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史跡めぐりの記事です。今回は、愛知県名古屋市守山区西城にある小幡城です。小牧長久手の戦いの際に、徳川方の連絡に活躍した城です。私にとっては初めて名古屋に居住した場所が守山区小幡だったので馴染みの深い地域です。小幡城(おばた)小幡城は織田氏配下の岡田重篤によって築かれた城です。天正12年(1584)に起きた「小牧・長久手の戦い」の前哨戦である「白山林の戦い」では、徳川家康は三河との連絡路を保つため、この城を修築し本多広孝に守備させましたが、その後は役割を終え廃城となりました。
まぁ~~いぃ~~どぉ~~今週、来週とお客様とのイベントが盛りだくさんな呑兵衛ご無沙汰✋️一週間ぶりの投稿になります~相変わらずハマっております🤣さて、昨日はお客様との親睦ゴルフコンペ総勢28名(7組)の大所帯でイン・アウトに分かれての同時スタートになります。呑兵衛はラッキーな3組側のインスタートなぜラッキーか?って…ショート、ロング全てのホールにてニアピン・ドラコン賞がかかっているからです呑兵衛が賞を取れる確率はかなり低いけど、人数少ない方が取れる確率が高いwww朝5時起
城を観る今回は...(撮影2021/07/19)小幡城(尾張国)〜阿彌陀寺石碑〜城趾山のッ石碑ッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2021/07/19)小幡城(尾張国)〜阿彌陀寺〜阿彌陀寺ッとなッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2021/07/19)小幡城(尾張国)〜小幡城跡から望む〜めっちゃッ見渡せるッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2021/07/19)小幡城(尾張国)〜解説板小幡城跡〜小幡城跡ッとなッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
昨日の土曜日、午前中を中心に天気がいいとの予報になったので、瀬戸線沿線のお城巡りに出かけました。このお城巡りは、1月6日に、雨が降り出して途中で中断した散策のリベンジになります。1月6日の散策記はこちらです:第一回:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12835796073.html第二回:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12836218904.html昨日の散策も、岡崎駅から愛知環状鉄道に乗車し、瀬
マルです。私がブログを始めたのは、私の大好きな小幡城、小田氏治、小幡友七郎についてがっつり語りたかったからです。本当は直に聞いて欲しいのですが、話せば私の情熱に皆さんかなり引かれると思うので。ちょっとだけ話すと皆ニコニコ聞いてはくれますが、それでは私が物足りなくて。娘と息子なんて「あのねー聞いて欲しい話があるの」と私が言うと、「え、小幡城の話でしょ?ちょっと、、、嫌」と苦笑いしながら遠慮がちに拒否。小幡城小田氏治小幡友七郎について思う存分語りたーい!という欲求を満たす
みなさん~こんばんは~かふみです~連日お天気が良くて~暖かいので気分が良いです~なので~10月18日のお話ですが~サイクリングへGO!10月18日朝昼食スパイファミリーとコラボのどん兵衛天ぷらそばアーニャがカワイイです~サイクリングの目的地は今、住んでる前の地区公共交通機関で行ける場所ですが~交通費をケチり自転車で行きましたが~遠過ぎました~良い汗かきました~!大河ドラマ“どうする家康”の家康ゆかりの地実はこ
