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2月12日の朝青龍院(しょうれんいん)門跡を見学‥ここの庭園を歩くのを楽しみにしていました昔‥天然痘の治療が行われた場所かも⁉️とちょっと調べてみると‥「京都療養院」という日本初の公立病院がつくられた跡地でした日本の近代医学が産声をあげたような場所でドイツ人医師を招いて医学教育も行われたとか寺院周辺には静かで広大な土地があったから幕末から明治にかけて感染症の隔離と療養が行われたこともあったようです古くから皇室ゆかりの寺院だったことがうかがわれます‥上皇と上皇后が青龍院の庭
大僧正天海(192)「大僧正はまた洛陽近き處において、東照大権現を勧請し、増益する所あらしめんと希望し居たりしが、今次上洛を機として、比叡山東坂本なる滋賀院法勝寺の後丘、真葛ケ原山の井の邊の、山を壊し地を夷げて、茲に社殿を造営することを得たり。」(「大僧正天海」須藤光暉)家光と別行動であった天海が、いつ上洛を果たしたかは、明らかではない。ただ、一連の上洛の儀式を済ますと、天海は近江国東坂本に赴いた。この地は、慶長12年(1607年)に「延暦寺探題」になった際
大僧正天海(190)【家光上洛③】「大津へいらせ給ふとき、加賀中納言利常卿拝し奉る。まかでて後太田備中守資宗を御使として慰労せらる。」(「大猷院殿御實紀」)家光が大津へ入ると、加賀中納言・前田利常が拝謁にやって来た。利常が御前を退くと、家光は太田資宗を派遣し、利常をねぎらったのである。日岡まで来ると、今度は勅使(天皇からの使い)、院使(上皇からの使い)、そして公卿や殿上人たちが家光をお迎えしようと参上していた。また、摂関家(五摂家)の人々は使い
大僧正天海(189)6日、萩原を抜け、墨俣で大久保忠職の饗応を受け、大垣城に宿を取った。ここは松平定綱の所領である。定綱は行光の太刀と綿を献じ、家光から左文字の脇差と銀500枚を下されている。この墨俣は昨年水害があり、大きな被害が出ていた。そこで復興代として金5千両の恩賜を受けている。7日、家光一行はついに彦根に入った。彦根城は井伊直孝、直滋親子が饗応の膳を奉ったのである。この日は七夕だったので、納涼を兼ねて「星夕の宴」が開催された。直孝は、家光の元
大僧正天海(188)さて、小堀遠州(政一)は、二条城の茶室を改築するため、既に上洛している。また、家光と行動を共にしていた井伊直孝も、将軍をお迎えする準備のため一足先に彦根城に戻っていった。「七月朔日浜松城にやどらせ給ふ。城主高力摂津守忠房饗し奉る。この城は、神祖久しくすませ給ひ、台徳院殿もここにて御誕生ありし所なれば、こと更感情尤浅からず。」(「大猷院殿御實紀」)7月1日、家光が浜松城に到着すると、浜松城主・高力忠房は、盛大にもてなした。「ここは、神祖
1月30日(金)、三井記念美術館で開催していた『熊野御幸記と藤原定家の書』展に行きました。2月1日(日)までの開催で、すでに終了しています。展示室1茶人好みの定家様展示室2小倉色紙展示室3茶道具取り合わせ小堀遠州の、色紙やら、茶杓、花入。松平不昧の、書状やら、香合。などなど。ここまでは、撮影禁止でした。展示室4藤原定家と国宝熊野御幸記4-1が、伝藤原信実の『藤原定家画像』(17世紀)4-2が、照高院宮道晃法親王の『藤原定家画像』(17世紀)4-3が、土佐光芳の『藤
小堀遠州流は徳川将軍家の茶道指南役で、加賀藩の三代前田利常公、四代光高公の茶道や作庭に大きな影響を及ぼした大茶人です。お菓子の説明がなかったので名はわかりません(残念😢)一緒に行った友人は、正客のお茶碗次客だった、私はピカソのお茶碗でした🙌実は熱伝導が良すぎて、熱かった😅お花は水仙このシンプルさが美しい❤️ポチっとクリックしてねオンラインショップOpenしました❣️金沢町屋空間凛凛poweredbyBASE金沢町屋空間凛凛のオンラインショップオリジナルの半幅帯
