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名称:曲水の庭別称:轉合(てんごう)の庭所在地:川越市小仙波町1-20-1指定文化財:市指定史跡
喜多院紅葉山庭園(春季)
名称:紅葉山庭園所在地:川越市小仙波町1-20-1指定文化財:市指定史跡
2022年11月29日のリベンジとして三渓園へ行きました合掌造りの旧矢箆原家で(((uдu*)ゥンゥン筑をたくさん聞きすぎて(言い過ぎて)滞在時間の大半を使い果たしてしまったのでした中華料理店にはギリギリ間に合った模様…トホホまず一番高いところへ上ってみました昔50年前に連れて行ってもらったときは石油プラントも高速もありませんでした赤白の煙突の右が富士山?昨日の大雨のあとだったので靄がかかっているかもしれません「松風閣」明治20年初代の原善三郎が別荘として建てた楕円の窓
諸大名ばかりでなく。皇女和宮様がお輿入れの際、お泊まりになったというびっくり仰天の間。お庭は桃山時代に「小堀遠州」が作庭したもの。現在は宿泊者専用のラウンジになっております。(小学生以下のお子様は利用できません)湯上がりにここで飲むコーヒーの美味しいことよ。今回予約したお部屋は新館になるので。廊下をぐるっと回ってまいります。途中にお食事会場泊まったのは新館の2階だったので1フロア4室かな。すっごい
今日は桃山時代〜江戸時代初期に活躍した大名茶人小堀遠州が手掛けたお庭を観るために龍潭寺へ門に向かう階段で可愛らしいお花を発見♡スミレかな??門を入りますわあ素敵!でもこちらは小堀遠州のお庭ではないのです小堀遠州のお庭はこちら江戸時代初期に作られたお庭で中央に守護石左右に仁王石が配され亀や鶴などが石と築山で表されています池の形は上からみると心になっていますこちらのお寺は733年行基により開山され室町時代に井伊直平が帰依して禅宗となりました✨井伊家の
2月24日(火)、三井記念美術館で開催されている『在原業平と伊勢物語』展に行きました。展示室1「ダイジェスト伊勢物語」No.1-1-1は、『三十六歌仙図額在原業平像』。岩佐又兵衛の作。寛永17(1640)年。重要文化財。No.1-2が、『伊勢物語』の、1段・3段『初冠・春日の里』。4段『西の対』。それが、No.1-11の第106段『龍田川』まで。展示室2『伊賀耳付花入銘業平』これが、なかなか素敵な花入で、もらって帰ろうか、と。チラシから。展示室3如庵ケー
2月12日の朝青龍院(しょうれんいん)門跡を見学‥ここの庭園を歩くのを楽しみにしていました昔‥天然痘の治療が行われた場所かも⁉️とちょっと調べてみると‥「京都療養院」という日本初の公立病院がつくられた跡地でした日本の近代医学が産声をあげたような場所でドイツ人医師を招いて医学教育も行われたとか寺院周辺には静かで広大な土地があったから幕末から明治にかけて感染症の隔離と療養が行われたこともあったようです古くから皇室ゆかりの寺院だったことがうかがわれます‥上皇と上皇后が青龍院の庭
大僧正天海(192)「大僧正はまた洛陽近き處において、東照大権現を勧請し、増益する所あらしめんと希望し居たりしが、今次上洛を機として、比叡山東坂本なる滋賀院法勝寺の後丘、真葛ケ原山の井の邊の、山を壊し地を夷げて、茲に社殿を造営することを得たり。」(「大僧正天海」須藤光暉)家光と別行動であった天海が、いつ上洛を果たしたかは、明らかではない。ただ、一連の上洛の儀式を済ますと、天海は近江国東坂本に赴いた。この地は、慶長12年(1607年)に「延暦寺探題」になった際
