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春の青春18切符期間、オレンジラインの中央線より高尾駅よりコレに乗り継ぐ中央本線「甲府行」ですいつもとは異なる見慣れない路線図春早い信濃路ではなくて甲斐路、大月駅にやってきた武田二十四将が1人、小山田信茂(武田勝頼を最後裏切った)の城岩殿城があった岩殿山の下東横インも立っている留置線で休んでいるのは211系長野色115系だった頃が懐かしい富士急行線への連絡改札インバウンド外国人観光客で行列・パンクしています特急あずさ通過待ち乗ってきた電車まだ停車
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。前回の「お城紀行」で「上田城」を投稿しましたが、その後「長野新幹線」で東京に戻り、特急「かいじ」で「大月」まで足を伸ばし宿泊をして、翌日の6城目の「岩殿城」登城に備えました。当日の天気予報では”晴れ”になっていましたが、ホテルの窓からはどんよりした鉛色の空が見えて少しガッカリしました。ホテルで重い荷物は預かっていただき、「大月駅前」7時25分発「富士急バス日影行」に乗車し、「自動車教習所前」が登城口に近いと
<速報>2泊3日(3/6~8)の「春のお城めぐり」ツアーをスタートし、本日帰宅の途中です。行き先は、1日目は長野県、山梨県の2県、2日目は長野県上田市・千曲市の山城めぐりをしまして、1日目の夜は山梨県大月市に宿泊しました。天気を気にしながら起床して、3/7は「岩殿城」へ向かうべく、7時半に大月駅前から登山口近くまでバスに乗り、雪で滑りやすくなった登城路を途中ツルっと滑りながらもやっと登城できました。本来は、表側(北側)の岸壁が見える所からの登城が一番「岩殿城らしい」のでしょうが
※「甲州善光寺」の巨大石碑甲斐善光寺に行きました!甲斐善光寺に行く前に、勝頼公墓所景徳院、一条信龍墓所、武田逍遥軒墓所に行きましたが、「武田家滅亡」を考える上で重要なポイントでもある、「新府城」「武田八幡神社」「大善寺」「恵林寺」に時間がなく行けませんでした😫すべて行ったあと、感じたことなどを投稿させて頂きますのでよろしくお願いします🙇巨大寺院「甲斐善光寺」に行きましたので投稿させて頂きます😃※甲斐善光寺の巨大な山
※鉄砲構え案内板…馬防柵が三重、しかも2kmもあったなんて…それに想像以上の鉄砲の数!武田軍は驚いたに違いありません!※柳田前激戦地…手前の連吾川を越え進軍する武田軍と織田・徳川軍が激しく戦い、また、武田軍敗走中、本陣の勝頼を守るため多くの武田軍将兵が踏みとどまり戦った場所ですいろはかるた「ぬかるみに馬もしりごむ連吾川」設楽原古戦場に行きました!パート8️⃣設楽原の戦いパート8️⃣長篠・設楽原の戦い後の武田家その2続きです🙇
攻城日:2018年4月21日↑"勝山城跡"石碑↑勝山城は、山梨県都留市にある城跡デス♪↑"勝山城跡"解説板その①↑城跡は、富士山麓電気鉄道富士急行線谷村町駅の北およそ400mにあり、現在は山林になっています。↑"内堀"石碑↑地元では"お城山"と呼ばれ親しまれている標高571.3メートルの"城山"が城跡で、すぐ西側には中央自動車道が通っています。↑内堀その①↑周囲を流れる桂川からの比高は110mほど。分類上は"山城"になるかと思いますが、ココの最大
明智秀満(73)「信長公記」『滝川左近、上野国拝領の事三月廿三日、滝川左近召し寄せられ、上野国、幷びに、信州の内二郡下され侯。年罷り寄り、遠国へ遣わされ侯事、痛くおぼし召され侯と雖も、関東八州の御警固を申しつけ、老後の覚えに上野に在国仕り、東国の儀御取次、彼れ是れ申しつくべきの間、上意、忝くも御秘蔵のゑびか毛の御馬下さる。この御馬に乗り侯て、入国仕り侯へと御諚。都鄙の面目、この節なり。』3月20日、木曽義昌は信長のもとに馬二頭を進上して出仕した。申次は菅屋