この書状は、利休が非常に大切にしていた密庵咸傑(みったんかんけつ)の墨蹟の表具(額装や掛け軸への仕立て)が完成したことを伝える、茶の湯の歴史において極めて重要1.翻刻(捻封端裏上書)「宗易」「〆瓢庵参人々御中」(本文)密庵墨蹟表具出来条持進候、明日面上に可申候、今日雨中袖付候て、能有間敷候へ共、御意の間参候、又ゆかみかみ候者、御なをしまいいらせ候、かしく。2.読み下し密庵(みったん)墨蹟(ぼくせき)、表具(ひょうぐ)出来(
日吉大社参拝の後は、その境外末社でもある近くの“日吉東照宮(ひよしとうしょうぐう)”(滋賀県大津市)を訪ねました。東照宮は江戸幕府の初代将軍徳川家康を“東照大権現(とうしょうだいごんげん)”として祀る神社で、江戸時代には御三家をはじめ諸大名が競って東照宮を勧請したことから全国各地に500社を超える東照宮が建てられますが、明治新政府による神仏分離令および廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)にともなって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは全国で約130社といわれています。中でも“日光東照宮”(
三越前の三井美術館に行ってきました。今回の展示は「熊野御幸記と藤原定家の書」という展示。これでもか!!というくらい書に興味のない私ですので、歴史上の人物としては藤原定家を知りつつも、書の流派「定家流」の源流であり、百人一首の選者である藤原定家の書を実際に見たことがありません。これも良い機会だと行ってきました。さて、その定家の書、何となく想像していたものより美しくない・・・(苦笑)その後調べてみれば、別に藤原定家の書が上手く美しいとは言われて
茶人・作庭家として名高い小堀遠州ゆかりの寺院。庭園は、遠州が愛した近江八景をモチーフに構成され、県名勝に指定された池泉庭園と枯山水の複合庭園が広がる。静寂の中に凛とした美があり、春夏秋冬、それぞれ異なる表情を見せてくれるまさに「眺める時間そのものが贅沢」な場所。
…古田織部に茶を学び、作事奉行として「忘筌席(ボウセンセキ)」に代表される茶室や庭園の指図にあたった。遠州の茶ノ湯観である「綺麗さび」とは、華やかな中にもさび(古びて味わいのある事)のある風情。王朝期の幽玄と中世のわびを合わせた茶ノ湯観を表わしている。南禅寺の塔頭【86】金地院(コンチイン)にあるのが、「八窓(ハッソウ)席」(重文)で、その庭は「鶴亀の庭」として殊に有名である。
七条の豊国神社から北上し、四条の八坂神社手前辺りまでくると高台寺があります。ここは豊臣秀吉の正室北政所(ねね)が晩年を過ごした場所として有名ですが、管理人は高台寺よりも圓徳院の方がよく訪れます。北政所に関わる場所で、秀吉が好んだ手水鉢をはじめとする貴重な物も見学できます。特に一番奥に広がる北庭は、秀吉没後に北政所が伏見城で気に入っていた小堀遠州作庭の庭園をそのまま移させた物で、多くの石を使った見応えある場所です。ここに座ってお庭を眺めるだけでも来る価値があります。また、秀吉が持っていた
メリークリスマス!白黒茶々です。早いもので、今年はあと4日となってしまったのですけど、皆さまは年越しの準備は進んでいるでしょうか?😅私は物理的なものより、心の準備ができていません。💦それはさておき、波狛日記の今年のコマの数も、今回を含めて残り2回となりました。実は波と狛を伴った歴史旅などのネタを抱えているのですけど、話せば長くなるので、年が改まって落ち着いた頃にじっくりと語らせていただきます。🙇♂️そうしたら、今回はスッキリと1話で収まるようなネタにしなければ❗️………ということで
12月25日昨日のクリスマスイブは寒暖差僅か4℃(3.9℃→7.9℃)氷雨そぼ降る光傳寺紅葉もすっかり落ちて門松が飾られていました【昼呑み】寒さしのぎは富乃宝山のお湯割り都合三杯ツマミもおでんでほっこりもつ焼き屋なのでもつ味噌炒め冷奴にはニラ皿を合わせますとりあえず温まって満足🤗今日は予報よりも晴れ間が出て12℃を超えた日が暮れて雨が降り出し冷えてきたわが家は今夜がクリスマスパーティ予約投稿なのでこの記事がアップされる頃は後片付けでキッチンに立ってる予定😁
