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先週日曜日の朝、主催するセミナーまで時間がありましたので、いつものように街歩きをしました。東京における私の最近の定宿は南千住です。南千住の辺りはどういうわけか安宿が多いです。そして、大阪の西成のような雰囲気があります。南千住について調べてみると、やはりそれには理由がありました。かつて北千住が宿場町として発展し、それが南にも伸びたのだそうです。宿が多いのはそんなわけです。しかし、安宿が多いのはどういうわけでしょう。それは、実はここが江戸時代、首切り処刑場であったことに由来します。
以下の跡地にお住いの場合は風水が劣悪のため出張鑑定しません。すみやかに引越してください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『愛の癒しヒーリング風鈴ゴダゴダに巻き込まれない、DNA修復』毎年の五黄土星〔凶)の方位を対策、動土も人間関係、Microsoftサポートなどネット詐欺、病気などは凶方位にデスク、ベット、玄関などがある時にヤバイ!社長の…ameblo.jp日本の刑場・処刑場一覧の概要刑場・処刑場とは死刑の執行を行う場所で、平安時代から江戸時代にかけて
2024年7月16日閻魔賽日です閻魔詣でを絡めて浄土宗寺院へも巡礼しました行先は千住方面先ずは南千住の小塚原回向院へ〜🏃🏃南千住駅を降りると葵の御紋が飛び込んで参ります小塚原回向院浄土宗寺院の小塚原回向院は、豊國山回向院と号します両国の回向院と区別する為に小塚原回向院と呼ばれています慶安4年(1651年)新設された小塚原刑場での刑死者を供養する為に、寛文7年(1667年)本所回向院の住職弟誉義観が常行堂を創建したことに始まります安政の大獄より刑死した橋本左内吉田松陰ら
南千住と浅草の散策記事。🚶最後は小塚原刑場のお話です。日光街道を江戸に向かって南下して旅人が千住大橋を渡ると否応なく小塚原刑場を目にする事になる。ここは江戸三大刑場のひとつ。刑場跡地は常磐線の開通に伴い明治期に二つの寺院に分断されました。まず訪れたのは延命寺(↑)です。山門を潜った途端に気が重くなる・・・・😓霊能者を連れてきたらたちまち反応しそうな雰囲気です。ここで累計20万人が処刑されたといいます。刑を終えた遺体は野ざらしにされ腐敗臭が漂い、地獄図の様相
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は東京都荒川区南千住の『延命寺』です。5月19日にアップした『小塚原回向院(以下、『回向院)』とも関連しますので合わせてご笑覧頂ければ幸いです。最寄駅は東京メトロ日比谷線、JR常磐線つくばエクスプレスの『南千住』。日比谷線駅南口から徒歩30秒線路沿いに建つ浄土宗の
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は東京都荒川区南千住の『小塚原回向院』です。最寄駅はJR常磐線、東京メトロ日比谷線つくばエクスプレスの『南千住』。駅から徒歩2分浄土宗の寺院で正式名称を『豊国山回向院』と言います。この辺りは江戸時代には小塚原と呼ばれ品川の鈴ヶ森とともに罪人の処刑場がありました
運勢好転占い師真帆蕗です。ご訪問いただき、ありがとうございます。無料のプレゼントについてのご案内です!!LINEで友だち登録して、生年月日などをお教えいただければ、無料で簡易命式表と通変星バランス図をご提供いたします占いの知識がなくてもこれらの表と図であなたの資質・個性がざっくりと理解できますLINE友だち登録今年の大河ドラマは「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」です遊郭の吉原が舞台になっています先日、浅草の北にある待乳山聖天と