明智秀満(66)吾妻郡岩櫃城には潜龍院跡といわれる遺跡がある。勝頼が逃げ伸びてきたときのために造られた御殿であったという。その後、祢津潜竜斎昌月という人物がもらい受け寺院にした。「兄者、本当に父上は信長相手にここで籠城するつもりなのですかね。」と建築途中の御殿を見上げて真田信繁が言うと、「分からんなあ。1年や2年は持つであろうが、父上の事だ、単純に籠城するとは思えない。現に誼を通ずるため、信長には馬を送ったらしい。」と真田信幸は言う。「そもそも上臈衆を抱えた勝頼
明智秀満(65)「晴豊公記」『今日、明智人数しなのへちりちりとこし候なり。今度大事の陣の由申す。人数各いかにもしほしほたるていにて、せうしなるよし京はらへの言いなり。』天正10年(1582年)3月4日、明智隊は京都に向けて進軍した。しかし目の肥えた京の人々には何だか「ちりぢりばらばら」で統制が取れていない軍勢のように見えた。参加の兵士も何やらしょんぼりした感じで、こんな大切な戦なのに、このような有様で大丈夫かと、京童にも笑われたという。「兼見卿記」『
どうでもいいんだけど、この都留市にある富士急の禾生っていう駅の読み方がわからず久々に難読地名を調べてしまいました。禾生って書いて「かせい」って読むんですね!それはさておき。地産地消レストランお勝手場山梨県立リニア見学センターからすぐの所にある道の駅都留に入ってるレストランで昼食をとります。お勝手場ってなんだか懐かしい響き。昔は台所とかお勝手とか言ったなぁ…昭和は遠くなりにけり。もう既に完売してるメニューもあるのね!何を食べようかな。メニューには
創業者を父に持ち、口うるさい古株の役員が残る会社の経営を受け継いだ二代目社長・・・今日は、それと同じ苦悩を抱えたであろう戦国武将・甲斐武田家の第20代当主、武田勝頼の命日にあたります。1546(天文15)年、かの有名な武田信玄の四男として生まれた勝頼は、母・諏訪御料人が側室であったため本来はお世継ぎになる予定はなく、それ故に幼少期の記録は殆ど残っていません。しかし嫡男・義信が家臣と共に信玄謀殺の謀反の嫌疑により幽閉され、次男・竜宝が生来盲目、そして三男
JR中央本線の大月駅からもよく見える岩殿山。この山には、甲斐国都留郡の国衆・小山田氏が築いたという岩殿城(岩殿山城)がありました。小山田氏は、武蔵国の秩父を本拠とした秩父氏の流れを汲む氏族で、秩父重弘の子有重を祖としています。源頼朝に仕え「鎌倉武士の鑑」と呼ばれた畠山重忠は、有重の甥です。1582年(天正10年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐が始まると、武田勝頼は岩殿城へと逃れていきます。しかし、城主の小山田信茂の裏切りで、天目山の麓の田野で自害。甲斐武田氏の嫡流は滅亡
「第7回東アジア史料研究編纂機関国際学術会議」を開催-東京大学東京大学この学術会議は史料編纂所(日本)、国史編纂委員会(韓国)、社会科学院近代史研究所(中国)を幹事機関として、各国の史料研究・編纂及び利用に関わる...電子書籍でも読める!「光文社古典新訳文庫」~「早慶和書電子化推進コンソーシアム」関連ミニ...早稲田大学WasedaUniversityLibrary早稲田大学早稲田大学図書館·電子書籍でも読める!「光文社古典新訳文庫」~「早慶和書電子化推進コンソ
武田24将小山田信茂#武田24将#風林火山#武田騎馬隊#合戦#ジオラマ#小山田信茂#鍬匠甲冑屋
小山田信茂の首塚は、甲府善光寺から500メートル程度北側に矢崎葡萄園という民間の敷地にあります…小山田信茂は、武田家を裏切り、甲府善光寺で本領安堵の約束をなされるものだと思っていたそうですが、織田信忠に謁見は許されず、堀尾吉晴の家臣によって首を跳ねられたそうです。その際、母親、子ども、一族ことごとく惨殺され、あま、その亡骸を葬つたのがここなんでしょう…今とは比べ物にならないほど、命が軽い時代でもある中で、家名を残していくことはホントに難しかっただろうとおもいます。織田信忠だってこの三ヶ
