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東京リビングストーン教会木曜礼拝主題:キリストの従順、人間の不従順このような苦難を前にして、イエスはそれでも神の御心に従順しようと切なる祈りをささげたのが今日の本文です。この箇所を説明したであろう聖書箇所がヘブライ書5:7にあります。ヘブライ5:7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。5:8キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を
リビングストーン教会木曜礼拝2016.12.1聖書本文:マルコによる福音書14:32-42主題:イエスのゲッセマネの祈り今日の本文では、イエス様がゲッセマネの園で全ての救われるべき人々の為に、執り成しの祈りをささげる姿を見ることができます。これはイエスの大祭司の祈りと言うことができるでしょう。人間としてのイエス4:32一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」言われた。33そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひど
リビングストーン教会福音セミナー主題罪の行いを殺すこと体の行いを殺すことは、第一に罪の外面的な行いを抑圧することではありません。それは、重要ですが、十分ではありません。むしろ、それは、罪深い願望の動機として根を下ろし、良い行いを衰えさせ、窒息させ、そして死に至らしめるのです。体の行いを殺すこととは、罪の吸引力、私達が罪を犯したいようにさせる心の願いを破壊することなのです。道徳的に律法を守ることは単に恐れとプライドによって罪を犯さないように心を圧迫し、強制するだけであり、そうしている間にも
ローマ書8章6節で、私達が見る方針は、’心の思いを肉に向けず、霊に向ける’ということでした、これはコロサイ書3章1-3節に当たります。それは、あなたの’思い’と’心’(同じことであることに注目!)を「あなた方は今やキリストの内にある」という事実に向けることです。ローマ書8章14節によれば、私達は’肉の思い’、’罪深い体の行い’を’死に至らせる’方向を持っています。これはコロサイ書3章5節に当たります。それは、私達の’epithumia’(悪の願望、文字通り、’過度な願望’)を死に至らせることで
リビングストーン教会福音セミナー主題肉の行いを殺すことと同一化それでは、福音による心の変化はどのようにして実際的に起こるだろうか?二つのプロセス清教徒リバイバル運動の伝統の中で多くの改革神学者が教えるのは、いわゆる’律法主義的悔い改め’と’福音による悔い改め’の違い、そして聖書の原則(一般常識)に従って一生懸命生きることと、真に福音を用いて、心の根本的な構造や動機を変化させることの違いである。私は神学校でのJ.I.パッカー教授の講義を決して忘れることはないだろう、そこで彼が要約したの
高田馬場リビングストーン教会福音セミナー主題ルターの土台に立つ彼らの日々のあゆみ(教会の人々)は自分を義とするために彼らなりの聖化に依存している・・・彼らの誠実さ、最近の宗教的な行為や、彼らの意識的、意図的な不従順が比較的少ないことから、自分は神に受け入れられるという保証を引き出すのである。ほとんどの人々は毎日をルターの土台の上に立つことから始めることを十分に知らないのである:あなたは神に受け入れられていること、信仰において外を見ながら、全く外的なキリストの義を自分のものとしながら、神に
リビングストーン教会福音セミナー〜教会と一般常識〜教会と一般常識メインラインと福音的教会は一般的に一般常識のやり方を用いて、人々に聖書の原則に従って生活するように教える。ペンテコステ派/福音派の伝統は神への内的な従順と信仰を強調する、それゆえに、表面的には心を扱っているように見える。しかし、より良く見てみれば、ほとんどの福音的な教会は人間の意志に直接プレッシャーを与えることにより人々を変えようとしていることが明らかになる。彼らは(より多くの保守的な教会の中で)大抵強調点のほとんどをキリスト
高田馬場リビングストーン教会福音セミナーベルギー信仰告白はこのように語る”それゆえに、この義とする信仰によって人が敬虔な聖なる生活を怠けるようになるというのは、真実から遠く離れている。反対に、義とする信仰なしには、人々は全てのことを神に対する愛からするのではなく、ただ自己愛または裁きに対する恐れからするようになるのである。”ベルギー信仰告白24このことが語るのは、私達が福音を信じることなしには、私達がする全てのことにおいてーそれが神への従順であれ、不従順であれープライド(自己愛)または恐れ(
リビングストーン教会福音セミナー真の美徳の性質エドワーズが指摘したのは、全ての一般常識は基本的に自己利益、行いによる義、そして自己義認の形を成しているということです。一般常識において、’何の理由もなしに’神に仕えることはしません。(ヨブ1:8-9)すなわち、神のために神に仕えることをしません。その代わりに、神そして他者に対して、あなた自身のために仕えるのです。あなたは自らの救いを得る為に、祈りの答えを手にするために、他者からの尊敬を得る為に,そしてあなた自身の自尊心を得る為に神を利用するので
高田馬場リビングストーン教会福音セミナー主題:一般常識の限界一般常識の限界一般常識の限界は、ビクトル・フランクルとラングドン・ギルキーによる、第二次世界大戦時の強制収容所での生活に関する本の中に見受けられる。2人の男性は多くの人々と共に投獄されたが、その人々は安全と自尊心が保証されている社会においては、非常に道徳的で、善良な生活を送っていた人々でした。しかし、彼らはほとんど全ての利他的な行動はあまりにも損失が多くて、致命的でさえあるような場所に入り込んだ時には、ほとんどの人々は自己中心的に
