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2023年11月25日(土)秋葉街道(小川路峠越)「飯田市・八幡~飯田市上村」つまみ食い街道の旅(GSV)「鳩ヶ峰八幡宮鳥居」前で、左折。左に、「天音食堂」のある十字路を直進。左折すれば、JR飯田線八幡駅。国道151号を横断。JR飯田線を横断、県道256号を行く右カーブ。バス停清水、「水神橋西交差点」直進「水神橋」(天竜川)を渡る。(2023年10月12日、鳩ヶ峰八幡宮鳥居前から水神橋まで歩いた。)対岸の道を行く。国道256号を横
マニアックすぎることに興味を持ってそれについてさらに知ろうとするし、それが本来の専門でなくても、突き進んでしまう。というのは、まさにASDの特性で定型発達の方にはなかなか理解できないことだと思います😊でもASDの実態を知っていただきたいと思うので、また書くことにします😊またか‼️と思わずお付き合いください😊このところ、YouTubeでひたすら同じ動画をループで観ています😱それは、バッシーさんの国道152号線、256号線の動画です。ひたすら青崩峠→地蔵峠→小川路峠を、繰り返しています
小川路峠一番観音上空そこに行かなければ感じられない。度合いは違えど危険や不安が体験の調味料になるのは間違いない。
信濃国です。1640年代だと思います。絵図を全国から徴収したのが1604~1648年のようです。読める字をピックアップすると。飯田・高遠ははっきりわかります。毛賀は”毛加”と書かれています。知久平はそのまま、小川村、和田村も見あたります。和田村は道の駅遠山郷の辺り。阿知川も崩し字ですがこの文字だと思います。米川もたぶんこの字。小川は地図上では確実にこの字ですが、現在のグーグルマップにはこの川の名前が記されていませんでした。位置的に小川
とりあえず国道探索一覧から【小川路峠】を探して読んでいてください。今動画作っています。作ってみたところ。。。1と2では終わらないね。昔は1時間でも何でも1つの探索は1話でまとめたかったのですが、心境の変化で。。今は1話分で30分越えたくないんです。心境の変化とか言ってますが(笑)気分です。なので何話になるかわかりません。たぶん3~4話で終わるだろうけど。車の通れない現役の国道256号。小川路峠を越える道。現地でしゃべって
8番観音様の場所までくると出るわ出るわ。仮設トイレ。使えるのこれ。。。怖い。ずっと見守ってくれた観音様も残りわずかです。工事の看板やもすでに役に立っていません。復旧工事してたんだ。。みたいな。動物除けの策を越えるとついに舗装された国道になります。これが国道?!私はあまり酷道という表記が好きではありません。確かにひどいですよ、これ車はすれ違えるかもしれませんがここに限らず谷側は崖で落ちたら。。みたいなところもたくさんあります。
茶屋跡を後にして、15番観音様の所まで来ました。大体半分くらいは消化したかな。結構道はいいように見えますが、激しく悪い所はないにしても高い所が嫌いな人には辛い人がすれ違えないほどの踏み跡の場所があったりします。谷側は崖です。こちらは金毘羅様。よーく観察したかったのですが蜂のようなものが周りを飛んでいたのですぐに通り過ぎるしかありませんでした。丸金といったような文字は表面には見つけられず。もう少し時間をかけて石をしっかり観察したかった。。無念。
そこに明らかに行ってはいけないという案内があるのに脳が理解できない。尾根の道を歩いてきて下りに差し掛かる。正面には再び上る道が見えている。まっすぐ歩けそうに見えるでしょ。その尾根の道の向こうには標石が点々と見えている。明らかに道と分かる。ただし。手前には「入るな!」とロープが張ってある。目の前の道を捨てて左へ下れと言う。とりあえずGPSにポイントを打って標石のある”入るな”道に入っていく。その先もずっと標石はあり、道の様相を
小川路峠頂上でのんびり過ごし。ドローンを飛ばしてみたもののすでに標高は高く景色のいい場所。飛ばしてる感がまったくない。。下ながら、「あそこら辺へ続くのだろうか・・?」と眺めてみる。開けた場所は気持ちいい。景色を眺めるためにちょっとだけ時間を割く。ただ現時点で下山予定時刻は1500を過ぎているのでそんなに心に余裕はない。こういった看板はいくつか見られ歴史がわかってとてもいいと思う。ただヒルが多い場所だとは思いたくないので、火を起こした場
なるべく撮ったものをすべて出したいと思います。頂上手前の振り返り。この観音様は何体目だろうか。頂上で33番観音となる。激坂を登って峠に辿り着く。宝暦年代から大正まで続いたと記載されている。この道しかなければここを通るしかないが昔は移動にも一苦労だったんだな。上久堅側に下るが、今度は32、31とカウントダウンとなる。これが花菱屋、茶屋の跡地だ。水や食料を運び上げるのも大変だっただろう。しかも花菱屋で働く者の食事だけでなくこ
