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悠仁さまの進学先に急浮上した「意外な大学」の実名…そのウラにある紀子さまの「お考え」4/13(土)7:33週刊現代配信より悠仁さまの進学先に急浮上した「意外な大学」の実名…そのウラにある紀子さまの「お考え」(現代ビジネス)-Yahoo!ニュース配信より不可解なタイミングでの発表写真:時事自然誌を学べる大学を目指す――3月29日、秋篠宮家の側近のトップ・吉田尚正皇嗣職大夫は定例会見で、「悠仁親王殿下の成年式の時期について」というペーパーを読み上げ、こう述べた。
にほんブログ村あなたの好きな言葉はなんですか。こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。言葉は生きています。だから言葉は私たちに勇気を与えてくれます。言葉は正直です。私たちの気持ちに気づきます。私たちの気持ちに寄り添ってくれるのです。私の最も好きな言葉にビジョン(幻)という言葉と、ドリーム(夢)という言葉がある。玉川学園創立者・小原國芳(おばらくによし)の言葉小原國芳-Wi
人生の最も苦しい、いやな、辛い損な場面を真っ先きに微笑を以って担当せよ小原國芳(玉川学園創立者)
母校、玉川学園のイベントに出かけました!この日は、礼拝堂の壁塗りのお手伝い!ひえー!本格的な感じですけどー😅足場も組んでいて、ヘルメットも装着!こりゃ大変だぞー、と思っていたら手の届く範囲の塗り替え。安全確認をして、ブラシやローラーで塗ります。お水も、配られて、いざ!同級生のMちゃんや、Oくんと、裏手の壁を担当!こういう作業は、特別な事ではなくて在学中、私たちの世代では、校内の清掃は勿論、補修はほぼ学生がやってたのです。卒業してから、業者さんが校内で落ち葉を拾う様子を見た
一昨日、玉川大学・教育博物館に行きました。慶応義塾や攻玉社など明治時代の学校教育について調べているうちに、玉川大学の創立者・小原國芳の功績を知り、この博物館を初めて訪問しました。玉川大学のキャンパス内にあり、見学無料(予約は必要)。江戸時代の藩校や寺小屋での教育が明治以降の学校教育や日本の発展にどうつながったのかを分かりやすく展示していました。あと、不勉強ながら小原國芳については名前くらいしか知らなかったので、小原國芳のコーナーも勉強になりました。ところで、玉川大学は、落ち着いた建
学校の教育方針や、個々の教科の授業ぶりや教授細目が、今のべた機関雑誌に発表されるので、全国の若い血の気の多い、従来の教育にあきたりぬ人達の注目する所となって、泊りがけで見学に来る先生たちが多くありました。そんな時、僕は教員室に呼ばれ、お土産がはりに、即興曲を作り、歌詞もそへて、渡したものでした。これだけでも、当時の小学校の先生方は大がい驚嘆してた様でした。眞篠先生は後に伯林(ベルリン)へ留学され、帰国したら、正式に音楽を教えていただく筈のところ、僕は転校して駄目になりました。真篠俊雄
小原國芳は「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」とした。知恵を何に使うか、それを「方向性」とする。すなわち、何を最終目標に定めて生きるか、何を満足とするか、決めるのは「方向性」である。方向性を決めるのは、各人の価値観。各人が「愛」を求めるならば、おのずと、生き方はそうなる。そうすると、愛を求めない知恵は、その人を愛に行きつかせないわけである。それで大丈夫なのか。声を大にして言う。知恵を発揮するならば、愛なくば立たず。しかし知恵なき愛は盲信。四方八方のこの