大僧正天海(190)【家光上洛③】「大津へいらせ給ふとき、加賀中納言利常卿拝し奉る。まかでて後太田備中守資宗を御使として慰労せらる。」(「大猷院殿御實紀」)家光が大津へ入ると、加賀中納言・前田利常が拝謁にやって来た。利常が御前を退くと、家光は太田資宗を派遣し、利常をねぎらったのである。日岡まで来ると、今度は勅使(天皇からの使い)、院使(上皇からの使い)、そして公卿や殿上人たちが家光をお迎えしようと参上していた。また、摂関家(五摂家)の人々は使い
大僧正天海(189)6日、萩原を抜け、墨俣で大久保忠職の饗応を受け、大垣城に宿を取った。ここは松平定綱の所領である。定綱は行光の太刀と綿を献じ、家光から左文字の脇差と銀500枚を下されている。この墨俣は昨年水害があり、大きな被害が出ていた。そこで復興代として金5千両の恩賜を受けている。7日、家光一行はついに彦根に入った。彦根城は井伊直孝、直滋親子が饗応の膳を奉ったのである。この日は七夕だったので、納涼を兼ねて「星夕の宴」が開催された。直孝は、家光の元
大僧正天海(188)さて、小堀遠州(政一)は、二条城の茶室を改築するため、既に上洛している。また、家光と行動を共にしていた井伊直孝も、将軍をお迎えする準備のため一足先に彦根城に戻っていった。「七月朔日浜松城にやどらせ給ふ。城主高力摂津守忠房饗し奉る。この城は、神祖久しくすませ給ひ、台徳院殿もここにて御誕生ありし所なれば、こと更感情尤浅からず。」(「大猷院殿御實紀」)7月1日、家光が浜松城に到着すると、浜松城主・高力忠房は、盛大にもてなした。「ここは、神祖
1月30日(金)、三井記念美術館で開催していた『熊野御幸記と藤原定家の書』展に行きました。2月1日(日)までの開催で、すでに終了しています。展示室1茶人好みの定家様展示室2小倉色紙展示室3茶道具取り合わせ小堀遠州の、色紙やら、茶杓、花入。松平不昧の、書状やら、香合。などなど。ここまでは、撮影禁止でした。展示室4藤原定家と国宝熊野御幸記4-1が、伝藤原信実の『藤原定家画像』(17世紀)4-2が、照高院宮道晃法親王の『藤原定家画像』(17世紀)4-3が、土佐光芳の『藤
小堀遠州流は徳川将軍家の茶道指南役で、加賀藩の三代前田利常公、四代光高公の茶道や作庭に大きな影響を及ぼした大茶人です。お菓子の説明がなかったので名はわかりません(残念😢)一緒に行った友人は、正客のお茶碗次客だった、私はピカソのお茶碗でした🙌実は熱伝導が良すぎて、熱かった😅お花は水仙このシンプルさが美しい❤️ポチっとクリックしてねオンラインショップOpenしました❣️金沢町屋空間凛凛poweredbyBASE金沢町屋空間凛凛のオンラインショップオリジナルの半幅帯
この書状は、利休が非常に大切にしていた密庵咸傑(みったんかんけつ)の墨蹟の表具(額装や掛け軸への仕立て)が完成したことを伝える、茶の湯の歴史において極めて重要1.翻刻(捻封端裏上書)「宗易」「〆瓢庵参人々御中」(本文)密庵墨蹟表具出来条持進候、明日面上に可申候、今日雨中袖付候て、能有間敷候へ共、御意の間参候、又ゆかみかみ候者、御なをしまいいらせ候、かしく。2.読み下し密庵(みったん)墨蹟(ぼくせき)、表具(ひょうぐ)出来(
日吉大社参拝の後は、その境外末社でもある近くの“日吉東照宮(ひよしとうしょうぐう)”(滋賀県大津市)を訪ねました。東照宮は江戸幕府の初代将軍徳川家康を“東照大権現(とうしょうだいごんげん)”として祀る神社で、江戸時代には御三家をはじめ諸大名が競って東照宮を勧請したことから全国各地に500社を超える東照宮が建てられますが、明治新政府による神仏分離令および廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)にともなって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは全国で約130社といわれています。中でも“日光東照宮”(