諸君、ご壮健かな。私は立ち尽くしていた。大月桃太郎伝説。桃太郎といえば岡山というのは農協の陰謀か?それてもさくまあきらの魔の手がここまで?私が戸惑っていると。ナニコレ?お店の入り口に真っ赤な鳥居。…胡散くさい。余りにも胡散臭い臭いがプンプンして、私を怪しく誘う。ガラガラ。いや、人がいないということではなくて。果てしなくオーセンティックなガラス扉を開けたそこには!鬼に過重労働させている!その上に鎮座する神様、ううむ。見方が変わる。岩殿山が桃太郎に退治された鬼の住処だった?岡
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。先週の旅の中から、「信茂と勝頼」のトークショーを武田とみさんとお話ししていきます。とみ:美慧ちゃん、いろいろ山梨の旅お疲れちゃんでした〜。美慧:ありがとうございます。とみ:でね、いろいろ聞いた中で、やはりこの話をしておきたいかな、と感じて旅の中から「信茂と勝頼」のトークショーについて今回話しましょうね。美慧:
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。昨日の信玄さんの法要の模様がニュースとして伝えられました。武田信玄450回忌命日に菩提寺で法要|NHK山梨県のニュース戦国武将、武田信玄の命日にあたる12日、山梨県甲州市の信玄ゆかりの寺で法要が行われました。ことしは戦国武将、武田信玄が亡くなってからち…www3.nhk.or.jp今の時代に信玄さんが生きていらっしゃったなら…という恵林寺の古川周賢老大師のお言葉も
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。今週土曜日の4月9日(土)信玄さんの生誕500年を祝うイベントがJR甲府駅よっちゃばれ広場を中心に開催されます。信玄公祭り秋に延期代替イベント甲府市で開催へ|NHK首都圏のニュース山梨県最大級の催し「信玄公祭り」は新型コロナウイルスの影響でことしの秋に延期されましたが、今月9日、その代わりのイベントが甲府市で開かれる…www3.nhk.or.jpこのイベント
【武田二十四将小山田信茂と武田家最後の当主武田勝頼の物語】「安吉役」と「ナレーション」を担当しております!是非、ご覧ください♪↓↓↓信茂と勝頼信茂と勝頼「第一章その男小山田信茂」○第一章あらすじ甲府のだるま職人、小宮山は、娘が連れてきた恋人に対し武田家滅亡の歴史を語り始める。時は戦国時代、1565年の甲斐国郡内某所。臣下からも慕われ、才気あふれる武田の重臣、小山田信茂の姿があった。次章:2022年3月23日(水)19時公開小山田信茂映像コンテンツ「信茂と勝頼」は、信玄公生誕
憲法九条では日本を守れない、ウクライナ侵略が示す日本の欠陥-JBpressJBpress憲法九条では日本を守れない、ウクライナ侵略が示す日本の欠陥.自国を守る意志があって初めて国際社会は「支援」に立ち上がる.憲法第9条(戦争放棄)を厳守しながら世界一の超軍事大国を目指す方法最強の兵器は核兵器ではない。核兵器を使用したところで、敵の怒りや恨みを無くすことはできない。最強の兵器は、敵に戦う気をなくさせる兵器である。怒りや恨みや不安を解消させる兵器である。各国は、「今に仕返ししてや
ブログ友の甲斐文寛〜甲斐武田さん記事を読むと、武田信玄生誕500年記念事業の一つとして、小山田信茂の映像「信茂と勝頼」が3月16日から公開、全5章まであるようです。↓忘れてはならない3月11日。詳細は、下記ブログを参照して下さい。↓2021.3.11二つの3・11武田二十四将の一人小山田信茂、評価は人それぞれ違うと思います。武田勝頼主従関連のブログ↓2017・11・4高天神城2018・4・17臨済宗雲峰寺日の丸御旗2018・4・22曹洞宗景徳院2018・4・
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。3月11日は武田勝頼公の命日でした。昨日も勝頼公の武将印の記事を掲載したところですが、この命日から数日後の本日。山梨県が信玄さんの生誕500年記念事業の一つとして手がけた武田二十四将の一人小山田信茂公の映像「信茂と勝頼」が完成し、いよいよ本日19時から第1章が公開されます「信茂と勝頼」2022年3月16日(水)第1章、23日(水)第2章、30日(水)第3章、