我が国でのコロナ禍が始まってほぼ1年。残念ながらこの1年、ほとんどの時間を家で過ごす生活、車を使って動いても半径5、6キロ圏内での生活がすっかり定着してしまった。昨年、コロナの第3波が始まった頃までは、地上波テレビのワイドショー等で流れるコロナ関連情報をよく見ていたが、いつの間にか見なくなった。新型コロナウイルスの実状が、かなり正確に把握されてきたこともある。また半年以上、自分なりの感染予防策を取り、それに沿った生活してきたことで、ここをしっかり対処すれば大丈夫かな・
私は幼稚部から大学までの18年間を玉川の丘で過ごした卒業生です。海外に在住して32年の歳月が経ちましたが、玉川の丘で学んだことは今も私の人生の糧となっています。偶然、佐藤馨一先生に関するブログを拝読して、余りにも痛ましい事件に心痛む思いです。心無い玉川学園の対応には私も心底、驚きました。私の知っている学園ではあり得ない対応です。ご遺族の気持ちに寄り添うこともせず、原因究明のアクションも取らないとは、、、。組織として動いている、と
最近ある本で読んだ二宮尊徳の詩をネットで検索したら、それを刻んだ石碑が玉川学園内にあることが判明↓この秋は雨か風かは知らねども今日のつとめに田草とるなり玉川学園創立者の小原國芳氏の書を刻んだものと思われる。新型コロナウイルスに翻弄されたシーズンが終わり冬季練習がスタートしたものの、感染は拡大する一方で来シーズンの日程も視界不良だ。しかし、自分たちがコントロールできないことを心配したり、それに疲れてモチベーションを落としたりせずに、今すべきことやできることに力を尽くすのが肝
玉川学園創立者、小原國芳先生の言葉より『術では負けるだろう、技巧では選には入らぬだろう。また、勝負でない。入選でない。諸君の出演する勇気と、練習した努力と、得た音楽の力が有り難いのである。いわんや、術よりワザより、君等は君等の「人」を見てもらってこい。諸君の「全人」をありのままに表現してくればいいのだ。』玉川学園は、早くから児童演劇を教育に取り込んでいましたから、そのことをおっしゃられているんでしょうが、改めて拝読してみますと、全くもって、私はずっとそう言う道を歩いて来たし、これからもこ
■中村堂本日のおすすめ白熱する教室臨時増刊号2016年夏(今の教室を創る菊池道場機関誌)Amazon(アマゾン)819〜5,126円今週末は9月の中で唯一出張がありません。Amazonや自社STOREへの注文の荷物を作ってコンビニから宅急便で発送。来週控える打ち合わせに向けて二つの資料を作成しなければいけないのですが、考えがまとまらず、形になりません。Facebookに「全人教育」(小原國芳著)に関する投稿があり、自分も以前買っていたはずだと思い出し、読み始めてしまい
母から聴いた昨日の月命日の出来事は先日書いた長老の話と似ているような→⚪いや、むしろそれ以上の衝撃だった。それはまるで昨日献花台に捧げられた紫陽花の神秘的なパープルカラーそのものだった。弟が行方不明になってから私はここ、ハワイの地からずっと祈っていた。KiLeafに囲まれた、ヘイアウ(巨大な石が配置されている聖地)を訪れる度、立ち止まってはハワイの神様にお願いしてきた。言葉では表現できないほどのつらい現実が去年の4月下旬に突きつけられた時、結果が、期待とは違えどハワ
玉川学園で我が子を学ばせたいとの願いから、子供と共に学校見学・説明会に行き、受験をし、入学許可をいただき、素晴らしい環境の中で、素晴らしい先生方の教え、触れ合いを受け、玉川学園を私の子供達は卒業しました。馨一先生の事は存じ上げませんが、玉川学園の先生として、ブログを通して知る限りでは、保護者に信頼され、子供達に慕われる素晴らしい先生が自ら命を絶たれた事を知り、本当に驚きました。我が子が玉川学園に在籍した頃が現在の玉川学園でなくて、よかったと思う今日この頃です。父兄に対する顔とは別に内部では
