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おはようございます、京やの勝也です。大正ロマンはアールヌーボー、アールデコの影響もあり着物の模様に「デザイン」の概念が入ってくる時代の産物です。模様の「デザイン化」のために日本の職人さん達がはじめにしたのが「柄を大きくすること」です。「技を極める」職人の世界から「ファッション」として着る人への移行です。銘仙の着物には「矢絣」や「井桁」などが大きくダイナミック織り出されていますが、友禅染の模様も大胆です。「井桁」模様が大きくなると音楽記号の「シャープ
おはようございます、京やの勝也です。明治後期から大正、昭和初期は江戸時代からの日本的な着物文化に西洋の花を添えるような充実振りでした。人間国宝級の絵師が日本画家か模様師(友禅染作家)かと職業選択を迷う時代です。日本刀の鍔や飾りの職人も帯留等の宝飾品職人に転身して、細工物も素晴らしい。そこに西洋の宝飾品です。着物姿に、指輪やイヤリング。洋風日傘。半衿にブローチ。着物の胸にピンブローチ。(穴があきそうですが…)着物の衿後ろから掛けるネックレス。帯に
おはようございます、京やの勝也です。明治政府による江戸幕府の否定は新政府のイメージ戦略もありますが江戸時代の文化全てが古臭く時代遅れだとしました。草木染めは禁止。貿易の振興のため西洋から輸入した化学染料を使うように奨励します。明治初期の化学染料を使った友禅染は、職人さん達の苦心が見てとれます。江戸末期の成熟した色彩に比べ、化学染料のハッキリした発色に戸惑ってチグハグな印象です。草木染めの原料のひとつ米沢の「紅花」は、紅花染めやお化粧品の紅にも使われ
おはようございます、京やの勝也です。更紗はインドやインドネシアの染物で長崎の出島から入ってきた「舶来品」です。鎖国と言いながら、更紗やビロードなどしっかりと流入しています。更紗の生地を帯にして衿に(着物衿)に黒いビロードをつけた美人画の浮世絵が残っています↓左の女性の黒衿はフワッとした毛足がありビロードの生地だとわかります。帯はバティックの代表的模様のトゥンパル。流石は当時のファッションリーダー、深川芸者ですね。舶来品の更紗は高価なものでしたので、国内で
おはようございます、京やの勝也です。いわゆる「贅沢禁止令」では、高価な技法の着物が対象で、一番目立つ技法が「絞り」だったようです。現代でも七五三などで使われています。(総鹿の子のお祝い着)特に「鹿の子絞り」「匹田(ひった)絞り」は表地には使いにくくなりました。そこで登場したのが、「摺(す)り匹田」です。絞りの模様を「型染め」で再現したものです。絞り特有の凹凸はありませんが匹田模様ではあります型紙を補強するために馬の尾を使ったため、その名も「馬尾摺匹田」。「
おはようございます、京やの勝也です。「江戸友禅」「江戸刺繍」は「京友禅」「京刺繍」と何か違いがありますか?とよく質問されます。もとを辿れば京都の職人さん達が、江戸の大名の奥方達のために移り住んだようなものですから、基本的には変わりません。それでも開幕から100年を経て三代住まう頃には「江戸っ子」という自負が生まれます。憧れの「京の雅」から「江戸の粋」への移行です。幕府のお膝元ですから武家文化が色濃くなり染めや刺繍の模様にも影響します。例えば、
おはようございます、京やの勝也です。宮崎友禅斉のブランディングの成功で「友禅染」は大流行となり糊の名前も「友禅糊(ゆうぜんのり)」。防染に使った糊を川で流すのが「友禅流し」です。川の水に反物が揺れる風景は美しかったそうです。(落ちた糊は魚のエサになりました!)技法的にもそれまでは難しかった繊細な模様が描けるようになります。それでも、江戸時代の最高の贅沢な技法は、「絞・縫・箔」(しぼり、ぬい、はく)です。一枚の着物に「絞り染め」「刺繍」「金箔」を使いま
