ブログ記事32件
今から50年も前、まだ20代の頃に、武蔵小金井で働いていました。映画の社会から足を洗って再就職した仕事場が武蔵小金井でした。やっとサラリーマンらしい仕事に就いた訳です。まだ若かったので元気に働いていましたし、仕事が終われば毎晩のようにお酒を飲んでいました。時はテレビゲームが流行していて、インベーダーゲームが出始めると、喫茶店のテーブルはどれもこれもインベーダーゲームのテープルに代わっていきます。まだゲームセンターは少なく、主に喫茶店などでゲームをする時代でした。お客さんが長居を
ご存じのように、パソコンが壊れ、データ書庫が消滅するという、二重のアクシデントが立て続けに起こり「ブログ閉鎖危機!」と思ったのですが、何とか元気を取り戻し、更にはビタミンFを東京国際フォーラムの舟木さんの歌声と、数多くの武蔵野舟木組ファンの方からの応援のお言葉を戴き、継続することが出来ています。そんな訳で、新しく記事を書く事も以前に比べると難しい事もあり、古い記事を、新たに編集しながらお届けする事になります。今回は、2020年に書いた「さすらいさんちの話」からのものです。
昨日は家族でイオンモール広島府中へ行ってきたよ去年できたガンダムベース前を通って入り口で少し立ち止まった次男NK「これなに」父HK「ガンダム」次男NK「弱そうじゃね」父HK「強いよ~このビームで射たれたら消滅するじゃろうし、おでこから弾も出る背中に刺さっとる棒はピームの剣になるんで」ロボットには1mmも関心ない息子達なんで、響いてないし聞いた瞬間から忘れてるだろうガチャガチャの森へ↓惚れたコイツのミニチュアあればいいなと思い、ダメモトで探した『俺アンタに惚れてる』【
一番好きな漫画を教えて!これも何度もかきましたからね劇画と漫画を分けたいですね。劇画ならば原作:小池一夫、作画:小島剛夕両先生の「子連れ狼」と「首切り朝」。漫画ならば手塚治虫先生の作品のどれもこれも…なんですけど…なかでも特にとなるとやっぱり「ブラックジャック」ですかね。あっちょんぷりけ▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう執筆者への愛のムチを頂けましたら幸甚ですにほんブログ村
子連れ狼小島剛夕の名前を知る人は少ないだろうが、劇画「子連れ狼」の作者といえば有名ではないだろうか隠密黒妖伝(貸本)1957年(ひばり書房)隠密黒妖伝・本文この劇画家は、世に出るのが遅かった。貸本漫画時代が長く、そのリアルな殺人の描写力や時代の空気感は当時の少年漫画誌には早かった。朝顔日記1962年6月(つばめ出版)私は貸本漫画世代で、この頃に白土三平や水木しげる
昭和44(1969)年1月。週刊漫画アクション(双葉社)の新聞広告。看板作品であるモンキー・パンチ作ルパン三世の上に「テレビ映画化決定‼」と銘打たれているのが気になる。ルパンが初めてテレビアニメ化されるのは2年後の昭和46年のことだが、この「テレビ映画化」とは、この年に作られたパイロット版のことなのか、それとはまた別口で実写でのテレビ映画化が検討されていたのだろうか?実写版というと、どうしても目黒祐樹主演の『~念力珍作戦』(昭和49年8月公開)が、頭に思い浮かんでし
ご訪問誠にありがとうございます。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.117でおます。当ブログは日・木曜日午前0時人知れず…週2回更新しております。♪Imissyou許されることならば抱きしめていたいのさ光の午後も星の夜もBaby~※詞・久保田利伸何だかんだ…酷暑の名残を引きずりながらも秋は次第に深まっていくんでしょうね…そんな夜のBGMはやはり極上のラブ・バラード、作業しながらなんでちょっとアップテンポの…例えばこの…