12/28午後の神社巡り、二つ目。南千住の素盞雄神社。JR南千住駅を出て西口から、写真赤矢印の日高屋の右側にあるビル内通路を進み、通路を出たら右に進みます。道ばたに花が...ラナンキュラスというらしい。ずーっと行くと高架が見え、その向こうに鳥居が見えます。ここが素盞雄神社。既に鳥居は正月模様。社殿両側に狛犬を従えています。右が阿で左が吽瑞光石ゆかりの浅間神社。神札授与所はこの裏側にあります。神社の壁に掲げられている掲示物南千住は松尾芭蕉ゆかりの地でもあります。駅へと行き
こんにちは最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。◇◇◇◇◇滅び行く伝説ケラケラ笑う地蔵大正13年12月27日/河北新報仙台の大昔、誰が建立した
4月14日に参加しました駅からハイキング、今回は残りのルート(但し一部変更あり)を歩いて参ります前編はこちら👇『「駅ハイあらかわを駅から巡り俳句詠む」日暮里駅から駅ハイク前編』4月度の「駅からハイキング」、開催は2024年4月1日~14日までの二週間。今週の日曜日が最終日で、その最終日に参加しましたので既に一週間が経過してしまいまし…ameblo.jp現在、JR常磐線の南千住駅に向かい歩いていますそして今歩いているこの通りの名前、とある昔の経緯から、特殊な名前が付けられているんですし
回向院より、徒歩1分のところにあります延命寺に参拝です。元々は、回向院の境内の一部であり常磐線の敷設により南北分断されたため寺を創建したそうです。首切地蔵尊題目塔回向院は、浄土宗ですが小塚原刑場で処刑された方は他宗派の方もいるので題目塔があるとの事延命寺由緒浄土宗の寺が、延命寺。昭和57年、小塚原刑場の傍らに開かれた小塚原回向院から分院独立し開山した寺で、境内には首切り地蔵と呼ばれる地蔵尊が祀られています。一帯は江戸時代に江戸に2ヶ所あった江戸のお仕置場(刑場)、小塚
松陰先生の隣にあるのは、橋本左内の墓です。松陰先生と同じく、改葬して福井の善慶寺に移っております。橋本左内とは幕末の開明派志士。福井藩士。名は綱紀、号は景岳、黎園。左内は通称。25石五人扶持奥外科医の長男。1848年(嘉永1)『啓発録』を著す。翌年大坂の緒方洪庵塾に学び、1854年(安政1)江戸遊学、蘭学研究を続けるとともに英語、ドイツ語にも理解をもった。この間、藤田東湖、西郷隆盛らとも交渉し内外情勢への識見を深め、1855年藩医から御書院番に起用され、1857年藩校明道館学監となり、政教
ウチの近所の中華屋さんはハズレでした店に入った瞬間にそれは判明していました生活感というか人んチの感じ基本のキ、炒飯&餃子どこぞの名店で修業を積んでとの触れ込みでしたが炒飯はムラがあり味つけも不味い餃子もいろんな意味で失格ま、仕方がない昨日は病院デーで両方の通院を掛け持ち朝は元住吉へ、その次は稲田堤へカツ丼はお昼ごはんとして食べましたそしてその後はご縁があって泪橋へ泪橋というと小塚っ原の処刑場日本堤も吉原遊郭の入り口でした近年では♪今日の~
土曜日に北千住でいけばな展覧会を見たあと千住から日光街道を歩いて日本橋へ行こう!とお散歩スタート。日光街道を歩いたのは2010年~2011年でした!10年以上前だもう記憶もおぼろです北千住の商店街がそのまま宿場町です。紙問屋の横山家江戸時代後期の建築。彰義隊が切りつけた柱の傷や戦時中に焼夷弾が屋根に落ちた跡など生々しく残っているのだそうです。(非公開)都内の史跡って戦争で焼けてしまっていることが多く、こうして江戸期のものが残っているのは大変貴重
延命寺にやって来ました。寛保元年(1741)に建てられた首切地蔵。その名の通り、刑死者の供養のために建てられました。隅田川線(現常磐線/写真右奥)の開通(1896年)によって分断された回向院は、昭和五十七年(1982)に、線路の南側が延命寺として分離独立しています。その後、前回の東京オリンピック(1964)に向けて突貫工事で進められた日比谷線の高架橋と隅田川貨物線(常磐線貨物支線)にも挟まれ、線路の間にあるお寺となっています。ほぼ終日電車が行き交うので、丑三つ時にでもならない