霧を越えて大量の標石が出てくる。こいつを何とか雰囲気ある感じで撮りたい。国道バックでこんな感じ~?どんぐりからの標石かな。そんなこんなで歩いていると頂上まで続く観音様とは違うものが出現。山神と書かれています。枝が備えられているのでいまだに信仰の対象なのでしょう。文化13年と書いてあるので西暦1816年。50年位たつと明治時代に入る感じの年頃。小川路峠の頂上に茶屋があったのが宝暦1750・1760年代から大正時代までなので、壮大
雲の中を歩き尾根の道に辿り着く。覚えてるよ。この感じ。この道が国道256号だなんて誰も思わないだろう。1800年代?1700年代?いつからここを人が歩いて踏み固めて行ったのか。1600年から江戸時代が始まる。1400年代は戦国時代だ。そのころよりもっと前から行き来もあっただろう。寄り添い方標石。進路は左、下り方面だが今まで続いたのぼりが頂上でもないのに下りに転ずるのは少し不安がある。廿(にじゅう)丗(さんじゅう)という字
ふらふらと進むけど、飯田の天気が全体的にいいことは予報で見ていた。山の天気も予報的には問題ない。でも雨が降りだしたり変な風が吹いたりしたら即引き返すつもりで前進。これが国道256号です。車はもちろん通れません。ジムニーなら余裕ってよく言われますが、無理です。この平場は平和に見えますがここへ入ってくることはできない。時折人工物が出てきます。これは橋ではないのですが広い足場を確保するための物でしょう。ただこれを撮ったのはこの構造物を
重い腰を上げて(笑)行ってきました。現地まで5時間。全体の探索時間は8時間。家まで4時間。夜11時30分に家出て朝4時過ぎに現地の駐車場に到着、1時間仮眠してご飯食べて用意して、朝6時にスタート。小川路峠に着いたのがお昼11時、ご飯食べてドローン飛ばして逆側に降り始めたのが12時ちょい前。麓の1番観音に着いたのが午後3時。。こっからタクシーで山一つ越えて自分の車まで戻って片づけ、ワーレントラス橋がたくさんあったので(笑)寄り道しながら帰路についたのが午後5時、
って見出しを付けたら。。(笑)意味深だよね。5、6時間高速を走って辿り着く長野、飯田。行けばそれはそれは楽しいパラダイス。車両通行不能の国道小川路峠。標石もたくさん。上村側から上るのか上久堅側から上るのか。どちらにせよ車に戻るには、歩いて来たこの国道を。ただの山道にしか見えない国道を戻るか。タクシーを呼んで車を置いた地点まで戻るのか。歴史的な価値の高い道。現地へ行くのに6時間、山を越えるのに6時間、家に
旅はトラブルがあると良く覚えている。この時の踏査では9月でも一日曇り空で、比較的暑くはなかったものの、古道とは違う硬い路面からの足腰への負担と、行程の遅れからの焦りから疲労困憊。このためここ木沢にて、歩くのを止めてバスで向かおうとも考えていた。だが思い直し歩き始めたのだが、この先の合戸峠にて…あの時は辛かった。それを思い出しながら。上村の上町と、南信濃の和田との間に位置する木沢にも宿屋があり、多くの旅人でにぎわった。また、この集落には飯田側の千代(法前寺)から伊那山脈を越えてく
初めてこの峠を訪れた時から感じているのは、「峠は越えてこそ」。古道の先にある峠を目指すというのは単なる登山ではない。峠に立てば終わりなどではなく、その先の目的地への到達点の一つであった筈なのだ。登ってくるまでの景色、疲れetc…峠に立って感じるのは途中経過における達成感。だがゴールではなく、まだ下りが残っているのだ!同じ景色を再び見ながら下るのではなく、新たな景色が拡がっているのだ。ワクワクをまだこれから感じる事ができる!それが峠越えなのではないかと。行って戻る「ピ
何故峠に鳥居なのか?峠に神社が祀られている訳ではない。それはこの峠道が「信仰の道」として多くの人々が行き交った事に由来する。この鳥居は「秋葉神社」の方向に建てられており、旅人は峠に着くとまず秋葉神社に向かって遙拝(ようはい)したとされている。なおこうした鳥居は、同じように秋葉街道で信州と遠州境にある「青崩峠」、和田(飯田市南信濃)と木沢(同)との「合戸峠」、そして先日越えた天竜村と南和田(飯田市)との間の「焼尾(谷京)峠」、にもあった。この小川路峠についてはもう少し説明
峠は何度も登っているが、これまでは日帰り。山中にて一夜を過ごすのは初めてだった。古道をテント泊で越える旅は数回行っているので単独行でも心細さは大してなかったが、ツキノワグマの存在だけは怖かった。朝起きても常に熊鈴が手放せない。ぐるりと周囲を歩き回って獣の気配がないか確認する。・・・・・物音も獣臭もしない。ここでようやく一安心朝食の準備のため再び火を熾し、ソロストーブで湯を沸かす。一晩過ごした堂屋敷を俯瞰して見る。山中にしては随分と平坦な場所が広がっている。昭和15年