師走の前半12月11日(土)に、甲州街道歩きの第9回として、前回ゴールの初狩を出発し、甲州街道屈指の難関笹子峠を越えて駒飼(こまかい)宿までを歩いた徒歩旅の記録、その12です(ゴールの最寄り駅は甲斐大和でした)。当日の概ねの歩行ルートは↓。トラブルで戻ったことなども含めると歩いた距離は20km弱です。その11では駒飼宿を出た辺りで、古道橋を渡りこの日の旅の終点が近づいたところまでをご紹介しました(↓再掲)。橋を渡ってから少し先に「千手観音菩薩旧道復活橋共に」と平成三十年(2
あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m。さて、師走の前半12月11日(土)に、甲州街道歩きの第9回として前回ゴールの初狩から出発し、甲州街道最難関と言われる笹子峠を越えて駒飼(こまかい)宿までを歩いた徒歩旅の記録です(ゴールの最寄り駅は甲斐大和)。当日の概ねの歩行ルートは↓。トラブルで戻ったことなども含めると歩いた距離は20km弱です。歩く前日の12月10日に八王子で前泊しました。本当はもっと狭い部屋ただのシングルを予約していたので
都道府県別索引へ新府城を放棄し郡内地方を目指した武田勝頼一行が、郡内の領主だった小山田信茂に背かれて天目山で敗れ自害した。岩殿城は、この甲斐武田家滅亡の最後の引き金を引いた小山田信茂の居城と言われていたが、最近では武田氏が小山田氏監視のために築いた城だったと考えられるようになっている。小山田信茂は甲斐善光寺で処刑されてしまい、追討軍が迫る岩殿城から逃れた婦女子が、泣き止まない我が子を崖から落として捨てたという『稚児落し』の断崖とともに、落城の悲話として語られる。この岩殿城、中央道の
令和3年11月4日(木)昨日は武田信玄公生誕500年の御祝いと特別御朱印等で気持ちも盛り上がり、そのまま行きたかった恵林寺って思ってました。でも、急遽予定変更した新府城で武田家滅亡について調べ、雲峰寺で最後に残された旗の実物を見て、勝頼が逃れる途中に立ち寄った大善寺に行って・・・全て偶然だけど、最終目的の岩殿城の御城印を授かりに大月市観光協会観光案内所(大月の駅の前にあります)って最後に勝頼が逃げようとしたところでしたただ、限定の御城印を目的に来たんだけど、武田家の滅亡を追いか
こんばんは。本日2本目となります。さて、『道の駅つる』から、10分くらいで岩殿山畑倉登山口に到着しました。途中、岩殿山の姿が見える場所に車を停めて撮影しました。岩殿山…これを登ります。前日の要害山の登山と同様に、登山仕様に変身してからの登山になります。いくつかの登山口があるみたいですが、本丸や山頂まで行けるのは、今はこの畑倉登山口だけみたいです。(数年前に台風や大雨などで崖崩れしたりして通行止めみたいです)唯一の畑倉登山口。トレッキングシューズを過信する訳じゃないですけど、やはり
前回までの記事はこちら。『忠誠と裏切りの狭間でーその①ー』2021年2月19日(金)予定していたイベントが延期となった週末。私はまた旅へと出発しました。どこかのタイミングでこなしたい…と、前々から思っていた用事もあっ…ameblo.jp『忠誠と裏切りの狭間でーその②ー』2021年2月20日(土)私は甲府にある『東光寺』へとやって来ました。前日の諏訪高島城への来城で知った諏訪頼重が、幽閉され自刃したと伝わるお寺です。忠誠と裏切…ameblo.jp甲府を後にし、私のご先祖さまのおひとり
比叡山鉄道坂本ケーブル、「戦国BASARA」ラッピング列車を4月3日から運行観光経済新聞比叡山鉄道「坂本ケーブル」で、4月3日(土)から期間限定で、「戦国BASARA」のラッピング列車が運行!人気キャラクターの伊達政宗や真田幸村...信長に忠誠を誓う柴田勝家…松田龍平が語る「桶狭間」サンケイスポーツ戦国時代を生きた武士たちの命をかけた戦いをぜひごらんください」と最後に松田は呼びかけた●柴田勝家[1]・[2]・[3]・[4]重野なおき、宇喜多直家のダークな生き様描く新連載