おはようございます、京やの勝也です。戦国から安土桃山時代の権力者の威光を示す染が「辻が花」。江戸時代に入ると、徳川は逆に質素倹約の気風を演出します。江戸初期に登場するのが、「茶屋染め」「茶屋辻染め」と呼ばれる、奈良県の良質の麻布「奈良晒」(ならざらし)に藍染でものすごい手間をかけて染める技法です。確かに材料は質素に聞こえますが、どうやら「型による糊(のり)の防染」だったようです。この技法は短命でしたが、文様は引き継がれていきます。田舎家を中心に、草木文様
おはようございます、京やの勝也です。平安時代の後、衣裳関連の資料が少ない鎌倉・室町時代を経て、戦国から安土桃山時代。戦国武将が鎧の下に着たのが「辻が花」です。「辻が花」には二つの意味があります。ひとつは「文様としての花の名前」です。八重桜と藤を混ぜたような、現実には無い花の文様です。死と隣り合わせの武士が、幻想の世界に憧れた趣向といわれます。ふたつめは「技法の名前」です。絞り染めの上から辻が花の輪郭線などを筆で墨描きする技法です。「絞り染め」と「墨の
おはようございます、京やの勝也です。「天平の三纈」は染めの技法の原点です。ただ、すぐに日本で取り入れられたわけではありません。若干遡りますが、聖徳太子の冠位十二階は色で位階を表していて模様は出てきません。無地染めが中心なわけです。平安時代に菅原道真によって遣唐使が廃止され、日本独自の文化が形成されてくると、「夾纈」は消えていき、「絞纈」の中の簡単な技法は武士階層以下の染めになっていったようです。貴族の衣裳は絹の無地の着物に袴を付け、現在の袋帯のような
おはようございます、京やの勝也です。「天平の三纈」から最後は「蝋纈」ろうけちです。「蝋」はロウソクの「ロウ」のことです。「ろうけち」は、現在では「ろうけつ」と呼ばれ、「友禅染」と共に一般的な技法のひとつになっています。蝋は熱に溶かすと液体になります。この蝋を筆に含ませ、温度が下がらないうちに布地にしみこませます。すると、筆のタッチで蝋が固形化します。そこには染料は入ってきません。これが蝋による「防染」です。例えば、白生地に蝋で花の絵を描いたとしま
おはようございます、京やの勝也です。「天平の三纈」から、「夾纈」(きょうけち)のお話です。「夾」の意味は、「挟む」「鋏む」つまり「はさむ」です。まず、木板に文様を彫り、彫った部分の外側まで染料を流し込む穴をあけておきます。その木板に生地をはさんでしっかり固定します。文様の部分は空間になりはさまれた部分は圧力で染料が入り込まない状態になるわけです。それから文様部分の穴に染料を流し込みます。生地を半分に折って重ねて板にはさむと、木板の二倍の面積に左右対
おはようございます、京やの勝也です。「天平時代」は、平城京から平安京遷都までの美術史上の区分です。天平時代には大陸(唐)から「絞纈」こうけち「夾纈」きょうけち「蝋纈」ろうけち(ろうけつ)という、布地に文様を染める「技法」が入ってきました。これが「天平の三纈」(てんぴょうのさんけち)です。布地に文様を描く技法は、「防染」の技法ですから、それぞれ違うもので染まらない部分を作ります。「絞纈」は絞り染めで、最も古い技法です。防染は細部には「糸」や「紐」を使いま
おはようございます、京やの勝也です。夏恒例のシリーズ記事です。染めの理解を深めると着物楽しさも増えますのでぜひご覧下さい。染の歴史について。布に模様を描くことは歴史の長さと技術の発展を見ると、本能的かつ文化的な欲求のようです。染めの歴史とは、実は「防染」の歴史です。逆説的ですが、染まらない部分を確実に作ることが模様を描くための基本となる訳です。最も古い防染が「絞り」です。糸や紐で布地を縛り染料が入り込まないようにし、染める部分と色を替えながら
おはようございます、京やの勝也です。ご存じの通り昨今は夏を挟んで気温が高い季節が長くなってきています。フォーマルな場や式典などは別としてプライベートやお稽古など個人の采配が許される場合には暑ければ単衣を選ぶこともありかと思います。一昔前は単衣の着物は6月と9月の2か月間でしたが、今の感覚ではそれに加え4月から5月と10月も気温によって許容範囲になっています。歴史的に見ても衣替えの目安は時代によって変化していますので暑さ対策の時代に入ったと理解して単衣の着