ここまでの道のりを…秋葉街道踏査一日目①~八幡町から天竜川「水神の渡し」~秋葉街道踏査一日目②~知久平から山越、牧野内を経て上久堅へ~秋葉街道踏査一日目③~1番観音からすん坂、6番観音を経て金毘羅様~まだ一日目が終わらない事についてはお許しを。6番観音で合流した車が通られる幅の道もここまでここから先は当時の古道そのままの場所がほとんど。左上には13番観音などがあり、石段らしきものも残っている。一番上に13番観音である、片頬をついた如意輪
まず1番観音から紹介しなければならない。この観音様のみ「観世音堂」と呼ばれるお堂の中に安置されている。この石仏は宝暦9年(1759年)に高遠の石工によって造られた。毎年四月二十七日にはお祭りが行われ、伊那谷や遠山谷だけでなく遠州からも人々が集まる盛大なものだった。隣の地区の「千代の風土記」には「朝から連れ立って大日向(野池)から山路をのぼる」との記述や、「伊那の山河」には「博打の座が峠までも続き高町の参詣人が押し掛けて非常な賑わい」と記されている。荒廃した事もあったようだが
前回は秋葉街道の天竜川を松尾清水から知久平へと渡る時点で終えた。街道が出来た頃はもちろん橋はなく、このときに渡った水神橋も3代目を数える。橋が架かる明治時代以前は舟による「渡船」で、清水からは2カ所の渡し舟があったとのこと。(なお少し上流には明から虎岩への渡しもあったが、ここでは触れない)ただし川岸すべてを舟ではなく、水神様が祀られた中州から知久平のある左岸へ渡る部分が渡船であったようだ。現在は護岸に覆われているが知久平側に接岸し、現在水神様を祀る為に建てられた石製の鳥居のあたり
ほんとは今日行こうかと思ってたんですけどねー。支度までして夜中に家を出るのを。。。やめました(笑)乗り気じゃなかったんですよ~なんでだろう。いつもはこういう時はわくわくしているのに気が重いというか。一度歩いているのでなんとなく廃道の感じはわかっていてイメージもついている。今なら紅葉も綺麗なはずだし。目が覚めて空を見たら晴天、ちょっと後悔。超探索日より。でも気分が乗らないというのは何かあるはずなので、あんな家を出ようとして辞めるということは初
今年も秋の小川路峠へ向かう事ができました。昨年と今年もイベントというか主催ではないものの、現地での案内や解説は自分から。ただ今年は周知がギリギリでしたし、新たな形をとったので自分から募集するのに迷いも。昨年の帰着が、夕暮れ間際になった反省からスタートを早め、7時には上り始めました。朝のうちは朝日も照る事があって、その光に赤や黄色の葉が映えてました。が、衝撃だったのは、今夏の台風による倒木の被害。根こそぎ倒れるもの、途中から折れるもの…多々認められました。また、昨年
※映像が綺麗でない場合は右下の歯車マークをクリックして画質の数字を大きくしてください。ホントは動画として出したかったのですが、撮影に行っている時間が取れず。。写真を流すといった感じに作ってみました、とりあえず。とりあえずです。国道152号線と256号線は絶対動画として出したいので。お待ちください。
上の地図を見ておお!と思いませんか?←思わないね・・・中央に見える赤い線が切れています。国道が途切れています。この先は?車はここまできたらどうなっちゃうの?大丈夫です、ここは数ある点線国道のひとつです。道は途切れているように見えますが、本当はあるんです。それをこれから紹介します。探索:2012年11月10日去年国道152号線の点線区間を探索し、時間がなかっため国道256線の点線区間は探索できずに引いてきましたが、今回ゆっくり時間を
でわでわ改めて続きを。現在の上久堅側の車両進入可能限界点から続けさせてもらいます。前日午後5時に彷徨っていたあの柵の場所です。右手に赤の十字にそれどれの行き先が記されていますが。これがわかりにくかった。正面の柵が昨日歩いてきた「卯月」と木札に書いてあった道。左手にも柵で閉じられた「照仙閣」へと続く道。これが地図で記される国道。柵を背にするとこの景色。前方に2本の道。右手には柵で閉ざされた「照仙閣」方面へ続く国道があり、左手にはもうひ
午後2時。ここを実線国道に向かって小川路峠頂上から飯田市上久堅方面へ下っていきます。峠前後はかなり勾配がきつく、登ってくるのはすごく大変でしたが逆に降りるのはスピードが乗るのでブレーキをかけながらどんどん進む。32番観音を過ぎるとこういった案内板があり丁寧な登山道だ、と思いきやこれは国道なのだ。ちなみにこの「ボーズッタ線」はこれから下る道とは別のルート。やがて合流することになるのだが長く別の区間を通っていく。この他にも所々にここがどんな
簡単な地図を載せておきます。これから辿る道と方向です。では飯田市上村側から、国道256号線の点線区間に進入します。傍から見ても道らしい道が見えないのは「道」というカテゴリーに入らないかすかなふみ跡だからだ。しかしここは国道だ。どうして国道だ?短いスパンの九十九折が幾重にも重なり急峻な斜面をガンガン登っていく、トラロープの設置もあるくらい足元が危険なところもある。言うまでもなく基本的なことですが、トラロープがあるからといってそれに身を預けな