前回、霊夢はどうやって米を博麗神社まで運んでいるのか、という疑問について書きました。博麗神社は、公式ゲームの設定では、人里から離れた山の上にあり、しかも、人里から歩いて来るには、見通しが悪く妖怪に襲われる危険もある獣道を通らなければならない、となっていました。したがって、わざわざ博麗神社までやって来る命知らずな人間はいない、と。だけど、公式漫画『東方酔蝶華』の第2話で、人里で酔いつぶれた魔理沙を霊夢が博麗神社まで連れていって、そのまま泊めてやっていましたが、このとき魔理沙は千鳥足ながら
本日もご訪問誠にありがとうございます。「楓坂四駒堂」耄碌妄想日記日曜版No.91でおます!当ブログは日・木曜日午前0時週2回更新で~す。♪あゝ~僕の時計はあの時のまま~風にふきあげられたほこりの中二人の声も消えてしまったあゝあれは春だったんだね~※詞・田口淑子心に残る春の歌を…1972年です…「吉田拓郎(よしだたくろう名義)」伝説の3rdアルバム「元気です。」の収録曲♪春だったねこのアルバム…当時、持ってな
一番好きな漫画を教えて!『ブラックジャック』と『首斬り朝』昔全巻ずっと買い集めてたので迷うところなんですが、『首斬り朝』と言うことにしときます。ご興味がお有りの男性の方は、今、「漫画図書館Z」で読めますよ。【全巻無料】首斬り朝大合本-小池一夫,小島剛夕|男性向け漫画が読み放題-マンガ図書館Z【首斬り朝大合本】が今すぐ読める!全作品無料、会員登録不要でさらに待ち時間も無し。好きな時に好きなだけ読むならマンガ図書館Z!www.mangaz.com★ご
全国漫画ファン待望の新漫画週刊誌遂に登場!昭和42(1967)年7月、週刊漫画アクション(双葉社=現・漫画アクション)創刊号の新聞広告。主軸はヌーベル・コミック劇画としており、この創刊号とともに世に放たれたのが「巻頭ヌーベル・コミック活劇」とされる『ルパン三世』(モンキー・パンチ)だ。そのほか、小島功先生(オシャカ坊主列伝)、森哲郎先生(日本一太郎)、小島剛夕先生(おぼろ十忍帖)、バロン吉元先生(ダイビング作戦)らが主力連載陣となっている。その他にも水木しげる先生、石森章太郎先生、
時代劇チャンネルで昼12時30分から放送されている『燃ゆる白虎隊』を録画して見ています。ここに使われいる画像は脚本家杉山義法の原作を子連れ狼で有名な劇画家小島剛夕の『劇画キングシリーズ白虎隊』から?この書籍を探しましたが今現在入手できていません(電子書籍では読めるらしい)こちらの画像も同様?白虎隊、武士軍団ではなく予備兵力で十代の少年が多かった・・・一般的には城下町で発生した火災を見て城が落ちたと思い込み城に戻り敵に捕まれば武士の恥と白虎隊士中二番隊隊士の
食べ物記事が溜まっている去年から萩市~益田市(山口県~島根県)日野町・日南町(鳥取県)飯塚市(福岡県)と多くの出先で多くの物を食したが、写真ばっかパシャパシャ撮っただけで、ほとんど記事にしていない理由としてはまぁ、あれだ何物でもなく魅力もない50歳のオッサンがお昼ご飯に何食べましたとかさ、ホントどうでもいい記事じゃないそれどころか「不快だから検索結果に載せないで欲しい」と苦情が出かねないよ実際の所あと一つは「味覚を文章化する腕前がない」ことよね「うまかった」とか「味が濃かっ
A5の箱開封小島剛夕の箱久しぶりに開封『子連れ狼』の黒版入ってないのでどこかにあると思います。もう一箱あるのか?道中師大合本(ゴマブックス×ナンバーナイン)Amazon(アマゾン)176円子連れ狼大合本9あるいは死参Amazon(アマゾン)110円半蔵の門大合本3道諦の章Amazon(アマゾン)1,300円忘八武士道分冊版1Amazon(アマゾン)218円