三越前の三井美術館に行ってきました。今回の展示は「熊野御幸記と藤原定家の書」という展示。これでもか!!というくらい書に興味のない私ですので、歴史上の人物としては藤原定家を知りつつも、書の流派「定家流」の源流であり、百人一首の選者である藤原定家の書を実際に見たことがありません。これも良い機会だと行ってきました。さて、その定家の書、何となく想像していたものより美しくない・・・(苦笑)その後調べてみれば、別に藤原定家の書が上手く美しいとは言われて
茶人・作庭家として名高い小堀遠州ゆかりの寺院。庭園は、遠州が愛した近江八景をモチーフに構成され、県名勝に指定された池泉庭園と枯山水の複合庭園が広がる。静寂の中に凛とした美があり、春夏秋冬、それぞれ異なる表情を見せてくれるまさに「眺める時間そのものが贅沢」な場所。
…古田織部に茶を学び、作事奉行として「忘筌席(ボウセンセキ)」に代表される茶室や庭園の指図にあたった。遠州の茶ノ湯観である「綺麗さび」とは、華やかな中にもさび(古びて味わいのある事)のある風情。王朝期の幽玄と中世のわびを合わせた茶ノ湯観を表わしている。南禅寺の塔頭【86】金地院(コンチイン)にあるのが、「八窓(ハッソウ)席」(重文)で、その庭は「鶴亀の庭」として殊に有名である。
七条の豊国神社から北上し、四条の八坂神社手前辺りまでくると高台寺があります。ここは豊臣秀吉の正室北政所(ねね)が晩年を過ごした場所として有名ですが、管理人は高台寺よりも圓徳院の方がよく訪れます。北政所に関わる場所で、秀吉が好んだ手水鉢をはじめとする貴重な物も見学できます。特に一番奥に広がる北庭は、秀吉没後に北政所が伏見城で気に入っていた小堀遠州作庭の庭園をそのまま移させた物で、多くの石を使った見応えある場所です。ここに座ってお庭を眺めるだけでも来る価値があります。また、秀吉が持っていた
メリークリスマス!白黒茶々です。早いもので、今年はあと4日となってしまったのですけど、皆さまは年越しの準備は進んでいるでしょうか?😅私は物理的なものより、心の準備ができていません。💦それはさておき、波狛日記の今年のコマの数も、今回を含めて残り2回となりました。実は波と狛を伴った歴史旅などのネタを抱えているのですけど、話せば長くなるので、年が改まって落ち着いた頃にじっくりと語らせていただきます。🙇♂️そうしたら、今回はスッキリと1話で収まるようなネタにしなければ❗️………ということで
12月25日昨日のクリスマスイブは寒暖差僅か4℃(3.9℃→7.9℃)氷雨そぼ降る光傳寺紅葉もすっかり落ちて門松が飾られていました【昼呑み】寒さしのぎは富乃宝山のお湯割り都合三杯ツマミもおでんでほっこりもつ焼き屋なのでもつ味噌炒め冷奴にはニラ皿を合わせますとりあえず温まって満足🤗今日は予報よりも晴れ間が出て12℃を超えた日が暮れて雨が降り出し冷えてきたわが家は今夜がクリスマスパーティ予約投稿なのでこの記事がアップされる頃は後片付けでキッチンに立ってる予定😁
東京の日本橋室町にある三井記念美術館は旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された、公益財団法人三井文庫が運営する私立美術館ですパノラマです私立美術館といっても財閥三井家です国宝6点、重要文化財75点、重要美術品4点を所蔵しており、中でも茶道具の名品が多いことで知られています以前記事にしましたが円山応挙の「国宝紙本淡彩雪松図」も三井記念美術館に所蔵されています『三井記念美術館に「円山応挙〜革新者から巨匠へ」を見に行きました』今年も行きたい展覧会が目白押しで
