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嗚呼、キダ先生。何にも言えません。つい先日、関西発ラジオ深夜便で先生のトークが再放送されたばかり。関西発ラジオ深夜便▽明日へのことば-ラジオ深夜便小野塚康之▽明日へのことば浪速のモーツァルト<1>全2回~幼いころは内気な子~作曲家キダ・タローwww.nhk.jp関西発ラジオ深夜便▽明日へのことば-ラジオ深夜便小野塚康之▽明日へのことば浪速のモーツァルト<2>全2回~90歳過ぎてますます元気~作曲家キダ・タローwww.nhk.jp2023年2月に放送さ
「神戸ニニンガ日誌」(第3,182号)○芦屋市立美術博物館「具体美術協会/芦屋」。「人の真似をするな」という吉原治良の言葉通り、具体は独創的な創作を数多生み出した。○畢竟「渾然」「憤怒」という魂から湧き出るものをぶちまけ形として残ったものとなる。便宜上作品と呼ぶが、それが「作品」かどうかは最早意味がない。○具体メンバーの嶋本昭三先生とかつてよくご一緒した。アトリエにもよく伺った。2007年には北京行きにも同行した。先生は「芸術とは、人を驚かせることである」を生涯やり貫いた。
2023年(令和5年)10月3日(火)芦屋市立美術博物館で「月岡芳年展」を見た後は、同じく芦屋文化ゾーンにある谷崎潤一郎記念館にも行きたかったので、美術博物館に隣接する「カフェ・ド・ルポ芦屋店」でランチをいただきました。ドリンク・デザートセットをオーダーしました。すっごく美味しかったです。「小出楢重アトリエ」1927年建設(1990年復元)
🏠芦屋deレトロ建築巡り芦屋市立美術博物館の前庭に、大阪で活躍した洋画家・小出楢重のアトリエが復元されています。隣はカフェで、入り口がつながっています。このアトリエ、たまたま隣のカフェに入ったので気づきましたが、うっかり見過ごすところでした💦小出楢重は1887年大阪生まれの洋画家で、1923年に二科会員となり、鍋井克之・国枝金三・黒田重太郎らと「信濃橋洋画研究所」を設立、日本の洋画の先駆者の一人となりました。#前投稿の伊藤継郎もこの画塾で学びましたこのアトリエは1927年に芦
2013年、ブリヂストン美術館で開かれたカイユボット展では、画家が描いたパリの都市生活・風景を数多く目にしました。なるほど、展覧会の正式タイトルを「カイユボット展都市の印象派日本初の回顧展」とした理由もうなずけます。アパルトマンの窓から眺めた街路樹、今クレディリヨネ銀行があるあたりの四辻、家の壁を塗るペンキ職人、サンラザール駅を見下ろす橋に佇む人たちなど、さりげない日常生活の数々が、いかにも都会的な洗練された筆致で描かれていました。それらの中には印象派展に出展された作
「ルートヴィヒ美術館展」数日前からなぜか無性に良質の絵画を見たいという気分になっていたので、手近なところでと、京都での展覧会をネットで検索したところ、「ルートヴィヒ美術館展」が良さそうなので、午後から観に行ってきました。京都国立近代美術館の「ルートヴィヒ美術館展20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」という長いタイトルの展覧会。今まで名前を聞いたことのない美術館だが、ネットで展覧会の案内を流し読みすると、カンディンスキー、ピカソ、アンディ・ウォーホルなどが展示されていて、た
大阪中之島美術館に行く際、はじめてダイビルの中を通りました。わぁ~ネオ・ロマネスク様式というそうですが、こういうレトロ建築、大好きです現在のダイビル本館は、2013年に建て替えられました。建て替えの際に、もともとこの地にあった、1925(大正14)年に建てられた旧ダイビル本館の外観も内観も忠実に再現したそうです。このエントランスホールは見事に再現されていますね1925年当時の写真ダイビル公式サイトより大正14年に完成したとき、
今年2月にオープンした大阪中之島美術館2回目の訪問です草木が育ちいい感じですオープンしたての今年2月↓2月のオープニング展に行った時の様子はこちら↓『オープンしたての中之島美術館見どころあれこれ』今月2日にオープンした大阪中之島美術館開館記念展はかなり話題になっています大阪中之島美術館が所蔵する6000点を超えるコレクションから約400点の代表的…ameblo.jp美術館前のシップスキャット、いた~今、中之島美術館では2つの展覧会が開催