先日のブックストリートで原案水上勉脚色佐々木守画小島剛夕アニメでおなじみの一休さん水上勉の原案が、マンガになっていましたがわからないところ「行実譜」という水上勉の創作の「伝」これを中心に脚本化した作品上後小松天皇の子として生まれた千菊丸は僧周建(後の一休)となって人生を歩み始めたそして、ひたすら純粋禅を求め真の師謙翁宗為と出会い宗純と名乗る中師・宗為の死で琵琶湖に身を投げた宗純しかし絶望の淵から立ち直った宗純は近江
今日のスケッチ。東海道五十三次。浜松宿。こんな夢を見た。私はカミングアウトしたらしい。しかし、私は男を好きになったこともないし、付き合ったこともない。なのに、なぜ自分はゲイだと公言してしまったのだろう。さっそく、同業者の中野さんやらが、私に告白してきたが、私は気持ち悪いだけである。間違えてカミングアウトしてしまったと、公言し直そうかと思うのだが、新しい法律では、数百万円の罰金が課される。困っているところで、目がさめた。若い頃は、いやらしい夢も
最終回まで読み切った漫画ある?最終回まで読んだ漫画ですか?沢山ありますけど、当時の子供に人気の漫画で言えば、私の小学生時代に週刊少年マガジンで連載されていた「巨人の星」原作梶原一騎作画川崎のぼるとか、小学校から中学2年まで同じく週刊少年マガジンで連載された「あしたのジョー」原作高森朝雄作画ちばてつやとか、高校から大学時代にかけて週刊読売で連載されていた「新巨人の星」原作梶原一騎作画川崎のぼるとか中学校から大学卒業後まで週刊少年チャンピオンで
子連れ狼の作画をされていた小島剛夕先生とは、20代の頃飲み友達の一人だった。常連のお店の串揚げ屋によく来ていて、何かと剣術の話をしたものだった。当時さすらいはまだ、剣道や居合道の現役で稽古をしていた頃で、何かと会話が弾んだものだった。そんな先生から、剣道をしている作画を額に入れて戴いて、今でも大事な宝物として持っている。先日亡くなられた漫画家の水島新司さんも、近くに住んでられて、良く近所で飲まれていたようだが、残念ながらお会いする事は出来なかった。地元の駅の様子や、我が母校の名前なども漫
初めてみたマンガの生原稿ふと思い出した。マンガの生原稿を初めて見たのは、たしか小島剛夕さんの子連れ狼の原稿だった。あれは、たしか、中学生のころだと思う。地元の、本屋さんのイベントで、なま原稿が展示されていた。白黒のページばかり十数枚(一話分かな)展示されていたような。ふきだしにセリフの写植がはりつけてあって、ベタ部分も墨汁のあとが、きれいで、ホワイトでの修正部分もていねいにしてあってものすごく美しい原稿だ
子供のころから、『カムイ伝』に関して不思議に思っていたことが、一つある。それは、タイトルにある「カムイ」という言葉についてである。素直に考えれば、「カムイ」とは、アイヌの言葉で「神」を意味する言葉のはずである。しかし、『カムイ伝』には、アイヌ民族は一切出てこない。これはいったい、どういうことなのであろうか?その謎が、あるとき、突然解明された。1980年ごろに集英社から発行されたある書籍に、その真相が書かれていたのである。その本(タイトルは忘れてしまった)は、当時活動中の漫画
皆瀬から横手へ行く途中に増田に通りかかったので、寄ってみた。横手市増田まんが美術館https://manga-museum.com/常設展入場料無料で特別展は1000円でした。大きな駐車場を持つ施設です。日本で最初のまんが美術館と言われています。常設展は時代ごとに作品を並べていきまんがの変遷を解説したものと、まんがのできるまでの工程解説。ギャラリーには有名マンガ家さんの殿堂のようなギャラリー。特別展は小島剛夕。「子連れ狼」で一世を風靡した劇画家さんです。シッタカよりちょっと上の世
漫画「首斬り朝傑作選」刊行記念で、3巻連続「特製表紙絵」のQUOカードプレゼントに応募して、「首斬り朝傑作選其之1」のQUOカードに当選出来ました「首斬り朝傑作選其之1」以前から小池一夫先生と小島剛夕先生の漫画は好きですね3巻連続「特製表紙絵」QUOカードを総計300名様にプレゼント第1弾の「首斬り朝傑作選其之1」表紙絵QUOカードに当選出来ました「首斬り朝傑作選其之1」特製表紙絵QUOカード「首斬り朝傑作選其之4」まで購入しています第2弾と第3弾のプレゼント