『孤篷のひと』を読み終えました。大徳寺・孤篷庵。小堀遠州が眠る庵です。武と政の時代を生きながら、美のかたちを問い続けた人。沢庵和尚や光悦の世界と、遠州の静かな美意識が、この一冊の中で響き合っていました。沢庵が最期に遺した一字は「夢」。それは願いではなく、生き方そのものだったのだと感じます。昨年、石州忌で頂いた色紙の一字も「夢」。いまは、夢の続きを生きる、という言葉になりました。•孤篷のひと葉室麟🌿お読みくださり、ありがとうございました。コメントは承認後の公
こんばんは♪金地院にも行ってみたかったです。国家安康君臣豊楽大坂夏の陣の引き金となった方広寺には去年行ったから、そのつながりで、そのちっちゃなとこみつけていいがかりをつけて豊臣から徳川に変えちゃった以心崇伝が再建したお寺へ。どうする家康で登場時間短かったけど存在感あったんです。なんか悪い人な感じにびびった記憶が😅小堀遠州の鶴亀のお庭も見たかった。静かな時間。なぜかここの写真は1枚も…。記憶にはしっかりと♡長谷川等伯。恥ずかしながら、はじめまして。メモメモ。
一年でいちばん夜が深まるこの頃、『孤篷のひと』を手に取っています。利休、織部を経て、小堀遠州へ。時代の大きなうねりの中で、美を壊すのではなく、整え、つなごうとした人の姿が、今の季節と重なります。冬至は、陰きわまりて、陽うまれ来たる日。ここから、わずかずつではあっても、光は確かに増していく。古来、日本人はこの日を、とても大切に迎えてきたそうです。今年も、柚子湯を楽しみに。からだを温め、心をほどき、新しい巡りを静かに受け取る準備をしたいと思います。年の境に向かう静かな時間へ。
先日参加いたしました小堀遠州流のお茶会についてのブログをホームページにアップいたしました下のリンクからご覧いただけると嬉しいです↓裏千家茶道教室soshublack572136.studio.site
修学院は35年前に修学院離宮と赤山禅院の中間辺りに住んでいたが、当時は田んぼも多く、片田舎の住宅街と言う風情だった。現在はその田んぼもなくなり、新興住宅街に様変わりし、私の住んでいた地区の古びた住宅は取り壊され、今風の立派な建売住宅として売りに出されていた。その当時は全く存在を知らなかった、修学院離宮の南西に位置する禅華院(ぜんげいん)。年代不詳、かつて天台宗であり、比叡山三千坊の一つだったと云う。この地一帯は比叡山の西側にあたり、大津市の坂本に対して西坂本と云われ、延
おはようございます、海人三面相です。先日の新聞記事を読んでいて、滋賀県に「教林坊」という紅葉の名所であり見事な庭園があるというので、庭園愛好家の私は行く機会をうかがい、この週末に出かけてきました。この「教林坊」、江戸時代の名造園家であり茶人でもある「小堀遠州」によるものと伝えられています。今までも小堀遠州の作庭した庭はいくつか観てきましたが、どれもが見事な庭です。階段を上がっていくと門が見え、すでに紅葉したモミジが迎えてくれます。山の高低差を利用した見事な作庭です。
今日は、休日に何もしないというある意味贅沢な選択をしているのですが、そんな空いた時間にゆっくりブログでも書いてみるか・・・とは、なかなかならないものです。結局、いつもと同じ真夜中の投稿になってしまいましたが、ギリギリまで頑張らないというのは、性分というものなのでしょう。さてさて、以前、鬼ごのみを求めていた記事を書きました(三諸杉しぼりたて無濾過生原酒鬼ごのみ(今西酒造/2025年)2025/11/28投稿記事)が、お酒を求めて奈良を訪れたわけではなく、目的の一つが以下の特別拝