マルです。今日は宍戸藩士小幡友七郎について、ざっくりまとめたいと思います。小幡友七郎、名は通贇(1829~1864)常陸宍戸藩幕末の武士です。水戸藩内の取締りのため藩主松平頼徳に近習頭として従い水戸に入るも、天狗党の乱に巻き込まれ、元治元年9月28日(西暦1864年10月28日)下市会所にて自刃。享年36歳。水戸天狗党の乱元治元年8月4日(西暦1864年9月4日)松平頼徳は水戸藩主の名代として水戸藩内を平定するよう幕命を受け、近習頭の友七郎もそれに従い水戸へ出発します。
マルです。10月になってもまだ暑くなる日がありそうですね。でも、ちゃんと秋はやってきました。栗のお菓子が出回り始めたし日が落ちるのも早くなってきました。私の小さな庭で、秋の虫がリンリン♪コロコロ♪と大騒ぎしています。そして私は、、、秋の夜長を持て余しています。最近は1人で過ごす夜もありサミシイ映画もドラマもアニメも娘とあーだこーだと言いながら観ることに慣れてしまった。1人で静かに観ると余計に寂しく感じます。何が面白いのか分からない息子がいつも見ているYouTubeも
3/28名古屋城に桜を見に行ったので周辺のお城も回ってます龍泉寺城愛知県名古屋市守山区竜泉寺織田信長の弟織田信勝(信行)が信長と争った際に築いた。桶狭間の戦いや小牧・長久手の戦いなどでも利用されました。現在は尾張四観音の龍泉寺があり土日のみですが模擬天守風の資料館などがあります。また猫寺でも有名です行った日は平日だったので資料館エリアには入れず・・・ここは猫寺でも有名で多くの猫ちゃんがいて楽しかったです(後日UPします)龍泉寺城のすぎ近くに日本では珍しいチベット寺院が
小幡城跡遺構で有名な城跡です。城跡は環境保全地域でもあります。解説文大掾氏が室町時代に築いた説と、小田氏が鎌倉時代に築いた説があるそうです。最後は佐竹氏の和田昭為が管理したそうです。独立した郭と土橋でつながる郭があるようです。進みます。高い土塁、堀です。振り返るとこのような光景進みます。巨大な迷路のようです。同じような光景が続きます。これだけの空堀ができるのは、関東地方独特の関東ローム層があるからでしょうか。敵兵は様々な方向から撃たれそうです。現在地がよく分かりま
弊社のお客様、フォロワーの皆様、いいね!を押してくださる方々、いつも有り難うございますソフトブレインのシニアAです今日は、小牧・長久手の戦いの後半戦です家康の背後の三河を焼き討ちにするため、羽柴秀次が率いる別働隊が夜半に紛れて出発したところですそれでは家康の対応をお楽しみ下さい(^o^)/【小牧・長久手の戦い(後半戦)】天正12年(1584年)4月7日、家康は小牧山城にて、秀吉の養子である羽柴秀次(はしばひでつぐ)が尾張国の上条城(じょうじょうじょう)の周辺に宿営したとの情
マルです。久し振りにテレビで見た寺田心くん。ずいぶん身長が伸びましたね。声変わりもしてました!!神社仏閣巡りが好きだそうで。14歳にしては中々シブイ趣味です。そんな心くん一押しの神社は、茨城県の大洗磯前神社でした~。心くん、海の中に立つ鳥居が良いと言ってました。神磯の鳥居ですね。神磯の鳥居磯前神社の御祭神が降り立ったと云われる場所で、朝日が昇る時間の神々しさ、荒波の中に立つダイナミックな光景。大人気のパワースポットなのです。磯前神社まで来て、神磯の鳥居を見に行かないアホは
ふ去年の10月頃からコロナの感染者も減り、制限等も解除されてきたので、城めぐりに行きたいでも、山城に行くにはまだ暑いので、近場に行く事にしました名古屋市内の城めぐりを今回は二回に分けて行きましたまずは3箇所の城めぐりをするはずでしたそれが😢残念な事に…行けなかった城があります(>_<)😢⤵️⤵️それは、そのうちに登城してきます↑この字で良いのですまずは小幡城です阿彌陀寺も城内になるようですここの駐車場に置きました織田氏配下岡田重篤により築城小