リビングストーン教会福音セミナー主題:一般常識と真の美徳道徳的行動の変化聖書的な教会開拓運動の特色の一つは、福音を通して個人的な心の変化である。’一般常識’真の美徳と宗教的な愛情の中で、ジョナサン・エドワーズは個人的な変化に対する二つの方法論の違いについて説明しした。強制された道徳的な順守と純粋な心からの変化である。人間は、過激な自己中心性が私達の道徳観念をあらゆる方法で侵害するように導くのと同様に、善と悪の両方の道徳観(良心)を持っている。(黄金律と十戒の普遍性―自己中心性に対す
高田馬場リビングストーン教会宗教改革講座4主題キリスト者の自由キリスト者の自由(1520年)第一の命題:キリスト者はすべてのものの上に立つ「自由な主人」であって、だれにも従属していない。第二の命題:キリスト者はすべてのものに「奉仕する僕」であって、だれにも従属している。キリスト者は完全な自由人(引用)キリスト者は信仰だけで充分であり、義とされるのにいかなる行いをも要しない。・・・彼がいかなる行いをももはや必要としないとすれば、たしかに彼はすべての戒めと律法とから解き放たれて
リビングストーン教会宗教改革講座3主題95ヶ条の質問文1517年10月31日(95か条の質問文)正式名称は「贖宥状の意義と効果に関する見解」教会の扉に掲示されたのは、ラテン語でしたが、ドイツ語に訳され、二週間の内に、全ドイツ中に広まる。宗教改革の第一歩が開始。活版印刷技術(グーテンベルク)「95か条の意見書」は、当時発明された、活版印刷の技術により、広く世間に広まり大運動に発展。反響は大きく、多くの賛同者が現れ、予想を超えて大きな教会の改革運動に発展。※活版印刷の技術がなけ
高田馬場リビングストーン教会宗教改革講座時代の流れ・ヨーロッパはかつてのキリスト教信仰を再発見・ルネサンス運動による古代思想への回帰(ギリシャ、ローマの哲学、思想、文化)・私達が信じているキリスト教信仰の起源は何なのか?(信仰の原点に帰れ!)ローマカトリック教会の堕落教皇制によるヨーロッパ支配(金と権力)ラテン語聖書、礼拝による礼拝の形式化一般民衆を『無知』により支配聖職者の特権階級化、堕落完全に間違った教理(免罪符による救い)〝お金をこの箱の中へ「チャリン」と落と
高田馬場リビングストーン教会礼拝説教主題:正しい人は信仰により生きるそれは宗教改革の歴史だけではなく、私達、クリスチャン個人の歴史にも全く同じことが言えます。私達は熱心な信仰生活を送るから神に受け入れられる訳ではありません。ある人は宗教と福音の違いをこのように説明しました。宗教:私は神に従う。それゆえに、私は神に受け入れられる。福音:私は神に受け入れられている。それゆえに、私は喜んで神に従う。ローマカトリックは、少しずつ時間をかけて、福音の本質を失い、宗教に転落していきました。それは私達の
リビングストーン教会礼拝説教主題:福音を失う時そうです。神の義とは何でしょうか?それは神の完全な基準です。神は旧約、新約聖書を通して、神の聖さ、神の正しさが何であるのかを示されました。私達人間には到底たどりつけない、あまりにも高い基準を示されました。もちろん、ファリサイ派や律法学者はそれを守ろうと努力しました。パウロもそうでした。しかし、神の義は、人間の努力や熱心で手にいれることができるものではありません。エレミヤ17:9人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。
リビングストーン教会礼拝説教ルターのガラテヤ書購解序文2命題3“全ての罪は究極的に『行いによる義』によってもたらされる偶像崇拝に根を下ろしている。”あらゆる罪の究極的な原因は、キリスト以外の何物かが、キリストに代わる「義」または救いの確信として働いていることである。そのようにして、心の中に「偶像」が作られ、それを熱烈に追い求めるようになる。命題4“人生の全ては「悔い改め」である。それは、罪に対してというよりもむしろ、私達の「自分なりの義」に対しての悔い改めである。”私達はキリス
高田馬場リビングストーン教会礼拝説教主題:塔の体験その頃からルターの心を捉えて離さなかったのはパウロの『ローマの信徒への手紙』に出る「神の義」の思想でした。先ほど読んだ通り、ローマ1:17です。もう一度お読みしましょう。ローマ1:17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。この聖書の言葉によれば、福音とは、神の義、すなわち正しさの啓示であることになります。しかし、ルターにとっ
リビングストーン教会主日礼拝2016.10.23主題:ルターと宗教改革マルティン・ルターは1483年に鉱山業に従事していた父と母の次男としてドイツのアイスレーベンで生まれましたた。彼の神に対する考え方は、家族関係が大きく影響したようです。ルターの父は上昇志向が強く、子供たちにもさらに上を目指すよう常に要求していた厳格な父親であったと言われています。教育において非常に厳しい父の姿は、後のルターが『冷酷で厳格な父なる神様』というイメージを持つ上で強い影響を及ぼすことになりました。父の願いに沿う形
高田馬場リビングストーン教会説教主題:メシアはダビデの子、ダビデの主つまり、処女マリアを通して、聖霊により身ごもり、生まれたイエスこそ、ダビデの王座を継ぐべき真のダビデであり、新しいダビデであります。ローマ書はイエスが肉体と霊の両面において、預言を成就したお方であることを語ります。ローマ1:3御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、1:4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。つまり、