テレホンカード持ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう持ってるこんばんは(^^)/ヤンニョムはおススメ世界のつがるです大館行きたかったが初めにいつものところへノンストップは無理で大曲行ったらE6系のラッピング停まってたグランポールもリニューアルされたこれが噂の下りエスカレーターかなり便利になった大曲からノンストップで横手市増田のまんが美術館へ原作のマンガばっかり読んで気付いたら2
こんばんてーんげきみそです。毎度お馴染み、地元のまんが美術館にて今月上旬から始まっている展示会の話。「小島剛夕(こじまごうせき)原画論」。こちらは、マンガ研究者のカーロヴィチュ・ダルマ氏が進めている「マンガのコマ割りた掲載メディアの物質性」というテーマの研究発表展…らしい。始まって数週間経ちますが、しばらく行ける余裕がなかったので先日ようやく観てこれました。1950年代末の“貸本”時代から活躍され、様々なジャンルの作品を生み出された劇画の第一人者とも言
『春が来た』もう一度読みたいけど箱がドコにあるかわからない倉庫。餓鬼の惑星Amazon(アマゾン)440円愚れ者1Amazon(アマゾン)440円[まとめ買い]土忍記Amazon(アマゾン)836円沖田総司新選組の旋風Amazon(アマゾン)440円首斬り朝大合本3Amazon(アマゾン)1,320円
前回に引き続き、B5判の雑誌サイズで出版された≪子連れ狼≫の後半11冊をご紹介します。中綴じの週刊誌と違い、無線綴じのちょっと豪華な総集編です。昭和42年7月より双葉社から刊行された青年誌、週刊漫画アクションの掲載作品がコミックスとして刊行されたのは昭和43年8月からです。そして、B5判だったのは初期の12冊だけでした。昭和45年3月からはB6判となり、そのサイズは現在も続きます。コミックスがB6判に変更されて以降B5判の雑誌サイズでも並行販売されるのですが、並行販売された最初の作品
週刊漫画アクションは、昭和42年(1967年)に創刊された青年漫画誌です。連載された作品は雑誌と同じサイズのB5判でコミックスとなって出版されました。雑誌のように中綴じではなく、無線綴じで出版された豪華な本です。昭和43年(1968年)から【アクションコミックス】のレーベルで登場しています。コミックスがB5判だったのは初期の12冊だけで、昭和45年3月からはB6判に変更されます。しかし一部の作品はコミックスがB6判になっても発行が続きました。この頃は総集編としての意味合いが強か
私が初めて推したマンガのキャラ山田朝右衛門推しキャラのここが好きマンガという表現を本当は使いたくない。原作:小池一夫、作画:小島剛夕という劇画の名手ふたりによってつくられた本作品は、私の中学高校生時代に講談社が発行していた週刊現代に連載されていた劇画だ。その頃の我が家は事情があって、父母が自ら働く町工場の敷地内に建つ工員寮に住み込みで暮らしていた。その寮には岡山県などから就職で出てきた高卒のお兄ちゃん達が8人、同じように住み込みで暮らしていて、彼らの食事の世話や、大きく広いお風呂の
今日の記事はかなりマニアックな内容になってるかもですw意味わかんないっていう方がいらしてもゴメンしてね;昨日書いた松本零士の漫画の話しで色々思い出したわ。実家に居た頃集めていた漫画は手塚治虫、松本零士、永井豪、石ノ森章太郎(スイマセン、敬称略です;)の4作家さんが中心でした。当時、爆発的人気のあった作家さんにはあまり魅力を感じなかった。「がきデカ」とか「マカロニほうれん荘」だとか…画像はすべてWEBからお借りしてますギャグマンガが嫌いだったわけでは