玉川学園を卒業して、数十年近く経つ者です。私は佐藤馨一先生のお姉様のブログを最初から全部読ませていただいています。去年4月「佐藤馨一先生との想い出」というブログを玉川学園を卒業した友人から教えてもらいました。お姉様の弟さんである馨一先生を想うブログを読む度に涙がこみ上げてきます。私は小原國芳先生が創立された玉川学園に入学できた事を、とても嬉しく思った事を覚えています。國芳先生の礼拝のお話がとても楽しみでした。数年前、玉川学園を訪れた時、正門横にあった池、幼稚部の園舎に代わり、それはそ
昨日は、我が母校玉川学園にて新し校舎の竣工式に出席させて頂きました!※玉川学園卒業生さんへのプチインフォメーションとして、新しい校舎は、元りんどう食堂のあった場所であります🍴母校、玉川学園は、以前にも書いたと思いますが、ひとつの丘の上に校内が広がっていて、とにかく、広大であります。私も卒業して既に30年以上。卒業してからも、ちょくちょく足を運んではいますが、随分と校内の景色が変わっています。りんどうがあった場所、とは思えないですが、東京ディズニーランドのシンデレラ城のように、松蔭橋
田澤里喜さんの講義を受けてきました。『子供は遊戯をしないと馬鹿になる』小原國芳さんの言葉だそうです。遊戯は生きる力を育む力がある遊戯は非認知能力を育てる遊びの思考は大人の提案が少ない方が上昇するうちは潔癖だから、汚れてもいい散歩と、汚したくない散歩があって息子の好奇心を制限しまくってるなーと思いました。妻は怪我させたくない、危ないことをさせたくない派なので転び慣れさせようとしたがりません。なので息子は体を動かしたい時は特に僕の方へ寄って立ち上がります。捻った腕を引っ張る
私の母校は、玉川学園という私学です。東京都の端っこの方に位置する、自然豊かなロケーションにたっています。たっています、っていうか、もう、丘になってる地形全部が学校。小さな町みたいな、おっきな広い敷地で、みんな、のびのび学んでます。さて、先日、母校の小学生の皆んなが音楽の授業で、卒業生で芸術家の坂上直哉さんの、もともとは、羽田空港内に飾られていた作品が、玉川学園内に飾られることになることを記念して、曲を制作することになり、コンテスト形式で選ぶことになりました。その審査員を務めさせていただ
先日、母校で、講演会をして参りました。御父兄に、玉川学園の卒業生として、話をする会が毎年あるそうで、今年は、父兄会の中に、私の友人の弟さんがいらしたご縁で、お役目を頂きました。柄にもなく、話す内容とか、箇条書きにしたりして、私なりの準備をしたのに、案の定、話をする時間を勘違いして、予定より早めに終了しようとして、「まだ、時間、たっぷりあります😅」なんて言われて、そのあとは、自由演技開始。トークは山程あるものね。途中、歌ったり、逆に、いらしてくださった方へ質問したり。私なりの「玉川学園愛
「恩物」を考案したのはフレーベルである。モンテッソーリは「子供の家」、モンテッソーリ教具を開発した。東京女子師範が交付族幼稚園のソウセツは、1876年。「教育に関する勅語」の発布は1890年である。知識を構造として学習させることで、科学的概念を子供自ら発見していく発見学習を提唱したのはブルーナーである。玉川学園創始者は小原國芳である。羽仁もと子は自由学園の創始者である。ゆとり教育が始まったのは1984年の臨時教育審議会の発足からである。
玉川学園学友会相模原支部会報誌の支部長対談。今年は。大好きな四川飯店の陳建一さん!と。息子さんの陳健太郎さんと。玉川学園の大先輩。玉川っ子のモットー。小原國芳先生の。「人生の最も苦しい、嫌な辛い、損な場面を、真っ先に微笑みを持って担当せよ」に始まる対談インタビュー。詳しくは、9月以降に発行される会報誌を楽しみにしていてくださいね。玉川っ子ならではの。和気藹々とした雰囲気の中。陳建一さんのお人柄に惹かれました。久しぶりの四川飯店の麻婆豆腐❣️始めて食べた時の感動が蘇る❣️息子さ
