧薬)真田昌幸:緑衣の聖者武)長野業正:赤鼻の橇曳©コーエーテクモゲームス
大阪鶴橋玉造レンタルスペースコミュニティスペースcompassコンパス**********************こんにちは、みんなの羅針盤レンタルコミュニティスペースcompassです♪2026年のNHK大河ドラマは『豊臣兄弟!』です豊臣秀吉の弟・豊臣秀長(小一郎)が主人公で、小早川秀秋は重要人物として登場しますが、まだキャスティングは発表されていません過去の大河ドラマ(『どうする家康』や『真田丸』など
慶長五年九月十五日、関ヶ原。小早川秀秋は裏切らなかった。その一点で、歴史は変わった。「我が軍の勝利じゃ!」石田三成の声が戦場に響き渡る。徳川家康は命からがら、江戸へ帰った。三成は豊臣政権の執政となり、五奉行制を復活させた。だが、権力を巡る諍いは絶えなかった。西軍の諸将は恩賞を巡って対立し、やがて新たな戦乱の火種となる。小早川秀秋は英雄として讃えられたが、その心は晴れなかった。「あの時、東軍に寝返っていれば」と密かに呟いた。10年後、豊臣秀頼が成人すると
・・1602年12月1日(慶長7年10月18日)は、この陣羽織を所用していた方の命日です。アルコール依存症と思われるこの若者の判断が時代を変えたことは間違いありません。どなたかお分かりになりますでしょうか?pic.twitter.com/tCg7cSXBAJ—歴史が好き🍀(@naruseyanoken1)November30,2025午前7:32·2025年12月1日・・423年前の今日、小早川秀秋が亡くなりました。高台院の甥で秀吉の養子となり後継者候補に。秀頼誕生後
一番好きな映画は?▼本日限定!ブログスタンプひとつでは決められ無いけど、あえて選ぶなら「七人の侍」かな?…🎥🤔「映画の日」1896年(明治29年)11/25~12/1まで、神戸の「神戸倶楽部」において日本初の映画の一般公開が実施され、キリの良い12/1を記念日としました。ただ、この映画スクリーン写すタイプではなく、1人ずつ覗き込む「キネトスコープ」と呼ばれるもので、アメリカ🇺🇸の発明家トーマス・エジソンにより発明されたものです…🎥「一万円札発行の日」1958年(昭和33年)最高
静岡古城研究会の第283回見学会「関ヶ原合戦シリーズ②山上の陣所をめぐる」に参加してきました。9月に行われた関ヶ原シリーズ①で、主要な陣所(桃配山徳川家康陣所とか笹尾山石田三成陣所とか大谷吉継陣所とか)を見て回り、今回は山上部にある各将陣を回ろうということで企画されたそうです。松尾山城はともかくとして、南宮山(毛利秀元・安国寺恵瓊・吉川広家陣所)にはなかなか登りませんよね。まして小西行長・宇喜多秀家陣の背後にある北天満山・南天満山に登ろうとは思わないでしょう。当初は菩提山城とか玉城に行
【イベント・出陣】小早川秀秋が実家・木下家の足守(岡山県岡山市)に出陣します!!金吾がいるのは11/23(日)・24(月・祝)今年は白樺派歌人・木下利玄の没100年なので利玄さんの展示もあるし、去年初公開で好評だった大光寺の足守木下家廟所も再び公開です。歴代の位牌が並び歴史を感じられます。兼任住職である京都は建仁寺塔頭常光院さんからも来てくださり記念御朱印もありますし、足守自慢のお庭、近水園ではお茶も頂けます。時期的には紅葉の季節なんだが染まるかな?水鏡になる池が光ってお庭が綺麗なん
井原忠政著「真田武士心得(2)関ヶ原純情」が、11月10日付で刊行されたので、購入して読みました。表紙(あらすじ)(目次)(感想など)真田武士心得(さなだもののふこころえ)の第1巻「右近純情」が面白く、第2巻「関ヶ原純情」も発売と同時に購入しました。第2巻は、第1巻(その拙ブログ記事)よりストーリーにスピード感があり、より面白くなっていました。主人公の鈴木右近は実在の人物ですが、史料がほとんどないので、著者が、自由に人物造
大阪鶴橋玉造レンタルスペースコミュニティスペースcompassコンパス**********************こんにちは、みんなの羅針盤レンタルコミュニティスペースcompassです♪裏切り者の武将といわれた小早川秀秋天正十年(1582)大坂の曽根崎にて寧々の兄、木下家定の五男として生まれ、1585年に叔父である秀吉の養子になり、叔母である寧々のもとで育てられます幼き頃より「秀吉公の甥」とし
小早川秀秋は私のキャラ、と鼻息荒めの我が子。興味を持ってくれているうちに知識を増やしてくれたらいいなと、また自分も読みたいなと思ってポプラ社の児童向けの漫画を買ってみました。オオタニサーンは小早川青年に裏切られて結果自害した…この「自害」がイマイチわからないようだったので詳しく説明したところ、相当恐ろしかったようです。またオオタニサーンの呪いのくだりを説明すると、「大谷めっちゃこわいやん…」と。↑大谷吉継の呪いの図またオオタニサーンのビジュアルが結構グロかった話もしていたので
学生時代、世界史と日本史…どちらをとっていましたか?私は世界史をとっていまして、日本史にはあんまり興味がなかったんですけれども、最近コテンラジオのおかげでそっち方面にも興味が。近畿から東海(京都、滋賀、岐阜、愛知)にかけて、歴史の舞台となった史跡がたくさんあります。気になった場所には行ってみよう!ができるのが、この辺に住んでいる者の特権。そんなわけで行ってみました、いざ関ケ原へ。私の前知識としては「ここで戦があった」「がしかし、誰が何のために戦ったのかは知らない」レベルです(笑