おはようございます、勝也です。今月の京やの茶道教室で使った茶道具の話です。風炉の右にあるのが「安南写し」の平水差しです。「安南(あんなん)」は今のベトナムのあたりの古い国名。「写し」は古い時代の道具の形や色、模様などを真似た新しい道具のことです。水差しには水を入れるのですが水の表面積が広いこの平水差しは豊富な水を連想させて涼を得る演出をしてくれます。そしてこの模様。夏だから「蚊」!?どうにも胴が短いのですが「トンボ」だそうです。
おはようございます、京やの勝也です。昨日の流れで毎年恒例の幽霊と陰陽五行の話です。着物のことを調べていると陰陽五行説に行き着くのですがその副産物の話でございます。陰陽五行的に幽霊は「陰」の象徴です。男性は「陽」、女性は「陰」とされます。手のひらは「陽」、手の甲は「陰」ですので「陰」の手の甲を前にして登場します。「柳」の下がベストポジションなのは「柳」が「陽の木」に分類されることから太陽の下の影のように柳の木の下に「陰」のスポットが出来ること
おはようございます、京やの勝也です。本日7月26日は「幽霊の日」だそうです。江戸の中村座で四代目・鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されたのが1825年の7月26日とのこと。有名な幽霊の一人「お岩さん」の記念日のようです。さて今日は幽霊ということで「鳥山石燕(とりやませきえん)」のお話。石燕は江戸時代後期の絵師・浮世絵師で「画図百鬼夜行」などを世に出しました。それまで漠然としたイメージでしかなかった妖怪や幽霊を「形」で表現したわけです。この後
おはようございます、京やの勝也です。剣道の稽古中昔は途中での水分補給など一切しないのが当たり前でしたが現在は途中で水分補給をしないと注意されるようになりました。さて今のような暑い季節でも着物姿の時に水分摂取を控える方がいらっしゃいます。特に女性はお化粧のこともあり汗をかかないようにされがちですが無理は禁物です。せっかくの着物姿も体調を崩してしまっては元も子もありません。生活環境も大きく変わっていますので皆様も熱中症にはくれぐれもお気を付けください
おはようございます、京やの勝也です。夏物の生地は軽く、通気性も考えて暑さの中で快適さを求めているので当然「薄く」織られていますね。「何を今更」と思われるかもしれませんが気付きにくい「落とし穴」があるのです。それは「薄い生地」は「透けやすい」という点です。紗のように見るからに「透け感」があると「透ける」と思うものですが、絽や夏紬、浴衣も実は「透けやすい」。「透けている」とは違い「透けやすい」は鏡に前では透けて見えません。例えばエスカレーターに乗っていて上の
おはようございます、京やの勝也です。浴衣は華やかさ、粋さ、涼やかさ、そして日本人らしさを着物で楽しめる身近なアイテムです。ただ、逆に着付けが決まりにくい面もあります。立ったり座ったり、時間が経つと「着崩れ」してしまいがち。着崩れるとせっかくの浴衣姿が勿体無いのでポイントは自分で直せるようにして出掛けるとよいでしょう。女性は衿と裾。男性は帯から下をキチッと。衿先など引っ張りどころを知っておくと上手くいくようになります。また着崩れ防止のためにも外出
おはようございます、京やの勝也です。油単、油箪とも書きますが桐のタンスを覆うカバーのことです。桐タンスは直射日光に当たらない場所やホコリがたちにくい部屋に置きたいところです。しかしながら実際にはそうはいきませんね。そこで桐タンスにカバーをかけるわけです。形は全面布で覆う「四方掛け」とタンスの背中部分が無い「三方掛け」があります。生地は木綿が多く家紋を染め抜くと立派です。無地が多くなりましたが、昔ながらの「緑地に唐草模様」も今見ると可愛らしく