東京の日本橋室町にある三井記念美術館は旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された、公益財団法人三井文庫が運営する私立美術館ですパノラマです私立美術館といっても財閥三井家です国宝6点、重要文化財75点、重要美術品4点を所蔵しており、中でも茶道具の名品が多いことで知られています以前記事にしましたが円山応挙の「国宝紙本淡彩雪松図」も三井記念美術館に所蔵されています『三井記念美術館に「円山応挙〜革新者から巨匠へ」を見に行きました』今年も行きたい展覧会が目白押しで
『孤篷のひと』を読み終えました。大徳寺・孤篷庵。小堀遠州が眠る庵です。武と政の時代を生きながら、美のかたちを問い続けた人。沢庵和尚や光悦の世界と、遠州の静かな美意識が、この一冊の中で響き合っていました。沢庵が最期に遺した一字は「夢」。それは願いではなく、生き方そのものだったのだと感じます。昨年、石州忌で頂いた色紙の一字も「夢」。いまは、夢の続きを生きる、という言葉になりました。•孤篷のひと葉室麟🌿お読みくださり、ありがとうございました。コメントは承認後の公
こんばんは♪金地院にも行ってみたかったです。国家安康君臣豊楽大坂夏の陣の引き金となった方広寺には去年行ったから、そのつながりで、そのちっちゃなとこみつけていいがかりをつけて豊臣から徳川に変えちゃった以心崇伝が再建したお寺へ。どうする家康で登場時間短かったけど存在感あったんです。なんか悪い人な感じにびびった記憶が😅小堀遠州の鶴亀のお庭も見たかった。静かな時間。なぜかここの写真は1枚も…。記憶にはしっかりと♡長谷川等伯。恥ずかしながら、はじめまして。メモメモ。
一年でいちばん夜が深まるこの頃、『孤篷のひと』を手に取っています。利休、織部を経て、小堀遠州へ。時代の大きなうねりの中で、美を壊すのではなく、整え、つなごうとした人の姿が、今の季節と重なります。冬至は、陰きわまりて、陽うまれ来たる日。ここから、わずかずつではあっても、光は確かに増していく。古来、日本人はこの日を、とても大切に迎えてきたそうです。今年も、柚子湯を楽しみに。からだを温め、心をほどき、新しい巡りを静かに受け取る準備をしたいと思います。年の境に向かう静かな時間へ。
先日参加いたしました小堀遠州流のお茶会についてのブログをホームページにアップいたしました下のリンクからご覧いただけると嬉しいです↓裏千家茶道教室soshublack572136.studio.site
修学院は35年前に修学院離宮と赤山禅院の中間辺りに住んでいたが、当時は田んぼも多く、片田舎の住宅街と言う風情だった。現在はその田んぼもなくなり、新興住宅街に様変わりし、私の住んでいた地区の古びた住宅は取り壊され、今風の立派な建売住宅として売りに出されていた。その当時は全く存在を知らなかった、修学院離宮の南西に位置する禅華院(ぜんげいん)。年代不詳、かつて天台宗であり、比叡山三千坊の一つだったと云う。この地一帯は比叡山の西側にあたり、大津市の坂本に対して西坂本と云われ、延
おはようございます、海人三面相です。先日の新聞記事を読んでいて、滋賀県に「教林坊」という紅葉の名所であり見事な庭園があるというので、庭園愛好家の私は行く機会をうかがい、この週末に出かけてきました。この「教林坊」、江戸時代の名造園家であり茶人でもある「小堀遠州」によるものと伝えられています。今までも小堀遠州の作庭した庭はいくつか観てきましたが、どれもが見事な庭です。階段を上がっていくと門が見え、すでに紅葉したモミジが迎えてくれます。山の高低差を利用した見事な作庭です。