こんにちは。日中はまだ30℃越えの日もありますが、だいぶ過ごしやすくなりました。散策には持って来いの気候ですが、年末に向けては忙しくなるのも玉に瑕。10月も近場で我慢しようかと思います。さて、南宮大社のついでに関ケ原古戦場記念館へ行きました。平成27年オープンですから10年くらいにはなるのですね。道路沿いには旗が靡きます。各将の陣跡も訪れたいのですが、キリがないのでまた今度。館長は小和田先生、アンバサダーは名古屋が誇る女優、竹下景子さん。岡山烽火場、黒田長
こんにちは、philosophiaです2026大河ドラマの予習第1弾の続きで第2弾『豊臣家の人々』司馬遼太郎著を選んでみました。豊臣秀吉が天下統一して豊臣家の栄華と没落を司馬氏の筆が人物ごとに描いていく長編作です。ちなみに、カバーは<大坂城図屏風>で、中央の極楽橋が特徴です。登場人物は第一話殺生関白第二話金吾中納言第三話宇喜多秀家第四話北ノ政所第五話大和大納言第六話駿河御前第七話結城秀康第八話八条宮第九話淀殿・その子です。司馬遼太郎氏
慶長5年(1600年)9月15日、前日から降った雨が止み早朝は深い霧に包まれた。東西両軍合わせ16万人の軍勢が、美濃國関ヶ原に集結。東西両軍は、それぞれの想いがあるなか着陣を済ませ戦の開始を今か今かと待っている。東軍桃配山に3万の軍勢で布陣した徳川家康。『関ヶ原の戦い東軍徳川家康最初陣地』関ヶ原に来たら外せない場所の一つ。徳川家康が東山道沿いにある桃配山に、最初に陣を構えた所。慶長5年(1600年)9月14日、徳川家康は赤坂に着陣。9月15日の…ameblo.jp徳川家康の陣から
9月10日(水)17:35晴れのち曇り昨夜は、やっぱり降っちゃいましたね~「お祭りは終わった」昔はTV放映してましたね♪「岩瀬若者一同」の曳山で外題;『義勇関ケ原松尾山の場』広目屋作人物;「大谷刑部吉継」「小早川金吾秀秋」石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が関ヶ原の地で激突する。莫逆の友(親友)である三成から共に戦って欲しいと懇願された吉継。無謀な戦いであると説くが、三成の堅い覚悟を知る。病身のため立つことがままならない吉継であったが、「義」を貫き
「ナポレオンに、関ケ原の戦いの軍勢の配置図を見せたら、絶対に西軍が勝つ、しかしもし、この小早川秀秋隊が西軍を裏切れは、東軍が勝つだろう、と見通した、って話を聞いたんだけど、それってホントウ?うーん、伝聞の途中でだいぶ間違えてますねまず、ナポレオンなんて出て来ません。明治に陸軍の指導のためドイツから招聘されたメッケルという軍人です。この人が関ケ原の布陣図を見て「西軍の勝ちだ」と断言した、という伝説ですが。実際は東軍が勝ったのですよ、と言われて、そんなバカなと納得しないメッなケルに、実はこの小
関ケ原合戦に参戦した武将達のロマンを感じながら、岐阜県関ケ原町内の陣跡などを巡る「関ケ原陣跡制覇ウォーキング」「関ケ原陣跡制覇ウォーキング」が、9月28日に開催されます9月12日まで、参加の事前申し込みを受け付けています。子供さんから大人まで、体力に合わせて参加が出来るように、3種類のコースが設けられています約6時間かけて、小早川秀秋が陣を敷いた松尾山など18キロを巡る「制覇コース」険しい山道が無い5時間の「激闘コース」、家族向けの歩きやすい3時間の「合戦コース」があります参
こんにちは!本日もペコママのブログにお越しくださりどうもありがとうございます猛暑のまま9月になりましたねー今月もどうぞよろしくお願いします夏休み日帰り旅行②の続きです↓↓『夏休み日帰り旅行②滋賀『ラコリーナ近江八幡』編』こんにちは!本日もペコママのブログにお越しくださりどうもありがとうございますこちらの続きです↓↓『夏休み日帰り旅行①計画と出発編』こんにちは!本日もペコママの…ameblo.jpラコリーナ近江八幡を楽しんだ後は岐阜県の関ヶ原古戦場記念館へ向かいました。滋賀県
8月最後の土日だったけど、愛知県の予想最高気温39°…☀️💦ふぃーさすがに外はキツいわ😩ただ8月入ってから全然山城行けてないしなぁ…💦もちろん理由は決まってるけど🥵それでも行きたい病がふつふつと湧いてくるという訳で覚悟決めて行ってきました🖐️場所は松尾山城👏👏👏選定理由は、フォロワーさんのブログ見てて、こんな遺構あったっけ…と思うことが多々あったのと、有名城なので整備されており、虫なども比較的少ないかなぁ…って考えたのが理由です😊当日は家でグダグダして出発が遅くなり、松尾山城の登城口
何これー!「銘菓岡山城城普請三氏」だって!購入を即決して義父母宅へのお土産にしたものの…食べ損ねたー🤣💦💦宇喜多家の家紋おまんじゅうは、小豆餡に青梅の砂糖漬けを刻んだものが入ってて。小早川家のは、白餡に久米南産の柚子皮入り。池田家のは、北海小豆の粒餡を地卵を用いた生地で包んで焼き上げたもの。他のご馳走に気をとられていたのか、タイミングを逃して、開けないまま岡山に帰ってきてしまった💦不覚…。また買いに行こ…!