小出楢重(1887年-1931年2月13日)の「帽子を冠れる自像」を真似た。裸婦像を得意とするが、その他にも秀作が多い。同作は1928年、小出41歳のもの。洋画界では「裸婦の楢重」と称されるほど著名だったが、晩年まで生活は困窮。中学時代の同級生からの支援を得て、画業に専念したと言われている。745群馬県桐生市のレストラン「シュマンドール」からのお知らせやまかない料理の紹介↓↓↓↓↓↓センム♪さんのプロフィールページセンム♪さんのプロフィールページですprofile.ameba.jp#
この絵、画家の心の内がよく表れている。745群馬県桐生市のレストラン「シュマンドール」からのお知らせやまかない料理の紹介↓↓↓↓↓↓センム♪さんのプロフィールページセンム♪さんのプロフィールページですprofile.ameba.jp#缶バッチ#misotch#ママペコラ#餃子酒場秘密基地#秘密基地#うなばら#バー#amuselobar#soundstadiom#寿司のサスケ#麺屋33#イクミ@前橋市#ヘアールームアズマ@東海市#質のヤマカワ@名古屋市東区#キテ
日本文学にこれからも名を残すであろう、在原業平と谷崎潤一郎と村上春樹さんは芦屋はとても縁が深い。その街の空気と言うのがあるのかもしれません。芦屋の文化ゾーン。阪神芦屋から南東に15分。芦屋川沿いの芦屋公園を通っていくと、良いウォーキングコースです。海技大学校もちかくにありますし、市民の憩いの場、芦屋温泉も近くです。美術館と谷崎潤一郎記念館と図書館とまとまってあります。美術館の敷地にある、芦屋廃寺の礎石。大阪城の石垣に使う予定だったみたいです。市立美術館での催し。テレビなんでも
6月2日(火)から兵庫県立美術館が再開したと聞き、早速行って来ました。というのも、会期中の「超・名品展」が7日(日)で終わってしまうためです開館50周年を祝う記念展だったはずなのに。会期が6日とは!短かすぎます。検温の後、チケット売り場へ。事前予約制でいつもより空いていました。展示は1870年代から1970年代までの邦人作品約100点。4部構成です。Ⅰ時代をさかのぼって(明治中期~大正初頭)高橋由一(1828-94)作「
無人島に1冊だけ本を持っていくとしたら、何をもっていきますか。司馬遼太郎は親鸞の『歎異抄』と答えたそうです。最近発売の歎異抄本の新聞広告で知りました。わたしだったら、『スケッチブック』かなぁ。半人半魚のモデルを毎日描きたいものです。島に自生する木の枝を炭化した筆記具でもいいのですが、6Bの鉛筆があればなおよろしい。作家・髙村薫さんがこの問いかけに「植物図鑑」と答えていたことがずっと記憶に残っています。いい人だ。昨秋、高校生から頂いた本用の栞が重宝しています。ラミネート加工された栞に
あしや温故知新94小出楢重(こいでならしげ)芦屋ゆかりの画家小出楢重は1887年(明治20年)、大阪府大阪市南区長堀橋筋一丁目(現在の中央区東心斎橋)に生まれる。小学校から中学時代にかけて渡辺祥益に日本画の手ほどきを受けました。1907年、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を受験したものの不合格、日本画科への編入を許されて入学します。日本画の下村観山の指導を受けますがのち洋画に転向し、1919年、二科展出品作の「Nの家族」で新人賞と呼ばれる樗牛賞を受賞します。翌年は念願
寝坊したので昼からお散歩初めに目に入ったのはハナミズキの実きれいですね近くの文化施設です芦屋市立美術博物館巨大石のモニュメントがあります今はこんな展覧会をやっているようですまた足を運びます同じ敷地内に小出楢重アトリエ(復元)があります残念ながら中は改修中その隣は【谷崎潤一郎記念館】更にその奥は図書館です
北九州市立美術館本館で「青柳喜兵衛きひょうえとその時代展」を観ました。(11/3)以前、本館上部3階の常設展示室※で観た青柳の代表作の1枚で、亡くなった次男を描いたという「天翔ける神々」(1936年)が印象に残っていたので、今回の企画展を待ち望んでいました。「青柳喜兵衛とその時代展」会場入り口パネル絵は《天翔ける神々》(1936)友人の夢野久作が没した後に彼を想い描いた肖像画や、久作の著作『犬神博士』をはじめとする装丁や挿し絵、郷土玩具本の挿絵などに足が留まりま
こんばんは〜田舎に帰ったとき切手をもらいました。珍しいのが出てきたので、絵画作品を中心にアップしてみます。上右側から万鉄五郎(よろずてつごろう)左に行って村山華岳下のが鏑木清方(かぶらぎきよたか)右が小出楢重(こいでならしげ)左が尾形光琳万博開催時の記念切手もありました。7円切手、15円切手とか知らんな〜右が安井曾太郎中央上の右が速水御舟、その左が青木繁下のお相撲さんが不明です。浮世絵は詳しくないリスさんとデューニャー。中央一番下は鈴木春信、これは知ってま