今日は、休日に何もしないというある意味贅沢な選択をしているのですが、そんな空いた時間にゆっくりブログでも書いてみるか・・・とは、なかなかならないものです。結局、いつもと同じ真夜中の投稿になってしまいましたが、ギリギリまで頑張らないというのは、性分というものなのでしょう。さてさて、以前、鬼ごのみを求めていた記事を書きました(三諸杉しぼりたて無濾過生原酒鬼ごのみ(今西酒造/2025年)2025/11/28投稿記事)が、お酒を求めて奈良を訪れたわけではなく、目的の一つが以下の特別拝
堺市にある大仙公園の日本庭園は、元大阪芸大学長で、作庭家の中根金作が1989年に大仙公園の西端に作庭した築山林泉廻遊式庭園です。中根金作は昭和の小堀遠州と称えられ、大仙公園・日本庭園の他に、城南宮楽水苑、妙心寺退蔵院余香苑、足立美術館庭園、ボストン美術館天心園など日本国内外で300近い美しい庭園を作庭しています。最初の写真は日本庭園の総檜作りの表門です。次は堺の豪商たちによって組織された納屋衆の集会所をイメージした休憩舎です。その後ろ
本日は、坂本比叡山口駅から日吉大社に向かう道中にある、滋賀院門跡と慈眼堂、そして、ゆか紅葉の旧竹林院に行くべく歩きます。まず駅をでたら山の方に向かって坂道を登っていきます。左折して少し歩くと、右手に看板が出ています。中から見える琵琶湖が清々しい庭は、小堀遠州作境域は1万坪。外観は穴生衆積みの堂々たる石垣の上に土塀が張り巡らされています。どの部屋にも菊の生花があちこちにいけてあり、襖絵は、狩野派、渡辺了慶、円山応挙など、どれをとっても素晴らしく、曼荼羅図や天台座主の位牌が祀られてい
二荒や紅葉が中の朱の橋🍁と与謝蕪村も詠んだ日光毎年美しい風景と共に「いろは坂」の渋滞が報道されますね私は日光は何度か行ったことがあるのですが滝が好きなので、日光に行くと「華厳の滝」や「竜頭の滝」を中心に見学して東照宮はサッと見る程度でしたなので今回は「東照宮を中心に神社仏閣をじっくり見よう!」というテーマで日帰り旅行に行ってきました日光日光は栃木県の北西部に位置する市です江戸時代以前から山岳信仰の聖地でしたが徳川家康が覇権を握ると家康に仕えその深い
黒鉄板で北側が防御された天守閣防衛力を高めるために、日本で唯一天守閣の北側の壁一面に黒鉄板が貼られている。福山城久松城、葦陽城(イヨウ)とも呼ばれる。広島県福山市丸之内1丁目JR福山駅北口(福山城口)から徒歩:約5分新幹線福山駅降りて直ぐ楽しめる築城主;水野勝成築城;1622年、西国鎮衛の拠点として築城主な改修者;阿部氏主な城主;水野氏、松平氏、阿部氏五重天守・本丸・二之丸には数多くの櫓や城門を配する。第二次世界大戦で焼失し、復興された天守の中で最も不正確な
太上天皇・法皇など主に退位(譲位)した天皇の御所です江戸時代の始め皇位を退かれた後水尾上皇の御所として建てられました1854年(嘉永7年)の大火で建造物の多くは消失しましたが広大な庭園と茶室が残っています京都大宮御所御車寄大宮御所の玄関であり現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下が入洛された際に使用されています京都大宮御所御常御殿と南庭大正年間に周りにガラス戸を使用など内部を洋風に改め庭には松竹林
石川県小松市にある粟津温泉創業1300年の法師館内を散策してみました裏側の方は少し洋な感じの所もありました主の遊び心ですかね懐かし~庭園は国の登録記念物に指定されておりました小堀遠州も滞在されていたとかこちら宿の中庭ですよこちらは貴賓室の延命閣登録有形文化財です皇族方お手植えの植栽があちこちにありました廊下の景色でさえこの素敵さまるで足立美術館みたい夕食のお供はこれで決まりです
前回のつづきチョイ巡り長浜partⅡ近江孤篷庵無断転用禁止近江孤篷庵(おうみこほうあん)は茶道や庭園設計で有名な小堀遠州を祖とする小堀家の菩提寺。ここに遠州流を彷彿される庭園があると聞いたのじゃよ。一度は見てみたいと思いながら、琵琶湖の撮影ばかりに忙殺されてなかなかチャンスがなかったのじゃが、せっかく近くまで来ているのじゃから今日こそはと思い立ったのじゃ。駐車場に立つ案内板。しばらく歩いて行くと、手入れの行き