こんにちはれいにゃですさぁ今回はいよいよ岡山城天守の中を巡って行きますよ。と言ってもお城の中は展示コーナーがメインになっているみたいなので、どんな感じなのか楽しみですねまずは最上階へ登り天守からの眺めを堪能火除けの意味をもつ金のシャチホコがピカピカと輝いててカッコいいそして順に下へ降りながら各階の展示物を観賞して行きます。歴代岡山城主ではやっぱり小早川秀秋が有名なのかな?れいにゃでも知ってるもんね戦国BASARAめっちゃやってたから(ゲームから歴史好きになるあるあ
4月の旅行で関ヶ原に行った際、お土産として買ってきた小早川秀秋裏切りスナック。ちょっと面白そうだなと衝動買いしましたが、買ったことすら忘れて、今までお菓子カゴの中に放置していました。ということで、今日は大好きなセコマのミントハイボールのつまみとして食べることにしました。見た目は不味そうですが、サクサクした食感でビール、サワー等のつまみとしてはいい感じです。
四ヶ月以上前の話まだウルトラライトダウンのお世話になってました。そんな時期…。孫の面倒をみる名目で娘宅に居候していた私は、婿殿が休みの日に在宅だったら気をつかわれるだろう!と、急遽岡山行きを決めた!やくもに乗る!というのもあり🤭岡山といったら、もちろん行くのは岡山城一昔前に一度来たことはあるが今ほど、お城に興味がなかったのであまり記憶に残っていない。岡山駅からたぶん40分以上歩いた。ホテルに荷物を預けようとしたらフロントに置いておくだけ!管理はしないと言われ
学研まんがNEW日本の伝記『石田三成』豊臣秀吉の天下統一を卓越した実務能力で支えた武将・石田三成。秀吉の死後、豊臣政権をおびやかす徳川家康に立ち向かい、天下分け目の関ケ原の戦いで西軍を率いて戦った。その忠義を貫いた生涯をオールカラーで描く。豊富なビジュアルの資料ページも付属。hon.gakken.jp弱さを知る勇気と、仲間を信じる力『学研まんが石田三成』を読み、豊臣秀吉と石田三成が目指した戦のない世への強い願いに深く感銘を受けた。関ヶ原の戦いでは西軍が敗れたが、その平和への志は、勝利
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
さて、前回『【信長の野望20XX噺】第10回総選挙・祝賀の宴(3)』さて、前回『【信長の野望20XX噺】第10回総選挙・祝賀の宴(2)』さて、昨日『【信長の野望20XX噺】第10回総選挙・祝賀の宴(1)』なんか去年とあまり変わ…ameblo.jpの続き。リンクの問題で順位通りにいかなくなったが、まあ気にしないでいただきたい。本日最初は星4戦術家武田信玄さんと徳川家康さん吟味済み。『【信長の野望20XX噺】7周年総選挙(4)』『【信長の野望20XX噺】7周年総選挙(1)』星4ま
どうも、ブネです。今回は関ヶ原の戦いについて島津義弘隊の目線で散文詩を書きたく存じます。「赤備えへの抵抗」慶長5年(1600年)5月15日巳の初刻(午前9:00)、霧がかかっている中で、関ヶ原にて戦いを始めるよう、徳川家康の四男ーー松平忠吉は井伊直政の陣を訪れ、彼に声を掛けた。井伊直政は赤備えの鎧に金色の平たい角が生えた赤い兜を身に着けていた。「舅殿、我が初陣を関ヶ原で派手に飾りたく存じます。大坂方の大大名ーー宇喜多秀家へ攻撃を仕掛けましょう」井伊直政は徳川家の家来であると同時