おはようございます、京やの勝也です。着物類は湿気が大敵なので桐箪笥や乾燥剤なので守っているわけですが一般的に悪い環境に置かれがちなのが「草履」です。特に、一度履いたことがあるものやお母様が履いていたものは玄関近くに収納されることが多く箱に入っているから大丈夫と置いておきがちです。草履にとっても湿気は大敵で革そのもの、表面の樹脂や鼻緒の裏側を傷めたり、底部分などの接着部が剥がれたりすることがありますので注意が必要です。牛革を使った良い草履は履き心地もよく
おはようございます、京やの勝也です。昨日の八掛け選びの続きです。八掛けの生地は「裾」だけではなく「袖口」にも使います。つまり裾と袖口は同じ色がチラリと見えるわけです。京都を中心に関西風では表地と色を合わせるときに「袖口」を意識される方が多いそうです。関東は「裾」で合わせることが多いです。比較すると、関西の方が薄めの色になり関東の方が濃い目の色になります。関西の「はんなり」関東の「粋(いき)」。色合わせの好みにも傾向があります。小
おはようございます、京やの勝也です。夏の間に袷の着物のお手入れをすることも多いので八掛の話です。袷の着物の裾の裏地を八掛(はっかけ)または裾回しといいます。留袖や振袖・訪問着には表地と一緒に染め上げて付いています。附下げや小紋・紬は表地だけで売られていますね。着物の表地の尺(しゃく=ながさ)だけですので「着尺(きじゃく)」といい、袷仕立のときに八掛けと胴裏が別途必要になります。ちなみに羽織の表地分は「羽尺(はじゃく)」です。さて、八掛けが別売りということは
おはようございます、京やの勝也です。近年は浴衣姿の場合下駄を履くのが主流です。ミュールやサンダルが半数を占める時代もありましたが布製で太く柔らかい「ソフト鼻緒」のおかげで復権したのだと思います。鼻緒屋さんと下駄屋さんの努力ですね。また、下駄の裏(底)も木のままではなくゴムが貼られているものが多くなりました。カランカランと音がしないのが少し残念ですが、建物によっては滑る危険があったり絨毯などでは傷つけてしまう心配もありますのでゴム底は今に合っているように思います。
おはようございます、京やの勝也です。夏のアイテム絹と麻の着物と襦袢の相性についてです。絽の礼装の着物など絹の「柔らか物」の場合襦袢は絹の絽が基本です。(最近の柔らかい紋紗もよいです。)絹の小紋や夏紬、絹紅梅には麻の襦袢も合わせることもできますね。逆に夏紬や絹紅梅、夏大島など絹ではありますが張りがある生地の場合、絹だからと「絽」の襦袢を合わせると寸法が合っていても袖口から襦袢が出たがることがあります。これは着物の生地は張りのために身体に添わず逆
おはようございます、京やの勝也です。湿気の多い日が続きます。障子紙もふにゃふにゃした感じです。桐のタンスも開きにくくなり中の着物を守ろうとしています。とはいえ湿気が入るからとタンスを開けないわけにはいきませんね。今の季節は文明の利器を使って部屋の除湿をしたり、タンスの中の乾燥剤を新しくしたりしてとにもかくにも乗り切りましょう。着物に限らず洋服やバックなどの革製品草履や下駄などの履物茶道具(お軸など)も要注意。私もマメに湿気対策頑張ります。
おはようございます、京やの勝也です。着物にマッチした舶来用品の一つに日傘があります。日差しの強さをやわらげつつ姿も美しいですね。最近は男性の日傘姿も増えつつあるようですのでファッションとしての進化が楽しみです。さて夏に飾る掛け軸です。「垣根の向うを日傘が通って行きましたヨ」と、猫が言っています。先々代からお世話になっています高橋玄洋先生の作品で文字と絵と表具の裂地のバランスがよく飄々とした雰囲気が茶室を和やかにしてくれます。涼しげな日傘美人は一服の清涼剤
おはようございます、京やの勝也です。海の模様の話です。中国から伝わった古い海の模様は縁起の良い伝説の海「渤海(ぼっかい)」です。中国の東にあるとされる渤海には蓬莱山が浮かんでいると言われていました。蓬莱山は不老長寿の薬や金銀財宝の象徴的な島です。天皇のお留め柄である「桐竹鳳凰麒麟洲浜紋」の「洲浜」は蓬莱山を意味しています。さて、日本の話。奈良の都にも京の都にも海はありませんね。丹後は京都府ですが、都人からは遠い存在だったようです。海の風景が着