今日は荒川区から下町を探索していきます。まずはJR常磐線で南千住駅へ。駅舎を出ると、足元に松尾芭蕉が!千住と言えば、西行の500回忌に当たる元禄二年(1689)の春に、芭蕉がおくのほそ道へと旅立った場所ですね。ちゃんと駅前に銅像も建っています。東北から北陸経由で大垣(岐阜県)まで歩いた芭蕉は、その行程と伊賀(三重県)出身ということも相俟って、忍者だったのではないかという都市伝説があります。2,400kmを150日間で歩いたと聞くと、忍者は大袈裟にしても、相当な健脚だ
あなたの音楽社会82日目池袋で再会した•••アメリカで一緒に遊んだ男その弍前のBlogでもお話ししましたが、池袋で再会した•••アメリカで一緒に遊んだ男とは、イタリア歌劇『ドン・カルロ』のコンサートが終わり•••👆イタリアのミラノのリストランテ(レストラン)続き👇イタリアオペラ『ドン・カルロ』フィリッポ2世出演前の発声練習youtu.be翌日は👇歌劇『杉原千畝物語〜人道の桜〜』を観劇後、池袋へ👇👆2年前の写真です。翌日👇池袋で再会した•••アメリカで遊んだ男の隠
江戸時代の死刑囚の運命一、江戸時代の死刑江戸時代の未決の人々は伝馬町牢屋敷(現在の日比谷線小伝馬町駅付近)に収容されていました。ちなみに懲役や禁固という刑罰は無く、したがって刑務所はありません。伝馬町牢屋敷は未決の囚人を収容する拘置所に相当するものです。当時は殺人は死刑10両盗んだり、詐欺をしたら死刑W不倫は死刑放火も死刑と、やたら死刑が多いのですが、大部分は伝馬町牢屋敷で死刑は執行されたようです。そして、死刑にも六種類ありました。軽い順に、下手人(げしゅにん牢の中で首
ボランティア期間中の休日にいろんなところを歩き回りました行ってみたかったディープな地普通はあまり行かないそれでいて歴史には大きく関わっていたり有名だったりまずは浅草弾左衛門ゆかりの地へ弾左衛門は江戸時代13代続いた関東一円の被差別民の頭領です5万石の大名並みの屋敷に住み帯刀を許されるほど力を持っていました本人は矢野姓を名乗りその菩提寺は本龍寺といって浅草寺の裏手台東区今戸にあります屋敷は残っていませんが現在都立浅草高校の敷
私は霊感は全くないのですが、音楽家という見えないものを扱う仕事柄、場の気配というか、空気感みたいなものには敏感だと思います。職業音楽家をやるのに気配を読む能力が必要というのは、同業者、特に(指導者系じゃなくて)舞台人系の方は頷いてくださるんじゃないかな。うちは幸い夫もそっち系。「あそこの●●通りを境に街の『気』が変わるよね」とか…「京都とかローマとか行くと一つの場所なのに何場面もあるというか歴史がミルフィーユみたいに重なっている気配がする」と
おはようこんにちはおやすみどんどはれ☀私が現在住んでいる所は東京都荒川区南千住です。家の近所に南千住図書館があります。建物の前に套堂(さやどう)があり、その中に橋本左内の坐像があります。橋本左内って誰?と知らなかったんですが、現在放送中のNHK大河ドラマにも出て来ましたね。江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前の福井藩主。安政の大獄により取り調べを受け、1859年11月1日、小塚原刑場にて死亡(享年26)だそうな。因みに江戸時代にあった三大刑場と言うのが、鈴ヶ森刑場(品川区)、
荒川区南千住にあります延命寺『首切り地蔵』首切りって聞くと💦ちょっと怖くなってしまいますが💧💧それもそのはず首切り地蔵さんのいる場所は『小塚原刑場跡地』小塚原(こづかはら、こづかっぱら)また骨ヶ原とも書きます江戸時代から明治初期にかけて実際に存在していた処刑場で1651年慶安4年刑場創設1741年首切り地蔵が建てられ1873年明治6年廃止に至るまでおよそ200年の間に20万人以上の罪人等が処刑されましたこの人数すごすぎじゃないですか。。((
豊国山延命寺回向院を横切るように常磐線敷設に当たり南側が延命寺として独立しました延命地蔵菩薩寛保元年(1741年)造立別名首切地蔵2019年6-8月訪問『円通寺小塚原幕末の生き証人慰霊』曹洞宗円通寺開創は延歴10年(791年)坂上田村麻呂開山観月徹禪大和尚御本尊は聖観世音菩薩聖徳太子一刀三禮作個性のある建物まさか曹洞宗のお寺とは・・…ameblo.jp