朝から玉川学園へ。創立者小原國芳先生の記念館へ。立ったばかりの記念館。入り口のステンドグラスは、友人の手掛けたデザイン。作成にあたっては、今の玉川学園の学園長、小原芳明先生自ら、ガラス吹きに挑戦されたそう!國芳先生の奥様の好きだった百合のモチーフ。これが芳明先生も参加したガラス。学園の校章をイメージした青い円。そして背景の透明なガラスに縦に3本のライン見えますか?光に映る美しいエントランスです。この円の高さには、秘密が。小原國芳先生の身長の高さに配置されているそうです。
昨日、鹿児島県立体育館で開催された『明治150年記念式典』に参加させていただきました。秋篠宮殿下と紀子妃殿下をお迎えしての式典で、高校生のミュージカルや小学生の合唱などの催しがあった第1部の最後に、鹿児島県内の小中高校の男女6名が、未来に向けての誓いの言葉を述べました。それぞれが、素晴らしいメッセージを発信しました。その中で、わが母校の枕崎市立桜山小学校の男子児童が小学校男子を代表して誓いを述べてくれました。毎日の登校中に、『負けるな。嘘をつくな。弱いものをいじめるな。』の看板にいつも動機付け
おはようございます😃玉川キッズの中間テストの準備コース受付始まっています!5月後半の玉川学園ミドルアッパー中間テスト五年生は初めての定期テストになります!準備大丈夫ですか?今日からでも中間テストに向けて自分スケジュールを立ててください!毎日の予定をこなして試験に臨むことで社会に出てからも役立つ企画力が育ちます。学校は社会に出るための練習の場です。テスト範囲が発表になっている学年があります。自分で勉強ができるお子さまに育てます!小原國芳先生の全人教育自学自習のでき
お庭に。毎年恒例のシャガの花が咲きました。そして、相変わらず母が生けました。玄関の小原國芳先生の「玉川っ子」の隣に。目まぐるしく展開する春の息吹にUP&DOWN繰り返し、翻弄されながら。ですが。掃除や挨拶、人間の基礎的な生き方。季節を感じる。お庭に咲く花を愛でる。お料理の食材に感謝して作る。無償の愛を与える。なんて、考えながら。日々精進。玉川の丘で学んだ。「人生の、最も苦しい。嫌な。辛い。損な場面を、真っ先に微笑みを持って担当せよ。」小原國芳この言葉が見に染みます。今日も。良き
秋は文化祭シーズンです。私が幼稚部から高等部まで過ごした玉川学園色々な事を学んだ、人生の中で多くの時間を過ごした思い出の場所です。娘がママの過ごした玉川はどんなところか見てみたい。と、話していたので、久しぶりの玉川学園へ。新しい校舎が色々出来ていて学食も新しくなっていました。そして、私の母が尊敬していた玉川学園創立者小原國芳先生家にも実家にも國芳先生直筆の色紙があるのですがやっとこの年になって先生の教
『人生の最も苦しいいやな辛い損な場面に真っ先に微笑みを持って担当せよ』この言葉は私の母校玉川大学(玉川学園)の創立者小原國芳先生か掲げた学園のモットーですこのモットーは私の心の言葉↓玉川学園の入り口にこのモットーは刻まれています今日は卒業年度から10年ごとの同窓会『ホームカミングデー』に参加してきました久しぶりに懐かしのキャンパスを訪れて学生時代に私の心に刻まれたこの言葉を思い出しました❤︎この数年でキャンパス内は校
人生の最も苦しいいやな辛い損な場面を真っ先きに微笑を以って担当せよ玉川大学のモットーであり全人教育を提唱する創立者小原國芳先生のお言葉ココ素晴らしいこのことばに長いこと苦しめられてきた私私が勝手に解釈するに崇高な志究極の理想生涯をかけて追求し、苦悩するそれがおそらく國芳先生の意図していたところでしょうけれど「人生の最も苦しいいやな辛い損な場面」って💦💦恐ろしくてそんな場面に出合わないことをずっと願っておりました(今でも)でも年齢を重ねるとともにそういう