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まだ読むものあったので、宮部みゆきさんの「平成お徒歩日記」読みました。小説ではなく、時代劇に出てくる場所を巡って記録してみるという企画の様です。其の壱「真夏の忠臣蔵」ご存知の通り「忠臣蔵」は冬の話ですが、たまたま宮部さんとそのスタッフさんは、真夏にそこを歩くことになったようです。吉良邸から、泉岳寺まで、ですね、私は泉岳寺はおりたことがありません。のりかえで、ホームに降りたことはあります。こんなの読むと一
素盞雄神社の天王宮創建の起源となった小塚の中の霊石「神影面瑞光荊石(しんえいめんずいこうけいせき)通称「瑞光石(ずいこうせき)」のお社文政12年(1829年)編纂の『江戸近郊道しるべ』には、千住大橋架橋の際、この瑞光石の根が大川(現:隅田川)まで延びていたために橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されています諸説ありますが・・・この瑞光石のある小高い塚から「小塚原」の旧地名が起こったとも浅間神社に好物の富士塚「瑞光石」のある小高い塚に元治元年(1864年)、
荒川区ふるさと文化館から鳥居をくぐり素盞雄神社素戔雄神社は、荒川区南千住にある神社この地に神石がに出現したことから素戔雄命(牛頭天王)、事代主命の2神を祀り延暦14年(795)創建したと伝えられています近郷(旧小塚原町、旧箕輪町、旧通新町、旧三河島村、旧町屋村等)の鎮守で周辺の旧地名小塚原も、素戔雄神社の小高い塚より起ったという話もありますご祀神は素戔雄命、事代主命末社に熊野神社、日枝神社、若宮八幡宮、浅間社、福徳稲荷神社、菅原神
町屋まで行く用事があったので、折角だからパワースポットが無いかと探したらありました。南千住の『素盞嗚神社』です。とても日差しの強い日で、今年初の日傘をさしました。この道で合ってるかな❓と不安になりかけ、ちょっと諦め気分だった時に道路の反対側に⛩を見つけました。「着いたでちよー」。「ワイルドな狛犬さんでちよ」。
商店街から日光街道に戻り円通寺へ円通寺の敷地内に立っている黒い門上野寛永寺にあった旧黒門だそうですこれは現在の上野公園にある黒門モニュメント彰義隊の戦い、上野戦争でついた銃弾跡黒門裏の木陰にあるのが・・・彰義隊士の墓だそうです円通寺の当時の住職・佛磨和尚と、寛永寺御用商人・三河屋幸三郎が上野戦争で野ざらしになっていた彰義隊士の遺体を供養新政府軍に逆らうことになるため決死の覚悟での供養だったそうですがこれをきっかけに、円通寺が幕府軍の供養をする官許を得
【花筏】「ニセ大関の提灯屋」とかけて「小塚原(鈴ヶ森)の処刑場」と解くその心は「毎日張り付け(磔)ばかりでしょう」三遊亭圓楽(五代目)-花筏★あらすじ【花筏】相撲部屋の親方が提灯屋にたっての頼みがあるという。水戸に興行に行く予定のところ、看板大関の花筏が重病になり、相撲はおろか移動もままならない。そこで外見のよく似た提灯屋に、花筏の代役になってほしいということだった。相撲をとることはないうえ、飲み食べ放題で祝儀まで出るというから提灯屋は快諾。連日もて...youtu.beこの噺は、
江戸の処刑場といえば小塚原と鈴ヶ森今回は、小塚原に行ってみた。3年前にさいたまの処刑場を書いたので、有名どころをちゃんと見てみようと江戸の講談などを聞いても、江戸の時代劇を見ていてもここで、有名な多くの罪人が処刑されている。ここで、首がさらされている絵も、写真も残っているが私がえぐい絵をのせても仕方ないので、興味がある人は探してください。南千住の駅の目の前。江戸の地図を見るとシヲキ場と書かれている。方向を合わせるとこんな感じ回向院が、処刑された人た
〝火事と喧嘩は江戸の華〟と言われますが、江戸時代には3回の大火が起きています。それは1657(明暦3)年に起きた〝振袖火事〟とも言われる『明暦の大火』、1806(文化3)年に起きた『文化の大火』、そして今から248年前の今日・1772(明和9)年2月29日に起きた明和の大火※振袖火事に関する過去記事は、こちら。(↓)この別名『目黒行人坂大火』とも言われる大規模火災の火元は、その名の通り目黒行人坂(現・目黒区下目黒)にある大圓寺。午後1時頃に出火すると、
山友会の広報活動を強力にバックアップしてくれている「広報支援チームやまとも」のボランティアメンバーの皆さん。ホームレス問題や山友会の活動地域である山谷地域に関連する情報を発信しよう!と始めている企画「やまともコンテンツ」。やまとものボランティアメンバーの皆さんが交代で更新します。今回は、山谷スタディツアーのガイドも務めてくれている、やまともボランティアメンバー服部さんによる「山谷の、ちなみに…」。服部さんの「ちなみに…」な豆知識をもっと知りたい方は、山谷スタディツアー
《曲亭馬琴=南総里見八犬伝》残念ながら田舎小僧の画も御座いませんので、曲亭馬琴の画になりましたm(._.)m【田舎小僧と稲葉小僧、語呂が似ており、名前はどちらも「新助」で、盗賊として活動していた時期が殆ど同じで、両者とも大名屋敷に盗みに入ったことなどから、2人の逸話を混同して書いた記録は多いのだそうです❗曲亭馬琴は、不忍池に飛び込んで逃れた新助を稲葉小僧と致しました!《甲子夜話》の松浦静山に依ると、天明5年に獄門になった新助が稲葉小僧だと、また杉田玄白は田舎小僧が稲葉小僧と聞き間違えら
今朝は7時半に起き、植物に水遣りした。ご飯が炊ける迄強力なチャーリー・パーカーの演奏をユーチューブで聴いた。山形庄内産つや姫でご飯炊き、くめ納豆、紀州産梅干で二膳の朝食。デザートは栃木産とちおとめ。熊谷泰昌君と川村竜のCD「OL'SCHOOLJAZZ」を聴いた。筋トレ一時間し汗ばんだんで、牛乳飲んだ。風呂に小一時間浸り、いかがわしいカッコ戦略特区ちゅう焼き直し喧伝しとる輩の狙いを考えとったんやけど、我が国民は政府に甘いわな。歴史が教えるように、権力はしっかり見張らんと横暴になるもんや