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)261城目は岩槻城ですよぉ小幡城→真壁城→逆井城→関宿城と朝から4城址巡ってきましたケド最もカネかかってるであろう関宿城跡にガッカリ喰らわされ岩槻城まで小1時間ほどドライブコチラも無料駐車場完備で早速城址探索とまいりましょう舞台は首都圏に移動したワケでして通勤圏内=開発の波は大きいようで遺構的なのはビミョーな石垣と裏門跡(移築建築)岩槻城門(と伝えられている)跡が残っているのみ。。城址公園内には
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)260城目は関宿城ですよぉ茨城で観桜&登山&城址を楽しみチーバ君の鼻の頭へと移動千葉県野田市にある関宿城跡遠目に拝むと期待値は高まるものの城址遺構はほぼ皆無で模擬天守に在る博物館で歴史蘊蓄を学ぶのみって具合博物館はさほど食指も動かずなんでたいそうご立派に建てられた復元天守をざーっと拝むと陽気で心地良い日和の下園内散歩楽しみ撤収ぅ~あくまで個人的主観ですケドこういうのが1番ガッカリ多少な
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)259城目は逆井城ですよぉ静峰公園での今期ラスト観桜から小幡城跡→吾国山登山→真壁城跡と茨城三昧の本日5ヶ所目がコチラ駐車スペースはどこも余裕があってタダで停められて有難い限りコウタさん故郷の城址巡り。。🏯100名城・水戸城→100城中100位🏯続100名城・笠間城→心霊スポット🏯続100名城・土浦城→可も無く不可も無くと個人的にはビミョ~な成績に反して今日行った小幡城と真壁城は充分及第点で
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)258城目は真壁城ですよぉ今年初登山の吾国山山行を経て25分ほど西へ移動真壁体育館駐車場へ相棒を停め城跡散策とまいりましょうⅠの堀と呼ばれる堀跡を跨ぐとだだっ広い城址跡を一望もはやどっからどこまでが遺構でどっから耕地なのかっちゅう状態見学用歩道が整備されてるせいか好天でオープンな立地なせいか大概の城址遺構が醸し出すウェットな空気感は皆無歩きやすくて良いんだケドね。。土塁跡や堀跡は状態良く残
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)257城目は小幡城ですよぉ静峰ふるさと公園で今シーズン最後の観桜を終え相棒と走ること50分ほど先客ゼロの貸切城跡探索開始~最初にお断りしとくわねおんなじよーな画ばっか続くんで。。とはいえ堀底道と呼ばれる空堀跡をひたすら闊歩する順路で他の城跡でも例のないアプローチマニアには堪らん仕上りなのよココが城跡であったことを証明する構造は数多残っており堀底道から潜入した敵を撃退すべくうまぁ~く工夫さ
マルです。今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ノーチェックだったー!!ネット情報で分かったんですが、八田知家がその13人のうちの1人だとか?!うわーっ!そんなお話だとは知らなかったーっ!歴史に疎い私には、小幡城周辺と小田氏治関連の極狭な知識しかありません。その僅かな知識の中の重要人物である八田知家が大河ドラマに登場するなんて。八田知家は、小田氏治の小田家と小幡城の小幡家(こちらは諸説あり)の始祖です。八田知家は室町時代の公卿である関白藤原道兼の玄孫にあたり、源頼朝より常陸守護を任ぜられ
マルです。連れは今回も妹です。パワースポット、御朱印集め、インスタ映えする人気の神社ならともかく、小幡城繋がりの御霊神社なんて...。誘える相手は妹しかいない。妹子よ、毎度ありがとう。大洗の清良神社は、非業の死を遂げた小幡城の城主小幡義清の祟りを鎮めるため建てられた神社です。御祭神名は小幡宥円命、龍神として祀られています。まずは狛犬さん達にこんにちワン凛々しいお顔なんですが、頭に載せられた小石のせいで何だか可愛いらしい♡そして奥の神池へ龍神様は水と海の神様だそうです。だから神