明石駅から北へ徒歩5分の所に、明石市立文化博物館があります。冬季特別展「天才たちの青春」が2月4日(日)まで開催されています。世界の巨匠たちが子どもの頃描いた絵が100点ほど展示されています。展示物はおかざき世界子ども美術博物館(愛知県岡崎市)から借りたコレクションです。ポスターはこちら。左上から順に、ムンク18歳「雪景色の中の少年(1881年)」、ロートレック17歳「馬上の二人の兵士(1881年)」、クレー19~20歳頃「椅子に座る少女(1898-99年頃)」、モネ17歳「水
植村達男さんの「本のある風景」や「神戸の本棚」を読むと稲垣足穂、竹中郁、谷崎潤一郎、小出楢重、小松益喜をはじめ多数の神戸ゆかりの人物が登場します。そこでまだ読んでいなかった西秋生著「ハイカラ神戸幻視行コスモポリタンと美少女の都へ」(神戸新聞総合出版センター刊)を図書館で借りて読み終えました。神戸新聞夕刊に連載したエッセイを加筆して単行本化したもので、戦前の神戸でモダニズムが燦然と輝いた時代を小説をはじめ、詩、絵画、写真など、多くの藝術作品を手がかりに、そのきらめきを辿った書籍です。実に多
図書館で借りて読んだ「本のある風景」ですが、手元に置いておきたくて、amazonに注文しておりました。この本の著者・植村達男さんに言わせれば私にとっての一生の間に、是非とも捜し出して読みたいと思っている本が何冊かある。神田あたりの大きな古本屋に頼めば、即座にみつけ出してくれるかもしれないが、それではあまりにも面白みがない。また、見つけたときの喜びも小さい。それに、値段の方も気になる。そこで、本捜しについては、のんびり構えることにしている。ということになる。まったくその通りなのであ
企画展「私のジャポニズムnow」!展のことを考えている。このタイトルでぼくが作品を出展するとしたら、どんな具体的なイメージが湧くだろう。つまりぼくが思う日本的なモノ。それは何だろう?それはやはり富士山とか、お相撲とか浮世絵とか、その昔ジャポニズムと言われていたモノの延長線上に創造されるモノか。確かにいま現在でも、日本j的なモノをアッピールする上で、相変わらずと言うか、その長い伝統に依拠した昔ながらの日本のシンボルに、再び熱い視線が集められている。それはそのまま観
昨日の続きで、芦屋の谷崎潤一郎記念館に立ち寄った後は、本来の目的地である西宮の御前浜公園に向かうのですが、出発前に谷崎潤一郎記念館の隣にある芦屋市立美術館の外観を撮影しました。美術館の外観敷地内にある復元された小出楢重画伯のアトリエと喫茶店自転車で15分ほど走ると、御前浜公園に到着、さっそく目に入ったのはウインドサーフィンを楽しむ人達です。夙川河口方面に目を向けると、まだ北に帰らずに残っている数羽のユリカモメがいました。この時期になるとユリカモメは顔が真
今日は、『洋画をつまんでたべてみる』というテーマで学芸員が語ってくれるというもの。たまたま目にしたチラシで知ったのですが、結構人数は集まってました。洋画って、最近お客が集まらなくて展覧会が激減しているそうで、敢えて洋画をテーマにしたとのことでした。紹介作家は、こちら。小出楢重、安井曾太郎、村山槐多、前田寛治、山口薫、松本竣介、麻生三郎実のところ、私は洋画って好みではないのです。それで敢えて見方を聞こうと思って行きました。このラインナップ、土臭いというか、くどいというか。ソコが良い
福岡市美術館(大濠公園内)で開催中の「物・語(ものがたり)――近代日本の静物画」に出かけました。企画よしの見応えある展覧会でした。最初の展示室では、幕末・明治初期の絵が並んでいました。洋画が世に出始めたころは、そう、高橋由一の『鮭図』なんかが発表された時は、その写実に皆驚き、恐がったでしょうね。映画誕生の歴史で引用される、スクリーンの中の蒸気機関車が迫ってきて、観客が騒ぎだし後ずさりしたというエピソードを重ねて思いました。松岡寿の『球と多角柱』(東京藝術大学大
お読みいただき誠に有難うございます!小大丸の白井です。さて、6月11日(土)より、西宮市大谷記念美術館では生誕110年「松井正(まついしょう)展」が開催されます。http://otanimuseum.jp/home/exhi/matsui16/matsui16.html広島出身の松井正(1906-1993)は17歳の時画家を目指し大阪へ。当時の新進洋画家の小出楢重に入門します。1927年、第14回二科展に「樹間展望」を出品して初入選。戦後は西宮に移り住み、1979年には