リビングストーン教会礼拝説教主題:新しいダビデの到来新しいダビデの到来エレミヤ23:5見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。23:6彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。エゼキエル37:24わたしの僕ダビデは彼らの王となり、一人の牧者が彼らすべての牧者となる。彼らはわたしの裁きに従って歩み、わたしの掟を守り行う。37:25彼らはわたしがわが僕ヤ
ある会社に2人の共同経営者がいました。二人は今後の会社の方針において、対立し、分裂の危機にありました。どうしても2人の意見は一致せず、協力してプロジェクトを進めることが難しい状態でした。経営者の一人がカウンセラーに相談して、苦しい現状を訴えました。『私の同僚は決して自分の意見を変えようとしません。』『彼が変わらない限り、会社はこのままではつぶれてしまいます』カウンセリー(カウンセリングを受ける人)にとっての偶像は何でしょうか?彼は会社の動向を支配したい、もちろん、経営者だからそれはそうで
リビングストーン教会木曜礼拝2016.10.6主題:破られた契約0pt">私達は列王記上を通して、最も繁栄し、強大な国家を築いたソロモン王でさえも、罪に倒れて主に不従順する姿を見る事ができます。列王記上11:9ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、11:10他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。11:11そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と
東京リビングストーン教会礼拝説教主題:延期された審判と、それを通して働かれる神使徒言行録24:22フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする」と言って裁判を延期した。24:23そして、パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。フェリクスは、裁判を延期してしまいました。ルシヤが来るときに解決しよう、というのは表面的
高田馬場リビングストーン教会礼拝説教主題『主よ、どうしたらよいでしょうか』イエスが主なる神であるということを知った後は、パウロは今までの生き方、考え方が180度ひっくり返されたような経験をした。主が誰であるかを知った後に、自分はどうしたら良いのかということを強く考えさせられた。今までの自分ではいられない。今までの自分の姿では生きられない。自分は変わらなければならない。そのような恵みが最近あるでしょうか?イエスはありのままで私達を受け入れられる。しかし、私達がイエスの元に留まる時、私達は
高田馬場リビングストーン教会礼拝説教主題:真の神との出会い私達も人生において、このような驚きはあったでしょうか?パウロの回心の出来事において、驚くべきことは、天から光が輝いて、イエスが現れて天から言葉を語ったとか、それでパウロの目が見えなくなったとか、そういう神秘的なことが大切ではありません。そのような神秘的な方法でイエスを信じた人がどれほどいたでしょうか?おそらくここには一人もいないと思います。しかし、全てのクリスチャンにおいて、パウロと同様に言えることは、自分の人生、自分の歩みは、神に真っ
リビンストーン教会礼拝説教主題:弁明の意味1.弁明の意味。弁明の大切さ。Apology,Defenseと言います。クリスチャンにとって、弁明とは何でしょうか?必要に駆られて説明することです。誤解や偏見を取り除くことです。人々に自分のしていることが間違っていないことを論理的に明らかにすることです。そういう点でクリスチャンにとって、私達の存在自体が、弁明であることを覚えなければなりません。なぜ自分が今の自分であるのか、弁明するということです。弁明は主に法廷で使われる言葉である。自分のしたこ
リビンストーン教会主日礼拝2016.9.4主題:主よ、どうしたら良いでしょうか?6「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。7わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いたのです。8『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。9一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。10『主よ、どうしたら
高田馬場リビングストーン教会木曜礼拝主題:奉仕のために召されて6.いずれ飲む「イエスの杯」と「受ける洗礼」39彼らが「できます」というと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが受ける盃を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。イエス様は、来るべき十字架の苦難を理解できない弟子たちの「イエスの杯を飲み、イエスの洗礼を受けることができる」という発言に対して、『あなた方にはできない』とは言いませんでした。むしろ、「確かに、あなたがたはわたしが受ける盃を飲み、わたしが受ける洗礼を受
リビングストーン教会木曜礼拝説教主題:成功したただ一人の金持ちの青年ここでもう一度、振り返るべきなのは、前回に学んだ金持ちの青年の話です。金持ちで、十戒を子供の時から守ってきたという青年は、『永遠の命を受け継ぎたい』と思っていました。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(マルコ10:17)彼は霊的な永遠の命に関心を持つだけでなく、財産家でもありました。主イエスは十戒を守っているか確認しましたが、子供の時から最善を尽くして律法を守る努力をしてきた金持ちの青年は自信