マルです。大洗の清良神社へ行って来ました。参拝記事の前にまず、清良神社についてざっくり(いつもざっくり)まとめてみました。清良神社は大洗磯前神社の摂社として建つ神社です。小幡城の小幡出雲守中務義清(小幡義清)が大洗で水戸城の江戸通泰に誘殺され、その祟りを鎮めるため建てられました。諸説あり、今回も私の好みの説を選んだ『マルまとめ』です。1532年8月小幡義清は大洗に参詣の帰路、水戸城の江戸氏に内通する者により謀殺されました。もう一つ、塩湯治(海水浴)に誘い出された際に討たれたという
マルです。私の1番好きな城址(というか未だこのお城しか知らない)は小幡城。そして大好きな戦国武将は小田氏治。どちらもたまらなく好きです。もっともっと知りたい。そして全国の皆さんにも知って欲しい。そんなお城と武将なのです。小田家は関東の名族八田家を祖とする関東八屋形の一つ。八田知家の子、知重が小田性を名乗ったのが小田家の始まりです。八田知家は、室町時代の公卿である関白藤原道兼の玄孫にあたり、源頼朝より常陸守護を任ぜられました。関東八屋形とは、関東での支配権を有し屋形号を称することを許さ
マルです。小幡城の歴史をざっくりまとめてみました。築城、城主、子孫などについて諸説あり歴史的に曖昧なところが多いお城です。私の『この説が好き』という選択でのあくまでもマルまとめです。1220年頃小田知重の三男光重が小幡城を築城し、小幡光重と名乗る。小田家、と云えば常陸の不死鳥"小田氏治"。大好きな小幡城と大好きな小田氏治が繋がっていたら最高!なので個人的にこの説を推します。ミーハーな推し方ですみません。小田知重は八田知家の息子ですから、初代小幡城主光重は、八田知家の孫
小幡城下町というと、もちろん城があったわけでして…小幡城は、群馬県甘楽群甘楽町にある日本の城である。小田原征伐後、小幡には徳川家康の娘婿・奥平信昌が3万石で入ったが、慶長6年(1601年)、前年の関ヶ原の戦いの戦功により、信昌は美濃加納藩10万石に加増移封され、翌年に1万石で水野忠清が入った。その後の元和元年(1615年)、織田信長の次男・信雄は大和宇陀藩3万石と上野甘楽郡2万石を与えられ、元和2年(1616年)から翌元和3年(1617年)まで藩主を務めた永井直勝を経て、信雄の四男・信良
《小幡城(尾張国)》[読み方]おばたじょう(おわりのくに)[別名称]-[所在地]愛知県[城分類]平山城[築城主]岡田重篤[築城年]1522年(大永2年)[城を観る](小幡城跡から望む)(解説板小幡城跡)[YouTube](【城を観る+】《小幡城(尾張国)》2021〜織田氏家臣!岡田重篤が築城!小幡城跡を観る〜)[登城日]2021/07/192020/06/08にほんブログ村
マルです。小幡城の登城記録です。私の城巡り第一歩となる小幡城へ。二歩目はいつ?小幡城にもお城にも興味無いのに車を出してくれる優しい妹に感謝。小幡城を目指して出発ナビに小幡城の住所を設定し走って走って。茨城町小幡を進むとなぜかナビの目的地がアチコチとぶ~。お店も無いので畑仕事中のご婦人に尋ねると「オバタジョー何それ?ああ、お城のあった所ね」小幡城近くの地元民にあまり認知されていなかった。「今、小幡城ブームなんですよー」と、しかと伝えておきました。地元での認知度は低いようでしたが
マルです。茨城県にある小幡城をご存じでしょうか。知らない方も多いと思いますが、山城好きの方々にとても人気のある中世の城郭です。多くの城マニアの皆さん、推し推しのお城なんです。小幡城について、有名人の方々も熱く語られています。城好きで有名な春風亭昇太師匠昇太師匠のブログ【座布団海峡・航海記】に2010年小幡城初登城の記事が書かれています。「広~い、深~い。おぉ~、小幡城~。」とキャーキャー言いながら城の縄張りを歩く様子は、無邪気な少年のような...女子中学生のような...何とも可愛ら