江戸三大刑場の一つ小塚原刑場その跡地に行くまではかなりの決意が必要でしたがそこは南千住駅前とも言える立地で来てみると何処にでもある様な町中で謂れを知らなければ・・・豊国山回向院手前に旧日光街道左に常磐線刑場には慶安4年創設から明治6年廃止までの222年間埋葬者20万人とも言われています埋葬と言っても単に土を被せる程度で鳥獣に食い荒らされ死臭の漂う地獄の様な状態だったと伝わっています刑場跡は現在主に2つのお寺鉄道線路道路に移り変わってい
先週の土曜日は、天神橋筋商店街を散策しました。おいしいラーメン屋さんが多く点在することで有名です。とくに、大阪メトロ天神橋筋六丁目駅〜JR天満駅の間は、ラーメン激戦区といわれているそうです。新型コロナの影響からか、あいにく行きたかったお店は、営業されてなかったり、売り切れだったりで、訪問できず…でしたが、よさそうなお店はたくさんありました。さすが大阪です。茶碗蒸しラーメンワンコインのラーメンもあるようです!お得なセットメニューもありました。写真は撮りきれないほど
もう10数年も前になるだろうか、吾輩の江戸時代史散策、題して『江戸ある記』の荒川区編で、区立図書館を併設する【荒川区ふるさと文化館】で『小塚原刑場』の展示(不定期)があり見てきた。それが上の刑場で約220年間、20万人ほどの獄門首を見下ろしていた「首切地蔵」の古写真が載ったパンフレット😱おどろおどろ過ぎて...チビりそう😩そして現状の写真をネットの中から捜して来た。2011年の東日本大震災で、震災後にお伺いした時には、お地蔵さんの腕が落下し、他にもところどころ損傷していた。管理している延
今日はとても天気がよく気温も上がって暑くなりましたねまだクーラーは我慢でしょうか?コタツトストーブカタヅケレバ?暑い…白い灰になりそう…スカイツリーが大きく見えます昔この近くにあった小塚原刑場では獄門が行われ首が晒されましたヒドイ刑場に行くには橋を渡る必要があり罪人の身内の者にとっては今生の別れの場だったのでこの橋で涙を流した事から「泪橋」と名付けられたそうです…今は思川は暗渠となり橋もなくなりましたが泪橋と言えば~ちばてつや先生の「あし
外出自粛が続くGWもいよいよ最終日、今朝も昨日同様、仕事でも滅多に乗らない始発電車で日本橋へ。霧雨が降っていて肌寒いけど、勝手に【日光道中二十一次】、スタートします!ただし自粛期間中で越境は出来ないので、都内シバリ、、、と、言う事は、行っても『千住宿』までしか行けない。その次の宿は埼玉県『草加宿』、、、結局、普段の朝ウォークとあまり変わらない(笑)早朝5時40分、日本橋「日本国道路元標」を確認して東海道とは逆向きにスタート。日光道中(日光街道)は室町三丁目交差点で東
泪橋(台東区・荒川区)家からチャリンコで数分の所、その昔、新吉原と呼ばれた公娼街を抜けるとジョーが立っています。夜酔っ払って暗闇で出会うとギョッとしますけど(;^_^A原寸大?等身大?のジョーは小柄な好青年です(笑)。泪橋はあしたのジョーの舞台であり、名前の無い山谷と呼ばれる街の一角です(毎日新聞連載中)。橋が架かっていた思川は埋め立てられ、泪橋は交差点とバス停の地名だけ、山谷は山谷堀公園や店の名前だけに歴史を刻んでいます。写真の玉姫神社はジョーと力石が初めて出会った玉姫公園に隣接してい
教科書か何かの偉人伝に載っていたのか定かではないが、前野良沢(下の写真の上)と杉田玄白(下の写真の下)らがオランダの解剖学書『ターヘル・アナトミア』を良沢宅に集まって翻訳に取りかかったエピソードを、子供の頃に読んだことがあり、そのことをよく覚えている。杉田玄白が前野良沢に刑死人の腑分け見学を誘う苦心の末に出来上がったのが『解体新書』で、我が国最初の翻訳書である。これは有名な話だが、完成までは筆舌に尽くしがたいほどの難行であった。そもそも翻訳にとりかかろうというのに